第11回 青春の群像(仮)
生徒たちが下校したり部活動に勤しんだりしている放課後。弓道場にほど近い裏門に、1台のライトバンが停まった。
「──来たみたい!」
目敏く見つけた誰かの声に、部員たちがわらわらと弓道場の外に出る。特に待ち構えていたのは1年生部員だった。笹渕も例外ではなく、急いで弓道場から出ようと靴を履く。
「あ、ぶっち」
出ようとした時に後ろから呼ばれ、振り向くと射場に立った有村が首だけこっちを向けていた。
「俺の頼んでた矢、来てるか、なかちゃんに聞いてきて」
「はい」
お願いね、そう言った有村はそのまま顔を戻して競技を続けた。
出遅れた笹渕が裏門に着いた時は、既に大半の部員が車の前に群がっていた。その向こう、茶髪の男が道具の入った箱をいくつも車から出している。
「はいはい、順番に渡すから待ちなさいって」
群がる生徒たちを苦笑しながら制する彼は、学校が提携している弓道用具店の店員だった。毎週水曜日にこうやって、細々した備品や注文品を届けに来てくれるため、部員ともすっかり顔馴染みだ。中山という彼は、20代半ばと若いうえ茶髪でピアスを複数開け腕にはタトゥー、と、とてもそんな道具屋に見えない風貌だが、気さくな性格と相まって逆に部員からは親しまれていた。慣れて来ると有村のように、なかちゃん、とまで呼ばれるくらいに。
そして今日は、1年生が初めて注文した矢が届くはずで、皆が浮き足立っていたのだ。
「えーと、じゃあ1年の皆さんの分からいく?」
1年生のきらきらした興奮が感じられたのだろう、中山は矢が詰まった箱から順番に矢の束を出し、タグを見ながら名前を呼んだ。嬉しそうに受け取る1年生部員に、にこにこと手渡す。
「えーと、笹渕くん?」
「あ、はい」
笹渕は手渡された矢をまじまじと見て、そっと腕に充ててみた。黒い箆(の)に茶色い羽根のシンプルな、だけど初めての自分だけの矢なのだ。綺麗に揃った矢羽を撫で、これがぼろぼろにならないように頑張らないと、と思う。地面に落とすようでは、すぐにぼろぼろになってしまう。
そのまま少し下がっていた笹渕は、一通り1年生に矢が手渡され、皆が引いたあたりで中山に近付いた。
「あの」
「ん? はいはい?」
「有村先輩が、注文してた矢が来てますかって聞いてたんですけど」
有村の名前に、ああ、と頷いた中山は別の箱を引っ張った。その手にタトゥーが見えて、見るのが初めてだった笹渕は思わず凝視してしまった。こんな風貌の店員が何の問題も無く出入りしているのだから、つくづく自由な校風だ。
「来てるよ。ほらこれ」
そう言って中山が引き出したのは、一目で1年生用とは違うと分かる、きれいな白黒2色の羽根の矢だった。手渡されそうになり、自分が触っていいものかと躊躇した笹渕に、中山は何かに気付いたように矢を引っ込めた。
「あーきっとあいつ、先に他人に触らせたら怒るわ。悪いけど、本人呼んで来てくんない?」
「あ、はい」
なんとなくほっとして、笹渕は道場に戻った。彼の言う通り、注文した矢に先に触れてしまうのはいけないと思った。
道場に戻ると、有村はちょうど外で休んでいた。矢が届いてました、と言うと嬉しそうに立ち上がる。
「ほんと? ありがとー! 見た?」
「見ました。綺麗ですねえ」
「そうでしょー、オーダーしたもん。そだ、ぶっちもなかちゃんとこ行こ」
「え?」
自分はもう矢を受け取ったのだけれど。そう思って戸惑う笹渕を、いいからいいからーとよく分からない強引さで有村は引っ張って行った。
「なかちゃーん」
「おー有村ぽん」
まるで友達か、という気さくさで声をかける有村に、これまた同じ軽さで中山が応じた。他の生徒はもうおらず、中山は荷物を車に運び入れていた。
「あれ、君、矢がどうかした?」
中山に不思議そうに声をかけられ、初めて笹渕は自分が矢を持ったままだったことに気付いた。「何もないです」と慌てて言うと、有村がケラケラと笑う。
「あーぶっち持ったままだったんだー」
「なに、お前さんが連れて来たの?」
「そう、俺のニュー矢を自慢したくって」
「ほーそうか」
別に道場に持って帰ってから見せれるだろう、と思ったが、中山はあえて口に出さずに矢を取り出した。この有村という生徒はなんだかんだと触れ合う機会が多く、2年見てきてある程度の思考は掴めるようになっていた。どうやらこの1年生がお気に入りらしい、そう解釈する。
矢を受け取ると、有村は嬉しそうにまじまじと見て腕に宛てた。それをじっと見ている笹渕が子犬のようだ、と中山は思った。
「おーし頑張ろ。絶対汚さない」
「おう、おいそれと使うもんじゃないよ? 高いんだから。──これね、高校生で持ってるような奴あんまいないよ?」
中山が、やり取りを見守っていた笹渕に話を振る。目を瞬かせた笹渕は「高いんですか」と、恐る恐るといった風に聞いた。
「まあもっと高いのはいくらでもあるけど、少なくとも君のその矢とは桁が違う」
「えっ」
「いいじゃんかっこいいの欲しかったんだからー」
むくれて見せた有村が、貸して、と笹渕の矢を取った。そして自分のと同じように腕に宛ててみたが、長さが足りずに落としそうになる。
「…っと。危ない。やっぱり短かった」
「お前さん、でかいんだから当たり前でしょう」
中山が突っ込み、そうだねーとへらりと笑った有村に矢を返された。そのまま有村は自分の矢を出し、笹渕のと合わせる。
「おー、こんだけ差があるもんなあ」
矢の長さは使用者の腕に合わせて切られるため、長身の有村の矢は笹渕に比べて随分と長かった。仕方ないとはいえ、なんだかとても悔しい。身長が伸びれば腕も長くなるのだろうか、と、中山と雑談を始めた有村を見遣ると、その向こうに白衣が見えた。
「あ、先生」
弓道部顧問の長谷川が、片手を上げながらにこやかに近付いてきた。それに気付いた有村と中山も手を挙げる。
「お疲れさま。いつもありがとうねー」
「いーえー、今日は1年の大量入荷があったからね。毎度有り、ですよ」
「ああそっか。笹渕くんも届いたの?」
頷く笹渕の持つ矢を見て、長谷川はそっかそっかとにこにこしている。その横で有村が「せんせー俺のも!」とこれ見よがしに矢を出した。
「あ。そっか、オーダーしたって言ってたっけ。届いたんだ」
「そう。かっこいいっしょ!」
「おお、すごい立派じゃない」
「当たり前、俺の見立てだから」
誇らしげに言った中山に長谷川が笑う。外部業者の割にはなんだかすごく打ち解けた光景に、笹渕が内心疑問を抱いた時、くるりと有村が振り返った。
「あのねーぶっち」
「はい?」
「なかちゃんと長谷川先生、お友達なんだよ」
「…はい?」
言われた言葉が急に理解できず、目を瞬かせる。長谷川の方を見ると「いきなりだねえ」と変わらず笑っていて、その肩を中山が叩いた。
「そ、俺と長谷川先生は高校の同級生なの」
「え、ええ? そうなんですか?」
やっと理解した笹渕が、今頃驚いて声を上げる。失礼だが、刺青とピアスにまみれた中山と先生然とした長谷川の接点が結びつかなかった。そんな笹渕を、3人が可笑しそうに笑った。
「そうだよなー、こんな刺青だらけの男が長谷川先生と一緒に授業受けてたっての、変だよなー」
自ら言って笑う中山に何も言えないでいると、有村が「でも!」とにやにやしながら言った。
「でも先生、こう見えて学生時代は金髪でパンクバンドやってたんだよ! 俺写真見ちゃった」
「えええ??」
「ちょ、有村! なんでそれを!」
慌てた声を出す長谷川に、笹渕はただ驚くしかなかった。有村はにやにやしたまま「なかちゃんの家で見ちゃった」と言った。
「え、何で明ん家行ってんの?」
「ばか、違うだろ。お前が来たのはうちの店だろーが」
「家と同じじゃん。そこで見せてもらっちゃったー」
「ちょっと明あ!」
憤慨する長谷川に、中山が少しばつが悪そうに謝っているその光景を、笹渕はただ呆然と見ているしかなかった。色んなことが起こりすぎて、新入部員の自分にはついていけない。
そんな笹渕に、つ、と有村が近付いた。「びっくりした?」と聞かれても頷くしかない笹渕に苦笑し、「この矢」と届いたばかりの矢を目の前に挙げた。
「これオーダーしになかちゃんの店に行って、その時に写真とか見せて貰ったんだよねー」
面白かったよー、そう言う有村に、笹渕は混乱しつつなんとか頭の中を整理する。
「えーと、中山さんの店って、家と一緒なんですか?」
「え? あ、そうそう。一階がお店で上が自宅なの。だって中山弓具店じゃん」
言われてみればライトバンにそう書いてある。家業を継いだということなのか、だったら刺青もピアスもなんとなく納得がいった。
「先輩、お店まで行ってオーダーしたんですね」
次の疑問はそれだった。自分の矢は中山が持って来たカタログとサンプルの中から選んだし、基本的な道具は毎週持って来てくれるから、店まで行く必要を今まで感じたことはなかった。それを聞いて、有村は「だって」と笑った。
「だってちゃんとした天然羽根で全部オーダーしたかったんだもん」
「すげー…でも高いんでしょう?」
有村は部活動にきっちり顔を出していたし、たいしたバイトをしていると思えない。親がそんなにぽんと出してくれるんだろうか、という気持ちから聞くと、有村はふふん、と得意げに言った。
「昇段試験の前祝いにくれ、て押し切っちゃった。だから今月、三段絶対取るよ」
「え、三段?」
有村は既に二段だが、高校生では、少なくとも同じ部では、滅多に三段までいく者はいない。目を丸くする笹渕に、有村は更に得意げに言った。
「だって歴代の先輩で少なくとも取れたのが2人、いるわけでしょ? だったら俺に取れないわけない」
──その顔が、声が、悔しいけれどあまりにかっこ良くて、一瞬見惚れて、慌てて目を伏せた。
そうですね、と小さく呟いた声が、彼に届いたのかは分からなかったけれど、にっこり笑った彼の口だけは見えた。その口が、「ぶっち」と呼ぶ。
「ね、今度一緒になかちゃんのお店行こうよ。連れてってあげる」
夏休みになったら、一緒に。
「うん、土日だったら俺たいがいいるから、いつでも来て」
ひらひらと手を振る中山に、はにかみながら「はい」と応えて、笹渕は先に練習に戻って行った。その後ろ姿を見ながら「有村くんよ、あの子随分とお気に入りだね」と言ってみる。
「うん、かわいいんだよねえ。後輩の中じゃ飛び抜けてかわいい」
「子犬みたいな子だよなあ」
「うん、素直で一生懸命で、ちょっかい出したくなるんだよー」
にこにこと悪びれなく言う有村に、あの子も厄介なのに気に入られたな、と中山は心で呟いた。長谷川も同じ気持ちなのか、苦笑している。
「でも笹渕くん鈍そうだから、有村にいじめられてると思ってるかもよ」
「えー、そうかなあ?」
「今日もパシらされたわけだし」
「えー?」
俺いじめてないよー? 口を尖らす有村に、いい加減お前も練習に戻れ、と大人2人が促した。はーい、と有村が去り、残された大人2人は苦笑する。
「正くん、有村のあれってマジかね?」
「どうだろう? でも今までより一番ご執心な気は、する」
「うーん…だったら俺あの子がちょっと心配かなあ。まだまだ純情そうだし」
「まあ有村だってまだ高校生だしねえ。大人としては見守ろうかな、と思うけど」
そう言って、長谷川はふっと笑った。なに、と見る中山に「いや、ちょっと思い出して」と笑う。
「笹渕くんて天然ぽいから、案外手強いかもしれないよ?」
……練習に戻った笹渕の頭に浮かんでいたのは「中山さんって明って名前なのかあ」だった。
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なんちゃって学園弓道パラレル年少、第四弾「矢編」でした。
中山さんがやっと出て来ました。道具店の兄ちゃんです(笑)
ぶっちゃけ最初、長谷川さんと役割を逆に考えていたのですが、正くん免許ないやん!ということと、刺青のない明くんなんて!ということで。
そして今回絡みもなくてちょっとギャグ。すいませんー。
この時期にアップするのは迷いましたが、楽しんで頂けましたら幸いです。