塵よりよみがえり(仮) 前編
最初にその店に行った時には、彼は姿を見せなかった。事務的な会話と世間話、その合間に「そういえば、」と話題に出したのは明だった。
「今日、太朗いねーじゃん」
そう彼が言うと、カウンターの向こうの金髪の店主は、ああ、と目を細めた。ここの店長の正くん、と明から紹介されたのは、ついさっきのことだ。よろしくお願いします、と挨拶をした啓史ににっこりと柔らかい笑顔で応えて「時間あるなら」と椅子とお茶をすすめてくれた。同年代でもあったし、明も他の店よりも寛いでいる雰囲気から、啓史もほっと肩の力が抜けた気持ちになった。
「竜ちゃんは奥に籠ってる。今朝、けっこう大量入荷があったからさ」
「そっか。俺んとこのも入ったし、あいつ大忙しだな」
そうだね。正が笑って同意して、啓史の方に視線を移す。
「うちにはもう一人、竜太朗ってのがいるんだけど、今日は裏に籠ってるんだよ。まあ、そのうち紹介するよ」
「びびると思うよー、最初に会う時は」
明がにやにやしながら続ける。意味が分からず、え、と見返すしかできない啓史に、正は「変な脅かししないでよ」と明を牽制しながら笑いかけた。
「普通の、いい子だよ。ただちょっとまあ…、最初は見た目にインパクトあるかも、だけど」
正の店は鉱石店で、明は一人で採掘所からの卸業をやっていた。少し年下である啓史は、同郷である明を手伝うため故郷の小さな街を出てきたばかりだった。二人だけのこじんまりとした商売で、住むアパートも同じだ。
一緒に卸やら納品やらを回り、仕事を覚えていっている途中で、毎日新しいことだらけで目が回る状況ではあったが、昔馴染みの明と一緒ということもあり、仕事は楽しかった。ただ、所構わず明が「ブッチ」と呼ぶため、取引相手にすっかりそう呼ばれることになってしまったのだけれど。
「俺の客は厳選されてるからね。見る目もそりゃあ高いし、信用第一だからお前もしっかり覚えてけよ」
ことあるごとにそう言う、明のその仕事に対する姿勢は決して大袈裟ではなく、彼の扱う石も店も質は高かった。故郷の街でもそれなりに良質の採掘所があったけれど、いったいどうやってここまでの目利きになったんだろう、啓史はただ純粋にそれを尊敬していた。
なんで俺を雇ってくれたの? そう聞いてみたことがある。明はただ笑って「なんとなく、お前なら向いてるかなって」とだけ、答えた。
そして最初の訪問から半月程経って、正の店への何度目か訪問の時に、彼に出会った。
その日、カウンターはきらきらと磨かれた鉱石が並べられて、何やら賑やかだった。来客を告げる鈴に、店主ともう一人が振り返る。
「おー、ご苦労さん」
正がほんわかした笑顔でカウンターから出迎える。毎度ー、とカウンターに荷物をどさりと置いた明の後ろから、これまた山と荷物を抱えた啓史が顔を出す。そして、どうもこんにちは、荷物を置きながらぺこりと頭を下げた後、正の隣にいる人物を見て思わず固まった。
「あ、ぶっちくんは初めましてだよね。うちの術師の竜ちゃん、…竜太朗くん」
「え、あ…、…初めまして」
正に紹介されて彼を見ながら、しかしどうやって挨拶していいのか啓史は戸惑った。そんな啓史を、明と正は苦笑しながら見ている。
「まあ、びっくりするよなあ、最初は」
「…そうだろうねえ」
明の言葉に、彼はにい、と口の端を上げた。真っ黒な髪をさらさらと肩に流して、不自然なまでに白い肌の彼の、──竜太朗の眼には、真っ白い包帯が巻かれていた。
「初めまして、ぶっちくん。竜太朗です。…よろしく」
そして包帯越しの眼を真っすぐに向けるように、真っすぐに啓史の方に顔を向けて、彼は笑った。口の端をきれいに、上げて。
眼が見えないわけじゃないんだけれど。ちょっと事情があって、ね。
竜太朗の隣で、正がした説明は簡潔で、だけどあまり腑に落ちなかった。本人も至って淡々と「もうこれで長いし、店の中なら分かるから不便はないんだ」と、言った。
「ただちょっと、初めての人にはびっくりされちゃうけど」
そう、啓史の方を向いて、笑った。啓史は何も言えず、動くこともできなかった。
「びっくりしたろ?」
帰りの車の中、啓史の反応を楽しんでたのだろう、明が人の悪い笑みを浮かべた。そりゃあね、そう答えて、続ける言葉が見つからずに押し黙る。そんな啓史をちらりと見遣り、明は続けた。
「俺が最初に会った時は、してなかったんだよ」
「え」
「こっち出て来てすぐだったから、もう5年くらい前だけど」
最初の取引先の中に、正がいた。店に行くと竜太朗がいて、でも普通の風貌だった。長い前髪に隠れ気味だったけれど、きれいな切れ長の眼を覗かせていた。
「でも2年くらいしてから、包帯を巻いて出て来るようになってさ。さすがに外出は出来ねえから、どんどん色が白くなってった。出ても夜中なんだろ」
「でも、どうして?」
「…ん、」
当然の疑問を口にした啓史を、明は煙草に火をつけながらちらりと見た。
「お前、鉱石の術師の仕事って、詳しく知ってるか?」
ちょうどいい機会だから、夕飯後に教えてやるよ。いずれ教えなきゃいけねえと思ってたし。そう言って煙を吐き出して、あ、と明は続けた。
「もう野菜とか大分少なかったな。買い物してくか」
明の仕事場兼住居にアパートに啓史が居候する形で住んでいたから、家事全般も共同でやっていた。お互い、割と几帳面な方らしく、男二人の家にしては片付いていると思う。
その日も二人で簡単に作った夕食をとった後、仕事部屋に移動した。買付けた鉱石が整然と積まれている中、置かれている椅子に並んで座る。最初の頃、まるで区別がつかなかったそれらが、いかにきちんと正確に積まれているか、啓史にはそれが朧げに分かってきたくらいだった。
家の中なのに、ここに入ると明の雰囲気が変わる。無機質な石に囲まれて、だけどひとつひとつを丁寧になぞる明のこだわりと自負が感じられる、この部屋が啓史は好きだった。
「…まず、俺らが買付ける、この状態。当然このままじゃ何もならないわな」
ひとつ、手近にあった鉱石を手に取って話し始めた明は、「ちなみにこれは何だ?」と聞いて来た。啓史は受け取って手のひらに乗せ、じっとする。
「…碧玉?」
「惜しい。まあ碧玉の仲間だけど、血星石だよ」
でもま、新米にしちゃ合格だよ。やっぱお前、筋がいいな。
明はそう言って、その血星石を受け取った。そのまま手に乗せて話を続ける。
「これをただ磨くだけで、飾りとか容器とかにするのは加工職人。これは特別な力がなくても、技術を磨けば誰でもなれる」
「うん」
「で、それを更に他の用途に使えるようにするのが術師なわけだけど。ただ磨き上げるだけじゃなくて、特殊な加工が必要になるわけだ」
「うん」
それは啓史も知っていた。彼らの暮らす世界では、様々な鉱石が様々な用途で使われている。ただの飾りから、明かりとか保温とか冷蔵とか補強とか日常の全般に渡るところから、家や家具等そのものにも使用されたりする。そしてさらに、薬や護符としての利用に加え、果ては武器としても。
だから、腕の良い卸業者というものはかなりの地位と財産を築くことも出来る。いかに良質の鉱石を見極められるか、そしていかに腕と相性の良い術師を顧客にできるか、その実力だけで上にも下にもなる職業だった。そして、明は間違いなく同業者の中でも認められる存在になりつつあった──それはとても、堅実に。
だけど、自分たちが納品した鉱石たちがいかに加工されるのか、その方法については啓史は知らなかった。ただ、「それができる者が術師と呼ばれ、その中でも様々なランクがあり、特に人体に影響があったり呪術的なもの──つまり鉱物そのもの以外に二次的な効果を発生させること、それができる者は多くなく、その技術を完全に会得できた者はマイスターと呼ばれる最高の術師とされる」ということしか。
そしてそれは、限られた者にしかできない、とても特殊なことだということしか。
「…でも、それって機密事項なんだと思ってた。だって、“限られた者”なんでしょ?」
「うんまあ、そうだけどな」
啓史の疑問に頷いて、明は手の石を棚に戻した。かつん、と小さな音をたてたそれから視線を啓史に戻す。
「まず、さ。竜太朗は術師だ」
「うん」
「そして、正くんも術師」
「…え、そうなの?」
いつもカウンターににこにこ座っているから、鉱物店を営んでいるだけかと思っていた。驚く啓史に「けっこう術師で店を持ってる奴っていうの、多いんだよ。直接買いたいし売りたいから」と明は笑った。
「あれでなかなか凄腕なんだよ」
「え、もしかしてその、特殊なことも出来ちゃう?」
「うん、多少はできるらしい。そういう石も買ってくれるし」
そうなんだ、すごい人だったんだ。正のほんわかした様子からはあまり想像できないな、そう思いながら頷いていたが、続く明の言葉にさらに驚いた。
「でも竜太朗は更に特別で、あの年でマイスターレベルに達してる」
「……はあ!?」
思わず大声が出てしまった啓史に、「驚くだろ」と明は笑顔を浮かべた。
「そりゃ…ええ!? だってマイスターって、数える程しかいないって聞くよ?」
「だから特別なんだよ。あいつ実はすごいんだぜー。そしてそんなあいつに卸してる俺もすごいんだぜー」
「えー…?」
頭がついていかず、呆然とした表情でぶつぶつ言っている啓史を明は面白そうに見ていたが、やがてふっとその笑みを苦笑に変えた。
「…でも正確にはマイスターレベルだけど、マイスターじゃない」
「…え?」
「技術はマイスターレベルなんだけど、マイスターの称号は受けられないんだ」
「…どういうこと?」
啓史が改めて見返すと、明は表情を更に曇らせて──少なくとも啓史にはそう見えた──視線を鉱石の山に移した。その積まれた石の山を見ながら、言葉を続ける。
「術師ってのは、その名の通り“術”を使って石の力を引き出すんだよ。その力を生まれつき持ってる人間が、術師になるんだけど」
俺も実際には、正くんと竜太朗のやり方しか見たことはないけど。
数回だけ、たまたま見せてもらえたようなものだった、と明は言った。最初は何年か前、納入した石が極めて希少な良品だったらしく、特別にね、と正に店の奥に案内されたのだという。がらんとした、机と椅子以外なにもないような部屋に石たちが並べられていて、机にひとつ、鉱石が乗せられていた。そして椅子に座った正は、その石を手のひらで包むようにして目を閉じて、何か呪文めいたものを呟き始めたのだ。
「…本格的に儀式っぽくって、ちとビビって見てたんだけどさ。そうしたら少しして、その黄鉄鉱が少し光り出してさ」
ゆっくりと目を開けた正は、近くで見ていた竜太朗に視線を送った。それに頷いた竜太朗が正と交代して、椅子に座った。
「俺のやり方はああやって、手で石のエネルギーを引き出すんだけど」
正は驚いてただ凝視している明にゆっくりと近付くと、いつもの通り穏やかな笑顔で言って、交代した竜太朗を指した。
「竜ちゃんは、眼なんだ。──すごく、珍しいタイプらしいんだけどね」
指された先の竜太朗は、うっすらと光を放つ黄鉄鉱を正と同じように手のひらで包むようにし、しかし眼は閉じずにじっとそれを凝視していた。ちいさく唇が動いて、やはり同じように呪文を呟いているのだと思った。
「…あれは、呪文?」
竜太朗を見ながらそっと聞いてみると、「呪文…みたいなもんかなあ」と曖昧な答えが返って来た。どういうことだと聞き返そうとした時、いきなり竜太朗の手の中の黄鉄鉱がばちり、と大きな音をたてた。そしてひと呼吸置いて強烈な光が放たれ、思わず明は眼を閉じた。
再び眼を開けた時、竜太朗の手のひらの中の黄鉄鉱はきらきらと輝きながら少し熱を放っていた。「今のが、護符の力」と竜太朗は笑っていた。
「実際にはそれで完成じゃなくて、もっと何回も長い時間をかけてやるもんらしいけど。やり方だけ見せてくれたってわけ」
びびったけどなー。明はそう笑ったが、そんなものを見せてもらえた、ということは確実にすごいことなのではないだろうか。よほど信用されていなければ、そんな場所に入れてもらえるとは思えない。
そう言ってみると案の定明は得意げに頷いて「ま、お前ももう少ししたら見せて貰えるんじゃね?」と何でもないことのように言った。
「そうなのかなー…」
「俺の弟子ってだけで充分だ」
断言する明に、すごい自信だな、そう思ったけれど口には出さなかった。それに見合うだけの事実があるのは、確かだ。
「で、そん時はまだ竜太朗は眼を隠してなかったんだよ」
いきなり話を戻されて、啓史ははっと明に視線を戻した。そうだ、彼のことについて話していたのだ。
「俺も見た通り、竜太朗は石の特殊な力を引き出す術を持ってるし、かなり強力で完全なものを引き出せてた。もう少ししたらマイスターを得られるかもしれない、て、本人もその気だったんだよ」
でも。
いったん言葉を切った明は、ふう、と息を吐いた。その時のことを思い出しているのだろう。
「それから少しして、竜太朗の眼に異変が起きたんだよ。──かなり、致命的な」