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年少・なんちゃって学園弓道部パラレル/名前編


青春の名前(仮) 第14回


 中間テストも終わった頃のある金曜日の部活中。休憩して道場横の体育館に座りながら、ペットボトルに口をつけた笹渕の前に、矢を手にした有村が現れた。
「休憩?」
「あ、はい」
「けっこう当たるようになったよねえ」
「えーまだまだですよ」
 謙遜ではなく、まだまだだと笹渕は自覚している。4射のうち1射当てられる、やっとそのレベルになったところだ。ほぼ皆中の有村にはほど遠い。
 そんな笹渕を前に、有村が口の端を上げてにい、と笑った。そして屈み込んで顔を覗かれて、少しびくりとする。
「ね、日曜、暇?」
「え。空いてます…けど」
「俺、個人練習しようと思うんだけど、ぶっちも来る?」
 また個人レッスンしてあげるよ?
 間近でにっこり笑ってそう言われ、笹渕は気圧されるように「はい」と答えてしまった。有村は更ににっこり笑って、耳元で「またこれは内緒ね」と囁いて離れた。
「11時くらいに来るから」
 そう言った有村に、頷き返すことしかできなかった。一ヶ月ほど前にしてもらった前回の個人レッスンは確かにとても身になったから、今度の申し出もとても嬉しいと思ったけれど、なんだかいつも有村には翻弄されているような気がしているので、少々複雑だった。

 ──でも、彼の個人レッスンというものは大変魅力的だし、周囲への優越感も感じたから、楽しみではあった。



 いつも一緒に練習をしている相手とはいえ、2人きりでじっと見られると緊張してしまうものだ。日曜日、有村の視線を感じながら弓を構えて、笹渕はいつになく震えてしまう自分に気付いた。
「緊張してるでしょ」
 苦笑しながら言われて、だって、と下を向く。引き方はぼろぼろで、あちこち散って刺さった矢が恥ずかしかった。
「なんで俺ひとりしかいないのに緊張するかなー」
「先輩にじっと見られたら緊張しますよ! しかも有村先輩、一番うまいし!」
「そんなの関係ないじゃん…仕方ないなあもう」
 そう言って、有村はすっと笹渕の前の射位に入った。笹渕に背を向ける形で、弓を構える。
「じゃあしばらく平行して射とう。落ち着いたらまた見るよ」
「…すいません」
「いいよ、俺も練習しなきゃだし」
 射場には自分の構えを見るため、正面に大きな鏡が設置してある。その鏡越しににっこり笑った有村は、一瞬で表情を引き締めて弓構えに入った。そこから一連の動作がさすがに綺麗で、思わず見とれてしまった自分に気付いて、慌てて自分も構える。
 そうだ、有村先輩の動きを真似てみればいいんだ。
 それから何回か射っていくうち、落ち着いてきたのに気付いたのだろう、また有村が下がった。そのままの流れで射つ笹渕を、4射まとめて見守っていた。
「…うん、良くなった。安定したね」
 笑って言われ、ありがとうございます、と言いつつ笹渕は落ち込んでいた。それでもまだ、1射しか当たらないのだ。
「でも当たんないですね…」
 しょんぼりする笹渕に、ああ、と有村が笑う。そして「大丈夫」と近付いて的場を指した。
「的に当たったのは1射だけだけどさ、他の3射も近いところに固まってるでしょ?」
「ああ…はい」
「つまり、引きが安定してるってことだから、ちょっとずらすことができたら皆中できるってこと」
「そ…なんですか?」
「うん。逆に、皆中しても矢がばらばらだったらまぐれっぽいっていうか。あんまり美しくないし」
 ぶっちの矢は安定してきたから、できるよ。
 そう言った有村は、矢を抜いて戻ってきた笹渕に、もう一度構えるように促した。そしてまず1射射たせ、的の右上に外した笹渕の背後に立った。
「も一度番えて。引いて──、会(かい)でストップ」
 有村の指示通り、弓を引き切った「会」の状態で止まる。弓を引く笹渕の両肩にそっと手が添えられ、ほんの少し身体の向きが変えられた。
「うん、──そのまま射って」
 その声と同時に、ほぼ無意識に矢が放たれた。そして、ぱん、と小気味良い音がして的に当たった。
「分かった? ほんのちょっと、でしょ。本当にその感覚が身に付いたら、目瞑ってでも当たるんだよ」
「…はい!」
 前のレッスンと同じ感覚だった。嬉しくて振り向くと、有村がきれいに笑っていて、笹渕も純粋に嬉しくて笑った。その後続けた2射ともが当たって、笹渕はほとんど呆然として喜んだ。
「ほんとすごいです、有村先輩って」
「いやいや、構えが安定できなかったら意味ないから」
「でもすごい、頭でも身体でも分かったっていうか! すげー、謎が解けた!て気分です!」
 素直に喜ぶ笹渕に、有村もにこにこと上機嫌で頷いて「さ、その感覚忘れないうちに練習続けるよ」と促した。


 その後、小一時間ほど練習をし、有村が「飲み物買ってくる」と道場を離れた時に事件が起きた。
「ねー、りゅーたろーは?」
 いきなり女の子の声がして驚いた笹渕が振り向くと、道場の入口に派手めな私服の女の子が立っていた。部員ではなく、まったく見覚えはなかった。
「えっ…と。あの、知りません」
「えーそうなの? いないのー?」
 不服そうに唇を尖らせた彼女は、そのままさっさと去って行った。誰なんだろう、と首をかしげつつ、そのまま弓を射っているとペットボトルを2本手にした有村が戻ってきた。
「ぶっちのも買ってきたよー」
「え、あ、すいません」
「いいって、先輩のおごりー」
「え、いやそんな」
「いいからいいから。続けて」
 まごまごしつつ、気を取り直して弓を構える。ゆっくりと引き分けに入り、的に狙いをつけた時、視界の隅にふっと何かが入り込んだ。
「あー、いたじゃん竜太朗ー」
 さっきの女の子だ。あろうことか道場の入口ではなく、矢道の脇から現れた彼女が矢道の方に足をすすめる。弓を構えたまま、笹渕は驚きで動けずにいたが、まずい、と思った。その時。

「──矢道に入るな!」

 鋭い怒鳴り声が響いて、びくり、と女の子が後ずさった。そのはずみで笹渕の弓を射って当然外したが、それより驚いて振り向くと、見たことのない位に怒った顔の有村が仁王立ちで彼女を睨んでいた。
「矢道に勝手に入るな! 危ないだろ!」
「えー、だって知らないもん。あ、それより竜太朗、」
「だから矢道に入るなって言ってるだろ!」
 また同じ方向から来ようとした彼女を一喝すると、有村は道場の入口に向かった。そしてそっちに走ってきた彼女に「てか、お前、こんなとこに来るな」と冷たく言って、重ねて笹渕は驚いた。
「だってさー、最近全然会ってくれないじゃん。日曜も部活やってるって聞いたからさー、会いたくってー、てか道着の竜太朗かっこい、」
「勝手に他校まで入って来んなよ」
 有無を言わせない言い方に、さすがに口ごもった彼女は、でも「えー竜太朗冷たい」と食い下がる。
「せっかく会いに来たのに」
「だから、お前とはもう会わないって言わなかったっけ?」
「でもあたし、まだ」
「それは悪いけど、でも俺はもう会う気ないから。諦めて」
 これはひょっとしなくても痴話喧嘩というやつか。と、笹渕は居たたまれない気持ちで、でもどうすることもできず見守った。
 ──けど、どう聞いても有村先輩は嫌がってるよなあ…
「やだ、待ってるから後で」
 そのうちゴネた彼女が有村の脇をすり抜けて、道場に無理矢理入って来ようとする。その瞬間、彼女の腕を掴んだ有村の怒声が響いた。
「そんな舐めた格好で土足で道場に入るんじゃねえ! ふざけるな!」

 さっき矢道で怒鳴ったよりも怒気を含んだ声で怒鳴って、有村は彼女の腕を力一杯(と笹渕に見えた)引いて道場の外に放り出した。そして驚いて声も出ないらしい彼女に、「土足で道場入る奴ともう会う気はない。帰れ」と言い捨てた。
 彼女がばたばたと走り去っていく音を、笹渕は道場内で動けないで聞いていた。



「──ごめんね、今日は。あんな騒ぎ見せて」
 あの後、押し黙った有村はゆっくりと的場に行って矢を全て抜いて戻り、笹渕に手渡して「ごめん」と呟いた。そして「もう今日はお終いにしよっか」と弱々しく笑われて笹渕も頷いたのだけれど、なんだかそのまま別れるのも心残りで、「マックでも行きますか?」と笹渕から声をかけた。
 有村は少し驚いて、うん、と笑って頷いた。「駅前だと誰かに会っちゃうかもしれないから、ちょっと違うとこに行こうか」と、少し遠いところまで歩いた。
「かっこ悪いよねえ…」
「いえ、そんなことなかったです。びっくりしたけど」
「そうかなあ? バカな女と関わっちゃったなーって、俺はすごい自己嫌悪だけど」
「彼女さん、だったんですか?」
「んー、ちょっと前に、ちょっとだけね」
 しつこいんだよなあ、とため息をつきながら、有村はコーラに口をつけた。有村が道場に買って来た飲み物は、結局開封されることなく2人の鞄に入っている。
「でも大胆ですよね、他校に乗り込んでくるなんて」
「あんなにバカだとはって感じだけどね。しかも弓道場…あー…」
 机に沈んだ有村に、でも、と笹渕は笑った。
「でも、かっこ良かったですけど。先輩」
「え?」
 顔だけ上げた有村に、笹渕はえっと、と言葉を探した。だって、あの時の先輩の顔は、見たことない感じで。
「本気で怒ってる先輩が、かっこ良かったですよ。真剣に弓道やってるんだなってすごい分かって、かっこ良かったです」
 本心だった。ああやって本気で怒れる、その姿や気持ちがかっこ良いと思った。──少々、怖かったのも事実だけど。
 一生懸命、言葉をつないだ笹渕に、一瞬有村は呆けたほうな顔をして、次の瞬間にふわっと笑った。それも見たことのないような表情で、逆に笹渕がどきりとする。
「ありがと。…ぶっちはほんと、かわいいなあ」
「ええ?」
「かっこ悪いとこ見せちゃったなーって思ったけど、でも、ぶっちで良かったのかなあ…」
 でも、有村が嬉しそうだから、まあいいか、と思った。なんだか、今日一日で有村の色んな面が知れて、良かった気がする。
 そう思って、妙に嬉しくなって、そこでふと笹渕は思い出した。──そういえば。
「あの、先輩。さっきの女の子、最初、俺一人の時にも来たんですけど、その時先輩を探してるって分からなくて、知らないって言っちゃったんです」
「え? そうなの?」
「はい、あの…有村先輩の下の名前、知らなかったから」
「…えー?」
 竜太朗、ていうんですね。そう言うと、うっそー知らなかったの?とものすごい苦笑いを返された。しかし申し訳ない気持ちになる前に「そういや名札も全部名字だけだもんなあ。でも今日で覚えたでしょ」と言われた。
「はい。名前もかっこいいですね」
「はは、ぶっち今日ほめすぎ」
「いや、男らしいじゃないですか」
「似合ってないってよく言われるけどねー」
「そんなこと…あ、じゃあ先輩は、俺の名前知ってます?」
 ケラケラと笑う有村に、ふと思って聞いてみた。その言葉に有村は、「知ってるよ」とにっこり笑う。
「啓史、でしょ。啓蒙の啓に、歴史の史」
「わ…、字まで知ってるんですか」
 驚く笹渕に、有村は「興味あったからね」と笑った。え、と顔を見たけれど、涼しい顔でコーラを飲む横顔がやけに楽しそうだということしか、分からなかった。

 名前を知らなかった、そのことに、有村が実はいたく傷付いていた、ということも。



(まだ続きます)

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なんちゃって学園弓道パラレル年少、第九弾「名前編」でした。
でも最初に想定した主題は「有村先輩の名前を笹渕くんが初めて知ります」だったのに、
有村先輩はかなり真剣に弓道やってんだよーということと、弓道シーンをちゃんと書こうとしたら
他の要素が大きくなっちった…(ケバい元カノとかほんとすいません…)
だけどなんだか大きく進展した感じがしますよこの2人!(笑)

現実を丸無視したパラレルですが、楽しんで頂けましたら幸いです。