(年少・なんちゃって学園パラレル)
3月5日。青春のリミット(仮) 第30回
〜あるいは、ドキッ!竜ちゃんのバレンタイン大作戦!〜
メールの着信を告げた携帯を見て、笹渕は少し思案した。
16歳の誕生日に初めて親に買ってもらったそれは、笹渕の通う高校が持ち込み自由な校風であることもあり、早くも生活に欠かせないものになっているが、制限を超えた場合は即解除、を親に言われていることもありメールと通話くらいしか使用していない。相手も学校の友達や家族くらいだ。
今、受信したメールは先輩である有村からのもので、一言「明日、暇?」というものだった。それだけなら問題ない。アドレスを教えてから、有村は割と頻繁に他愛のないメールを送ってきている。
ただ、今現在は2月で、3年生である有村は受験期まっ直中で、明日は日曜日である、ということが、笹渕を困惑させた。
「ごめんねえ、呼び出して」
「いえ、先輩こそ、こんな時期にいいんですか?」
「んーまあね」
翌日の昼下がり、笹渕は有村の指定した都内の店に来ていた。日曜日ということで人通りが多く、少々まごつきながら辿り着いたそこは、当然ながら笹渕の全く知らない店だった。ロックバー、というのだろうか。カウンターやステージがあり、夜には演奏がされる雰囲気だった。
「迷わなかった?」
「あ、はい、少し。全然知らない場所だったんで…先輩って色々知ってますねえ」
有村は1年生の間でも「掴めない」先輩として認識されていた。人当たりも見た目も良く、趣味やプライベートが掴めるようで掴めない。「そこがまた素敵」とは女子の意見だが。男子の意見としては「相当遊んでる」で、──だけどそれは羨望を込めてそう思われていた。
「ここ、あんまり混んでないしゆっくりできるんだよねえ」
そう言いながらジンジャーエールを飲む、有村に何となく見とれてしまう。日曜のため当然ながらお互い私服で、よく考えたら初めて見る姿だった。ラフなTシャツの重ね着にジーンズといった姿の有村が、妙に新鮮に見える。
「…私服」
「え」
「初めて見たよね」
思考を読まれたかのような有村の言葉にどきりとする。固まる笹渕を前に、有村はふふ、と笑うと「冷めちゃうよ?」と笹渕の前のカフェオレを指した。促されたようにカップを口につけると「かわいい」と言われてまた固まった。
「…受験勉強、いいんですか? 今入試期間でしょう?」
何故かにこにこと自分を見ている有村に気恥ずかしくなり、うろうろと視線をさまよわせてから俯き加減に、ぽそりと笹渕は聞いた。
昨日メールが届いてから、返信内容にしばらく悩んだ。予定はなかった、だけどそうしたらきっと呼び出されるんじゃないかと、それが分かったからだ。呼び出すのが本人だとしても、入試期間に行ってしまっていいのだろうか、と気を遣ったのだ。
だけど悩んだ末、結局笹渕は正直に「予定はありません」と返事をした。嘘をつくのもためらわれたし、それに、…ほんの少しだけ、会いたい気がした。
「んーまあね、いいじゃん。息抜き」
有村は苦笑して、そして少し口を尖らせる。
「てかさー、久々に会うのにそんなこと言わないでよー」
「え、…あ、すいません」
「引退してからほーんと、会わなくなっちゃったしー」
夏のインターハイで有村たち3年生は部活を引退した。それでも年末までは月に2、3回「息抜き」と称して有村や元副部長女史は弓を引きに来ていたが、年が明けてからはさすがに来ておらず、有村に会うのは実際久しぶりだった。
「…すいません、だって3年は今、大事な時期だし」
恐る恐る、という感じに言う笹渕に、有村は両肘をテーブルについて、ずい、と上半身を近づけた。
「ぶっちはさあ、」
「…、は、」
「俺に会いたくなかった?」
顔を近づけられ、上目遣いに真っすぐ見られてとっさに息をのむ。そのまま固まっている笹渕に尚も顔を寄せ、有村は口角を上げる。
「…ねえ?」
「…そんなことは」
笹渕はその唇から目が離せないまま、そのまま小さく呟くように言った。軽いデジャヴを感じる──そう、彼の口の端がにい、と上がって、そして自分はいつも動けない。
「そんなことはない、です。…先輩に会えるの、嬉しい、し」
そして、それに促されたかのように言葉が出た。そう、確かに自分は、有村に会えるのを楽しみにしていた。
「そう、良かった。──俺も、嬉しい」
す、と上半身を戻して、有村はにっこりと笑った。
それからしばらく、近況報告的な話をした。有村は本命の大学の入試は終わっているが、後2校の受験を残しているという。「明日も受けるんだけどね」という言葉に笹渕は面食らったが、有村は「今更何やっても同じだし」と笑っていた。「まだ全然結果も出てないし、後はひたすら受験するだけだよ」と。
笹渕の方は、有村たちが引退してからの部活の様子を少々報告した。しかし取り立てて事件や変化もなく、新部長はそれなりに頑張ってるだとか、道場がボロいままなので寒くて仕方ないとか、そういう他愛のない話だった。
「そうだ、俺、ついに自分の弓、買ったんです!」
思い出して嬉しそうに言う笹渕に、へえ、と有村も笑顔になる。
「なかちゃんのとこで? 何にしたの?」
「種類は普通に直心で、13キロです。先輩も直心ですよね?」
「そうだねー、それが多いし。ちなみに俺は17キロだけど」
「え!強! …だからあんなに矢飛びが強いんだ…」
驚く笹渕に有村は笑ってみせた。弓の強さは弓自体の重さではなく、一定距離を引いた時にかかる強さで計る。つまり、引いた時に何キロの強さが腕にかかるか、ということで、強ければ当然矢も勢い良く飛ぶのだ。
有村の矢飛びから強い弓を使っているだろうとは思っていたが、笹渕の予想以上だった。俺には絶対引けない、と思った。少なくとも、今は。
「なかちゃんにも相談した?」
当の有村はにこにことした表情を崩さないまま、ストローをいじっている。先輩は今後も弓道を続けるんだろうか、ふとそんなことを考えながら、笹渕は頷いた。
「中山さんには『高校生は直心が扱いやすいから』って言われました」
「そうみたい。うちの共同弓で何故か桂があるじゃん? 昔の先輩が扱い辛くって置いてったらしいよ」
「そうなんですか?」
「うん、俺も引いてみたことあるけど、何か変な感じだった。…あー、弓引きたいなー」
はあ、と大袈裟にため息をつく有村に、笹渕は苦笑した。そしてふと思い当たる。
「そういや先輩、弓も矢もまだ道場に置いてありますよね」
「あ、うん。まだ引きに行く気だしね。…そうだな、全部入試終わったらまた引きに行こうかな…」
そして、その後道具を持ち帰るのだ。…卒業してしまう前に。
「先輩も、もうすぐ卒業しちゃうんですよね…」
何気なく、口をついた言葉だったが、口にしたとたんに実感がわいた。そうだ、有村はとっくに引退した先輩で、卒業してしまったらその繋がりすらなくなるのだ。
その時、沸き上がった感情は、自分でも説明できないものだった。有村がいなくなる。──それが。
「…ぶっち」
一瞬、意識を遠くに飛ばしてしまっていたらしい。有村の声にはっとして視線を戻すと、彼はまた、あの笑みを浮かべてまっすぐに笹渕を見ていた。そしてまた自分は、動けない。
「なんで今日、俺がぶっちと会いたかったか、分かる?」
「…え?」
「分かってないよね。ぶっち鈍いんだもん。やんなっちゃう位鈍いんだもん」
今までもさんざん言われた言葉だった。鈍い、ぶっちは鈍いよね、と。でも笹渕には本当に分からなくて、だから鈍いと言われるんだろうけれど本当に分からなくて、何も言えない。
そんな笹渕を前に、有村は笑みを薄くした。そして、鞄から小さな包みを取り出した。
「今日、バレンタインなんだよ? あげる。────言っとくけど、本気だからね」
混乱したまま動けない笹渕の手に渡されたそれは、とても有名なチョコレート店の箱で、パッケージには小さく──はっきりと赤いハートと「Loving you」の文字があった。
今までずっとアピールしてたんだけどな。気付いてなかったんでしょ。
渡された箱を手に呆然とする笹渕に、有村は苦笑して言った。
「…からかって、るんじゃ」
「ひどいな。…本気だよ、ずっと。触りたいから触ってたし、会いたいから呼び出したんだよ」
本気だよ。
真っすぐに目を見て言われて、それ以上疑問の言葉は出せなかった。有村が本気だということは、もう疑えなかった。でも俺、そう口を開こうとして「言いたい事はわかるけど、それ全部どうでもいいから」と遮られた。
「男だ、て言いたいんでしょ。関係ないから。俺はぶっちが好きなの。俺だって女の子が好きだけど、でもそれでも俺はぶっちが好きになったんだから」
そう真っすぐに言われてしまったら、笹渕には否定の言葉は続けられなかった。ただ、呆然としながら、顔が熱くなるのを止められなかった。
誰かに、好きだ、と告白されたこと自体、初めてだった。
店を出て──料金は有村が有無を言わさずに支払った──ゆっくりと二人、無言でしばらく歩いた。いた店自体がメインストリートから外れていて、人通りは少ない。
「…今はきっと、よく分かんないかもしんないけど。考えておいて欲しいんだけど」
唐突に静かにそう言われて、はっと隣の有村を見上げると、彼は困ったような笑顔で笹渕を見下ろしていた。
「すぐに返事もらえるとは思ってない、ていうか…びっくりした、てのが強いと思うし」
「…はあ、それは、まあ…」
図星だったので、笹渕は曖昧に頷いた。二つ返事でOKできるわけはない。例えばこれが女の子だったとしても、その場で答えられるかどうか笹渕には分からなかった。
「だから、…卒業式に返事、て思ってたんだけど、ちょっと、その日は二人っきりになれそうにないから」
卒業式の後は、部の皆で送別会を開くことになっている。そんなどさくさに紛れたくはないのだろう、それに有村は人気者だから二人になる機会があるとも思えない。
「で、考えたんだけど、…俺、3月6日が誕生日なんだよね。だけど、その日は親戚絡みの外せない用事があって、さすがに無理でさ。…だから、その前の日。5日に、また会って、そこで返事くれない?」
真剣な様子の有村に、笹渕は小さく頷くことしかできなかった。とりあえず、今すぐにはとても無理、それだけは分かったから。そうすると、有村はふっと笑顔になって「…でも、ちょっとほっとしてるけどね」と言った。
「え」
「ぶっち、困ってるけど、すぐに拒否られることはなかったから。…先輩だから下手な事言えないだけ、かもしんないけど」
本当は、嫌われたらどうしようかって、すごい緊張したんだよ。
そう苦笑する有村に、笹渕はやっぱり何も言えなかった。実際に有村は息が止まるほど緊張して、一大決心で伝えたのだけれど、笹渕にはいつもの飄々とした有村に見えていた。
嘘ではないだろう。──だけど、やっぱり分からない。なぜ、自分を。
「…よく、分かりません」
やっと言えた言葉は震えていた。混乱していたし、何より、部内でも人気で普通にもてそうな有村が、自分を好きだという気持ちが分からない。だって自分は至って普通の男子高校生で特に女子に人気なほどの容姿でもないし、部内でも特に抜きん出ているわけではない1年部員だ。
どうして、自分を。
「どうして、先輩が俺なんか」
少しの間があった後、有村が無言で笹渕の腕を掴んだ。そのまま強い力で引かれ、訳が分からないまま気付いたら店と店の間の狭い路地に押し込まれていた。奥の壁に押し付けられて、有村に至近距離で睨まれて声も出せない。
「まだ、分かってない?」
「…っ」
「俺の本気の告白なんだからね。俺は、ぶっちが好きなの。それだけ」
目の前の有村の目は鋭く、押し付ける力も強くて身を捩ろうとしてもびくともしない。混乱しながらも、これが17キロの弓を引ける力か、などとどこか冷静に思っていた。とても、強い。
「鈍いのもいい加減にしてよ。…いいよ、だったら全部俺が教えてあげる。俺の好きにさせてもらう」
そしたら、嫌でも分かるでしょ。
有村の顔が近い。息づかいを感じて、恐怖だかなんだか分からないぞくぞくとした感情に笹渕は震えた。そしてその顔は更に近付いて、次の瞬間、唇が重ねられた。力強く押し付けられるようなそれに、目を閉じることもできず、笹渕はただ呆然とされるがままになっていた。
有村はしばらくして唇を解放して、だけど笹渕の間近に顔をつけたまま再度じっと見下ろした。そして、呆然としたまま肩で息をして、少し潤んだ目で見返す笹渕をそっと抱きしめた。
「分かってよ。…ぶっちが、好きなんだよ」
有村のこんな弱々しい声は、聞いた事がないと思った。
(続く)
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なんちゃって学園弓道パラレル年少、第十三弾「バレンタイン編」でした。
一気に時間枠が飛びました。前回夏休み前だったのにいきなりバレンタインて。
その半年の間に一体何が?…とは全然感じないナチュラルな始まりですが、でもいきなり展開勧めたよ!
まさかの告白アーンド初ちゅーですよ。あはははは。
でも有村先輩をかっこよく書きすぎたというかシリアスに書きすぎた感がしとります。ふざけたタイトルの割に。