病 気 の 歴 史


[ 1、は じ め に ]

人類史 初期 の 平 均 寿 命 は 、おそら く 20 年 ~ 35 年 で あったと いわれて いるが、人 類 の 生活 は 病気 と 共 に 始 まり 、病気 と ともに 歩 み 続 けてきた。人 類 とは 病 ( や ) む 存在 であり、病 気 ( 感 染 症 ) と 闘 ってきた。

「 狩 猟 採 集 」 時代 になると、病気 による感 染 が 起こっても、その 部 族 ( グ ル ー プ ) 内で 死者 が 出 るものの 、死者が 多 ければ グ ル ー プ 自体が 消 滅 した。その 結果 病気 の 流行 は そこで 途 絶 えて しま い、命を落 とす人 の数 も それほど 多 く はなかった。

「 農 耕 牧 畜 」 時代 が 来 ると、 人 は 定 住 生 活 をするようになり、食 糧 が 豊 富 になり 人口 が 増 え 集 落 が 形 成 されて 行った。

やがて 町 ができ 都市 へと 発 展 し、 文 明 が 栄 えて 都市 の 間 で 人々 が 往来 するようになると、病気 の 感 染 が 起きるようになり、多 く の 人々 が 死亡 するような った。

人口密度 が 高 い 都 市、中でも 不衛生 な 環 境 の ス ラ ム ( S l u m 、極 貧 層 が 居住 する 過 密 化 した 地 区 ) には、様々な 感染症 が 流行 する 条件 がそろって いた。

ヨ ー ロ ッ パ や 中 東 では、過去 の 記 録 から ペ ス ト ・ 天 然 痘 ・ は し か ・ 結 核 ・ コ レ ラ ・ イ ン フ ル エ ン ザ など、様々な 感 染 症 が 何度も 大流行 し 、都市 に 住 む 多 く の 人々 が 死亡 した 。

天 然 痘 は 1 万 年 前には 既 に ヒ ト の 病気 であったら し いが、その 起源 は 「 イ ン ド 」 とする 説 があるものの 、正確 なことは 不明 である。天 然 痘 の 「 自 然 宿 主 」 は ヒ ト だ けな の で、人 の 移 動 と 共 に 感 染 が 拡 がって 行った。

人々の 移 動、つまり 征 服 ・ 貿 易 ・ 戦 争 ・ 文 化 交 流 と 共 に 、感 染 が 各地 へ も た ら さ れ た。古 代 エ ジ プ ト では 天 然 痘 が 流行 し、第 2 0 王 朝 の 第 4 代 フ ァ ラ オ( 君 主 の 称 号 ) の ラ ム セ ス 5 世 ( R a m e s s e s V 、在位、紀元 前 1 1 4 5 年 ~ 紀元 前 1 1 4 1 年 ) は 、在 位 4 年で 世 を 去った。

この ラ ム セ ス 5 世 の ミ イ ラ の 顔 に 天 然 痘 の 痘 瘡 ( と う そ う、おでき の 跡 )があることから、彼は 天 然 痘 で 死 亡 したと 推定 される。 彼 は 名前 の 分 かる、最 古 の 天 然 痘 患 者 で あった。


( 1-1、日 本 に お け る 天 然 痘 )

中国 では、南北朝時代 の 斉 ( せ い ) 王 朝 ( 479 年 ~ 502 年 ) で 、4 9 5 年 に 天 然 痘 が 流行 したとする のが、最初 の 記 録 である。その後 短期間 に 中国全土 に 拡大 し 、6 世紀 前 半 には 朝鮮半島 にも 伝 播 した。

日本では 中国 や 朝鮮半島 との 人 の 往来 ・ 渡 来 人 の 移 動 ( 移 住 ) が 活発 になった 6 世紀 半 ば 頃 に は 、百 済 ( く だ ら ) の 聖 明 王 の 使者 が 第 2 9 代、欽 明 ( き ん め い ) 天 皇 ( 在 位 5 3 9 年 ~ 5 7 1 年 ) に 、金 銅 製 の 「 釈 迦 如 来 像 」 ( し ゃ か に ょ ら い ぞ う ) や 経 典 ・ 仏 具 などを 献 上 したが、仏 教 伝 来 ( 公 伝、公式 に伝わった ) の 始まりであった。

その後 朝鮮 の 新 羅 ( し ら ぎ ) から 「 弥 勒 菩 薩 」 ( み ろ く ぼ さ つ ) 像 が 送 ら れ、第 3 0 代、敏 達 ( び だ つ ) 天 皇 ( 在 位 5 7 2 年 ~ 5 8 5 年 ) が 仏教 の 普及 を 認 めた 時期 と 、日本 における 疫 病 の 流 行 が 重 なった。

そこで 日本古来 の 神 を 軽 視 した 神 罰 と いう 見方 が 広 が り、仏 教 支 持 派 の 蘇我氏 の 影響力 が 低下 した。しか し、こ れが 現在 の 天 然 痘 なのか、麻 疹 ( ま し ん 、 は し か ) なのか の 区別 が 困難 である。

痘瘡

天 然 痘 ウ イ ル ス ( V a r i o l a - v i r u s ) は、感 染 力 の 強 い 伝 染 病 ( ウ イ ル ス ) であり、養 老 4 年 ( 7 2 0 年 ) に 完成 した 『 日 本 書 紀 』 によれば、

瘡 ( か さ、皮 膚 に で き る 「 で き も の 」 発 ( い ) で て 死 ( み ま か ) る 者 ― ― 身 焼 か れ、打 た れ、砕 ( く だ ) か る る が 如 し

とあ り、瘡 ( そ う 、天然痘 の で き も の ) を 発 し、激 し い 苦 痛 と 高 熱 を 伴 う と いう 意味 であった。

また 天 平 7 年 ( 7 3 5 年 ) から 天 平 1 0 年 ( 7 3 8 年 ) にかけて 西日本 から 畿 内 ( き な い 、山 城 国 ・ 摂 津 国 ・ 河 内 国 ・ 大 和 国 ・ 和 泉 国 の 令 制 五 か 国 ) にかけて 天 然 痘 が 大流行 した。

「 大 化 の 改 新 」 の 中 心 人 物 であり、藤原氏 隆 盛 の 基 礎 を 築 き 5 6 歳 で 死 亡 した 藤 原 鎌 足 ( ふ じ わ ら の か ま た り ) の 二 男 で、平城京 ( 奈良 の都 ) で 政権 を 担当 して いた 藤原 不比等 ( ふ じ わ ら の ふ ひ と ) の 4 人 の 息子 たち  「 藤 原 四 兄 弟 」 ( ふ じ わ ら し き ょ う だ い ) が 、相次 いで 天 然 痘 で 死亡 した。

以降 1 9 世紀 まで 日本では 、 天 然 痘 の 大流行 を 何 度 も 繰 り 返 し た 。1857 年 から 5 年間 長 崎 海軍 伝 習 所 の 医 学 教 授 を 務 め て いた オ ラ ン ダ 海 軍 二 等 軍 医 の ポンペ ・ ファン ・ メ-ルデルフォ-ルト ( P o m p e - V a n - M e e r d e r v o o r t、1829~1908年 ) によれば、

日 本 ほ ど 痘 痕 ( とうこ ん、天 然 痘 が 治 っ た あ と、 顔 の 皮 膚 に ぶつぶつと 小 さな  「 く ぼ み 」 が 残 る ) の あ る 人 が 多 い 国 は な い。 住 民 の  3 分 の 1  は 、顔 に  「 あ ば た 」 が あ る と い っ て よ い

と 書 いて いる。天然痘 が 治った 場合でも 、顔 面 に 醜 ( み に く ) い 瘢 痕 ( は ん こ ん 、あ ば た ) が 残 るため、江戸時代 には 「 美 目 ( び も く ) 定 め の 病 」 と言 われ、この 病気 は 忌 ( い ) み 嫌 われ て いた。

瘢痕

写真 の ちょんまげ 姿 の 男 性 「 塩 田 三 郎 」 は 、天然痘 に 罹った ために 「 あ ば た 顔 」 になって いたが、後 に 英語 や フ ラ ン ス 語 を 学 び、幕府 の 遣 欧 使 節 団 に 通 訳 と して 2 度 ( 1 8 6 0 年 と 1 8 6 2 年 ) 同行 し、明治維新後 は 外交官 となり、清 国 駐 在 特 命 全 権 公 使 に なった 経歴 の 持ち主 であった。

1 6 世紀 に 布教 のため 来日 した イ エ ズ ス 会 の ポ ル ト ガ ル 人 宣 教 師 ル イ ス ・ フ ロ イ ス (1532 年 ~ 1597 年 、長崎市 で 没 ) は、

ヨ ー ロ ッ パ に 比 し て 日 本 で は 、 全 盲 者 が 多 い

と 指 摘 して いるが、後天的 な 失明者 の 大部分 は 天 然 痘 によ る も の と 考 えられて いる。仙台藩 の 初代 藩 主 で、独 眼 竜 ( ど く が ん り ゅ う ) の異 名 を 持 つ 伊 達 政 宗 も 、幼少時 に 天 然 痘 に 感 染 し 右 目 を 失 明 し た が、種 痘 の 普 及 する 江戸 末期 まで、日本人 の 失 明 原 因 と し て は 天 然 痘 が 最 多 で あっ た。


 
天 然 痘 の 発生 史


西暦事     項和暦
時代
735筑 紫 ( 北 部 九 州 )で発生 した 天然痘 が東方に広がり
多 く の 死者 が出 た
天平
737天然痘 により 藤原氏 一族 をは じめ 、多 く の 死者 が出た
925第 6 0 代、醍醐天皇、疱 瘡( ほ う そ う、天然痘 ) を 病 む延長
1143第 7 6 代、近衛天皇・崇徳上皇・待賢門院 ( 第74代、鳥羽天皇の皇后(中宮)で、崇徳・第77代、後白河天皇の母 )、疱瘡を病 む康治
17
世紀
日本では この1 世紀の間に、4 回 に及ぶ 天然痘 流行の
記録が見られる
1653明 ( み ん ) の 僧 医 が 来日 し、治療法を 伝 授 する承応
1709第 113 代、東山天皇、疱瘡 により 没する宝永
1744中国から 種痘科 の 李 仁山 渡来。後年彼が長崎で 人痘 の
種痘を実施
延享
1789この年、筑前 秋月( 現・福岡県 朝倉市周辺 )で 天然痘 が流行寛政
1790筑前 秋月 藩 医、緒方春朔 他人の 二児 に人痘の 種痘実施
1793緒方春朔、長崎にて五人の 児に 種痘を実施
1796春朔、寛政 2 年から寛政 8 年まで、1,100人余りの児に
種痘を実施
1849楢林宗建が牛痘苗を 三男と通詞(通訳)の子二人に接種し、
三男のみに 善感。牛痘 による 種痘 に初めて成功 した
嘉永
1885
~1887
明治になって 第1回目 の 天然痘 大流行、死者 3 万 2 千 人 明治18
~20
1892

1894
明治になって 2 回 目 の 天然痘 大流行、死者 2 万 4 千 人 25
~27
1896

1897
明治になって 3 回 目 の 天然痘 大流行、死者 1 万 6 千 人 29

30
1919大正時代における 最多の 天然痘 流行 、死者 9 3 8 人 を出した大正
1926この年の天然痘 死者数 1 5 8 人 を最高に、昭和 20 年の 敗戦
まで、死者 1 0 0 人 を超 える年は無 かった
昭和
1946敗戦による外国からの 引揚者 の 影響で 、天然痘 大流行
患者 1 万 8 千 人 、死者 3 千 人
21
1955この年の 天然痘 患者 一人を最後 に、日本における 患者発生
は 以 後 ゼ ロ となる
30
1980W H O は総会で、「 世 界 天 然 痘 根 絶 」 を 宣言 した55


( 1-2、ウ イ ル ス と は )

ウ イ ル ス ( V i r u s ) と 細 菌 ( バ ク テ リ ア、複数形、B a c t e r i a、 ) とは 、 全 く 別 も の で あ る 。細 菌 は 自分自身 の 細 胞 を 持 って いて、自 ら 栄養 を 摂 取 しながら 細 胞 分 裂 を 繰 り 返 して 増 殖 する 。

しか し ウ イ ル ス は 、自分自身 の 細 胞 を 持 って い な い

そのため 増 殖 するためには 、他 の 生物 の 細 胞 に 入 り 込 んで、自身 の 設 計 図 である D N A = Deoxyribo Nucleic Acid 即 ち 、デ オ キ シ リ ボ 核 酸 または 、 R N A = R ibo Nucleic Acid 、 リ ボ 核 酸 など を 使 って 細 胞 を 支 配 し 増 殖 させ、大量 の 子 孫 ウ イ ル ス を 増 や して い く 。

富山大学 医学部 の 白木公康 教授 と 、富士 フ イ ル ム 傘下 の 富山 化学工業 ( 現 : 富士 フイルム 富 山 化 学 ) が 共同研究 で 開発 した 商 品 名 である  ア ビ ガ ン ( A v i g a n ) は 、細胞内に 侵 入 した ウ イ ル ス が R N A を 使用 して、大量 の 子孫 を 増 殖 する のを 阻 害 する 効 果 が あ る  と さ れ る。

細胞

図 では ウ イ ル ス が 生物 の 細 胞 に 付 着 してから 「 吸 着 」 ・ 「 侵 入 」 ・ 「 膜 融 合 」 ・ 「 脱 穀 」 ・ 「 転 写 、複 製 」 ・ 「 出 芽 」 ・ の 行程 をたどり、そこから 取 り 付 いた 生物 の 体 内 に 新 し い ウ イ ル ス が 「 放 出 」 されるまでを 示 して い る。


( 1-3、子 供 と 、ウ イ ル ス )

ウ イ ル ス による 感 染 症 と し ては、肺 炎 ・ 一 般 の イ ン フ ル エ ン ザ ・ 水 疱 瘡 ( み ず ぼ う そ う ) ・ お た ふ く か ぜ ( 流行性 耳下腺炎、ムンプス ウイルス = m u m p s - v i r u s ) ・ 麻 疹 ( ま し ん、麻 の 実 のような 細 か い 発 疹 ( 下 の 写 真 ) が 体 にできることから、中国 で 麻 疹 と 名 付 けられた。

麻の実

麻 疹 のことを 日本 では 「 は し か 」 と 呼 ぶが 、麻 疹 ウ イ ル ス の 感染力 の 強さは 風 邪 の ウ イ ル ス の 約 1 0 倍 と いわれて いる 。 似 たような 病気 に 風 疹 ( ふ う し ん 、別 名  三日 は し か があるが、これは 風 疹 ウ イ ル ス の 感染 により、微 熱 と 皮膚 に 発 疹 と 耳 の 後 ろ の リ ン パ 節 の 腫 れをもたらす。

今年 8 7 歳 ( 昭和 8 年 = 1 9 3 3 年 生 ま れ ) に な る 私 が 子供 の 頃 は 、 種 痘 ( し ゅ と う、天然痘 の 予 防 接 種 ) 以外 の ワ ク チ ン は 開 発 されて なかったため、大多数 の 子供 は 小学校 に 入学 するまでに 、「 お た ふ く か ぜ 」 ・ 「 は し か 」・ 「 三 日 は しか ( 風 疹 ) 」 などに 、自然 に 感 染 し 、 発 病 し 、そ して 回 復 した。

それら の 多 く は 一度 感 染 すると 体 に 免 疫 が で き て 、二度 と 感 染 しな いと いわれて いた。現在では 以下 の 病気 が ワ ク チ ン 接種 により 、予防可能 であるが、便利 な 世 の 中 になったものである。

  • ジ フ テ リ ア

  • 麻 疹 ( ま し ん 、は し か )

  • お た ふ く か ぜ ( 流 行 性 耳 下 腺 炎 )

  • 百 日 咳 ( ひ ゃ く に ち ぜ き )

  • ポ リ オ ( 小 児 麻 痺 、し ょ う に ま ひ )

  • 風 疹 ( 三 日 は し か )

  • 小 児 用 肺 炎 球 菌

  • B 型 肝 炎

  • B C G ( 結 核 予 防 )

  • 破 傷 風

  • 日 本 脳 炎


[ 2、検 疫 ]

カード

私 は 2 3 歳 の 時 ( 昭和 3 2 年 = 1 9 5 7 年 ) に アメリカ に 約 2 年間 留学 したが、その 際 には、出発前 に 再度 種痘 を 接種 し、『 種 痘 予 防 接 種 証 明 書 = イ エ ロ ー カ ー ド 』 を 発行 してもら い 、ア メ リ カ 入国の 際 に 検疫機関 に 提 示 する 必要 があった。

当時 の 日本 では 生 後 1 歳 と 6 歳 の 子供 に 種痘 接 種 が 義務 付 けられて いたが 、その後 世 界 的 な 天 然 痘 撲 滅 運 動 の 成果 で 、昭和 5 2 年 ( 1977 年 ) ア フ リ カ の ソ マ リ ア における 患者発生 を 最後 に 、天然痘 は地球上 から 消滅 した。

それから 2 年間 の 監 視 期 間 を 経 て、昭和 5 5 年 ( 1980 年 ) に 、W H O ( 世 界 保 健 機 関 ) は 天然痘 の 世 界 根 絶 宣 言 を 行った。そ して 日本 も 昭和 51 年 (1976 年 ) に 種 痘 が 中 止 となり 、昭和 55 年 ( 1980 年 ) には 種 痘 は 廃 止 された。


( 2-1、検 疫 の 語 源 )

ちなみに 検 疫 を表 す 英語 の ク ォ ラ ン テ ィ ー ン 、「 Q u a r a n t i n e 」 は、イ タ リ ア 語 の ベ ネ チ ア 方 言 で 「 4 0 」 を 表 す ク ォ ラ ン テ ー ナ 、「 Q u a r a n t e n a 」 、または 4 0 日 間 を 示 す ク ォ ラ ン タ - ジ ヨ ル ニ  「 Q u a r a n t a - g i o r n i 」 が その 語 源 と いわれて いる。

これは ヨ ー ロ ッ パ における 1 3 4 7 年 の ペ ス ト ( 黒 死 病 ) 大流行 以来 、疫 病 ( え き び ょ う、は や り や ま い ) が オ リ エ ン ト ( O r i e n t 、地 中 海 の 東 方 にある 諸 国 、エ ジ プ ト ・ メ ソ ポ タ ミ ア ・ イ ン ダ ス 川 以西 ( イ ン ド 亜 大 陸 を 流 れ 、パ キ ス タ ン の 港 湾 都 市 「 カ ラ チ 」 南 東 部 で ア ラ ビ ア 海 に 注 ぐ ) から 来 た 船 によ り も た ら さ れ た こ と に、ベ ネ チ ア 共 和 国 が 気 付 いた。

疫 病 の 感 染 防 止 の 見地 から、船内 に 感 染 者 が いな いことを 確 認 するため、疫 病 の 最 長 潜 伏 期 間 に 等 し い 4 0 日 の 間 、疑 わ し い 船 を 入 港 させず、 港 外 に 強 制 的 に 停 泊 させたことに 由 来 する。

検疫旗

参考までに 日本 の 港 に 入 港 する外 国 航 路 の 船 が 、国 際 信 号 旗 ( I n t e r n a t i o n a l - M a r i t i m e - S i g n a l - F l a g s )の 黄 色 い 「 ケベック ( Q u e b e c ) 、 Q 旗 」 ( 写 真 ) を マ ス ト に 掲 げて いれば、「 国 際 信 号 書 = I n t e r n a t i o n a l - C o d e - o f - S i g n a l s 」 に よ り、

本 船 乗 組 員 ・ ( 乗 客 ) の 健 康 に 問 題 な し 、検 疫 に 関 する 通 行 許 可 を 求 む

の意味 であるが、現在 では 無 線 通 話 により 代 行 する 場合 が 多 い。マ ス ト の 「 日 の 丸 」 は、「 行 先 旗 」 で あ り、最初 に 入港 する 目 的 国 の 国 旗 を 掲 げ、船 尾 に は 船 籍 国 の 国 旗 を 掲 げる のが 慣 例 である。


[ 3、新 型 コ ロ ナ の 発 生 ]

湖北省

2019 年 の 12 月 頃(?)、 中国 中部 にある 湖 北 省 の 省 都 である 武 漢 にお いて 、新型 の コロナ ウ イルス 正式名称、 「 コ ビ ッ ド 1 9 」 、C O V I D - 1 9 ( C Orona V I rus Disease 2 0 1 9 ) が 発生 した。

W H O の 発 表 ( 4 月 1 6 日、1 3 時 現 在 ) によれば、215ヵ 所 以上 の 国 や 地 域 に 感 染 が 拡 大 して 感 染 者 1, 7 3 9 , 0 0 7 人 死 者 1 0 8 , 4 3 2 人 を 出 す 事 態 となった。

しか し 中 国 の 国 家 衛 生 健 康 委 員 会 の 曽 益新 ( そ ・ え き し ん ) 副主任 によれば、中国では 毎日 の 全 国 感 染 数 データ 発表 時 に、無症状 の 病原体 保有者数 を 公表 して い な いが、その 理由 について、

ウ イ ル ス 検査 で 、たとえ 陽 性 と 判 定 が 出 ても、症状 が な い 者 は 『 病 例 』 ( 病 人 ) で は な い の で  、対 外 発 表 する 必 要 はな い と 説明 し 、 感 染 者 と は 見 な さ な い 方 針 を とっている。

と 述 べた。

これにより ウ イ ル ス 感 染 者 数 を 過 少 報 告 する 事 態 となり、香 港 の 英 字 新 聞 サ ウ ス チ ャ イ ナ ・ モ ー ニ ン グ ポ ス ト 紙 は、中 国 政 府 が 無 症 状 の 感 染 者 4 万 3 千 人 ( 2 月末 時点 で )を 統計 から 除 外 し て い る と 報 じた。

このことは 天 安 門 事 件 の 死 亡 者 数 と 同 様 に 、中 国が 発表 する 数 字 の 信 頼 性 に 大きな 疑 問 が 残 った。その 後 この 方針 について 中 国 政 府 内 部 からも 疑 問 の 声 が 上 がり、李 克強 ( り ・ こ っ き ょ う ) 首相 が 3 月 2 6 日 に 情 報 公 開 を 命 じた。

4 月 1 日 からこの 制度 を 改 める ( つまり 他国と 同様 に 、ウイルス 検査で 陽性 の 者 は 、感 染 者 に 数 える ) ことに したと 中 国 政 府 が 発 表 したが、新型 コ ロ ナ の 制 圧 に 目 途 ( め ど ) が 立ったからであろう。

王冠

コ ロ ナ ウ イ ル ス の 「 C o r o n a 、コ ロ ナ 」 と は 、ラ テ ン 語 で は 「 王 冠 」 の 意味 であり 、ギ リ シ ャ 語 で は 「 コ ロ ネ 」 と 発音 した。ウ イ ル ス の 粒子表面 に 花 弁 状 の 長 い 突 起 ( 約 20 n m 、ナ ノ ミ ク ロ ン ) があり 、コ ロ ナ ( 太陽 の 光 冠 ) に 似 て いることから その 名 が 付 けられた。

ヒ ト に 日常的 に 感染 する コ ロ ナ ウ イ ル ス は 現在 6 種類 あるが、以前 は 4 種類 であった。それらは 1960年代 に 発見 された H C o V - 2 2 9 E 、 H C o V - O C 4 3 、2000 年代に入って発見された H C o V - N L 6 3 、 H C o V - H K U 1 である。

残る 2 種 は 2003 年 に 発見 された サーズ ( S A R S ) と して 知 られる 重症 急性 呼吸器 症候群 コロナ ウイルス ( S A R S - C o V )と、2012 年 に サ ウ ジ ア ラ ビ ア で 初 めて 発見 された マ-ズ ( M E R S ) と して 知 られる 中東 呼吸器 症候群 コロナ ウイルス( M E R S - C o V )である。

そして今回 新型 の コロナ ウ イ ル ス 感染 へと、事態 が 変化 して いった。


( 3-1、医 師 の 警 告 )

中国 ・ 武漢 において 新 型 肺 炎 患 者 が 出 たのは、 昨年 ( 2 0 1 9 年 ) の 1 1 月 と いわれて いるが、 医 師 らが 「 新 型 の 感 染 症 」 に 最初 に 気付 いたのは 、同年 1 2 月 1 2 日 のことであった。そ して 原因不明 の 新 型 肺 炎 の 存在 を いち 早 く警 告 したのは、武漢 中 心 病 院 の 眼 科 医 、李 文亮 ( り ・ ぶ ん り ょ う ) であった。

エスエヌエス

彼は、S N S グループ に 入 って いる 同僚 の 複 数 医 師 に 対 し、サーズ ( 注 : 参 照 ) のような 新 型 肺 炎 の ア ウ ト ブ レ イ ク ( O u t b r e a k 、爆発的 感染 拡大 ) が 起 きて いると 警告 する メッセージを 送信 し、防 護 服 を 着 用 して 感 染 を 防 ぐ よう ア ド バ イ ス し た。

ところが それから 4 日 後 に、中国 公安省 の 職員 が 李 医師 の 元 を 訪 れ、書類 に 署 名 するよう 求 めた。その 書類 とは、李 医師 を

「 社 会 の 秩 序 を 著 し く 乱 ( み だ ) す 、虚 偽 の 発 言 を し た 」

と して 告発 する 内容 であった。

「 我 々 は 厳 粛 に 警 告 す る。頑 ( か た く ) な に 無 礼 な 振 る 舞 い を 続 け た り 、こう した 違 法 行 為 を 続 け る の で あ れ ば 、あなたは 裁 かれることになるだろう。わかったか ? 」

と 記 され、その 下 欄 には 李 医師 の 筆跡 で、

「 は い、わかりま した。 」

と 記 されて いた。

その 後 彼 は 不 運 にも 、職 場 で 新 型 コロナ ウイルス に 感 染 し 、 2 月 7 日 に 死 亡 し た 。すると彼 の 警告 を 初 動 対 応 に 生 かさず、逆 に 「 デ マ を 流 し た 」 と して 李 医師 を 警 告 処 分 に した 中 国 当 局 の 動 きに 、世論 が 一斉 に 反 発 した。

これまで く す ぶって いた 中 国 政 府 に 対 する 批判 が 噴 き 出 したので、政府 は 自ら の 失敗 を 隠 すために 、今度 は 李 医師 を 新 型 ウイルス に 対 して 率 先 ( そ っ せ ん ) して 闘 い 殉 職 したと して 、 「 英 雄 扱 い 」  することに した。


( 3-2、W H O 事 務 局 長 の 忖 度 )

中 国 の 「 一 帯 一 路 」 ( いっ た い い ち ろ ) 政 策 の ワ ナ に はまり 、返 済 不 能 な 巨 額 の 債 務 ( G D P 、国 内 総 生 産 額 の 5 9 パ ー セ ン ト ) を 抱 え 、「 ア フ リ カ の 中 国 」 と い われて いる エ チ オ ピ ア 連 邦 民 主 共 和 国 がある。

その国 出 身 の テ ド ロ ス ・ ア ダ ノ ム は 、 2017 年 から W H O ( 世 界 保 健 機 関 ) の 事 務 局 長 を 務 め て いるが、中 国 政 府 に 忖 度 ( そ ん た く 、相手 の 気持 を 推 察 ) す る こ と に 懸 命 で あった。

2 0 2 0 年 1 月 2 3 日 の W H O 「 緊 急 委 員 会 」 で 緊 急 事 態 宣 言 を 出 すのを、時 期 尚 早 ( じ き し ょ う そ う 、ま だ 早 い ) と したことで、各 国 から 無 能 の 非 難 を 浴 び た。その後 1 月 31 日 になって 、ようや く 緊 急 事 態 宣 言 を 出 すに 至 った。また 李 医師 の 死 に 対 しては ツ イ ッ タ ー で 、

我 々は 李 医 師 の 死 を 深 く 悲 し み、新 型 肺 炎 へ の 取 り 組 みを 称( た た ) える

と 中国政府 に 「 お べ っ か 」 を 使 い、媚 ( こ ) び 「 へ つ ら っ た 」 。ちなみに W H O ( 世 界 保 健 機 関 ) の 専門家 チーム が 2 月 2 4 日 、北京 で 中国 の 専門家 と 共 に 記者会見 し 、中国 国 内 で 3,000 人 以上 の 医 療 従 事 者 が 新 型 コロナ ウ イ ル ス に 感 染 したことを 明 らかに した。

2020 年 3 月 5 日 、中 国 政 府 は、新型 コロナ ウ イ ル ス による 肺炎患者 の 治 療 活 動 などに 当 たった 医 療 関 係 者 ら 5 0 6 人 を 「 先 進 的 人 物 」 と して 表 彰 すると 発 表 した。

その 中 には 、昨年末 に 「 デ マ を 流 し た 」 と して 処分 された 武漢市 の 李 文亮 ( り ・ ぶ ん り ょ う ) 医師 ら 、「 殉 職 」 し た 医 師 ・ 看 護 師 ・ 衛生 当局者 3 4 人 も 含 まれて いた。

W H O ( 世界保健機関 ) の テ ド ロ ス 事務局長 は 3 月 11 日 に 、ジ ュ ネ ー ブ の 本部 で 会見 を 開 き 、

新 型 コ ロ ナ ウ イ ル ス ( C O V I D - 19 ) は 、パ ン デ ミ ッ ク ( P a n d e m i c 、世 界 的 大 流 行 ) と して 特徴 付 けられる。

と 語 ったが、

  1. すでに この 感 染 が 確 認 された 国 と 地 域 は 、3 月 1 3 日 現 在 で 1 2 6 の 多数 と な っ て い る こ と。

  2. 感染者 の 数 は 、前 の 日 に 比 べ て 7,4 9 9 人 増 え て 1 3 万 2,7 5 8 人 、死 者 の 数 は 、3 4 2 人 増 え て 4,9 5 5 人 となって いること。

エチオピア

こ の 状 況 を 見 れ ば 、3 月 25 日現在 各 国 から 5 0 万 人 以 上 の 辞 任 要 求 署 名 が 出 て い る 無 能 で 、 「 中 国 の 犬 」 と の 悪 評 高 い テ ド ロ ス W H O 事 務 局 長 の、あまりにも 遅 過 ぎ た 判 断 であった。

トランプ、W H O への拠 出 金 停 止(4月14日発表)


ちなみに パ ン デ ミ ッ ク の 語 源 は、ギ リ シ ア 語 であり、ラ テ ン 文 字 表 記 にすると 「 p a n d e m i a 、 パ ン デ ミ ア 」 であり、「 p a n = 全 て 」 + 「 d e m o s = 人 々 」 を 意味 する 言葉 であった。


( 3-3、 感 染 し た 場 合 の 症 状 )

上記 の 専門家 チ ー ム が まとめた、新 型 コロナ ウイルス に 感 染 し た 患 者 の 症 状 分 類 によれば、

  1. 発 熱 が 全 体 の 87.9 %

  2. 咳 ( せ き ) が、67.7 %

  3. け ん 怠 感 ( 体 の ダ ル さ ) 38.1%

  4. 痰 ( た ん ) が、33.4 %

  5. 息 切 れ が、18.6 %

  6. のど の 痛 み が、13.9 %

  7. 頭 痛 が、13.6 %


  • 感 染 から 発 症 までの 期 間 は、 5 日 ~ 1 0 日 、長 くても 2 週 間 である。

  • 感染者 のおよそ 8 0 % は 症 状 が 比 較 的 軽 く 、肺 炎 の 症 状 が 見 られな い 場 合 も あった。

  • 感染すると 他 の 症 状 が 出 な くても 、嗅 覚 ・ 味 覚 に異常 を 感 じる 場合 がある。


( 3-4、 サ ー ズ 、重 症 急 性 呼 吸 器 症 候 群 )

サ ー ズ、S A R S ( Severe Acute Respiratory Syndrome ) と は、2002 年 11 月16 日 に、中国 広東省 仏山市 で 最初 の 患者が発生 したと 報告 されて いる。その後 、香港 ・ 北京 などから 感 染 した 人 の 移動 によって、世界中 へ 感染 が 拡大 して、大問題 となったが、原因 は 野 生 動 物 からの 感 染 であった。

最終的 に 8,0 9 8 人 が サーズ に 感 染 し 、 7 7 4 人 が 死亡 したと 報告 されて いる。つまり 「 サ ー ズ 」 とは、2003 年 に 世界的 パ ン デ ミ ッ ク [ Pandemic、疾病( し っ ぺ い ) の 爆発的 感染 拡大 ] を引き 起 こ した ウ イ ル ス である。

これに 対 して 中国政府 発表 によれば、2020 年 3 月 3 1 日 現在 の新型 コロナ ウイルス の 感染者 は 中国国内 で  8 1, 4 7 0 人 、死者 3, 3 0 4 人 であり、今回の 感染規模 の 大きさが 分 かる。


[ 4、野 生 動 物 と サ ー ズ ウ イ ル ス ]

2003 年 当時 、中国南部 の 野生動物 から S A R S コロナ ウイルス に 関連 した ウ イ ル ス が 、分 離 された という 報告 があった。中国 の 香港 と 深 川 の 研究 チーム は 、中国 南部 で 食用 の 野 生 動 物 を 売 っている 市 場 で 入手 した、野 生 動 物 に 関 する 共 同 研 究 の 成果 を 発 表 した。

検出

この 研究 では、検 査 したうちの 2 種 の 動 物 、すなわち ハ ク ビ シ ン ( 日本名 白 鼻 芯 、中国名 果 子 狸 ) と 「 タ ヌ キ 」 から、S A R S コロナ ウ イ ル ス に 遺 伝 的 に 近 い 幾 つかの コロナ ウイルス を 検出 した。写真は ハ ク ビ シ ン 。

また、別 の 種 ( 中国 イタチ アナグマ ) が、 S A R S コロナ ウイルス に 対 する 抗体 を 持って いる 事 も 発見 した。

中国 では 伝統的 に これら の 野生動物 を 珍 味 と して 食 べる 習 慣 があり、中国 南部 の 市 場 で も 食 用 と して 売 られて いる。実験 に 用 いられた 6 匹 の ハ ク ビ シ ン す べ て が 、S A R S コロナ ウイルス を 持って いた。

穴熊

写真 は 中国 長 江 ( 揚 子 江 、よ う す こ う ) の 下流 に 位 置 する 安 徽 省 ( あ ん き し ょ う ) の 市 場 である。 昔 から 中 国 人 は 、 「 四 本 足 」 の 「 も の 」 は 皆 食 べ る 。食 べ な い のは 「 机 と 椅 子 だ け 」 。「 二 本 足 」 で 食 べ な い のは 「 両 親 だ け 」 ( 食 人 習 慣 で 後 述 ) と 言 われて い た。


[ 5、野 生 動 物 を 食 べ る 習 慣 ]

こうもり

写真 は 新型 コ ロ ナ 発生源 と いわれている 武 漢 市 の 「 華 南 海 鮮 卸 売 市 場 」 で 、売 られている 商 品 の 「 広 告 看 板 」 である。日本語 の 読 み 方 によれば、「 だ い ぎ ん ・ ち く ぼ く・ や み 」 とでも 読 み 、「 だ い ぎ ん 」 とは 大衆 向 け の 意味 である。

つまり 看 板 の 意 味 は 、大衆 向 けに 畜 産 された 動 物 および 野 味 ( や み 、 野 生 鳥 獣 の 食 肉 ・ 獣 肉 ) の 意味 であろう。看 板 の 大文字 の 左右 に 描 かれている 動物 の 絵 は 、右 側 が 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 で、 左 側 は 「 ダ チ ョ ウ 」 である。内 側 には 売 られている 動 物 や、その 肉 の 値 段 が 記 されて いる。


( 5-1、マ ー ズ 新 型 ウ イ ル ス )

ラクダひとこぶ

2012 年 9 月 に 中 東 の サ ウ ジ ア ラ ビ ア で 、 M E R S ( マ ー ズ 新型 コ ロ ナ ウ イ ル ス 、 Middle East Respiratory Syndrome Corona Virus 、 中 東 呼 吸 器 症 候 群 の 病 原 体 = M E R S - C o V ) が 発見 された。

初期 の 感染地域 は サ ウ ジ ア ラ ビ ア のある アラ ビ ア 半 島 と 、ヨーロッパ の 英 国 ・ フ ラ ン ス ・ ド イ ツ ・ イ タ リ ア ・ および 地中海 に面 した ア フ リ カ 大陸 の チ ュ ニ ジ ア であった。

その 後 の 研 究 結 果 から M E R S ( マーズ ) 新型 コ ロ ナ ウ イ ル ス は 、すべての 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 に 寄 生 し 蔓 延 ( ま ん え ん ) して いると いう わ けではな く、ア ラ ビ ア 半 島 や 紅 海 を 挟 んだ 対 岸 の ア フ リ カ 諸 国 ・ ナ イ ジ ェ リ ア 等 の 中 央 ア フ リ カ では 非常 に 高 い 抗体 保有率 を 示 した 。

一方 で 、チ ュ ニ ジ ア では 3 0 ~ 5 0 パ ー セ ン ト 、カ ナ リ ア 諸 島 ( ア フ リ カ 大 陸 の 北西沿岸 に 近 い 大西洋上にある、スペイン 領 の 群島 ) では 1 3 ~ 1 4 パ ー セ ン ト であることが判明 した。

さらに 、ス ー ダ ン や ソ マ リ ア などの 東 ア フ リ カ では 、1983 年 にまで 遡 ( さ か の ぼ )って、 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 が M E R S - C o V に 陽性 であったことが 、明 らかとなった。

つまり、中 近 東 ・ 中 央 ア フ リ カ ・ 東 ア フ リ カ などの 地域 では、野生動物 の 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 や 「 コ ウ モ リ 」 が 「 自 然 宿 主 」 ( し ぜ ん し ゅ く し ゅ ) と して 寄 生 体 ( き せ い た い 、の マーズ コ ロ ナ ウ イ ル ス ) を 体 内 に 保 っ た ま ま 共 生 して いる のであった。

宿 主 ( しゅ く しゅ ) である 「 ひ とこ ぶ ラクダ 」 の 飼 育 下 で の 寿 命 は、 2 5 年 ~ 3 0 年 程 度 と いわれて いるが、中 には 5 0 歳 に 達 するものもある。

このことから マーズ コ ロ ナ ウ イ ル ス ( M E R S - C o V )は 、 3 0 年 以上 も 前 から 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 と 共生 して 存 在 し て い た ことが 明 らかとなった。


( 5-2、マ ー ズ の 感 染 拡 大 )

その後 マーズ コ ロ ナ ウ イ ル ス の 感 染 が 拡 大 し、2012 年 から 2020 年 1 月 31 日 までの 間 に 、医療 研究機関 により マーズ ウ イ ル ス ( M E R S - C o V ) であると 確認 され 、W H O に 報告 された 感染者数 は 世界中 で 2 , 5 1 9 人 ・ 死者 は 8 6 6 人 ・ 死 亡 率 3 4 パ ー セ ン ト という 高 率 であった。

マーズ コ ロ ナ ウ イ ル ス の 「 自 然 宿 主 」 を 見 つけるために、様々 な 動物 について 調査 が 行 われた。サ ウ ジ ア ラ ビ ア で 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 3 1 0 頭 ・ ヒ ツ ジ 100 頭 ・ ヤ ギ 4 5 頭 ・ ウ シ 5 0 頭 ・ ニ ワ ト リ 2 4 0 羽 に つ いて 、抗体保有状況 の 検査 を 行った 結果 、「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 だけが 2 8 0 頭 、( 9 0 パ ー セ ン ト ) と いう 非常 に 高 い 陽 性 反 応 率 を 示 した。

ラ ク ダ との 接 触 や、ラ ク ダ の 未 加 熱 肉 や 未 殺 菌 乳 ( ラクダ は 水 分 を 補給 すれば、1 日 当たり 6 リ ッ ト ル の 乳 を 出 す ) の 摂 取 が 感 染 リ ス ク を 高 めることになる。 日本国内では、ほとんどが 動 物 園 内 で ラ ク ダ が 飼育 されてお り、一部、鳥取砂丘 で 乗用 の ラ ク ダ が 飼 育 されて いた。

国 内 では 2 4 頭 前後 の 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 が 飼育 されているが、うち 2 0 頭 につ いて マ ー ズ ウ イ ル ス ( M E R S - C o V )の 寄 生 状 況 について 調査 を 行 った。

その 結果 、R T - P C R による ウ イ ル ス 検査 、中和試験 いずれもすべ て 陰性 であり 、国 内 に 飼 育 されている 「 ひ と こ ぶ ラ ク ダ 」 につ いて、M E R S - C o V ( マーズ ウ イ ル ス ) 寄 生 の 事 実 は 認 められなかった。

中国 武漢 における 新 型 ウ イ ル ス の 発生源 は、 その 市 場 で 売 られて いた 野生動物 ( コ ウ モ リ ) が 発生源 と する 説 が 当初 から 推測 されて いた。そ して 当初 患者 は、前述した 「 李 医師 」 が 勤務 して いた 病院 に 収容 されて いたと いう。

古 過 ぎて 役 に 立 たな い (?) かも 知 れないが、私 の 生 まれた 年 ( 昭和 8 年 = 1933 年 ) に ロ ン ド ン で 出版 された、The History of Malaria in the Roman Campagna from Ancient Times という 研究書 によれば、人類 が 動 物 から 感 染 する 病 気 ( 寄生虫 を 含 む ) の 数( 重 複 を 含 む ) は、以下 の 通 りである。


動 物 等 の 種 類病 気 の 数
家 禽(かきん)類2 6
ネズミ 類3 2
3 5
4 2
羊 と 山 羊4 6
5 0
6 5

    注 : 家 禽  ( か き ん ) とは 、家畜 と して 飼 育 される 鳥 、ニ ワ ト リ ・ ア ヒ ル などのこと。


新型 コ ロ ナ ウ イ ル ス の 有 力 な 感染源 とされる (?) コ ウ モ リ は 、中国 では 古来 から 由 緒 ( ゆ い し ょ ) ある 高 級 食 材 であり、「 コ ウ モ リ 料 理 」 は 明 代 ( み ん だ い 、1368 年 ~ 1644 年 ) の 薬 学 書 、 『 本 草 綱 目 』 ( ほ ん ぞ う こ う も く ) に 記 載 されている 高 級 食 材 である。

味 は 鳩 や 鴨 に 似 て い るが、咳 止 めや 胃 から 奥 舌 までの 熱 を 下 げる 効 果 があるとされ、「 発 熱 した 子供 にも 食 べ させる 」 。( 中国人 ジャーナリスト 談 )

「 鹿 の 胎 児 」 ( 100 元 = 1,700 円 ) も 人気 の 健 康 食 材 である。 鹿 の 胎 児 や 鹿の角 は 滋 養 強 壮 の 効 果 が 知 られ、鹿 の 骨 を 出 汁 ( だ し ) に した スープ に 鹿 肉 を 入 れる 「 鹿 づ く し 」 の 料理 が 一般的 である。

また、 「 ウ サ ギ の 頭 部 」 の 柔 らか い 肉 を 麻 辣 ( マーラー ) や 五 香 粉 ( ご こ う ふ ん、混 合 香 辛 料 ) で 味 付 けすると 最高 の 味 になる。 「 豚 の 脳 み そ 」 は フ ワ フ ワ した 触感 で 芳 醇 ( ほ う じ ゅ ん 、酒 の 香 りが 高 く 味 がよ い ) な 味 わ いがあり、生 臭 ( なま ぐ さ ) さ が まった く な い 」。( 前出 ・ 中国人 ジャーナリスト 談 )


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