中 国 共 産 党 の 権 力 闘 争 ( 続 き )[ 6 : 習 近 平 の 反 日 政 策 ]2013 年 3 月 第 7 代 国家主席 に 就任 した 習 近平 は 、日頃から 毛沢東 を 尊敬 し、彼のように なろう と して いた。 2014 年 2 月 27 日付けの 中国 国営 新華社通信 によると、全国人民 代表大会 ( 全 人 代 = 国 会 に 相当 ) 常務委員会 は 、9 月 3 日 を 「 抗 日 戦 争 勝 利 記 念 日 」 、 12 月 13 日を 南京事件 の 「 国 家 哀 悼 日 」 にそれぞれ 定 める 議案 を採択 した。( 6-1、抗 日 戦 争 勝 利 記 念 日 の 設 定 ) 特定 の 外国 が関わる 歴史 を、法律 で 国家記念日 と 定 めるのは、中国では 異 例 である。 9 月 3 日 を 「 抗 日 戦 争 勝 利 記 念 日 」 と したのは、日本政府が 降伏文書 に 調印 した 1 9 4 5 年 9 月 2 日 の 翌日で、当時 の 蒋 介 石 ( し ょ う ・ か い せ き ) 率 いる 国 民 党 政 権 が 中国各地 で 祝賀行事を挙行 したが、今回 はこれを 踏 まえた 形 だと している。 日本と中国 の 現代史 を 知 らない 人 が 上記の 文 章を 読 んだならば、日本は 中国大陸 における 戦争 でも 中国に 負 けたと 思うが、事実 ではな い。地図 の 薄紫色 は 日本軍 による 中国 に お け る 支 配 ・ 占 領 地 域 であり、首都 の 南京 ( な ん き ん ) を 初 め 、 香港 ・ アモイ ・ 上海 ・ 済南 ・ 天津 ・ 北京など 平野部 や 海岸部 に 近 い 主 要 都 市 は 、米軍に 降伏するまで、日本の 支配下 ・ 占領下 に 置 かれて いた。 中国 が 対日戦勝国 と 自 称 するのは、 中国政府 が 得意 とする、 歴史 の 「 ね つ 造 」 や 「 政 治 的 歪 曲 」 である。 日本が 降伏 したのは、1945 年 8 月 15 日 に ポ ツ ダ ム 宣言 を 受諾 し、東京湾上 の 戦艦 ミ ズ ー リ 号上で 降伏文書 に 署名 したのは 9 月 2 日であった。その際に 中国 を代表 して 署名 したのは 蒋 介石 ( しょう・か いせき ) 率 いる 国民党 ( 中 華 民 国 ) の 徐 永 昌 将軍 であった。 こ こ か ら が 重 要 で 、 中 華 人 民 共 和 国 が 建 国 宣 言を したのは、それから 4 年 後 の 1 9 4 9 年 10 月 1 日 であった。 つまり 日本の 敗 戦 当 時 、 存 在 し な か っ た 国 ( 共産党 の 中 華 人 民 共 和 国 ) が 対 日 戦 勝 国 を 名 乗 る の は、中国政府 による 欺 瞞 ( ぎ ま ん、だ ま す こ と ) 、イ ン チ キ で あ る と 私 は 考える。 ちなみに 1945 年 7 月 26 日 に ド イ ツ ・ ベ ル リ ン 郊外 の ソ 連 ( 現 ・ ロ シ ア ) 支配地域 であった ポ ツ ダ ム に お い て 、ポ ツ ダ ム 宣言 ( P o t s d a m - D e c l a r a t i o n ) の 文書 に 英国 ・ 米国 と共 に 名 を連 ねたのは、蒋 介石 ( し ょ う ・ か い せ き ) 率 いる 国 民 党 政 権 で あ り、存在 しなかった 共産党政権 (?) ではな い 。 さらに 付 け加 えると、 中華人民共和国 ( 共産党政権 )が 、中国を 代表する国と して 国連 への 加盟 を 認 められたのは、建 国 から 2 2 年 後 の 、1971 年 10 月 25 日であり、それまで 中国の 代表 とされて いたのは 中 華 民 国 ( 国民党政権 )であり、同日に 国連 から 追 放 された。 歴史 の 歪 曲 例 を もう 一つ 挙 げると、 中国共産党 が 言う 長 征 ( ち ょ う せ い ) を ご存知 か ?。 言葉 の 本来 の 意味 は、長 い 道 の り に わ た っ て 征 伐 す る こ と である。 1927年 から1937 年 にかけて 中国 では、中華民国 ( 蒋 介石 ) 率 いる 国民党軍 と 中国共産党率 いる 紅 軍 ( こ う ぐ ん ) との 間で、 第 1 次 国 共 内 戦 ( こ っ き ょ う な い せ ん ) が 行われたが、その際 のことである。 1934 年 に 中国共産党 の 軍隊 は 蒋 介石 率 いる 国民党軍 の 包囲 攻撃 に 遭 い、革命 根拠地 だった 瑞 金 ( ず い き ん ) から 逃 げ 出 した。 その後 国民党軍 の 掃 討 を 受 け な が ら 、つ ま り 征 伐 さ れ な が ら 1936 年 まで の 二 年 をかけて 12,000 キ ロ メートル も 離 れた 陝 西 省 ( き ょ う せ い し ょ う ) 延 安 ( え ん あ ん ) に 徒歩 で たどり着 いた。 当初 1 0 万 人 いた 兵力 が 十分 の 一 以下 の 数千人 に 減 少 したが、軍 事 常 識 に 従 えば、 大 敗 北 の 逃 避 行 であった。 現実 の 負 け 「 い く さ 」 が、言葉 の 上 では 長 征 などと 勝 利 の 行 軍 ( こ う ぐ ん ) のように 表現 されて いた。 以後 1945 年 8月 の 日本の 敗戦まで、共産党軍 の 毛沢東 たち 首 脳 部 は 、その 3 3 年後 に 下放 ( かほう ) された 習 近平 が 過 ご したと 同様 に 、陝 西 省 ( き ょ う せ い し ょ う ) 延 安 ( え ん あ ん ) で 穴居生活 ( け っ き ょ せ い か つ ) を 続 けて いた、というのが 正 しい 歴史 であり、中国共産党 の 国家 と呼 べるものなど 日本の 敗戦当時、どこにも 存在 しなかった。 当時 中国大陸 における日本 の 主 要 な 敵 は 、米国 から多額 の 軍 事 援 助 を受 けつつ 戦った 蒋 介石 ( し ょ う ・ か い せ き ) 率 いる 国民党 軍 であり、 貧 弱 な 装 備 の 土 民 兵 や ( 八 路 軍 ) から 成 る 共産党軍 は、 脇 役 に 過 ぎなかった。 ( 6-2、歴 史 の ね つ 造 ・ 歪 曲 の 目 的 ) 中国共産党 による 歴 史 の 「 ね つ 造 」 ・ 「 歪 曲 」 の 目的 は、 悪 逆 非 道 の 日 本 軍 を 撃 滅 し 、中国 から 追 い 払った の は 共産党 の 人 民 解 放 軍 であるとする 「 虚 構 の す じ 書 き 」 に 沿 って 、中 国 人 民 を 日 夜 テ レ ビ や 教科書 などで 洗 脳 し、 共 産 党 に よ る 統 治 の 正 統 性 を 主 張 す る た め で あ っ た。 この 洗脳教育 は 上 海 閥 ( し ゃ ん は い ば つ ) 出身 の 江 沢民 ( こう ・ た く み ん ) が 1989 年 に 国家主席に就任 してから、 反日教育を 導 入 し 活発化 させ、次の 胡 錦濤 ( こ ・ きんとう ) や 習 近平 に 引き 継 がれた。 ( 6-3、歴 史 学 が 存 在 し な い 国 ) 中国 には あ り の ま ま の 事 実 ・ 証 拠 に 基 づ く 学 問 と し て の 歴 史 学 な ど は 存 在 せ ず 、一 党 独 裁 の 共産党 政権 が 続 く 限 り 今後 も 無 いであろう。 中国 における 歴史 とは イ デ オ ロ ギ ー の 表 明 であり 、 歴 史 を 決 定 す る ( ね つ 造 す る ) のは 共産党の 指導者 である。 論 より 証拠 「 正 し い 」 歴 史 認 識 と い う ス ロ ー ガ ン 自体 が 、「 中 国 式 歴 史 」 の 本 質 すべてを 物語 って い る。 具体例 を 示 すと 毛 沢東 によって 始 められ、1 千万人 の 死者を 出 し、大量の文化財 が 破 壊 され、共産党 にとって 都合 の 悪 い 文 化 大 革 命 を、 人 民 の 記 憶 から 遠 ざ け る 方 針 が 共産党 指 導 部 によって 決 められた。 それ以来 中国 国 内 では 、イ ン タ ー ネ ッ ト による 文 化 大 革 命 に 関 する 検 索 や 論 評 、関 連 する 書 籍 の 出版 が 不可能 となっている。 「 論 語 」 の 泰 伯 ( た い は く、紀元前 11世紀頃の人物 ) 編 にある、 由 ( よ ) ら し む べ し 知 ら し む べ か ら ず か な ?。 共産党 指導部 が 好 む の は、 「 欲 し い も の は、俺 の も の 」 の 原 則 に 基 づ き 、隣接 する チ ベ ッ ト 、内 モ ン ゴ ル、新 疆 ( し ん き ょ う ) ウ イ グ ル や 、南 沙 諸 島、西 沙 諸 島、尖 閣 諸 島 など へ の 領 土 や 領 海 そ し て 領 空 拡 大 の 正 当 性 を 理 由 付 け す る 拡 張 主 義 だ け で あ る。 [ 7 : 習 近 平 の 防 空 識 別 圏 設 定 ]習 近平時代 になると、 中国 は 強大 な 経済力 と 軍事力 を 背景 に して 、世 界 制 覇 の 前段階 と して 、ア ジ ア 支 配 の 覇 権 主 義 的 野 望 を むき 出 しに して、本格的 戦 略 を 推 し 進 め 始 めた。 中国 国防部 は 2013 年 11 月 23 日、東海 防空識別区、即ち 東 シ ナ 海 における 防 空 識 別 圏 ( 以下、A D I Z と 言 う ) の 設定を 発表 した。これに 併 せて、東海防空識別区、 航空機 識別規則 を 公告 したが、これが 我が国 や アメリカ、韓国、台湾 など、関係諸国 との間に 軋 轢 ( あ つ れ き )を 生 じ させることになった。 ( 7-1、防 空 識 別 圏 と は 何 か ) 国防上の 必要性 から、各国 がその 領空 とは別 に定めた 空 域 のことで、略称 A D I Z ( A i r - D e f e n s e - I d e n t i f i c a t i o n - Z o n e ) と 呼 んで いる。 その 空域 では 常時 防空監視 を 行 い、あらか じめ 飛行計画 を 提出 せずに ここに 侵 入 する 航空機 を 識別 し、領空侵犯 の 可能性 があれば、軍事的 予防措置 などを 行使 し 管制 する空域 である。 私自身の 経験を 述 べると、昭和 33 年 ( 1958 年 ) から 昭和 38 年 ( 1963 年 ) まで 青森県 八戸市 にある 海上自衛隊 第 二 航 空 群 で 対 潜 水 艦 哨 戒 機 P 2 V - 7 の パ イ ロ ッ ト を して いた。 冷戦 の真っ最中 のため、通常 6 時間 の 洋上 訓練飛行 の 最中 でも、航空自衛隊 が 管理 する レーダー ・ サイト ( R a d a r - s i t e 、 防 空 監 視 所 ) へ の 位置通報 を 、20分 毎 にするよう 指示 されて いた。 夕方 6 時 頃 に 離陸 し 、翌朝 6 時 頃 に 着陸する 12 時間 の 夜 間 航 法 訓 練 飛 行 では、D-V F R ( D e f e n s e - V F R 、防 空 識 別 圏を 出入する 有 視 界 飛 行 方 式 )の 飛行計画 を 管制機関に 提出 したが、翌 朝 太平洋 の かなたから 日本列島 の 外側 にある 防 空 識 別 圏 ( O u t e r - A D I Z ) に 近 づ くと、航空自衛隊 の レーダー ・ サイト ( 防 空 監 視 所 ) の レーダー 画面 に 急 に 機影 が 出 ることになる。 すると ボ ギ ー ( B o g y 、敵 味 方 不 明 機 ) と 判断 されて、航空自衛隊 スクランブル ( S c r a m b l e ) 発進機 の 出迎 え ( インターセプト、I n t e r c e p t )を 受 けることもあった。 ( 7-2、中 国 の 防 空 識 別 圏 の 不 具 合 点 )
( 7-3、尖 閣 諸 島 領 有 化 の 危 険 性 ) 懸念される問題は、今回 設定された A D I Z に 、中国が 領有権を 主張 する 尖 閣 諸 島 が含まれることである。中国の 意 図 に 依 れば、中国の 領土 とする 同諸島 の 上空 は 中国の 領空 と いうことになり、これへの 侵入 を 阻止する 権利 を 有すると主張 するであろう。 一方、日本にとって、同諸島 は 歴史的に 固有の 領土 であり、その上空 への 侵入 を 阻止 しなければならない。このような 状況 の 中で それぞれが 相手 の 航空機、特に 軍用機 が 侵 入 する可能性 があると判断 し、戦闘機が 緊急発進 した場合、上空で 不 測 の 事 態 が 生起 す る可能性を 否定することはできない。 中 国 戦 闘 機 の 異 常 接 近 発 生 菅官房長官の 発言 によれば、2014 年 6 月11 日 午前 11 時 ごろと 正午 ごろに 東 シ ナ 海 上空で 中国軍 戦闘機が 航空自衛隊機、海上自衛隊機 に 異常な 接近を 行ったと し、「 24 日 にも 同様 の 事案が 発生 し、中国側 に 厳重 な 抗議 と 再発防止を 求めて いる。 それにもかかわらず 発生 したのは きわめて遺憾で 許 しがた い 行為 だ 」 と強調 した。「わが 国 周辺 区域における 偶発的 事故 の 発生 につながりかねな い 非常 に 危険 な 行為 であり、改 めて 中国側 に 抗議 し、再発防止を強 く 求めて いる 」 と述 べた。中国の A D I Z 設定の 狙 いは、尖閣諸島 に 対 する 日本の 施政権に 挑戦 することで 日本の 立場を 弱 めるとともに、尖閣諸島に関 して、中国 との 領土問題 は存在 しないとする日本政府の 立場に 対 して 、 領 土 問 題 の 存 在 を 日本に 認 め さ せ よ う と す る 中国 の 動きであると解釈される。 安倍首相は、強制的に 東 シ ナ 海の 現状を 変更 しようとする 危険な 試み であると公然と 非難 し、日本 の 領海、領空 を 護 り抜 く 決意 を 示 した。そ して、北京は 国際空域の 飛行の 自由を 阻害 するような、如何 なる 方策も 撤回 するよう要求 した。 防衛省の 2019 年 4 月 12 日 付発表によれば、領空侵犯 の 恐 れがある 外国機 に対 し、航空自衛隊の 戦闘機が 2018 年 ( 平成 3 0 年 ) 度に 緊急発進 ( ス ク ラ ン ブ ル ) した 回 数 が 9 9 9 回 であったと 発表 した。 このうち 対 中 国 機 は 6 3 8 回、対 ロ シ ア 機 は 3 4 3 回 で、中国の 偵察用 無 人 機 とみられる 航空機 1 機 が、沖縄県 ・ 尖閣諸島 北側 の 東 シ ナ 海 で、領空の外側に設けられた日本の 防 空 識 別 圏 内 を 飛 行 したが、領空侵犯はなかった。 政府は 中国が 無人機 を 飛行させて いた 問題 につ いて、 撃 墜 を 含 め た 対処方針を 、領 空 侵 犯 に対 して 検討 して いると 公表 した。 [ 8 : 習 近 平 の 権 力 欲 ]中国共産党 中央委員会 は 2018 年 2 月 25 日 に、国家主席 の 任期 を「 2 期 10 年 ま で 」とする 憲法条文 を 削 除 する 改 正 案 を、 国営新華社通信を 通 じて 発表 した。 現憲法では 習 近 平 国家主席 の 任期 は 、二期目 が 終了 する 2 0 2 3 年 までだが、これにより 毛沢東 ・ 鄧小平 ( とう しょう へ い ) 並 み の 任 期 無 制 限 の 長期政権 が 可能 となった。( 8-1、彼 の 法 学 博 士 号 は 本 物 か ? ) 硬 い 話 から 柔 らか い 話 に変えると、日本 ではあまり 知 られて いな い が、習近平 は 精 華 大 学 法 学 博 士 の 肩 書 き の 所有者でもある。清華大学 で 化学工程部 を専攻 した彼 が、どの 様 に して 法学博士号 を 取得 したのか、複数 の 海外 メ デ ィ ア から 疑問視 されて いる。 国営通信、新華社 が公表 して いる 習近平 の 経歴 によると、彼 は 福建省 の 省 長 ( 県知事 ) などを務 めて いた 1998 年 ~ 2002 年 に、 清華大学 人文社会学院 に 在籍 し、 法 学 博 士 号 を 取 得 し た とされて いる。 2013 年 8 月 12 日 付 の 英 国 サ ン デ ー ・ タ イ ム ズ 紙 によれば、 習近平 の 博士論文 は 、他人 の 手を 借りて 執筆 されたものと 噂 ( う わ さ ) されてき た。 今回入手 した 非公表 の 博士論文 の コ ピー とされる 文書 は 、 「 中 国 の 農 村 市 場 化 の 研 究 」 と いう 題名 で 全 1 6 1 ペ ー ジ だが、習 氏 が 独自 に 研究 したように 見受 けられる 部分 はな い と いう。 こ の コ ピ ーを分析 した 結果 、 「 噂 」 は 確 かに 説得力 を 持 つものと 言える 。と 報道 した。香港 の 著名な 中国問題学者 の 金 観 濤 ( き ん か ん と う ) らによれば、以下 の 疑問を 提示 して いる。
[ 9 : 禁 書 、「 習 近 平 の 愛 人 た ち 」 の 出 版 ]2019 年 ( 令和 元年 ) 7 月 13 日付 の マ ス コ ミ 報道 によれば、香港で発売 の 直前 に 中国政府 により 「 禁 書 」 に 指定 され 、出版できな くなった 本 があった。 それは 習 近 平 ( し ゅ う き ん ぺ い ) 国家主席 の 女性関係 に 関 する 本 であり、ア メ リ カ ・ ロ サ ン ゼ ル ス の 出版社 から 近 々 発行 され、販売 が 予定されている。 この本 は 当初 、香港 で 中国関係 の 禁 書 を扱う 「 銅 羅 湾 ( C a u s e w a y - B a y 、コーズ ウェイ ベ イ ) 書 店 」 から 出版、販売 される 予定 だったが、 2 0 1 5 年 10 ~ 1 2 月 の 間 に、同書店の 社長 や 書店主ら 幹部 5 人 が 中国当局 によっ て極秘裏 に 中 国 大 陸 に 拉 致 さ れ る 、と いう 事件 が 起 きた。 2019 年 6 月 に 始 まった 、中国本土 への 容疑者 引き渡 しを可能 にする 「 逃 亡 犯 条 例 の 改 正 案 」 提 出 を 発端 と した 抗議活動 は、この事件を香港の住民に思い出させたからである。 禁 書 に 指定 され 本 の 出版 が 不可能 となって いた 出版社側 は 、この 本 の 版 権 を 米国 の 出版社に 譲 渡 したことで、ロ サ ン ゼ ル ス で 出版 されることになったと いう。 米国を 拠 点 にする 中国問題専門 の 華字 ニュース サイト 「 博 聞 新 聞 網 」 によると、この本 の タ イ ト ル は 「 習 近 平 と 彼 の 愛 人 た ち 」 で、ロ サ ン ゼ ル ス に 拠点 を 置 く 「 ウ エ ス ト ・ ポ イ ン ト 出版社 」 が 出版 する 予定 である。 最初は 北米 西海岸に 多 く 住 む 中国系 住民 ・ 中国人 留学生 を 対象 に 中国語 で 発行 し、売 れ 行 きを 見 て 英語版 でも 発行 するとの ことであった。[ 10 : 彼 の 結 婚 ・ 再 婚 ・ 浮 い た 話 ][ 10-1、柯 玲 玲 ( か ・ れ い れ い ) ] 習近平 は、これまで 二度 結婚 して いるが、最初 の 結婚 は 1979 年 の 精華大学卒業 直後 に、柯 玲玲 ( か ・ れ い れ い 、中国語読みで、コー ・ リン リン ) と の 結婚 であった。2 歳年上 だった 彼女は 北京で 生 まれたが、父親 は 著名 な 外交官 の 柯 華 ( コー ・ フア ) で、後 に 駐英大使 になった。 外交官 令 嬢 と して 育 った 玲 玲 ( れ い れ い ) は 、もともと 海外志向 が 強 く 習近平 と 英 国 で の 暮 ら しを 望 ん だ が、共産党 幹部 への 道 を ひた 走 る 習近平 とは 価値観 が 合 わなかったと いう。性格 の 不 一致 を 理由 に 、結婚生活は わずか 三 年 で 破綻 した。 習近平は 彼女 に 未練 があり、離婚後 も ロ ン ド ン に いた 彼女に 、何度も 国際電話 を掛 けて来たと いわれて いる。[ 10-2、彭 麗 媛 ( ほ う ・ れ い え ん ) ] 中国 の フ ァ ー ス ト ・ レ デ ィ ( 習近平 国家主席 夫人 ) になった 彭 麗 媛 ( ほ う ・ れ い え ん ) は 、山東省 の 片田舎 の 村 で、役 人 の 父 と 地元 の 劇団員 の 母 の 間 に 生 まれ、土 と 泥 でできた 小 さな 粗 末 な 家 に 、妹 を含 めた 親子 4 人 の 貧 乏 な 家 庭 に 育った。 文化大革命 ( 1966~1976年 ) 期 には、知識分子 に 分類 された 父 は 迫害 され 、村 の ト イ レ 掃除 を 強要 されて いたと いう。香港 の 英字紙 「 サ ウ ス チ ャ イ ナ ・ モ ー ニ ン グ ・ ポ ス ト 」 が 彭 ( ほ う ) の 生 まれ 故郷 を 現地取材 して 伝 えた。 彼女 が 生まれたのは 1962 年 で、「 牡 丹 の 花 の 故 郷 」 と いわれる 山東省 の 彭 村 ( ほ う む ら ) で、父 は 村 の 文化会館 の 館 長、母 は 地元 の 劇 団 員 で、彭 麗 媛 ( ほ う ・ れ い え ん ) も 幼 い 頃 から 母 につ いて 歌 の 練習 を して いたと いう。 幼少期 は 貧 し いながらも 夫婦 の 仲 むつま じ い 家庭 だったが、文 革 ( 文化大革命 ) によって、父は 知識分子 と して 批判 を 受 け、母親 も 辛 い 思 いを したと いう。 村では ト ウ モ ロ コ シ と 小 麦 くら い しか 採 れず、彭 麗 媛 は まだ 小学校 に上がる 前 から 洗濯 などの 家事 の 手伝 いを して、ひも じ い 生活 に 耐 えて いた。 文革 が終わると、彭 麗 媛 は 母 親 の 才能 を 受 け 継 いで いたのか、中学校 での 歌唱力 の 高 さを 見 込 まれ、16 歳で 山東省 芸術学院 附属 専門学校 への 進学 の 道 が 開 かれ、当時 の 有名な 声楽教育家に 師事 し、本格的 な 歌 唱 指 導 を 受 けることになった。 才能 を 開花 させた 彭 ( ほ う ) は 1980 年、同校 を 卒業 後、入隊 することが 非常 に 難 しい 人 民 解 放 軍 済南 軍区 前 衛 歌 舞 団 に 入 団 し、人民解放軍 の 専 属 歌 手 と して 活 躍 することになった。 1980 年代 には 、『 在 希 望 的 田 野 上 ( 希望 の 野原 に立って )』 と いう 歌 が 大 ヒ ッ ト し、日本の 紅白歌合戦 に 相当 する 旧 正 月 の 大 みそか の 歌番組 で 20 年 以上 も ト リ を 務 めるなど、「 彭 麗 媛 」 ( ほ う ・ れ い え ん ) の 名前 が有名 になった。 1987年 に、福建省 廈 門 (ア モ イ ) 市 の 副市長 だった 当時 34 歳 の 習近平 に 見 初 ( み そ ) められ、25 歳 で 結婚 したが、1992 年 に 一 人 娘 の 習 ・ 明 沢 ( しゅう ・ め い た く、 シー ・ ミ ン ザ ァ ) を 産 んだ。現在 は 軍 への 貢 献 が 評価 されて、 人民解放軍 の 「 少 将 」 の 階 級 を 授 与 されて いる。ところで 現在 27 歳 の 習 ・ 明 沢 ( しゅう ・ め い た く ) は、 ハ-バ-ド 大学 で 学 び すでに 卒業 したが、在学中 の 彼女は 偽名を 使 い、身元 を知る者 は 大学関係者 を含め ご く 僅 かであった。母親に 似れば 良かったが、 「 偉 大 な 指 導 者 似 ( に )」 であると いわれて いる。 [ 10-3、テ レ ビ ・ キャスター 夢 雪 ( む せ つ ) ] 香港 で 以前出版 された 本 の 「 習 近 平 ・ 李 克 強 ( り こっきょう ) 、合 伝 ( ごうでん ) 」 によれば 、習 近 平 が 福 建 省 ( ふ っ け ん し ょ う 、台湾 の 対岸 にある 省 ) の 省長 時代 の 2000 年 当時、彼 と深 い 関係 になった 女性 が いた。 注 : 李 克 強 ( り・ こっきょう ) と は 中国共産党 における 現在 の 序 列 が、習 近 平 総書記 に 次 ぐ 第 2 位 にあり 、第 7 代 国務院 総理 ( 首相 ) の 政治家。福 建 省 の 東南 テ レ ビ 局 に 勤 める 「 夢 雪 ( む せ つ ) 」 と いう 名前 の テ レ ビ ・ キ ャ ス タ ー で、夢 雪 は 中国 東北部 出身で 1989 年当時 は 瀋 陽 ( しんよう ) 人 民 ラ ジ オ 局 で ア ナ ウ ン サ ー を して いた。 1991年 に 福建省 に 移ってからは、彼女が 担当 する 番組 が 次 々と 賞 を 取 り、中国 華芸 放送 の 対 台湾 宣伝放送 では、夢 雪 は 全国 で 第 1 位 になった。 習近平 は、1987 年 に、彭 麗 媛 ( ほ う ・ れ い え ん ) と 結 婚 したが、妻 が 人民解放軍 の 専 属 歌 手 と して 全国 を 飛 び 回っている 間 に 、テ レ ビ ・ キ ャ ス タ ー の 夢 雪 ( む せ つ ) と 肉体関係 を 持 つようになった。 習近平 と 夢 雪 ( む せ つ ) との 関係 は、公 然 の 秘 密 どころか、「 福 建 省 に 住 む 者 ならば、 知 らない 人 は いな い 」 ほど 有名 な 話 だった。1997 年 には テ レ ビ で 自分の 名前 を 付 けた いわゆる 「 冠 番 組 」 ( か ん む り ば ん ぐ み ) を 持 てるまでに 出世 した。 強力 な コ ネ が あったからに 他 ならない。彼女 はまだ 30 代 前半 の 、美 人 で 有名 な 人気 キャスター であった。「 習 近 平 ・ 李 克 強 合 伝 」 には あなたとの 別 れの 時 / あなたの 肌 から / か ぐ わ し い 花 や 草 のにおいが し / 離 れ な くなった---。などと いう 意味 深 い 夢 雪 の 詩 が 掲載 されて いた。彼 は 他 にも 政府高官 女性 や 女優 などとも いろ いろあったが、省 略 する。 [ 11 : 最 後 に ]( 11-1、香 港 問 題 ) 香 港で 2019 年 4 月 に、犯罪容疑者 の 中国本土 への 引き渡 しを 可能 にする 「 逃 亡 犯 条 例 の 改 正 案 」 が 発表 されたが、これに 反対 する デ モ があり、警察発表で約 2 万 2,000 人 、デ モ 主催者発表で 約 13 万人 が 参加 した。 現在、香港行政府 は 米国 など 2 0 カ 国 と 犯罪人引き渡 し 協定 を 結 んで いるが、 中 国 本 土 や マ カ オ ・ 台 湾 との 間 には 結 んで いな い。 香港の 新聞 「 星 島 日 報 」 によると、一方 の 中国 は 5 5 カ 国 と 犯罪人引き渡 し条約 を 締結 して いるが、中国 の 特 別 行 政 区 である 香 港 とは 結 んで いな いとのことであった。 そこで、逃 亡 犯 条 例 を 改 正 して、香港 の 犯 罪 容 疑 者 や 香港で 活躍 する 民主活動家 など、 香港行政府 や 中国政府に 批判的 な 人物 が、容疑を 作 り上 げられて 中国本土 へ引き渡されるといった懸念を 反対派は挙げて いる。 2019 年 7 月 ~ 9 月 に か け て 、香港 では 毎回 100 万人 前後 の 市民 が 、「 逃 亡 犯 人 引 き 渡 し 条 例 の 改 正 案 」 をめ ぐ り、路上 ・ 地下鉄 の 駅 ・ 香港国際空港 ターミナル などで 激 し い 反対 デ モ を繰り返し、法案を 廃案 に追 い 込 もうと した。 そこで 2019 年 9 月 4 日 、林 鄭 月 娥 ( り ん て い ・ げ っ か、英語名 、キ ャ リ ー ラ ム 、C a r r i e - l a m ) 香港 行政長官 は 市民向 けの テ レ ビ 談話 で、中国本土 への 容疑者 の 引き 渡 しを 可能 にする 「 逃 亡 犯 条 例 改 正 案 」 について、 正 式 に 撤 回 する と 表明 した。 しか し その後 一 カ 月以上 経 つのに、暴力 や 警官 の 発砲 を 伴う デ モ は 収まりそうもない、その 裏 には 中国が 英国と 契約 し 5 0 年間 続 く はずの 「 一 国 二 制 度 」 、つまり 中国 による 「 社 会 主 義 政 策 」 を 2 0 4 7 年 ま で 香 港 で 実 施 し な い こ と の 約 束 を 徐々に破 ろうと しているからであり、香港人 たちは 自由 な 社会 の 実現 を 求 めて いるからである。( 11-2、中 国 に よ る 真 珠 の 首 飾 り 戦 略 ) 次 に 注意 し な け れ ば な ら な い の は、 2013 年に 就任直後の 習 近平 国家主席 が 提唱 し、翌年 11 月 に 中国 で 開催された 「 ア ジ ア 太平洋 経済協力 ( A P E C ) 首 脳 会 議 」 で 広 く 各国 に ア ピ ー ル した 「 一 帯 一 路 」 ( いった い いちろ、O n e - B e l t - O n e - R o a d - I n i t i a t i v e、 略 称 「 O B O R 」 ) 別 名 海 の シ ル ク ロ ー ド の 経 済 圏 構 想 で ある。 2017 年 5 月 には、北京で 第 1 回 の 「 一 帯 一 路 フ ォー ラ ム 」 を 開催。習 主席 は 2 9 カ 国 の 首脳 と 130 余 り の 国 の 代 表 団 の 前 で、「 基 金 」 へ 約 1 兆 6 千 億 円 の 追 加 拠 出 や 融 資 枠 の 拡大 などを 約束 した。 これは 中国が 主導 する アジア ・ インフラ 投 資 銀 行 「 エ イ ・ ア イ ・ ア イ ・ ビ ー、A I I B 」( A s i a n - I n f r a s t r u c t u r e - I n v e s t m e n t - B a n k ) や、中 国 国 家 開 発 銀 行 などとの 連 携 を 念 頭 に 置 い たものであった。 しか し、国 際 社 会 には 覇 権 主 義 を 強 める 中国 への 警戒心 が 強 く、主要国 の 首脳 で 参加 したのは ロシア の プーチン 大統領 と 、イタリア の 首相 のみで、イ ン ド は 代表団 の 派遣 も 見合わせた。 また、イ ギ リ ス、フ ラ ン ス、ド イ ツ などは 貿 易 推 進 関 連 の 提 案 文 書 への 署名 を 拒 否 したと 伝 えられて いる。 習 近平 が 形成 を 目指す 経 済 圏 ・ 外 交 圏 構 想 につ いては、発 展 途 上 国 の 返 済 能 力 を 無 視 した 過 剰 融 資 を おこな い、返 済 が 滞 る と、債 務 国 を 実 質 的 な 支 配 下 に 置 く と いう 「 債 務 の ワ ナ 」 問題 が 起 きて いる。 また 中国 の 戦 略 性 を 警 戒 する 象 徴 的 な 言葉 に、 「 真 珠 の 首 飾 り 戦 略 」 がある。 主な 債 務 国 は 「 ア フ リ カ の 中 国 」 とも 呼 ばれ 、その 債 務 額 が 国 内 総 生 産 ( G D P 、G r o s s - D o m e s t i c - P r o d u c t ) の 5 9 パ ー セ ン ト を 占 め る エ チ オ ピ ア がある。 また イ ン ド 大陸 先端部 と ポーク 海 峡 ( P a l k - S t r a i t ) を 挟 んで す ぐ 東 に 位置 する ス リ ラ ン カ ( セ イ ロ ン 島 ) では 、中国 による 港 湾 建 設 の 債 務 ( 12 億 ド ル、= 1,284 億円 ) 返 済 の 目 処 ( め ど ) が 立 たな いため、中国 に ハ ン バ ン ト タ ( H a n b a n t o t a ) 港 の 運 営 権 を 9 9 年 間 譲 渡 ( じ ょ う と ) した 例 があった。 その結果、インド 洋で、中国海軍 の 存在感 が 高 まると いう 危機感 が生 じて いる。 中国は 経済的な 合 理 性 よりも 、政 治 的 な 戦 略 性 を 優 先 してきた。 かつて イギリス の 永久領土 であった 香港島 や 九龍半島 には 隣接する 新界地区 があるが、以前 新界は、イギリス領となった 二地域 の 緩衝地帯 と して 注目され、1898 年の 清国 との 条約 によって、99 年間 イギリス への 租借 ( そ しゃ く ) が 決まった。 以後 三地域 は イギリス の 統治下 に 置 かれた。つまり 中国 には 植民地 にされた 苦 い 思 い 出 があったはずである。 被害者 だった ( M e - T o o ) 自分が 今度 は 植民地を作り、支配することに なった。 同様 な 例 が 中 国 ・ パ キ ス タ ン 経 済 回 廊 ( C P E C 、C h i n a - P a k i s t a n - E c o n o m i c - C o r r i d o r ) の 目玉 プ ロ ジ ェ ク ト である グ ワ ダ ル ( G w a d a r ) 港 の 開 発 にもある。 この 港 は 中東 からの 石油 を 運 ぶ 主要 な 交通路 である ホ ル ム ズ 海 峡 まで 、およそ 600 キ ロ ほどの 距離 にあり、中央 ア ジ ア や イ ン ド 洋 の 玄関口 と しても 重要 な 位置 にある。港 の 開発 に 投 じられた 金額 は、分 かって いるだけでも、日本円 に 換算 で およそ 320 億 円 であった。 このうち 8 割 近 い、約 2 5 0 億 円 を 中国が 負担 し、およそ 4 0 年 と い う 長 期 に わたり、 港 湾 の 利 用 権 を 中 国 が 取 得 した 。 なお 「 債 務 の ワ ナ 」 に 陥 ( お ち い ) って いるのは 、これ 以外 にも、ラ オ ス ・ モ ン ゴ ル ・ モ ル デ ィ ブ ・ ベ ネ ズ エ ラ ・ ト ル ク メ ニ ス タ ン ・ タ ジ キ ス タ ン ・ ジ ブ チ などがある。 習近平 率 いる 中国 の 「 新 植 民 地 主 義 的 動 向 」 に 、 自 由 主 義 諸 国 は 警 戒 心を 持って 注目 して いる。
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