病 気 の 歴 史 ( 続 き )


( 5-3、究 極 の 珍 味 )

中国 で 「 究 極 の 珍 味 」 と 称 され るのが 、 ネ ズ ミ の 赤 ん 坊 の 躍 ( お ど ) り 食 い である。

ネズミの子

 「 生 まれたばかりで 親 指 ほどの大きさもな い ネ ズ ミ の 赤 ん 坊 を 、「 しょう 油 」 や 「 黒 酢 」 など 好 み の タ レ につけて、生 きたまま 「 お ど り 食 い 」 をする。写真 は 、手 の 平 に 乗 せた 四 匹 の ネ ズ ミ の 子。

生 まれたての 「 ネ ズ ミ の 赤 ん 坊 」 を 箸 で 挟 ( は さ ) む と、 「 チ ュ ー 」 と 鳴 き 、 調 味 料 を 付 ける と 、また 「 チ ュ ー 」 と 鳴 く 。 さらに 口 に 入 れて 噛 む と 、 「 チ ュ ー 」 と 鳴 いて 息 絶 え る。

つまり 食 べるまでに ネ ズ ミ の 子 が 3 回 鳴 く ことから 、この 料理 は 『 三 度 鳴 き 』 と 呼 ばれて いる。味 は 淡白 で 、臭 ( く さ ) み もな い 」 そうである 。

不衛生

 食文化 は 国 によって 違 って 当 然 だが、不 衛 生 な 市 場 の 地 面 に 並 べられた 野 生 動 物 は、ウ イ ル ス を 媒 介 する 危 険 性 がある。 「 新 型 コロナ ウイルス を 持 つ コ ウ モ リ ( 写 真 ) を 食 べ た 人 や 、コ ウ モ リ を 捕 獲 し た ヘ ビ を 市 場 で 購 入 し 、食 べ た 人 が 感 染 した と いう 説 も ある。

また、市 場 で コ ウ モ リ などを 解体 処理 した 際 に 、飛 び 散 った 血 や 排 泄 物 が 人間 の 手 などに 付 着 し 人 体 に 入 ったとも いわれて いる 」、( 前出 ・ 中国人 ジャーナリスト )


[ 6 : 人 間 も 食 べ る 対 象 、食 人 の 習 慣  ]

評論家 小室 直樹 ( こむろ なおき、1932 年 ~ 2010 年 ) によれば、中 国 では 古 代 から 近 世 にかけて 、 「 食 人 の 習 慣 」 が 非常 に 盛 んであった。

こ の 「 食 人 科 挙 ( か き ょ ) ・ 纏 足 ( て ん そ く ) 」 の 三 つ は、中国で 始 まり、長年 中 国 の 支 配 下 にあった 朝鮮 半島 に 伝 わったが、 日本人 はそれらを 全 く 受 け 入 れなかったと して いる。

中 国 の 食 人 が 他 文 化 の 食 人 と 比 べ 特 徴 的 なのは 、精神異常の 行為 ・ 宗教的 行為 ・ 緊 急 避 難 的 行 為 などではな く、 日 常 的 な 食 文 化 と して 根 付 いて いたことであると した。

春 秋 時 代 の 思 想 家 ・ 哲 学 者 ・ 儒 教 の 始 祖 であり、聖 人 君 子 だった はず の 孔 子 ( こ う し、紀元 前 5 5 1 年 ~ 紀元 前 4 7 9 年 ) が 、 人 肉 の 「 ひ し お ( な め み そ の 一 種 ) 漬 け 」 を 好 んで 食 べ た と いう 例 や 、名 君 と いわれた 斉 ( せ い ) の 桓 公 ( か ん こ う、第 16 代 君主 、在位 紀元 前 685年 ~ 紀元前 643 年 ) が 、

自 分 は いろ い ろ な も の を 食 べ て き た が、まだ 人 間 の 赤 ん 坊 を 食 べ た こ と が な い

と 言ったのを 聞 き つけた 料理人 の 易 牙 ( え き が ) が 、自分 の 子 を 殺 し 調 理 して 桓 公 に 提 供 し 満 足 させた 例 など、 膨 大 な 文 献 が 中 国 における 日 常 的 な 食 人 行 為  を 伝 えて い る。

桓 公 と 易 牙 の 件 を 含 め 、中国 の 道 徳 規 範 に なりつつあった 儒 教 [ じ ゅ きょう、 孔子 を 始 祖 と し、孟 子 ( も う し ) ・ 荀 子 ( じ ゅ ん し ) も、 道 家 [ ど う か 、老 子 ・ 荘 子 を 代表 とする、諸 子 百 家 ( しょ し ひゃっ か ) の 一 つ ] も 、これらの 「 食 人 行 為 」 、言 わ ば 人間 同士 の 共 喰 い を まった く 非 難 して こ な か っ た

そのため 中国 社会 では 、食 人 が 道 徳 違 反 に 当 た ら な い 事 を 示 す と して い る。

前漢 の 武帝 の 時代 に 、周代 から 続 く 歴史家 の 家 に 生まれた 司馬 遷 ( しば せん、紀元前 145年 ~ 紀元 前 86 年頃 ) によって 編 纂 された 中国 の 正史 第 一 位 ・ 最大の 歴 史 書 である 『 史 記 』 がある。

そこにも、飢 饉 や 戦 争 により 食 料 がな くなると、自分 の 子 を 食 う に 忍 び 難 く、他人 の 子 供 と 交 換 した のち 、 絞 め 殺 し て 食 べ た と いう 記 述 が 残 って いる。

唐 代 ( 618 年 ~ 907 年 ) 以降 は 「 人 肉 食 」 へ の ハ ー ド ル が 下 がったという 説 もある。中国 北宋時代 の 儒学者 ・ 歴史家 ・ 政治家 の 司馬 光 ( しば・ こう ) が、1 0 6 5 年 に 第 5 代 皇帝 の 英 宗 ( え い そ う 、1 0 3 2 ~ 1 0 6 7 年 ) の 詔 ( みことのり ) により 編 纂 した、編年体の 歴史書  『 資 治 通 鑑 』 ( し じ つ が ん ) によれば、

人 肉 の 市 場 価 格 が 2 0 年 で 数 十 分 の 一 に 暴 落 し た 。

という 記 録 がある。

隋( ず い ) や 唐 の 文化 に 憧 れ 、遣 隋 使 ・ 遣 唐 使 を 派 遣 した 奈 良 時代 ( 710 年 ~ 7 9 4 年 ) ・ 平安 時代 ( 7 9 4 年 ~ 1 1 9 2 年 ) の 人 々 が、も し この 話 を 聞いたならば 、どんな 気持 に なったか 想像 するだけで 哀 れになる。

食人の話 は 古 い 時代の 話 だけではない。中国 の  大 躍 進 政 策  ( だ いや く しんせ いさ く 、1958年 ~ 1961年 ) や 文 化 大 革 命 ( 1966年 ~ 1976年)の 際 には 何 千 万 人 もの 人々 が 餓 死 したり、虐 殺 されたが、その 際 に 反 革 命 分 子 を 食 べる 「 人 肉 宴 席 」 ( じ ん に く え ん せ き ) が 行 われたと 主張 する 中国人 ジャーナリストも いた。

それは 憎 悪 ( ぞ う お 、憎 み 嫌 う ) の 表 現 と して、粛 清 の 対象 となった 「 反 革 命 分 子 」 ( 犠 牲 者 ) の 心 臓 や 肝 臓 、性 器 が 切 り 取 ら れ 、料 理 され、食 べられる 事 件 が 各地 で 起 きた。

2 0 1 3 年 に 習近平 が 総書記 に 就任 し 第 7 代 国家主席になると、天 安 門 事 件 そ の も の を 「 存 在 し な か っ た こ と に す る た め 」 、国民 の 目から 覆 い 隠 すことに 懸 命 になった。

そ して 現 代 の 中 国 では 、「 天 安 門 事 件 」 という 言 葉 自 体 が 禁 句 となり、中 国 国 内 の イ ン タ ー ネ ッ ト 検 索 最 大 手 の 「 百 度 ( バ イ ド ゥ ) 」 では 、 6 月 4 日( 事 件 当 日 ) と 共 に 検 索 不 能 、となって いる。

中国で 利用 が 規 制 されているのは 、検索 大手 の 「 G o o g l e 」 だけではな い。Y o u - T u b e 、 L I N E 、 F a c e b o o k 、 W i k i p e d i a 、 イ ン ス タ グ ラ ム 、 ツ イ ッ タ ー 等 日本人の 生活に 密接 したこれらの ネ ッ ト サ ー ビ ス は 、全 て 利用 で き な い 。

つまり 中国 共産党 政権下 では 、言 論 ・ 思 想 ( そ し て 集 会 ) の 自由 な ど は 、元 々 存 在 し な い ことを 痛 感 させられた。


[ 7: 日 本 の 第 2 代 天 皇 の 場 合  ]

ところが 日本 にお いても、 食 人 を 好 む 天 皇 が いたことが 書物 に 残 されて いる。南 北 朝 時 代 ( 1 3 3 6 年 ~ 1 3 9 2 年 ) の 編 集 とされ 、中 世 の説 話 を 集 めた 『 神 道 集 』 ( し ん と う し ゅ う ) によれば、

第 2 代 天皇 である 綏 靖 ( す い ぜ い ) 天 皇 に は 食 人 の 趣 味 があり、 朝 夕 に 7 人 も の 人 々 を 食 べ て 周 囲 を 恐 怖 に 陥 ( お と し い ) れた。

そのため、人 々 は 「 近 く 火 の 雨 が 降 る 」 と の 虚 言 を 弄 ( ろ う ) し 、天皇 を 岩 屋 に 幽 閉 して 難 を 逃 れたと いう


( 7-1、欠 史 八 代 )

日本の 古代史 には、 欠 史 八 代 ( け っ し は ち だ い ) と言う言葉 がある。『 古 事 記 』 ・ 『 日 本 書 紀 』 には 天皇の 系 譜 ( 帝 紀 ) は 存 在 するが、その 事 績 ( じ せ き 、旧 辞、朝廷 に 伝 わる 神 話 ・ 伝 承 を 集 めたもの ) が 記 されて いな い 天皇が 存 在する。

それらは 第 2 代 綏 靖 ( す い ぜ い ) 天 皇 か ら 、第 9 代 開化 ( か い か ) 天 皇 ま で の 8 人 の 天 皇 のことであり、ある いはその 時代 を 指 す 言葉 である。

現 代 の 歴 史 学 では これらの 天 皇 は 実 在 せ ず 、後 世 になって 創 作 された 存 在 と 考 える 見 解 が 有 力 であるが、実 在 説 も 根 強 い 。


[ 8 : ペ ス ト の 歴 史 ]

ペ ス ト ( 黒 死 病 ) の 歴史 は 古 く 、記録 に 残 るものでも 紀元 前 四百年 以上 昔 まで 遡 ( さ か の ぼ ) ることができる。ギ リ シ ャ の ア テ ネ では 、紀元 前 429 年 に 市民 の 約 6 分 の 1 が ペ ス ト の 流行 に より 死亡 した。


跳ねるノミ

病気の 原因 は ペ ス ト に 感 染 した 動 物 ( 一般 には ネ ズ ミ ) に 寄 生 する 「 ノ ミ 」 が 「 感 染 した ネ ズ ミ 」 の 血を 吸 う。すると 「 ノ ミ 」 は ペ ス ト 菌 の 保 菌 主 ( 保 菌 ノ ミ ) となる。

「 感 染 し た ネ ズ ミ 」 が 移動 する間 に 別 の 動物 に 「 保 菌 ノ ミ 」 を 移 したりするが 、宿 主 の 「 感 染 した ネ ズ ミ 」 が 死 ぬ と、 宿 主 を 失った 「 保 菌 ノ ミ 」 は 、近 く の 動 物 ( 人 間 ) に 向けて 「 ば ら 撒 かれた 」 状 態 になる。

保菌 蚤 ( ノ ミ ) の 刺 し 傷 や 傷口 、患者 との 接 触 ・ 飛 沫 感 染 により 、ペ ス ト 菌 が 人 体 に 侵 入 し、 ペ ス ト に 感 染 する。


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下着

ところで 不潔 な 肌着 に たかる 「 コ ロ モ ジ ラ ミ 」 ( 衣 虱 、写 真 )も 、「 発 し ん チ フ ス 」 ( リ ケ ッ チ ア 症 ) を 媒 介 する 保 菌 主 になり 得 るが、第 二 次 大 戦 末 期 、米 軍 機 による 空 襲 の 被 害 を 避 けるため、昭和 1 9 年 ( 1 9 4 4 年 ) 当時 小 学 5 年生 だった 私 は、級 友 と 共 に 東 京 から 長野県 の 山奥 の 寺 に 学 童 集 団 疎 開 を した。

その 当時 の 「 シ ラ ミ や 、ノ ミ の 体 験 」 が、 こ こ に 記 し て あ る 。な お 「 シ ラ ミ 」 の 体 が 赤 いのは、人 から 吸 った 血 液 である。


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ペ ス ト ( 黒 死 病 ) の ことを ド イ ツ 語 では 「 P e s t 」 と 言 うが、ラ テ ン 語 の 「 打 撃 」 の 意 味 から 、英 語 では 「 プ レ イ グ 、P l a g u e 」 と いう。

この 病気 は 腸内 細 菌 科 に 属 する ペ ス ト 菌 の 「 エ ル シ ニ ア ・ ペ ス テ ィ ス 」 、 ( Y e r s i n i a - P e s t i s ) に より 起 こる 病 気 で 、感 染 経 路 や 臨 床 症 状 によって 以下 の 三 種 類 に 分 けられる。

  • 腺 ペ ス ト : は 患者 の 8 0.9 % を 占 める。感 染 源 は 7 8 % が、 「 ペ ス ト 菌 保有 蚤( ノ ミ )」 に 刺 されて 感 染 し、2 0 % が ペ ス ト 感 染 動 物 ( 例えば ネ ズ ミ や ペ ス ト 患 者 ) を 感 染 源 とする 傷 口や 粘 膜 への 直 接 感 染 もある。

  • 敗 血 症 型 ペ ス ト : は患者 の約 1 0 % を 占 める。 感 染 源 は 、7 8 % が 「 ペ ス ト 菌 保有 蚤 ( ノ ミ )」 を 介 し て感染 し 、2 0 % が ペ ス ト 感 染 動 物 ( 例えば ネ ズ ミ や ペ ス ト 患 者 ) を 感 染 源 とする 傷 口 や 粘 膜 への 直 接 感 染 もある。

  • 黑死病感染 すると 皮 膚 のあちこちに 出血 斑、手足 の 壊 死、紫 斑 等が 現 れ、通 例 発病 後 2~3 日 以内 に 「 黑 死 病 」 の 名の とおり 全 身 が 黒 色 と な り 1 週間 以内 に 死亡 する。

  • 肺 ペ ス ト : は最も 危険 な タ イ プ である。腺 ペ ス ト 末 期 や、敗 血 症 型 ペ スト の 経過中 に 肺 に ペ ス ト 菌 が 侵 入 して 、肺 炎 を 続 発 する 場合 がある。

    このとき 肺 では 肺 胞 が 壊 れて いて 、患者 は ペ ス ト 菌 を 含 んだ 気 道 分 泌 液 ( 血 痰 な ど ) を 排 出 するように なる。

  • この 患者 が 感 染 源 と なり 、ヒ ト ~ ヒ ト 間 で 飛 沫 ( ひ ま つ ) 感 染 が 起 こる。 経 気 道 感 染 の 場合 の 潜伏期間 は 通例 2 ~ 3 日 であるが、最短 1 2 ~ 1 5 時間 と いう 例 もある。肺 ペ ス ト 発病後 は 通 常 2 4 時 間 以 内 に 死 亡 すると 言 われて いる。

  • 臨 床 症 状 と しては 、強 烈 な 頭 痛 、嘔 吐、40℃ 前後 の 高 熱、急 激 な 呼 吸 困 難、 鮮 紅 色 の 泡 立 った 血 痰 ( けったん ) を 伴 う 重 篤 な 肺 炎 症 状 を 示 す。

  • 腺 ペ ス ト の 症状 は 特 に 体 の 鼠 径 部 ( そ け い ぶ 、股 の 付 け 根 ) ・ 腋 窩 ( え き か、ワ キ の 下 ) ・ 頚 部 ( け い ぶ ) の リ ン パ 節 が化 膿 して 「 ウ ミ 」 が たまり 、「 ク ル ミ 」 大 、も し く は 「 ア ヒ ル 」 の 卵 大 に 腫 れる の が 特 徴 である。

  • 適切な 抗菌薬 による 治療 が行 われなかった 場合 には、 3 0 ~ 6 0 パ ー セ ン ト の 患者が 死 亡 し、「 肺 ペ ス ト 」 の場合 は 更に 高 く なる。

  • 抗 生 物 質 の 発 見 前 には、全世界的な 大流行 が 幾度か 記録 されて いた。


( 8-1 、野 生 動 物 か ら の 感 染 経 路 )

  1. 動物 由来 の 感染症 である ペ ス ト は、もともと 「 ク マ ネ ズ ミ 」 などの 「 齧 歯 類 」 ( げ っ し る い ) に 流行 した 病気 であるので、まず ネ ズ ミ などの間 に 流行 が 見 られるのが 最初 である。

  2. その後、ネ ズ ミ ・ イ ヌ ・ ネ コ へ 蚤 ( ノ ミ ) を介 しで 病気が 伝播 ( で ん ぱ ) し、人 にも 感染 が 拡 大 するという 経緯 をたどることが特に多い。

  3. 齧 歯 類 ( げ っ し る い ) とは、齧 歯 目 ( げ っ し も く ) に 属 する 哺乳類 の 総 称 。門 歯 は 上下 とも 一対 で 、終 生 伸 び 続 け、大工道具の 「 ノ ミ 」 状 に 鋭 く 尖 ( と が ) り、物 を か じ る のに 適 して いる。

  4. 森林 ・ 草原 ・ 砂漠 ・ 川 ・ 沼 などに 住 み 、植物質 を 食 べる。哺 乳 類 中 最 も 種 類 が 多 く、リ ス 亜 目 ・ ヤ マ ア ラ シ 亜 目 ・ ネ ズ ミ 亜 目 の 三 つに 大別 される。

    具体的 には リ ス ・ ネ ズ ミ ・ ヤ マ ア ラ シ ・ ビ ー バ ー ・ チ ン チ ラ などで、全世界 に 分 布 して いる。

  5. ペ ス ト は 現在、危険な ペ ス ト 菌 常在 地域 ( ア フ リ カ、特 に、南 東 部 の 密 林 地 帯 ・ 中国 の 雲 南 地 方 ・ 蒙 古 地 方 ・ ヒ マ ラ ヤ 山脈 周辺の ア ジ ア 地域 ・ 北 米 南 西 部 ロ ッ キー 山脈 周辺 ・ 南米 北西部 ア ン デ ス 山脈 周辺等 ) の 齧 歯 類 、特 に ネ ズ ミ 科 や リ ス 科 の 動 物 間 で 、ノ ミ を 介 して常に 流行 を 繰 り返 して いる。

  6. ペ ス ト は 天 然 痘 のような 過去 の 病気 ではな く、近年 でも ア フ リ カ ・ 南 米 ・ ア ジ ア ・ 北 米 で ペ ス ト の 感染 が 続 いて お り、2 0 0 4 年 ~ 2 0 1 5 年 で は 世界で 5 6 , 7 3 4 人 が 感染 し 、死 亡 者 数 は 4 , 6 5 1 人 ( 死亡率 8 . 2 % ) であった。


( 8-2 、ロ ー マ 帝 国 の 疫 病 )

イ タ リ ア の ロ ー マ では 西 暦 165年 から 180 年 に かけて ペ ス ト が 流行 し、感 染 した 人 の 25 ~ 33 % が 死亡 し、 3 5 0 万 ~ 7 0 0 万 人 の 人々 が 死亡 した。 

当時 は 第 16 代 ロ ー マ 皇 帝 、「 マルクス ・ ア ウ レ リ ウ ス ・ ア ン ト ニ ヌ ス 、M a r c u s - A u r e l i u s - A n t o n i n u s、( 在位:161 年 ~ 180 年 ) 」 の 治 世 だったため、人 々 は 彼 の 名 前 から、ア ン ト ニ ヌ ス の ペ ス ト 」 とも 呼んだ。


( 8-3、東 ロ ー マ 帝 国 、欧州 で の 流 行 )

かつて 東 ロ ー マ 帝国 の 首都 であった コ ン ス タ ン チ ノ ー プ ル ( C o n s t a n t i n o p l e 、 現 ・ ト ル コ 領 イ ス タ ン ブ ー ル 、I s t a n b u l ) は、5 4 1 ~ 5 4 2 年 ( 別 の 説 では、5 4 2 ~ 5 4 3 年 ) に ペ ス ト が 流行 し、全 人 口 の 4 0 パーセント が 死亡 した。

市内では毎日1万人が死んだといわれて いるが、当時 の 皇帝 ユ ス テ ィ ニ ア ヌ ス( 在位 5 2 7 年 ~ 5 6 5 年 ) の 名前 から、 「 ユ ス テ ィ ニ ア ヌ ス の ペ ス ト ・ 斑 点 」 と 呼 んだ。

古来から複数回の 世界的 大流行 が 記録 されており、14 世紀 に起きた 大流行 では、当時の 世 界 人 口 4 億 5 千 万 人 の 2 2 パ ー セ ン ト に 当たる 1 億 人 が 死 亡 した 、と 推計 されて いる。

ヨ ー ロ ッ パ では 、1 3 4 8 年 から 1 4 2 0 年 にかけて ペ ス ト が 猛威 をふるって 断続的に 流行 したが、その際に 放置 すると 肺炎 などの 合併症 により、ほぼ 全員 が 死亡 した。

たとえ 治療 を 試 みたと しても 、当時の 未熟 な 医療技術 では 十分な 効果は 得られず、死 亡 率 は 3 0 ~ 6 0 パ ー セ ン ト に 達 した。イ ン グ ラ ン ド や イ タ リ ア では、人口 の 八 割 が 死 亡 し、全滅 した 町 や 村 もあった。

流行 は ア ジ ア、北 ア フ リ カ、中 東、にも 広 がり、当時の 人口 の 半分 に 当たる 三 千 万 人 ~ 五 千 万 人 ( またはそれ以上 ) が 死亡 したと言われて いる。

ペ ス ト によってもたらされた 人口 減 少は、それまでの 社会構造 の 変化 を 強 いられる大きな 打 撃 を 与えた。


[ 9 、 ペ ス ト 菌 の 発 見 者 ]

1 8 世紀を最後 に 一 旦 は ペ ス ト の 流行 が 収 束 して いたが、100 年以上の 空白期間 を 経 た 1 8 9 4 年 ( 明 治 2 7 年 ) に 、中国 南部 で 再び ペ ス ト が 流行 を 開始 した。そ して 野 火 のように 感染が 拡大 して 香港に 到達 し 、大 流 行 することが 予想 された。

香港と 言えば 当時 から 日本 との 貿易 が 盛 んであり、このまま 放置 すれば 神戸港 や 横浜港 から 「ペ ス ト 」 が 上陸 して 来 るのは 間違 いな いと思 われた。そこで 日本政府 は 6 名 から成 る 「 ペ ス ト 調 査 団 」 を 結成 し、北 里 柴 三 郎 ( き た さ と し ば さ ぶ ろ う ) もそれに加 わり、香港に 派 遣 することに した。一行 は 6 月 5 日 横浜港 から 出発 し、 6 月 1 2 日 に 香港 へ 到着 した。

当時 の香港 はイギリスの 統治下 にあったが、医官を 務 めて いた 医 師、ジ ェー ム ズ ・ ラ ウ ソ ン が 、当時の 様子を 次 のように 日記 に 書 き 残 して いる。

植民地 の 住民 が ペ ス ト の 流 行 に 遭 って パ ニ ッ ク となり 、暴徒化 して い く 様子 は 、荒 れ 狂 う 洪 水 を 見 て いるようである。中国人 の 気持 ちも 理解 できず、ペ ス ト の 扱 い方 も 分 からな い。--- 夜の 闇 に 乗 じて 患 者 は 対岸の 九 龍 半 島 に 逃 げ、病 院 からは 中国人 の 医 科 大 学 生 や 雇 い人 が 集 団 で 逃 亡 を 始 めた。

北里 ら 一行 は 到着 すると 直 ぐに 病 死 した 遺体の 解 剖 に 着手 した。取り出 した 臓 器 を 調 べると、病 気 の 症状 が 「 炭 疽 症 」 ( た ん そ し ょ う ) に 近 いことが 判 明 した。それは 血液中 に 菌 が 入 り 敗 血 症 を 起 こすが、ペ ス ト の 病 原 菌 も 同 じ で は な い の か と、予想 した。

[ 注 : 炭 疽 症 と は ]

炭 疽 菌 ( B a c i l l u s - a n t h r a c i s ) を 病 原 菌 とする 急性 敗 血 症 性 の 動 物 由 来 感 染 症 であり、 ヒ ト 以外 に ウ シ ・ ウ マ ・ ヒ ツ ジ ・ ヤ ギ など 草食獣 にも 感 染 する。

北里 は ペ ス ト 患者の 血液 を 入手 して 顕微鏡 で調 べると、その視野に 特 徴 的 な 形 の 細 菌 が 認 められた。そこで ペ ス ト で 死 んだ ネ ズ ミ を 調 べ る と、血液中に 同 じ 形 の 菌 が 発見 された。それは香港 到着 から 二日目 の 6 月1 4 日 のことであった。

クマネズミ

これにより 有史 以前 から 人類を 苦 しめ、多数の 死者を 出 してきた 疫病の 正体 がようやく解明 され、感染 撲滅への強固な 手掛 かりをつかむことができた。香港では 早速 大規模 な ネ ズ ミ や 「 ノ ミ 」 の 駆除 が 実施 され 、感 染 は収束に 向 かった。

北里 による発見の 成果 は イ ギ リ ス に 送 られ、著名 な 医学 専門誌 の 「 T h e - L a n c e t 」 の 8 月 1 1 日 号 に 掲 載 され 、世界中 の 医学 研究者 に 知 れ 渡 った。彼 はまた、破傷風 ( は し ょ う ふ う ) の 治療法を 開発 するなど 感染症 医学の 発展に 貢献 し 、「 日 本 の 細 菌 学 の 父 」 と して 知 られて いる。


[ 1 0 、 ス ペ イ ン 風 邪 ]

ス ペ イ ン 風邪 とは 、今 から 百年前 の 1 9 1 8 年 ( 大 正 7 年 ) から 1 9 2 0 年 ( 大 正 9 年 ) に か け て 全 世 界 的 に 大 流 行 し 、極 めて 多 く の 死者 を 出 した イ ン フ ル エ ン ザ による パ ン デ ミ ッ ク ( 爆 発 的 流 行 ) の 通 称 である。

名前の 由来 は、第 一次 世界大戦 ( W o r l d - W a r -I 、1914 年 7 月 から、1918 年 1 1 月 まで ) の際 に 、ス ペ イ ン は 中 立 国 であった ため 、情報統制 が 実施 されて い な か っ た 。 そ の た め ス ペ イ ン で の 「 風 邪 の 流 行 」 が 大 き く 報 じ ら れ た ことから 名 付 けられた。

スペイン 風 邪 ( か ぜ ) のことを 英語 では 「 S p a n i s h - F l u 」 、 または 「1918- F l u - P a n d e m i c 」 ( 1918 年 風 邪 の 、パ ン デ ミ ッ ク ) と いう。下記の 動画 を 御覧下 さ い。


( 話 の 後 半 にある 「 株 の 話 」 は 、パ ス すること )、人 生 は 変 え ら れ る


日 本 に お け る 、 ス ペ イ ン 風 邪


( 1 0-1 、スペイ ン 風 邪 の 原 因 菌 を 発 見 し た 日 本 人 た ち )

山 内 保 ( や ま の う ち た も つ、 ) と いう 人物を ご存知 か?。私は 今回 ホ ー ム ・ ペ ー ジ の 随 筆 集 に 「 病 気 の 歴 史 」 を書 く ために 資料 を 調 べるまで、この 人物 につ いて 、全 く 知らなかった。読 売 新 聞 大正 7 年 ( 1918 年 )11月27日号 の 前書 き によれば、

山 内 は 1 9 0 6 年 ( 明治 3 9 年 ) に 東 京 医 科 大 学 ( 東大 医学部 の 前身 )を 卒業 後、独 ( ド イ ツ ) の 諸 大 学 で 研 鑽 ( け ん さ ん ) を 積 む

後 に 仏 国 ( フ ラ ン ス ) の パ ス ツ ー ル 研究所 に 在 りて 動 物 学 の 泰 斗 ( た い と 、その 道 の 大 家 = た い か ) メ チ ニ コ フ 博 士 の高 弟 と して 令 名( れ い め い 、よ い 評 判 ) あり。

昨年 ( 1 9 1 6 年 ) 師 の 逝去 後 「 パ リ 細 菌 研 究 所 長 」 に 挙 ( あ ) げられ ( 推 挙 され ) し が、最 近 父君 危篤 の 報 に 接 し 帰 朝 ( きちょう、帰 国 ) され、尚( なお ) 滞 京 ( た い き ょ う 、東京 に 滞 在 )中 なり---。以下 省略

さらに 読 売 新 聞 の 大正 8 年 ( 1 9 1 9 年 ) 4 月 1 日号 によれば、「 山内博士の 新発見、仏 国 学士院 に 報告 す」 の題名の元で、以下の概要が 記されていた。

旧 臘 ( き ゅ う ろ う 、前年の 12 月を 翌年の 新春 になっての 言 い 方 ) より 去る 3 月末 の 間、医 学 博 士 岩 島 十 三 ・ ド ク ト ル 坂上弘蔵氏 と協力 して 専心 その 研究に 没 頭 し--中略--最近 その研究を完成 し 直ちに 仏 国 ( フランス ) アカ デ ミー ( 学 士 院 ) に報告 した。その結論は、下記の通り。

  1. 流 行 性 感 冒 ( ス ペ イ ン 風 邪 の こ と ) の原因 は、濾 過 性 細 菌 なる ( で あ る ) こと。

    注 : 濾 過 性 微 生 物 と は

    微 生 物 の 最小 サ イ ズ は 一般 に 0.2 マ イ ク ロ メ ー ト ル 前後 とされ 、医 薬 ・ 生 物 学 諸 分 野 ・ 食 品 業 界 にお いて 、孔 径 約 0.2 マ イ ク ロ メ ー ト ル の フ ィ ル タ ー を 用 い た 濾 過 除 菌 が 汎 用 された。

    その 除 菌 用 濾 過 器を 通過 し、本来 無 菌 の はずの 溶 液 に 、流 行 性 感 冒 の 細 菌 ( 当時 は 「 ウ イ ル ス 」 が 未 だ 発見 されず 、ウイルス という名前 もなかった ) が 存 在 すること。

  2. 同 原 因 菌 は、患 者の 喀 痰 ( か く た ん ) 内 に 存在 すること。

  3. 同 原 因 菌 は 、患 者 の 血 液 中 にも 存 在 すること。

  4. 同 病 潜 伏 期 は、二 ~ 三日 なること。

  5. 同 原 因 菌 は 、気 道 粘 膜 を 通 過 感 染 すること。

  6. 免 疫 性 の 存 すること。

  7. プァイフェル 菌 ・ 肺 炎 菌 ・ 連 鎖 菌 等 は、単に ( 患 者 の ) 混 合 感 染 に して、感 冒 の 病 原 菌 に 非 ら ざ る こ と。

さらに、以下 の 記事 も見 つかった。東 京 日 日 新 聞 ( とうきょう に ち に ち し ん ぶ ん 、毎 日 新 聞 の 前 身 ) 大 正 9 年 ( 1 9 2 0 年 ) 3 月 2 5 日 号 によれば、

細菌学 の 権 威 者 ・ 医学博士 山内保氏 は 、一昨年来 流 行 感 冒 につ いて 研究 して いたが、この 程 其 の 研究 の 結果を 英 国 の 医学専門誌 の ラ ン セ ッ ト 誌 に 発表 し た。

同氏は 流 行 感 冒 の 実 験を 他 の 動 物 ( 犬 な ど ) ではな く、人 間 つまり、看 護 婦 や 門 弟 ・ 友 人 ら 百 余 人 を 試験 材料 に 使 って、二 ヵ 年 間 研究 を 続 けた。

その 結論 は 流感菌 の 喀 痰 ( か く た ん ) を 鼻 腔 ・ 咽 頭 の 粘 膜 に 付着 すれば 、二 ~ 三日 中 に 発熱 し て 流 感 ( 流 行 感 冒 = スペイン 風 邪 ) となり--後略。

ここで 英国 の 医 学 専門誌 ラ ン セ ッ ト ( T h e - L a n c e t ) へ の 論 文 の 著 者 が、山 内 保 ・ 坂 上 弘 蔵 ・ 岩 島 十 三 の 三 名 だったことが 判 明 した。


( 1 0-2 、ウ イ ル ス を 見 る 電 子 顕 微 鏡 の 開 発 )

後 になって 病 原 菌 は 、イ ン フ ル エ ン ザ ・ ウ イ ル ス ( i n f l u e n z a - v i r u s ・ f l u - v i r u s ) ス ペ イ ン 風 邪 ウ イ ル ス と 呼 ばれるものと判明 しだが、当時 の 顕 微 鏡 ( 光 学 顕 微 鏡)では、観察 する対象 に 可 視 光 線 を当 てて 拡 大 するため 「 分 解 能 」 が 低 く 、細 菌 より 小 さ い 「 ウ イ ル ス 」 は、到 底 視 認 できず、存在 すら 未知 であった。

ちなみに、光の 代わりに 電 子 ( 電 子 線 ) を当 てて 拡大 する 「 電 子 顕 微 鏡 」 を 開発 したのは、ベ ル リ ン 工 科 大 学 の ド イ ツ 人 学 者 であり、 1 9 3 1 年 のことであった。

日本 では 1 9 4 0 年 ( 昭和 1 5 年 ) に 大阪大学 の 「 菅 田 榮 治 」 教 授 ( 1 9 0 8 年 ~ 1 9 8 8 年 ) が 、 倍 率 一 万 倍 の 「 磁 界 型 電 子 顕 微 鏡 」 を 開発 し、国 産 第 一 号 機 と して 完 成 させ 「 見 え な い ウ イ ル ス 」 を 、 可 視 化 す る こ と に 成 功 した。


[ 11、疾 病 に よ る 感 染 者 、死 者 ]

爆発的 に 世界中に 感 染 が 拡 大 した ス ペ イ ン 風 邪 は 、感 染 者 が 五 億 人 死 者 は 五 千 万 人 から 一 億 人 と いわれている。

これは 戦 争 や 自 然 災 害 などを 含 めた あらゆる 災 厄 の 中 で 、史上 最 大 級 の 惨 事 となった。 日 本 で は 死 者 3 8 8 ,7 2 7 人 、ア メ リ カ で は 5 0 万 人 が 死亡 したといわれて いる。

これを当時の 日本の 人口 五 千 三 百 万 人 から、現在の人口 一 億 二 千 五 百 万 人 に 置 き 換 えて見ると 、 日 本 で は 8 9 万 人 、ア メ リ カ で は 1 5 6 万 人 に 相当 する 人数 となる。

今回の新型 コ ロ ナ 流行 は 、ス ペ イ ン 風 邪 に 比 べて 被害者の人数は 少 ないものの、 4 月 1 4 日 現在の 値で 、世界 の 、 感 染 者 1, 7 3 9 , 0 0 7 人  、 死 者 1 0 8 , 4 3 2 人  であった。


( 1 1-1 、ウ イ ル ス の変 異 )

動物 由来の ウ イ ル ス は 、豚 インフルエンザ の ウイルス H 1 N 1 のように、 変 化 して、人間 に 感染 する ウ イ ウ ス に 変化 する 場合 もある。

イ ン フ ル エ ン ザ ウ イ ル ス の 遺伝子 は R N A ( R ibo Nucleic Acid 、 すなわち リ ボ 核 酸 )という 遺伝子 だが、この R N A は 誤 った コ ピ ー が 発生 し易 く 、これを ウ イ ル ス の 変 異 と いう。

イ ン フ ル エ ン ザ ウ イ ル ス は 常 にこの 変異 が 起 きており、人の 一 千 倍 の 確 率 で起こるといわれて いる。さらに、増殖 スピード は 速 く、1 個 の ウ イ ル ス は 1 日で 百 万 個 以上に 増殖 する。イ ン フ ル エ ン ザ ウ イ ル ス は 常 に 「 変 異 と 増 殖 」を 繰 り 返 して、生 き 延 びようとしている。

一度、イ ン フ ル エ ン ザ に罹ったのに 免疫 が 付 かず、何 度 でもかかることがあるのは、このように  「 変 異 した ウ イ ル ス 」 に 感染 したからである。


過去に起こった疫病の流行表


発生年感染病
病原体
地域死亡者数備     考
542~
543
ペ ス ト
黑死病
東ローマ帝 国(ビザンツ帝 国 )人 口 の
5 割
ペ ス ト に感染 した  ネ ズ ミ と ノ ミ  は、その後 船に乗って 西 進 し、西 ローマ 帝 国を 経て 547 年にはブリテン島(イギリス)、567年にはフランスに ペ ス ト( 黒死病 )をもたらせた
1347~1351ペ ス ト
黑死病
ユーラシア大陸 ヨーロッ
パ人口の
3~5割
ヨーロッパの 封建制度崩壊を 早めた
16世紀~
17世紀
天然痘アメリカ
大陸
地域に
よっては
5割以上
アメリカ大陸 の 先住民( インディオ・インデアン )の 社会を破 壊 した
1881~1896コ レ ラ世界的150万
人以上
史上 5 回目 の コレラ パンデミック
1918~1920スペイン
か ぜ
世界的5千万~
1億人
インフルエンザで世界人口の 1~5 % が死亡 し、第1次世界大戦の死者を上回った
1957~1958アジア
か ぜ
世界的100万~
200万人
インフルエンザ
1960
~ 現在
エイズ
H I V
世界的主にアメリカ3千5百万人H I V が最初に発見されたのは1983年。最初の症例は1959年に採取した血液サンプルから発見
1961
~ 現在
コ レ ラ
コレラ菌
世界的年間2万1千

14万3千人
一義的には経口感染
2002~2003S A R S
病原体
中国発27ヵ国に拡大774人新型コロナウイルスが原因
2009豚インフルエンザ
H1N1
世界的28万4千人メキシコでは感染拡大防止のため、早期に各種機関が閉鎖
2012M E R S
マーズ
世界的、22ヵ国659人ひとこぶ ラ ク ダ を 寄主 とする 新種の コロナウイルスが原因
2014~2016エ ボ ラ
出血熱
ウイルス
西アフ リカ11,325人感染源は オオコウモリ の 複数種 ではないかと考えられている。その後、30万接種量の実験的 ワクチンを備蓄
2016デング 熱
ウイルス
世界的3万8千人デング の感染源は ネッタイ シ マ カ などのである。感染拡大は過去から周期的であったが、2016年は例外的に世界規模で拡大 した
2017ペ ス トマダガスカル209人ペ ス ト 菌を持つ ノ ミ に 噛まれる 感染だが、人から人へ 飛 沫 感 染 する 肺 ペ ス ト が増加
2019
~現在
コ ロ ナ
CoVID-19
中国発
世界的
6 万 5 千 人
台から
拡 大 中
野 生 動 物 経 由 の、新 型 コロナ ウイルス が原因


[ あ と 書 き ]

この 随 筆 「 病 気 の 歴 史 」 を 書 く に 当 たって 、今 回 ほど 苦 労 したことは なかった。その理由 は 1 月 2 0 日 に 前 回 の 随 筆 ( 江 戸 町 奉 行 と 消 防 ) を 書き上げてから、次の 題 目 を 決 める 矢先 の 2 月 下旬 に、新 型 コ ロ ナ の 感 染 防止 のため 、 私 が 利用 する 自治体 の 図書館 が、 閉 館 したからであった。

そのため、参考書 類 の 「 貸 し 出 し 」 や 、百 科 事 典 などを 使用 する 「 調 べ も の 」 が、全 く 不 可 能 となった。

窮 状 ( き ゅ う じ ょ う ) を 打 開 するために 、「 グ ー グ ル 」 や 、「 ヤ フ ー 」 の 検 索 エ ン ジ ン を フ ル に 利 用 して ようや く 随 筆 を 完 成 したが、両 社 のおかげと 密 ( ひ そ ) かに 感 謝 して いる。

ところで 新型 コロナ に 感染 した 場合 には、基 礎 疾 患 のある 人 ・ 高齢者 ほど 死亡 する 割合 が 高 い と いわれて いる。私は 父親 からの 遺伝で 退職 10 年後 から 糖尿病 となり、平成 24 年 ( 2012 年 ) には 脳 梗 塞 の 前 兆 である 「 一 過 性 脳 虚 血 発 作 」 で、入院 した 病歴 がある。

年齢 も 終 末 期 高 齢 者 」 とも 言 う べ き 8 7 歳 と 老妻 8 2 歳 な ので、コ ロ ナ に 感染 したら 両 親 ・ 兄 姉 たち 全 員 が いる 「 あ の 世 」 に 行 け る こ と は 間違 いな い


since R 2、A p r. 2 0

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