塵よりよみがえり(仮) 中編



 長くなったし、コーヒーでも飲んで一服するか。
 明にそう言われ、二人はキッチンに戻った。煙草を片手にコーヒーを飲みながら、明は続きを話し始めた。

「最初に気付いた、ていうか、異変が起きたのは、正くんだったんだけど」
 二人は明たちと同じように、鉱石店の二階で同居をしている。キッチン等を共同で使い、部屋は別々に持っているらしい。あまりお互いに細かい性格でもなく──これは明たちとは反対だ──仕事もプライベートも、特に衝突することもなくマイペースに仲良くやっていた。
 しかしある日、竜太朗が石の“加工”作業を終えて裏から出て、店にいる正を見た瞬間、いきなり正が倒れたのだという。
「急に胸が苦しくなって、全身の力が抜けたんだと。それまでそんなことはなかったし、本人も竜太朗もパニックになったらしいけど、その時はしばらくして治まったから深くは考えていなかったらしい。──でも」
 その後しばらくして、また同じように正が倒れてさすがに不安になり、医者に行ったが何もなかった。だけどさらに、三度目に正が倒れた時、竜太朗は気付いた。──どの時も、自分が石に大掛かりな“加工”作業を終えた後に、正を見た瞬間に倒れている、ということを。

「術の不均衡、てやつらしい。たまに、起きるんだと」
 コーヒーをすすりながら、啓史は黙ってじっと明の話を聞いていた。全てのことが驚きで、覚えておかねばならないことだった。
「術師の力っていうのは、石が持ってる力を引き出せるっていうことなんだけど、発光とか発熱とか以上に、竜太朗みたいに特殊な加工が出来る術師は、やっぱりその力の影響を受けやすいらしくて」
 術のやり方自体、人によって様々だから、例えば手が使い物にならなくなったり、常に発熱していたり、影響の受け方も様々だ。
 そして、眼を使う竜太朗は当然ながらそこに影響を受けた。──しかも、自分自身ではなく、外に。

 三度目に倒れてから状態が落ち着いた正に、泣きながら竜太朗は、そう気付いた、と言った。正も驚いたが、それで辻褄が合うため納得するしかなかった。
 それから竜太朗は、大きな作業を行った日は一日中裏に隠り、正も入れないようにした。翌日に恐る恐る出て来た竜太朗と視線を合わせて、大丈夫だよ、と笑ったら心底安心したように笑ったという。小さな作業の後には症状は出なかったし、しばらくはそうしてやり過ごしていた。それでどうにかうやって行けるのだろうと、その時は二人とも思っていたという。

「けど、そうやって何ヶ月か過ぎて、ある時竜太朗がひとりで外出した時、状態が悪化してるって気付いたらしい」



 その日は正も先に外出していた。足りない部品が出たため、竜太朗は店を閉めてひとりで市場に出かけて行った。何日か大きな作業はしていなかったし、朝に正と会った時は異変は起きなかったから、特に気にしていなかった。
 市場の馴染みの店で部品を買い、そこの老婆と雑談していた時に、急に騒がしい声が聞こえてきた。見ると、少し遠くで窃盗騒ぎがあったらしく、犯人らしい男が追手と揉み合っていた。
「嫌だねえ、泥棒かい」
 老婆の呟きに頷いて騒ぎの方を見ていると、犯人が追手を振り切って走り出そうとした。あいつ、逃げるのか。そう思って無意識に睨みつけた瞬間、急にその男は胸を押さえてその場に崩れ落ちた。
「…っ」
「…あれ、どうしたんろうね。いきなり」
 追っていた人々も驚いたように男に駆け寄った。男は胸を押さえたまま、苦しそうに踞っている。やがて駆けつけた警官に引きずられるように連れて行かれて、人々が喧噪から去っても、竜太朗は呆然としたままそこから眼を離せなかった。
 まさか。
「竜ちゃん?」
 老婆に声をかけられ、はっと視線を意識を戻した。怪訝そうな老婆に「ちょっと、びっくりして」と曖昧に笑うと「そうだねえ」と納得してくれたらしい。
「まあ、なんかいきなり具合悪そうになってたけど。罰が当たったんだよ、泥棒なんて」
「…そう、だよね」
 頷きながらも、声が震えた。まさか、と思いつつも、でも半ば竜太朗は確信していた。あれは、自分のせいだ。
 竜太朗はそれから、誰かに視線を向けることが怖くて、俯きながら市場を出た。近くの路地裏に入って踞って、どうしようどうしよう、そんなことをぐるぐる考えていると、足元を何かが走り過ぎた。鼠だった。
 路地裏の奥で、鼠は立ち止まってこっちを振り向いた。ぼんやりした思考で、竜太朗がその姿を見いると、しばらくして鼠はばったりと倒れて、──少し痙攣した後、動かなくなった。
「…あ…っ」
 竜太朗は口を押さえて、倒れた鼠にゆっくり近付いて指先で触れてみた。ぴくりとも動かない鼠に、生命の鼓動はなかった。

 ころして、しまった。



「…正くんが帰った時、竜太朗は裏で踞ってたんだと。周囲に包帯が散らばってたから、怪我でもしたのかと思って声をかけたら、眼に、包帯を巻いて俯いてたらしい」
 ──おれ、このままじゃまっさきにただしくんをころしちゃう。
 訥々とその日の出来事を語って、こうするしかないと思った、と竜太朗は俯いた。おそらく、自分の視線は少しずつ身体に負担をかけるものだ。うっかり見てしまって、それが続いたら、きっと死に至る。
「邪視、て聞いた事あるだろ。まあそれ自体は迷信なんだけど、あいつは石の加工を眼でしているうちに、その眼にそんな力の影響を受けてしまったってことだ」
 そもそもが竜太朗の術師としての力は、かなり高レベルなものだった。彼の加工した石は強い力を持ち、加工可能な鉱石の種類も多岐に渡っている。
 だけどその分、強い力を眼の中に吸収してしまっていた、ということだった。


 話を終えてコーヒーを口にすると、明は新しい煙草に火をつけた。啓史は何も言えず、手の中のコーヒーカップを見ていた。
「あいつがマイスターになれないのは、そのせいだよ。ああいったことは、特殊な力を持った術師にはよく起こることなんだけど、それもコントロールして体外に逃がすことができないと、マイスターにはなれないんだ」
 術者の登録は、ギルドが一括管理している。鉱石の加工や販売も登録しなければならず、マイスターの称号もそこに申請して審査が通った者のみに与えられた。
 それ自体には「称号」以上の特権などはなかったが、他にこれといって階級制度のない術師にとっては絶対的な地位を意味している。中には、技術はあるものの審査の煩わしさや興味のなさから申請しない者もいたが、揺ぎ無い評価が与えられるマイスターはやはり、術者にとっての最高地位であることは間違いない。
「…治らないの?」
 愚問だろう、それを承知で啓史は聞いてみた。充分な技術を持ちながら、致命的ともいえる欠陥を抱えてしまった彼は、日々、何を思って石と向かい合っているのだろう。
「さあな。あいつも正くんも、ずっとその方法は探してるんだろうけど、今のところ進展はないらしい。まあ、…あんまり大っぴらにできる話でもないから、広く探すことはできないでいるみたいだけどな」
「……」
 公にはできない。そう聞いてはっとする啓史に、明は苦笑しながら煙を吐き出した。
「相手を傷つける力だなんて、うっかり広まってしまったら仕事どころか、生活していくことすら危ういからな。だから表向きは、石の影響で『眼を悪くして光を見れない』ってことにしてあるらしいし、情報も集めにくいらしいよ。…当然だけど」
 もしかしたら、他にも似たような人はいるかもしれないが、そうであっても同様に、公にしないでいるのだろう。似た症状についての話は耳に入らないままなのだ、といつか正が言っていた。
「だからあいつはあのまま、──もう2年以上も、ああやって眼に包帯を巻いて生活してるんだよ」
 皮肉にも、その後ますます竜太朗の腕は上がった。今では彼の加工した石は強力な力を持ち得ているし、かつ、マイスターでもなければ扱いが難しい石にも対応できる。当然ながらマイスターにならないのか、ということは何度も聞かれてきていることだ。
 だけどその度に彼は薄く笑って、「石の力で眼を傷めてるから」と答えてきた。

「事実なんだけどね。傷めてるわけだし」
 俺としても馴染みだし、気の毒だとも思うし、正直もったいないとも思うから協力はしたいんだけど。
 2杯目のコーヒーを入れながら、明は少し眼を伏せた。
「…まあ、だけど、他は全然普通のいい奴だから、お前もあんまり変に気を遣わなくていいよ。お前の方が年下だし、今後も付き合いは続くから仲良くやってくれ。…ああ、でも、さっきも言ったけど、このことは他言無用、な」
 そう言われて、ふと顔を上げた啓史に明は笑ってみせた。
「お得意さんだからさ、正くんとこは」
「あ、うん、…でもさ」
「ん?」
 まっすぐ見ながら、でも戸惑ったように言葉を切った啓史に明が聴き返すと、彼は「でも」ともう一度と言葉に詰まってから一瞬下を向いた。
「でも、…どうして俺にそんな大事な話をしたの?」

 自分のような新入りが聴いてしまって良かったのだろうか。
 内容のシリアスさに啓史は戸惑っていた。もちろん口外する気はなかったし、明のところにいる以上はいずれ知ることになったのかもしれない、だけれど自分が竜太朗に会ったのは、今日が初めてなのだ。そんな自分が。

 明は啓史の当惑に気付いて、ああ、と苦笑じみた顔をして言った。
「元々、いずれは話すつもりだったけど、さ。……太朗が、いいって言ったんだよ」
「え?」
「帰る前にさ、俺だけ少し遅かったろ。あん時、言われたの」


 ──俺の眼のこと、ぶっちくんに話しておいて。これ巻いてる、理由。
 ──いいのかよ? そんな、いきなり。
 ──うん。なんか、…言っておかなきゃ、いけない気がする。


「……お前を信頼したってのもあるだろうけど、なんかこう…術師として、感じるものがあったらしいよ」
「感じるものって…」
「石を扱う者として、こう、…考え方のベクトルが近い、てことかな」
 言葉を選ぶように言った明の、ただしその裏の含みには啓史は気付かず、ただ、戸惑った。そんな啓史に「悪いことじゃないだろ」と言い聞かせるようにして、明は内心、竜太朗の言葉の続きを反芻していた。


 術師の、勘ってやつかな。あの子は、石にとても好かれるタイプだよ。…良くも悪くも、て意味で。



 あえて伝えなかったその言葉の意味を、明は計りかねていた。そう言った後に「気をつけた方がいいよ」と笑った、竜太朗の真意が分からない。そういえば、そう言った竜太朗の隣の正は、ひどく曖昧な笑顔だった。楽しそうな、…困ったような。
 漠然とした不安を感じながらも、明は「好意的に受け止められたってことかなあ」と首を傾げる啓史にそうだと告げて、この話を打ち切った。