麻酔の話 ( 続き )
手術の経過については青洲が 「 乳 巌 ( にゅう ガ ン ) 治 験 録 」 の中に記 していますが、その記録の初めの部分には、 我 療 乳 巌 乎 竊 擬 華 佗 之 術 [ その意味 ] 私が乳 ガ ン を治療する際には、ひそかに中国の名医 華佗 ( かだ ) の技術を真似ておこない---。と記 して いま した。 全身麻酔による 乳 ガ ン 手術成功 の ニュース が日本全国に伝わると、和歌山県 ・ 紀の川 市 にあった 華岡青洲の 住居 兼 ・ 病院 および 医学校の 青 洲 塾 ・ 春 林 軒 ( せいしゅう じゅく ・ しゅんりんけん ) には、多くの ガ ン 患者や外科医 の入門希望者が訪れま した。 上の写真について、主屋 と蔵 は 青洲 が活躍 した当時の建物ですが、その他の建物は調査資料に基づ いて 後年に復元されたものです ( 8-3、手術 した 乳岩 患者 の数 ) 青洲の 乳 ガ ン 記録である 「 乳 岩( ガ ン ) 姓名録 」 を見ると、文化元年 ( 1804 年 ) 以降 1 6 5 名 の 乳 岩 ( ガ ン ) 患者を治療 したことが分かりますが、乳 ガン 手術 第 1 号だった老女の 「 勘 」 は 四ヶ月後に死亡 しました。 青洲は 乳 ガ ン 以外にも 舌 疽 ( ぜっそ、舌の ガ ン ) ・ 癰 疽 ( ようそ、悪性の できもの ) ・ 兎 唇 ( としん、みつくち 形成 ) ・ 裂 口 ( れっこう、口蓋裂 形成 ) ・ 痔 瘻 ( じろう ) ・ 脱 疽 ( だっそ、壊 死 した部位の切除 ) などの外科手術も、全身麻酔下で おこないま した。彼は 「 乳 岩( ガ ン ) 姓名録 」 以外には記録を残 しませんで したが、門人たちによる写本が流布 ( るふ ) しま した。 盲目になった妻 加恵 ( かえ ) はその後 ひっそりと生き続け、文政 12 年 ( 1829 年 ) に、六十八 歳でこの世を去りま したが、青洲 はそれから 6 年後の天保 6 年 ( 1835 年 ) に 七十六 歳で亡 くなり、青洲の 跡 は次男で医師 の 修平 が 継ぎま した。 下記の動画を御覧下さい。 [ 9 : 全 身 麻 酔と、局所麻酔 ]中世における手術は、地下室 や高 い塔の上で行われま した。その理由は 麻酔薬 の 鎮痛作用 が不十分 なため、あるいは 手術中 に 鎮痛作用 が切 れたり したために、 「 猿 ぐつわ 」 をはめられた患者が痛みに耐えきれずに上げる 「 うめき 声 ・ 悲 鳴 」 などが、外に漏れることを極力防 ぐためで した。 はるか昔、エジプト の医師は衛生上 の理由から 包 茎 ( ほうけい ) の男性に手術をおこないま したが、その際には 冷水で局部を 麻 痺 ( ま ひ ) させて (?) 手 術 したと言われています。 しか し 激 痛 のため患者が身体を よ じらないように、屈強な助手が患者の体を押さえつけて 手 術するのが普通で した。 ちなみに私は 1958 年 ( 昭和 3 3 年 ) 当時、アメリカ で父親が ユダヤ 人、母親が日本人の新生児 ( 生後 8 日 目 ) が 割 礼 ( かつれい ) を受けたのを見聞 しま したが、 当然のことながら 全身麻酔 で した。 その時の様子は、 ここにあります 。 しかし 4 歳未満の子供に対する 外科的麻酔 ( 全身麻酔 ) の使用が、脳の特定領域にある 灰白質 ( か いは く しつ ) 密度の減少に影響を及ぼ し、 知能指数の低下や言語発達の遅れの原因 になるかも しれないと、米国 オハイオ 州 シンシナティ 小児病院 の研究者達が最新の 研究結果 を発表 していま した。( 9-1、 中世の拷問検査の 初体験 ) ところで 私 が 胃の 内 視 鏡 検 査 を初めて受けたのは、 2 0 年近 く前のことで した。 検査に先立ち 麻酔溶液 を 口に含み、飲み込まずに数分間 「 ノ ド チ ン コ 」 、( 口 蓋 垂、 こうが いす い ) の付近に留め置 くように指示されてから吐き出 しま した。 一応 このように ノ ド の粘膜に 局所麻酔を してから 太さ 9.4 m m の内視鏡 を 口 から挿入されま したが、その際に 「 ウ エー 」 という強 い吐き気を 何度も 催 し ま した。 それはあたかも 中世における 異 端 審 問 ( いたん しんもん、カトリック による 宗教裁判 で、異端者を追求 し処罰 したこと ) や、現代の中国における警察のように、 「 自白 は 証拠 の 王 である 」 との原則に基づき、容疑者 や 犯人に 日常的に 拷 問 ( ごうもん、)を加え 自白を強制 していますが、それらを連想させる苦 しい検査は、もう 「 こ り ご り 」 で した。 ( 9-2、 全 身 麻 酔 の初体験 )
[ 10 : 鎮 痛 薬 の効き方の違い ]大別すると鎮痛薬 には 二種類あって、服用後に 胃から吸収され、あるいは 注射などで血液 に入るところまでは同 じですが、そこから
[ 11 : 乳 ガ ン、手術法の 変化 ]乳 ガ ン の手術方法を最初に確立 したのは、フランス の外科医、ジャン ・ ルイ ・ ペティ ( Jean Louis Petit、1674~1750 年 ) で した。その方法は 乳 ガ ン と共に周囲の組織も大き く ひと塊に して切り取り、更に転移を防ぐ為に腋窩 ( えきか、脇の下 ) の リンパ 節を取るもので した。 これは現代の外科の考えと 一致するもので したが、彼の手術では全身麻酔が使われた形跡がなく、局所麻酔 によるものと推測されています。( 11-1、全身麻酔、ハルステッド の手術方式 ) 1800 年代に入ってから、アメリカ の有名な外科医の ウィリアム ・ ハルステッド ( William S. Halsted、1852 ~ 1922 年 ) が、 1882 年に 乳 ガ ン に対する 乳房 切断術 を発表 しま した。 それによれば、患部の 乳房全体 に加えて、ガ ン の再発を防 ぐために ガ ン に冒された側 ( 患 側 ) にある 胸 の筋 肉 ( 大 胸 筋 ・ 小 胸 筋 ) ・ 腋 窩 ( えきか、脇の下 ) の リンパ 節 ・ 鎖骨下 の リンパ 節 を全て切除 するという方法で した。 なるべく広範囲に切除するのが 「 ハルステッド の手術方式 」 の特徴であり、彼の手術方式は 胸筋合併 乳房切除術 ( ハルステッド 法 ) とも呼ばれて、長年 乳 ガ ン の 標準的 手術方法 とされてきま した。 ハルステッド の症例は 5 0 例ですが、いずれも進行 ガ ン であったにも関わらず、局所の ガ ン 再発が 6 % とそれまでの 60~70 % に比べ極めて良好な結果を示 しま した。 ハルステッド の局所再発 6 % は、現在の局所再発率と比べても やや高いものの 進行 ガ ン であることを考慮すると、全く遜色のないものです。彼の最後の論文では、 手術数 2 3 2 例 の うち、 3 年 生存率は 4 2.3 % とありま した。 ( 11-2、近年の手術方法 ) ハルステッド 手術方式の欠点と しては女性にとって大切な 乳房が無くなるだけでなく、上の写真のように胸や脇の下が へこんだりするなどの 外見上の著 し い変形 が見られると共に、腕や肩の筋力低下や 運 動 障 害 の 程 度 もかなり見られま した。 しか し今では 乳 ガ ン の手術が 縮 小 化 の方向 に進み、大胸筋や小胸筋を残す 胸 筋 温 存 乳 房 切 除 手 術 や 乳 房 温 存 手 術 が行われるようになったため、ハルステッド 手術方式は過去のものとなり、この手術法を行うことはほとんどありません。 ちなみに老妻 の友人の 一人に 若い時に 乳 ガ ン の手 術を した人が いま したが、六十 台の半ば を過ぎ 片側の 乳房が 「 垂 れ 乳 ( ち ち ) 」 になってきましたが、乳 ガ ン の手術後に 乳房の再 建 ( Reconstruction ) 手術を して ブレスト ・ インプラント ( Breast implant、シリコン 製 人工 パッド の埋め込み ) を した 患 側 の 乳 房 は若い時の 形 のままなので、胸 の バランス が悪 く なったのだそうです。 ( 11-3、なぜ、乳 ガ ン は増えているのか ) 歌舞伎俳優の 市川海老蔵 と結婚 した元 キャスター の 小林麻央 が 乳 ガ ン であることを最近 夫の海老蔵が発表 し、しかも深刻な病状であるとのことで した。 かつて日本は先進国の中でも 乳 ガ ン 患者発生の 少 ない 国 といわれていま した。 しか し 現在では日本人 女性のかかる ガ ン の 1 位 は 乳 ガ ン であ り、国立 ガ ン 研究 センター の 「 ガ ン 統 計 予 測 」 によれば、2015 年には 新規 に 89、400人 が 乳 ガ ン にかかると予測 して います。 計算方法にもよりますが、多 く見積もると 一生の間に 1 6 人 に 1 人 の日本人女性が 乳 ガ ン になると予測 されて います。これは 7 ~ 8 人 に 1 人 の女性が 乳 ガ ン になるとされる アメリカ と比べればまだ少ないとはいえ、日本での 乳 ガ ン は増加の 一途をたどって います。 その原因の 一つと して指摘されているのが、女性の ライフ スタイル の変化です。 乳 ガ ン の 約 七 割 は 女性 ホルモン の エ ス ト ロ ゲ ン ( 卵 胞 ホルモン ) の刺激によって、増殖する 乳 ガ ン で、 「 ホルモン 感受性 乳 ガ ン 」 ・ 「 ホルモン 依存性 乳 ガ ン 」 などと呼 ばれて います。 この ガ ン は当然のことながら エストロゲン の 分泌量が多い時期が長 く 続 く ほど 、その影響を受けて 乳 ガ ン 発生の リスクが高まります。 女性の社会進出が進むにつれて 高齢出産 が増えたり 少子化 が進み、また出産 しない女性も増えています。 左上図の女性 ホルモン とは、エストロゲン( 卵胞 ホルモン ) と プロゲステロン ( 黄体 ホルモン ) のことで、これらは脳からの指令によって、卵巣から分泌されます。 ちなみに授乳は、乳 ガ ン の発生を防 ぐ方向に作用 します。女性 ・ 部位 ・ 罹患数 ・ 全部の ガ ン 合計 421,800 : 乳 房 89,400 、大 腸 57,900、肺 42,800、胃 42,200、子 宮 30,000 、膵 臓 19,300 、肝 臓 16,600 、悪 性 リンパ 腫 13,300 [ 12 : 分 娩 ( ぶ ん べ ん )]日本では大昔から 江戸時代 はおろか、地方では 大正時代 ( 1912 ~1926 年 ) まで、出産 は 座 産 ( ざ さ ん、座 った 姿 勢 ) でおこなわれて きま した。その方が重力を利用 し 陣痛 が有効に作用 して、分娩時間も 短 縮 され 出血も少ないといわれています。右上図は 産 婦 が 力 綱 ( ちからづ な ) を強く握 り、り きんでいるところで、後から産婦を抱いているのが 「 抱 き 女 」、前に いるのが 「 取り上げ 婆 さん 」 です。 私の故郷である栃木県 の 僻 地 の村では、昭和の初期 ( 1930 年 代 ) に 子供を 5 ~ 6 人産んだ農家の主婦が 臨 月でも 畑 仕 事 に行き、そこで産気 付 いたもの の 一人で出産 し、「 へ そ の 緒 ( お ) 」 を口で噛み切り 生まれた赤子を ふところ に入れて帰宅 したという 話を聞きま した。 出産の際に他人の介助を求めるのは人間だけですが、太古の時代には 産婦は自分 一人で出産 したのに違 いありません。それを裏付けるのが最近多い、 若い 女性による 「 望まない子供 」 の 一人 出産です。 ( 12-1、女子中学生の 一人 出産 ) 2013 年 8 月 10 日の こと、埼玉県 新座市 ( にいざ し ) にある マンション の ゴ ミ 置き場で タオル に包まれた 新生児 ( 男児 ) が捨てられ 泣いていたのを、近所の女性が発見 し 110 番 通報 しま した。男児は搬送先の病院で治療を受けま したが、夏季のために 「 低体温症 」 にもならずに健康状態に問題はなく、命に別条 はないとのことで した。 捜査の結果、新座市内にある中学校に通う 3 年生 の 少女 (15 歳 ) が同日の午前 4 時頃に自宅で 一人で 出産 し、男児を、マンション の ゴ ミ 置き場に放置 した疑いが持たれ、保護責任者遺棄の疑いで逮捕されま した。 同署の調べでは、少女 は 親 と 3 人 暮ら しで、家族は当時留守で妊娠や出産には気 付いて いなかったとのことで した。15 歳の少女が 一人でよく出産できたと感心 しま したが、そこには他の動物と 同様に 人間の 隠れた 本能 があり、それに基づ いて出産 したので した。 ( 12-2、出産後 9 時間で退院 ) 2015 年 5 月 2 日に イギリス の ウィリアム 王子と キャサリン 妃との間に第二子 の 王女 シャーロット が生まれま したが、驚いたことに キャサリン 妃は 出産後 僅か 9 時間 で退院 しま した。 日本では出産 してから 1 週間程度は入院するのが普通ですので、退院の早さには驚かされま した。彼女の場合は 体力の消耗が少な く 回復も早 い、無 痛 分 娩 ( ぶ ん べ ん ) を したものと推測されています。 日本では 1919 年 ( 大正 5 年 ) に歌人の 与謝野晶子 ( あきこ、1878 ~ 1942 年 ) が 五男 を 無痛分娩 で産んだという記録 があり、これが日本で最初の無痛分娩 と考えられて います。しか しその後は 現在に至るまで、 日本における無痛分娩 は 驚 くほど 普及 して いません 。 その理由については、
( 12-3、無 痛 分 娩の 国別 割合 ) 国 別の 経 膣 ( けいちつ、帝王切開などによらない 自然の ) 分娩 ( ぶんべん ) に占める、無痛分娩の 割 合 は下表の通り。
( 12-4、無 痛 分 娩 時 の 麻 酔 ) 誤解のないように申 しますが、無痛分娩 とは私が静脈 経由の 全身麻酔下 で大腸の 内視鏡検査 を受けた時のように、意識が戻ったら 「 赤ん坊 が 生まれていた 」 という状態になるのではなく、 意識のある状態で出産 し 出産に伴う痛みを大幅に減少させる方法です。 麻酔法 には 脊 椎 ( せきつい ) 麻 酔 と 硬 膜 外 ( こうまくがい ) 麻 酔 がありますが、一般には 硬 膜 外 麻 酔 が使用されます。
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