金属回収(釣り鐘の供出)
貴金属等非常回収要綱 ( 昭和18年3月24日閣議決定 )
戦争により外国からの鉄鉱石、クズ鉄の輸入が止まり武器弾薬、軍艦建造に使用する原材料が不足した為、不要な金属製品を民間から回収することが閣議で決まりました。それに基づいて 寺の梵鐘をはじめ、 鉄製の橋の欄干 、門扉、銅像、家庭内にある余った鍋釜、鉄ビン、火箸に至るまで、半強制的に供出させられました。 その当時、家の近くには 三越デパートの社長が住む大木が茂り、広い池や庭園付きの大きな屋敷があって、その門前には 三越のシンボルである銅製の大きな ライオン像がありましたが、それも供出されました。大きくなってからそのライオン像は、ロンドンの トラファルガー広場にある ライオン像を、コピーしたものであることを知りました。ある調査によると昭和19年 ( 1944年 ) 4月から20年 3月までの間に、民間から回収した金属のスクラップは 20万 トンに達しました。 外貨不足を補うために金、銀製品、ダイヤモンドなども、政府が安い価格で買い上げることになりましたが、それを外国に売って資金を作り軍需物資の購入に当てたり、工業用ダイヤとして金属を加工する際に使用する計画でした。 豊島園に戻るにはここをクリック 昔の記憶[2:釣り堀プール]に戻るには、ここをクリック
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