(年少・なんちゃって学園パラレル)
青春ゆえに盲目(仮) 第20回
※今回は有村先輩視点です。
土曜日の弓道場は、いつもより人数は少ないものの、いつもよりやる気に満ちている。
土曜の練習は16時までと決まっていた。授業自体は午前中に補習があったりなかったりで、全校生徒が登校しているわけではないから、部活動のみで登校する生徒も早めに帰らせるように、という学校側の配慮だろう。進学校らしい、と常々有村は思っていた。
もうすぐ夏休みになろうかという頃で、そろそろ袴が暑くなってきている。補習帰りの生徒たちが休憩中の体育館入口から見えて、この時期、3年生が部活に参加しているのは弓道部くらいだろうな、と思った。
「おー、有村ー」
声をかけられた方を見ると、クラスメイトが数人通りかかって手を振っていた。掴んでいた矢を挙げて返事をすると「いいなーお前、俺らこれから塾だよ」と言われる。
「俺だって午前中は補習受けてたって」
「でもさー、堂々と部活できるじゃん、お前ら」
「まあ最後だからさー、頑張らないと」
「そうだよなー」
応援してるぜー!と叫びながら去っていくクラスメイトたちに手を振り、有村も立ち上がる。すぐ脇の道場まで戻ると、クラスメイトとのやり取りを見ていたのだろう、入口で矢を拭いていた副部長女史に「受験勉強の免罪符みたいなもんだよねえ、実際」とぼそりと言われた。
「受験に有利になるわけでもなんでもないけどさー、とりあえずインターハイまでは部活やってていいですよーって」
「それ言っちゃ身も蓋もないよお前」
「…事実じゃん」
彼女なりに悩みながら続けているのだろう、それは有村も分かっていた。有村にしても、ただ能天気に部活ばかりをしているわけではない。進学校の3年生ともなると、少しでも早く受験に専念するのが普通だし、迷いがないわけでもなかった。
「…でも、」
一瞬沈黙した有村に、彼女は苦笑してから大きく手を振った。お互いの迷いを振り切るように、努めて明るい声を出す。
「でも、最後にインターハイ出れるってのは、嬉しいよね」
「…うん、そりゃもちろん」
「特に有村は個人だもんねー、それは本当、あんたすごいって思うよ」
「あっは、珍しく褒めるじゃん」
つられるように、有村も笑った。そして大きく伸びをするように、矢を持ったままの手を挙げた。
「俺、なんとかベスト8には入りたいんだけどなー」
「うわ、でかい目標!」
「いいじゃん、最後なんだから! 団体もそれくらい目指せって」
「いやー、目標は一回戦突破よ。とりあえずは」
随分とリアルな目標に笑いながら、有村は彼女と二人、弓道場に戻って行った。
夏前に行われた地区予選を勝ち抜いた有村たちは、夏休みに開催されるインターハイへの出場が決まっていた。進学校の割にはどの部もそこそこの成績を修める、良く言えば文武両道の高校ではあったが、インターハイの出場まで決めたのは弓道部だけだったから、「この時期まで3年も在籍している少数派の部」であることは校内でも知られていた。
と言っても出場するのは女子チームと、そして個人代表に勝ち残った有村だけだったが、──それでも各都道府県で2枠ずつしかない代表に、団体と個人が入ったことは快挙と言える。終業式には壮行会まであると言われ、「代表挨拶は有村にお願いね」とにこやかに、しかし断定的に言う長谷川先生を前にひきつった。
「俺? 俺で決定なんですか?」
「だって個人で出場するんだもん。代表は君」
「女子チームなんて5人いるじゃないですか!」
「でもね、男子1人と女子5人が壇上に並んで、そこで挨拶するのが女子のキャプテン、てのは、──ちょっとかっこ悪いよ?」
「……」
にこにことそう言われて、他の女子部員がクスクスと笑う中、渋々引き受けた有村だった。
その後の有村の集中力はまずまずだった。気持ちよく的に当たる矢に、口角が緩みそうになりながら何回かこなした。
弓道で鍛えられたものの一つがポーカーフェイスだな、と思う。弓道は武道であり、礼に始まり礼に終わるから、競技中は叫んだり笑ったり、ましてガッツポーズなどで喜んではいけないのだ。
道場に入ってから出るまではあくまで冷静に礼節をもって手順を踏む、ということを、部員たちは割と忠実に、少なくとも射位にいる間は守っていた。
それから何回目か、有村がまた射位に入って1本目を番えた時、前の射位に小柄な一年生が入って来た。まだ覚束ない弱い弓を構える、──笹渕だ。
…とりあえずインターハイより前に、夏休みに入るまでがリミットかもなあ。
笹渕の背中をから的に視線を移し、ふっとそんなことを思った。夏休みに入ってインターハイが終われば、自分は引退してしまう。部活に顔を出すことがなくなれば、当然だが笹渕との接点もなくなってしまうのだ。…それは、まずい。
有村の中では、既に笹渕ははっきりと恋愛対象として認識されていた。言ってしまえば、高校生活最後にして最大──色んな意味で──の相手だとも思っていた。
だから夏休み前になんとか、この鈍い一年生にどうにか、せめてプライベートでの繋がりを持たないことには、と、思ってはいるのだが。
「…っ」
余計なことを考えていたせいだろう、射った矢は少し上に逸れた。舌打ちしそうになるのを抑え、次の矢を番える。
弓道は技術はもちろん必要だが、それ以上に精神力で明暗が決まる競技だ。矢の乱れは心の乱れ、と教えられていたし、その通りだと実感もしている。
つまりは今、心が乱れたということで、──いかんな、と気を引き締める。邪念を捨てろ竜太朗。
そう自分に言い聞かせながら、次の矢を構えて射った瞬間。
視界が、ブレた。
「うわ…っ!」
突然悲鳴を上げて、カケをつけたままの右手で顔を覆う有村に、部員たちが驚いて競技を中断する。
「有村先輩?」
「待って、皆、動かないで…!」
前の笹渕も勢い良く振り返った気配がしたが、それを確認することもできず、そのままの姿勢で有村は叫んだ。
だって。
「コンタクト落としたーーー!」
「あーもー何て間抜けな」
「だってさー」
「もー、とりあえず有村は動かないで。それより、袴に引っかかったりしてない?」
副部長女史が呆れたように言いながら、有村の袴を上から見ていった。近くの部員たちは床に踞って、有村のコンタクト捜索をしている。道場は狭いため、その時外にいた部員はとりあえず休憩タイムとなった。
「射った時に飛んだんだよね」
「うん。だからこの辺だと思うんだけど」
「うーん、ある?」
ありませーん、と部員たちの声が響く。参ったなあ、と有村は突っ立ったまま頭をかいた。
「とりあえずさー、見つけた人にはジュース奢るから!」
いろいろと居たたまれずにそう言うと、頑張りまーす、と返ってきた。
「あ、もしかしてさ、前で射ってた人にくっついたとか。前は誰だった?」
「…ぶっち」
「あらまあ笹渕くん。笹渕くーん」
有村の恋心を知る副部長女史は、一瞬微妙な顔をしてから床を捜索している笹渕を呼んだ。不思議そうにやって来た笹渕に、彼女は「ちょっとそのまま立ってて」と言い、背後に回った。自然と有村と向かい合わせになる。
「…俺の前にいたから、背中にくっついてんじゃないかって」
きょとんと見上げてくる笹渕に有村が言うと、笹渕はああ、と納得したような顔をした。その背中を副部長女史がチェックしているのが見えて、有村も、そんなはずはないと思いつつ一応、笹渕の道着を前から覗き込む。
「こんなとこにくっついては…いないよねえ」
ついでとばかりに肩に手を置いて首筋を覗き込んでみる。身長差がいい感じなんだよなーと呑気に思っていると、屈んで袴を見ていたらしい副部長女史が下から見上げていて、目が合ってしまった。呆れたように、口だけで「やらしい」と言われて、慌てて身体を離した。
「……ないね。笹渕くんはシロでした」
「うーん、でも床にもないみたいなんだよねえ」
呆れ顔のまま立ち上がって言う、彼女の視線に耐え切れなくて視線を逸らした有村だったが、ふと笹渕の視線が自分の胸元に注がれていることに気付く。
「先輩」
「え…」
「動かないで下さい」
そう言った笹渕の身体が近付いて、手が有村の道着に触れた。
胸元に顔をつけるようにした笹渕の頭が、目の前にある。そして笹渕の手がそっと、有村の道着の胸元に入ってきて、数秒、弄るように動かされた。
「…ぶっち…?」
状況の有り得なさに真っ白になり、ただ目の前の黒髪を凝視していると、やがて笹渕の手がゆっくりと離れた。
「──ありました」
無邪気な笑顔で有村を見上げる笹渕の指先には、コンタクトレンズが光っていた。
コンタクト捜索騒ぎの後、なし崩し的に部活は終了となり、有村が笹渕にジュースを奢るという名目で、何人かの部員でファーストフード店に雪崩れ込んだ。
「先輩が屈んだ時、胸元から道着の奥にぽとっと落ちたのが見えたんです」
屈託なく言う笹渕に、副部長女史が笑う。
「さすがに私は胸元は覗けなかった!」
「でも見つかって良かったですね」
「まーねー…ありがと、ぶっち」
「いえごちそうさまですー」
有村に奢ってもらったコーラを飲みながら、一年同士で笑い合う笹渕を見ながら、でも彼が、自分からあそこまで近くに来たことは初めてだったな、と思った。だからこそ、驚きで真っ白になったのだけれど。
「しかし手強いなあ…」
コンタクトレンズを見つけた時の、笹渕のあの無邪気な笑顔を思い出して、有村はひとり呟いた。
人の胸元に手を突っ込んどいても、あれか。…おいしい体験だった、とも、思うのだけれど。けれども。
インターハイでまた願掛けしようかなあ。アイスコーヒーをすすりながら、こっそりそんなことを有村は思った。
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お久しぶりななんちゃって学園弓道パラレル年少、第十一弾「落とし物編」でした。
前半、今後の展開踏まえてインターハイ関連入れたりしてますが、メインはあくまでコンタクト事件。これもまた実話です。
たまには有村先輩をどきどきさせてみよう!ていうのが目的でした。どきどき感が伝われば是幸い。
現実を丸無視したパラレルですが、楽しんで頂けましたら幸いです。