中 国 の 反 日 教 育


1:中 国 人 サ ポ ー タ ー の 騒 乱

平成16 年の 夏、7月20日〜8月7日の間、中国でおこなわれたアジア・カップ 2004年 の サ ッ カ ー 試合 では、重 慶、済 南、の 各都市 で 外 国 チ ー ム と 対 戦 し た 日本代表 の サ ッ カ ー ・ チ ー ム は、敬意を表 す べき 日本 の 国歌演奏 の 際 に 起立 も しない 中国人 サ ポ ー タ ー から 大 ブ ー イ ン グ を 浴びせられた。

選手や観客席の 日本人 サ ポ ー タ ー も 「 日 本 鬼 子 」 や 「 小 日 本 」 などと、日本人 に対する 侮蔑語 ( ぶ べ つ ご ) の 罵声 を 浴 び、更 に 空 き 缶 や ペ ッ ト・ ボ ト ル を投げつけられま したが、その様子が日本の テレビ で放映され、中 国 に 対 する 非難 が 起 きま した。

日本代表チームの ジ ー コ 監督 は、国歌演奏 の 間 も ブーイング を 止 めない 態度 は、「 国 際 常 識 や、礼儀を わきまえない、常軌を逸 した 行動 と 言わざるをえな い 」 と コメント しま した。


2:中 国 外 務 省 の 態 度

これに 対 して 中国外務省 の 孔泉報道局長 は 、8 月 4 日、サッカー ・ アジア カップ での 中国人観客 による 日本 チーム へ の ブーイング や、日本人観客 に ゴ ミ を投 げるなどの 行為 が 問題化 して いることについて、「少数の サッカー・ファン による 過激な 行動 には 賛成 しない 」 と しながら、同時に 「 日本 の メディア が 一部 の 人 の 行為 を 大げさに 報 じ、政治問題化 している」と 日 本 側 に そ の 責 任 を 転 嫁 し ま し た。

我々日本人からみれば、サッカーの試合を 楽 しむよりも、サッカー の 試合場 を 反日運動 の 場 と 捉 え、政治的 スローガン を 掲 げ、日本人 に 侮蔑的行動 をとったのは 少数 ではな く、多数 の 中国人 たちで した。


3:決 勝 戦 前 の 北 京 の 日 本 大 使 館 か ら の 「 お 知 ら せ 」

北京の 日本大使館 は 以下 の 内容の 文書を 配布 すると 共 に、インターネット の ホームページ でも 配信 しま した。

今回の アジア ・ カップ 決勝戦 に 備 え、日本政府 は 何度 も 中国政府 に 対 し、邦人 の 安全確保 について 強 く 要請 して いますが、特に 8 月 7 日 の 夜 ( 決勝戦当夜 ) に 中国 に 滞在 される 方 ( 旅行者 及 び、在 留 邦 人 ) は、不測の 事態 に 巻 き 込 まれな いよう、次の天を含めて 十分 ご注意 下 さい。

  1. テレビ などの 報道 に 十分 注意する。
  2. 広場 など 大勢 の 人 が 集 まるような場所 に近寄 らない。
  3. 興味本位で群衆に近づかない。
  4. 目立つ服装や日本代表の レプリカ ・ ユニフォーム 等 シンボル 的 な 物 の 装着は、試合場以外 ではなるべく 避ける。
  5. 決勝戦 における 工人体育館 での 観戦時 の 注意( 以下省略 )。


4:決 勝 戦 当 日 の 混 乱

8月7日に 北京 の 工人体育館 ( 収容人員 6 万 6 千 ) でおこなわれた 中国 との 決勝戦 でも、中国人 による 国歌 演奏中 の 大 ブーイング を 初 め、日本 チームや 日本人 に 対 する 罵声 はさらに 増大 し、「 魚 釣 島 ( 尖 閣 諸 島 ) は 中国 の も の 」 などと 書 いた プラカード を 掲示 した 者 も いま した。

日本が 中国 に 勝 ち 優勝 すると、試合終了後 も 数千人 もの 群衆 が 試合場 の 出口 を 取 り 囲 んで 日 の 丸 を 燃や して 騒 ぎ、日本選手団 と 日本人 観客 は 2 時間 も 館内 に 足止 めされま した。試合場を 離 れようとした 北京駐在 の 原田 日本公使 の 公用車 が 暴徒 の 襲撃 に 遭 い、後部窓 ガラス を 割 られ、車体にも多数の キ ズ ができま した。

その後も 日本選手団 が 宿泊 した ホ テ ル では 中国人 群衆 約千人 が 8 日 未明まで 取り 囲 み、警察当局が 日本 チーム が 出発する 同日 (8 日) 早朝 まで ホテル 前 の 道路 を 封鎖 しま した。選手 が 乗 った バ ス は 、パトカー に 先導 されて 北京空港 に 移動 しま した。(共同通信)

中国政府は 1 万 2 千人 の 警官 を 配置 したものの、暴徒 を 解散 させるための 放水車 や 催涙 ガ ス 弾 の 発 射 などの、 積 極 的 な 実 力 行 使 も せ ず に 荒 れ る 状 態 を 放 置 し て いて、逮捕者は 僅 か 1 0 名 で し た。

およそ 国際試合 と しての 異例 の 混乱 ぶりに 対 して、北京駐在 の 外国 メディア も 次 期 オリンピック 開催国 と し て の 治安維持能力 に、大きな 懸念 を 報 じて いま した。

中国 オリンピック 委員会幹部 によると、混乱 は 中国人 サポーター たちの 「文化程度の低さ 」 が 原因 とする 発言 が ありま したが、石原東京都知事は 中国人の 「 民 度 の 低 さ 」 を 指摘 すると 共 に、中国 は 4年後 に オ リ ン ピ ッ ク をするような 「 柄 で は な い 」 と 発言 しま した。

いずれに しても 今回 の 騒動 で 北京政府 の 威信、国際的評価 に 大き く 傷 つ いたことは 事実 で したが、共産主義政権下 で 言論統制 された 中国 の 各新聞 と テ レ ビ では、 「 観 衆 は 速 や か に 帰 途 に つ い た 」、「 ア ジ ア ・ カ ッ プ は 円 満 に 閉 幕 し た 」 と 報道 し、工人体育館内外 での 暴徒 の 混乱 ぶり は 一 切 報 道 さ れ ず 、中国人 は 混 乱 の 事 実 を 知 ら さ れ ま せ ん で した。


5:日 本 外 務 省 の 無 能 さ

日本の 外務省 の 対応 の お 粗末 さ、弱腰 には 目 を 覆 いた くなりま した。日 の 丸 が 燃 やされ、国歌演奏 が 公然 と 侮辱 され、北京駐在、日本公使 の 公用車 の 窓 カ ラ ス が 割 られ、日本人 サポーター が 試合終了後 も 工人体育館 に 2 時間 も 足 止めされたにもかかわらず、公安局 の警備担当者から来た僅か1本の電話で、警備の不手際について謝罪があったという理由で、抗議声明ひとつ出さずに穏便に済ませました

同 じ行為が東京で 中国人観客 や 外交官 の 公用車 に 加 えられた 場合 を 想定 して下さい。中国政府が外交口上書という書類で正式に抗議し、記者会見の席上で抗議声明を読み上げ、日本に対して激しい言葉使いで抗議したと思います。

中国に限らず国民が被害に 遭 い 国益 が 侵害 された 際 の、それが 外務大臣 や 外務省 と しての 対応 と いうものです。自分の意見を持たず、ひたすら 官邸 や 外務官僚 から 言われるままに 行動 し、 操 り人 形 に 過 ぎ な い 川口順子外務大臣 については、政治評論家 が 従来から 指摘 してきた 「 無 能 」 とする 見解 に 私は 同意 します。


6:重 慶 爆 撃

これに対して日本の左翼系マスコミの「A 紙」は社説で、
重慶や済南での「反日」騒動には、むしろ日本の中国侵略という歴史的な背景がある。特に重慶は、日本軍の無差別爆撃によって膨大な数(管理者注:中国側の 発表 で 約 1万2千 ) の 市民が 犠牲 になった。

日本の若者たちも、この事実を知って いるか いないかで、騒動 への 見方 が変わるだろう。スタンドの「反日」を いたらずらに 過大視 することは 賢明 ではない。む しろ考えるべきは、なぜ日本が標的として使われやすいかだ。

と述べました。日中戦争の際に日本軍が当時の首都の重慶を爆撃したという事実を採り上げて、侵略戦争が中国人の心に刻み込んだ キ ズ の 深 さに原因がある。(だから日本人はより深く反省 し、謝罪 せよ )と いう A 紙 の「 社 是 」を、例によって繰り返し主張 したのでした。

中国のサッカー場に来たのは大部分が10台後半から20才台の若者だと思いますが、そもそも重慶爆撃は昭和14年(1939年)頃が最盛期で した。65年前に起きた彼等の 祖父母 の 時代 の 出来事と サッカー の試合 とが、なぜ 結 びつき、「 反 日 」 という 騒動 をもたらしたので しょうか?。それには後述する 「 江 沢 民 」 が 意図 した 理由 がありま した。

日本では戦争末期の昭和20年(1945年)3月9日の深夜から10日の早朝にかけて、米軍の B-29 爆撃機334機による東京大空襲がありましたが、それにより一夜で12万人が死傷し、26万戸の家屋が焼失しました。

59年前の祖父母の時代に起きた空襲のことで、今なお米国に恨みや 敵意を持つ東京 の若者 が いるで しょうか?

左翼系 マスコミ「A 紙」の 解釈 を 日本 と 米国との間に当てはめれば、米国の大リーグの オープン 試合を 東京 ドーム でおこなう場合に、米国国歌の演奏中に起立もせず大 ブーイング を し、相手選手や米国人観客に罵声を浴びせ、物を投げつけても、日本には東京大空襲という被害の歴史的背景があるから、害を「 加 え て 当 然 」、相手( 米 国 ) は 「 加 えられて 当然 」 とする 理屈 になります。

実はこの事件は「起こるべく して起きた」ものでしたが、その原因とは中国における共 産 党 政 権 の 正 統 性 を 宣 伝 す る ための、長年の反日教育と愛国主義教育にありました。


7:江 沢 民 の 意 図

江沢民宮中晩餐会 中華人民共和国は 昭和 24 年(1949年)に 建国 しま したが、それ以来 長い間「日本帝国主義」への 批判、警戒 を 強調 することがあっても、「 かつての日本軍 」 と 「 日本人 」 を 明確 に 区別 して、日本人 に 対 する 「 民族的反感 」 を 掻 き 立 てるような 宣伝 を してきませんで した。

ところが 平成元年(1989 年 ) に 江 沢 民 ( こう ・ た くみん ) が 共産党総書記 に 就任 すると、ケ小平 がもたら した 改革解放路線 の 結果、若者 たちの 共産主義思想 の タ ガ が 緩 んだと して、思想 引き締めの為に 愛国主義教育 を 命 じ ま した。

更に 平成 5 年 ( 1993 年 ) に 国家主席 に 就任 すると、愛国主義教育 の 強化 を 図りま したが、その 行き着 く 先 は 「 反 日 」 の 事態 になることは 明 らかで した。そ して 江沢民 はそれを 望 んで いま した。

とりわけ 戦後 5 0 年 の 節目 となった 平成 7 年 ( 1995 年 ) に、江沢民政権は 「 愛国団結 」 を 訴える 「 抗 日 戦 勝 キャンペーン 」 を 大展開 しま した。新聞 テレビ は、旧 日本軍 の 侵略、残虐行為 を 検証 する 報道 であふれま した。

その後、「 反 日 」は 愛国主義教育 の 基本になりま した。アジア・カップ の スタンド を 埋 めた サポーター の 大半 は、この 「 愛国主義教育を受けた世代 」 の 若者 たちでした。


8:共 産 主 義 イ デ オ ロ ギ ー か ら、愛 国 主 義 思 想 へ

太平洋戦争後に 腐敗 しきった 蒋 介石 の 国民党軍 を 打ち 破り 台湾 に 逃亡 させ、極 悪 非 道 の(?) 日本軍 に 勝利 した 結果(?)、毛沢東 率 いる 共産党 により 共産主義革命 が 成功 し、中華人民共和国 が 誕生 しま した。日本 への 抵抗 の 歴史 はそのまま 共産主義国家 の 成立 につながり、中国人民 の 誇 りとされま した。

共 産 党 独 裁 政 権 の 正 統 性 と 求 心 力 を 維 持 す る た め に、江 沢民 の 共産党指導部 は「 時代遅れ 」 の 共産主義 イデオロギー に 代えて、「 愛国主義教育 による 国民意識 の 統合 」を 導入 する 政策 を 決 め、それによって 日本 に 対する 「 民 族 的 反 感 」 を 必然的 に 増幅 させま した。

9:反 日 こ そ、政 権 正 統 性 の「 あ か し 」

これまで 日本 の 左翼 マスコミ や 左翼主義者 は、中国 や 韓国 などに 対 する 日本 の 不 断 の 贖 罪( しょ く ざ い ) こそが、ア ジ ア における 和解 と 協調 に 貢献 すると 主張 し、さらに 倫理性 を 加味 して 長年 唱えて 来 ま した。

しか し 前述 の 如 く 中国 が 日本 に 攻撃目標 を 定 める 偏狭 な 愛国主義教育 の 導入 により、左翼主義者 の 従来 の 主張 は 完全 に 否定 され、日本 が 過去 の 歴史 について い くら 謝罪 を しても、 中 国 側 が 共 産 党 政 権 の 基 盤 と す る 愛 国 主 義 教 育 ( 即 ち 基本 となる 反 日 教 育 ) を 今後 も 続ける 限 り、和 解 などあり 得ない と いうことを、日本人 は 今 度 の 騒 乱 か ら 学 び ま し た。

更に サッカー の 試合場周辺 で 暴徒化 した 群衆 を 治安当局 が 鎮圧 もせずに 放置 したのは、経済格差、地域格差 から 不平不満 を 持 つ 暴徒 による 反 日 行 動 の 矛 先 が、弾圧 することにより 共 産 党 政 権 に 向 け ら れ る の を、恐 れ た 為 でもありま した。

反 日 を 政 権 維 持 の「 お 守 り、護 符 」 に 利 用 するのは 中 国 に 限らず、世界で 例 が 無 い、 旧 植 民 地 の 宗主国に 「 植 民 地 支 配 の 謝 罪 と 補 償 」を 迫 る、韓 国 についても 同 じ ことです。

旧 宗主国に 謝 罪 を 要 求 することで、反 日の 「 お 墨 付 き 」、つまり 政 権 の 正 統 性 を 維持 しようとするのです

それゆえ日本に対する「 謝 罪 要 求 」 は、日本が 例え 何度 謝罪 しても、政権交代 の 度 に 永 遠 に 続 く ことを 覚悟 する 必要 があります。

ちなみに イギリス は 1997 年 の 香 港 返 還 時 に アヘン 戦争 の 侵 略 に対 して、謝 罪 や 補 償 など 中 国 に 一 切 し ま せ ん で し た。そ れ が 国 際 社 会 の 常 識 だ か ら で し た


目次へ