憂鬱なる青春 第17回
〜弓道部副部長・有村の憂鬱〜
とある土曜日の夜。家で教材やらを広げていた高校教諭・長谷川正は、友人からの電話で呼び出され、二駅ほど離れた飲み屋に出向く事となった。
「よ、悪いね急に」
「いやいいよ、俺は明日休みだし」
「仕事してた?」
「してたけど、テスト前でもないしね、そんなに忙しくないんだ」
ならいいけど、そう呼び出した本人の中山が言って、とりあえずビールで乾杯する。テーブルには唐揚げやら煮物やらが並んでいた。既に食事はしていた長谷川と違い、しっかり食べるつもりらしい。
実際、長谷川の勤務する高校は至って校風も穏やかな進学校で、目立った問題を起こす生徒もおらず、授業の準備さえ怠らなければ非常にスムーズに勤務ができる有り難い職場だった。長谷川も中山もそこの出身であるから、その辺の雰囲気はとてもよく分かる。
「明の方こそ、明日も仕事でしょ?」
「あー俺は平気、こんくらい。店に一日いるだけだしさー、弓具店なんて暇なもんよ」
からからと笑う明に笑い返しながら、ふと、高校時代を思い出す。学校に出入りする弓具店の息子ながら、入部するわけでもなく特に興味のなさそうだった明は、週に一度やって来る自分の父親が気恥ずかしかったのか、なるべく車の停まるあたりには行かないようにしていた。家にも遊びに行ったりしていたから、親子仲が悪い訳ではなかったのは知っているけれど、特に家業を継ぐつもりもなさそうだった。
そんな彼が、大学の終わる頃に「俺、家を継ぐ事に決めたし」と何でもないように言った時は驚いたけれど、迷いのない表情に、妙に納得もしたものだった。
「…でさ、話というのはですね、長谷川先生」
グラスが半分になる頃、改まった口調で中山が言い出した。そこまで酒に強くないため、早めに切り出しておこうというのだろう。似たようなペースでゆったり飲んでいた長谷川も、うん、とグラスを置いて煙草に火をつけた。
「お宅の有村くんは、初恋をしちゃったみたいですよ」
──むせた。
「なかちゃんいるー?」
ガラガラと、昔ながらの引き戸を開けて無遠慮に入ってきたのは、取引している某高校の弓道部副部長・有村だった。店の奥にいた中山が顔を出すと、勝手に入口に座ってあれこれ物色している。
「いらっしゃい。どうした?」
「あ、なかちゃん。ひとり?」
「今日はひとり」
個人経営の小さな店だから、中山の他には両親と1、2名のパートがいるだけだった。今日は土曜日で、都内でちょっとした社会人大会が開かれており、両親はそっちに行っているらしい。
「そっかあ…」
そう呟くと、有村は「上がっていい?」と聞いて来た。彼が用もないのに居座ることは今までにもあり、暇にまかせて中山も承諾した。高校生ながら掴みどころがなく、それでいてひどく幼い部分もある有村を、中山も嫌いではなかった。
適当に出したお茶とお菓子をつまみながら、「そういや」と中山は思い出した。
「お前さん、三段受かったんだって? すげえじゃん」
「あー、聞いたんだ? 長谷川先生?」
「そう。すごいんだよー、って喜んでたよ」
「あー、うん。へへ」
照れくさそうに下を向いた有村は、少し笑って、何事かぼそぼそと呟いた。
「ん?どした?」
「うん…」
歯切れが悪い。なんだもじもじして、と思って見ていると、ね、と不意に有村が顔を上げる。
「今から俺、すげー恥ずかしいこと言うと思うんだけど」
「へ?」
「なかちゃんを、男と見込んで言うんだけど」
「…おう?」
「同級生の奴らには言いたくないし」
「…うん」
有村がひどく真面目な顔をして言うので、訳が分からないままもどうやら真面目な話だと判断し、頷いた。それを見て一瞬息を吸った有村は、だけど俯いてしまう。
「ん? 言ってみ?」
笑わないから、多分。
年相応の素振りだな可愛いな、などと思いながら促すと、有村は「俺さあ」ともごもごと口を動かした。
「願掛け、してたんだよね。三段取ったら、って」
「へえ、何を?」
その辺も高校生らしいなあ、などと呑気に思っていた中山は、次の言葉で絶句した。
「好きな奴を落とせる、て」
「──それはつまり、告白する、てこと?」
一瞬の空白の後、何とか聞いた中山に「告白、かあ」と有村は薄く笑った。
「好きだから付き合ってー、って?」
「違うの?」
「俺、そういうのしたことないんだよねえ」
また絶句してしまう。追い打ちをかけるように「だってさあ、あっちが言って来たり、言う前にそういう雰囲気になって押し倒したりってことばっかだったんだもん」とあっさりと言われて、中山は軽く頭痛を覚えた。
「…そりゃーモテることで」
コーコーセーだろお前、そう心の中で悪態をつきながらぼそりと言うと、あはは、と邪気なく笑って答えられてしまった。
「んー、モテてんのはか知らないけどさあ、だから自分からそういうのしたことなくって」
「それ、普通に嫌みだから」
「だからさあ」
中山の突っ込みは無視して、有村ははあ、とため息をついた。
「…だから、どうしていいか分かんなくて、願掛けしてみたの」
そこでやっと中山にも話の流れが見えた。そうか、こいつはつまり、今まで自分からそういった気持ちになったことはなかったわけで。
「そりゃあ取れる自信があったから、したんだけど、さ」
だから逆に、どうやってうまく伝えたらいいのか、分からなくて、不安だったんだろう。
「三段取れたら、その勢いで…って思ったんだけど」
「…何もしてねえの?」
また俯いてしまった有村に、少々気を遣いながら聞いてみる。さっきの話から、告白するという行為はしてないし出来ないのだろう、ということは分かる。でも、だったらどうやって「落とす」のだろう。
中山の問いに、俯いたまま笑った有村は「なーんかねえ、伝わらない」と呟いた。
「駄目なんだよねえ。今回は、何でか分からないけど、伝わらない。俺が押してんの、分かってもらえないんだよねえ」
「…それは、相手が鈍いってことじゃないのかい?」
この時点で中山の脳裏に、少し前に学校で見た光景が思い出された。有村が連れて来た、まだあどけない一年生。やけにお気に入りのようだけど、それを自覚していなさそうだった、子犬のような顔をした、あの──。
「うん、鈍いんだよ。鈍くて、まさか俺が好きだなんて少しも思ってなさそうで、いっつもきょとんとしてんの」
確か名前は、笹渕といった、あの少年。──まさか、彼のことではあるまいか。
そう思い当たり、内心動揺しつつ、俯いたままの有村の肩を慰めるように叩いた。確信は持てない、だけどそうだとすると、なんだか、色んな意味で難しい恋をしてしまったようではないか。
「んー、まあ、その、俺がどうにか言える問題でもないかもしれないけど、な」
まず、相手が男だということについて突っ込みをいれたくなったが、そうとはっきりしない今の段階でそれを言うわけにもいかず、必死で言葉を選んだ。
「…とりあえず、鈍い相手なら直球で行くしかねーんじゃないか?」
所謂告白? してみるしかねーんじゃない?
客観的に見ても、至極真っ当なことを言ったと思う。基本的なことだ。好きな相手にそれを伝える、という、至ってシンプルな、最初にあるべき行動。
当たり前すぎるほどのことを言ってみたところ、有村はゆっくりと顔を上げたが、その顔を見て中山はうわあと心で悲鳴をあげた。実際にあげなかったことを自分で褒めてやりたいと、後から思うくらい──見た事がないくらい、彼は真っ赤な顔を泣きそうにして、ぼそぼそと呟いた。
「好きって、どうやって言ったらいいか分かんないもん…」
「あの、有村が。あの小憎たらしいくらいへらへらしている有村が。顔、真っ赤にしてんのよ」
「そりゃあ、──びっくりするねえ」
「びっくりしたけどさ、可愛いとこあんじゃんって、応援したくなったけどね、おにーさんとしては」
「そうだねー。有村が、そんなことを明に、ねえ」
話を聞いた長谷川は、はあ、とため息をついた。正直、驚いた。話の内容にも、それを中山に相談したということにも。
「俺もびっくりした」
高校生に恋の相談されるたーね。そう言って笑う中山を見ながら、でも、とふと思い当たる。
「──でもまあ、分からなくはないかも」
「へ、そう?」
「うん。──同級生には言い辛いんじゃないかな。有村、ああいうキャラだから、生徒内では、──恋愛に余裕、ていう印象なの、崩したくないだろうし」
「あー…なんか、モテるみたいだしな」
「そういう、プライドみたいなの、あるじゃん」
「…確かに」
「そして、知ってる大人でも、俺は先生だしね。恋愛相談をする大人なら、知ってる業者さんの明の方がしやすいでしょ。──文字通り、部外者なんだから」
「それも、そうだな。だから俺か。────って、おい、正!?」
素直に長谷川の言う事に納得しつつ、次の瞬間いきなり叫んだ中山に、逆に長谷川が驚く。
「え、なに」
「おま、何、有村の相手、知って、ていうか」
「え? ──あれ? 相手は聞いてないの?」
「聞いてない!」
聞いていないが、今の長谷川の言葉だと相手は部内の人間だということになり、自分の予想が当たっているのかもしれないということになり、──そう思って動揺したまま叫ぶ中山に、長谷川はきょとんとした顔で「あれ〜?」と首を傾げた。
「…なんか、今の話聞いてて、明は分かってんのかと思ったけど」
そんな感じだった、そう言う長谷川に、渋い顔で「ひょっとして、て思う相手はいるけど」と言ってみる。
「でもまさかなあ、て思って…」
そう言葉を濁して長谷川を伺う中山に、しかし長谷川はふわんと笑った。その笑顔に、逆に中山は嫌な予感を覚えた。
「ああ、じゃあきっと、明の思ってる通りだよ」
「…まさか」
「うん」
「お前、有村から何か聞いてんの?」
「いや、聞いてないよ。聞いてないけど──、」
一年の、笹渕くんでしょ。
何でもないことのように告げた長谷川は、先日の女子副部長との会話を付け加えた。呆然としたように聞いていた中山は「そうなんだ」と呟き、少しぶつぶつ言った後、「ま、いいか。すっきりした」と苦笑した。
「ていうか、あいつも同級生に味方いんじゃん。その子に相談したらいいのに」
「さすがにそこまで、しかも女の子にかっこ悪い相談したくないんじゃない?」
「それもそうだけど、でも既にその子にはかっこ悪いとこ知られてるわけだし」
でもさすがにプライドあるかー。中山はそう笑い、すっきりした顔でビールを飲んだ。まさかなあ、と思い、正直信じたくなかった部分もあるが、分かってしまえば随分とあっさり受け入れられるものだ。応援もしたいと思う。
「──しかしあれだね、有村は案外不器用っていうか、実は恋愛に慣れてないな、ああ見えて」
「そうだねえ。明の言う通り、ほぼ初恋みたいなもんだろね。自分から好きになった、て意味で」
「しかも相手は同性の、しかも純粋くんだから、いつものようにやっても通じない、と」
「告白するにも実は初めてで、どうしたらいいか分からないんだろうね」
切ないねえ。
そう言って紫煙を吐き出す長谷川に、しかし中山は「違うだろ」と意義を唱えた。
「そもそもあいつが今まで手順間違ってたのが悪いんだ。自分の気持ちをちゃんと考えないで、来るもの拒まずできたから基本的なことが分かんねえんだろ」
「うんまあ、そうなんだろうけどね。だから今悩んでるわけで」
「だったらいい機会じゃね? 悩んで、ちゃんと自分の気持ち伝えて受け入れてもらう、て基本的なとこからやるべきなんだよ」
中山はきっぱり言い切ると、目を丸くして見返している長谷川を余所に、自分も煙草に火をつけた。ふ、と煙を吐き出し、ちらりと長谷川を見遣る。
「…そういうさ、人との付き合いの基本みたいなの、彼が学ぶ良い機会だと思いますけどねー、先生」
そう言って口の端を上げた。柄にもなく真面目な事を言った、と照れくささを誤摩化しているのだろう、不格好な笑顔だけれど、それがひどく好ましく感じて、長谷川も笑った。
「そうだね。…そう、言ったの? 有村に」
「……近いことは言った。好きなら自分の気持ちをちゃんと伝えな、そこからスタートすんだろって。それをちゃんとできなきゃ、うまくいくわけねーんだ、って」
「そっか。有村の反応は?」
長谷川が聞くと、中山はくっと喉を鳴らし、そして可笑しそうに言った。
「ほんっと、これが初恋みたいだよ、あいつ」
それはそれは、途方に暮れたような顔で。
「けどさ、今のとこ望み薄じゃん。言って振られたらどうしよって思ったら、──そうなったら立ち直れそうにないよ、俺…」
どうしよう、振られたら。どうしよう、今までみたいに笑ってくれなくなったら。
そう思ったら怖くて、──怖くて何もできない。
「なんとまあ、──ピュアな」
有村がそう言って俯いてしまった、そう聞いた長谷川も思わず笑ってしまう。そんな必死な有村は見た事がない。これはちょっと、──いやかなり、面白いといったら失礼だろうが、興味深い状態だ。
「な? かーわいいだろ? 思わず応援しちまうっての」
「そうだねえ。…青春だねえ」
「だな」
大人二人、笑って、でも有村の想いを否定はできない、と思った。知る限り、深い付き合いを──しなかったのかできなかったのか──経験してこなかった彼が、初めて出会った本気の相手なのだ。どう転んでも、彼にとっては良い経験になるだろう。もちろん、誰も傷付かない結果に越した事はないのだが。
「しばらくは、それとなく見守ってあげましょうか」
「だな。俺もそうしようと思って。あいつどんだけ頑張れるかなー」
「泣きにきたら慰めてあげてね」
「げ、俺?」
「特定の生徒に肩入れは出来ませんので」
汚ねえ、面倒は俺かよ! 中山が笑って、長谷川も笑った。今日は随分と、楽しい酒だ。そういえば、こうやって二人で飲むのも久しぶりだった。
高校時代、こうやって社会人になってから、二人で居酒屋で飲む事なんて考えていなかった。そう思うとひどく不思議な気がしつつ、逆に自分たちが今の有村たちと同じ立場だった時代が、遥か遠い過去のような気持ちにもなる。あれから10年も、経っていないのに。
「ね、明もさー、高校ん時振られて泣いたよねえ」
「お前、今それを出すかー?」
妙に懐かしい気持ちになって、それから思い出話に花が咲いた。でもこうやって、昔を笑って話せるのだから、年月を重ねて行くということも悪くないのだろう。二人、言葉にしなくとも同じ気持ちで、笑い合った。
現役で青春をもがいている、有村にエールを送りながら。
「けどさ、正、有村の相手が男の子って、驚いたりしなかったの?」
「んー、有村、前例があるからねえ」
「…あっそう」
「その時はびっくりしたけど、俺が知っちゃっても本人けろっとしてたしねー。さすがに周囲には隠してたけど」
「……あっそう…」
(続きます)
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なんちゃって学園弓道パラレル年少、第七弾「有村先輩の憂鬱編」でした。
てか…長い! 長いよ! これ拍手ってどうなの…!!
そしてどんどん有村先輩がかっこ悪くなってすいません。
笹渕くん出て来なくてすいません。年長組ばっかりですいません。
ちなみに年長はただの仲の良いお友達ですので期待しないで下さいまし〜
現実を丸無視したパラレルですが、楽しんで頂けましたら幸いです。