陪審裁判

1:陪審裁判の歴史

古代 ギリシャの哲学者 ソクラテス ( BC 470〜BC 399 年 ) は、同性愛の恋敵であった政治家、不良少年あがりの 三流詩人、法廷演説の代筆屋など、いかがわしい 3 名の政治的反対派から、
青年を堕落させ、神々をないがしろにした。
とする告発を受けたことにより裁判にかけられましたが、陪審員による評決の結果 501 名 中、有罪が 281、無罪が 220 で有罪となりました。更に刑罰を決める量刑評決では 361 対 140 で、死刑を宣告されました

弟子の プラトン や友人達は獄吏を買収した後に、ソクラテスに脱獄 ・ 亡命を勧めましたが、 悪法といえども、法は法なり と言って悠然と判決に従い、用意された毒杯 ( 毒人参の汁 ) を飲み干して 獄中で死を迎えました

古代 ギリシャで生まれた陪審制度は民主主義の モデルとされて、現代の欧米の裁判まで受け継がれてきましたが、

感情に左右され易く、知的訓練を受けていない一般大衆に裁判権を与えることは、果たして優れた制度なのでしょうか?。

ソクラテスは死刑になる程の罪を犯していなかったにもかかわらず、陪審裁判によって有罪となり死刑に処せられました 。

現在日本でも陪審制度に類する 裁判員制度 を導入することが決定し、細部の問題が議論されて数年以内に実施されますが、穿った見方をすれば司法改革の 一環として ロースクール ( 法科大学院 ) が発足し、大量の弁護士が今後社会に出るのに備えて、米国並に弁護士が金儲け ( 後述 )をする機会を増やす意図があるのかも知れません。

参考までに日本では弁護士の過当競争を防ぐために、司法試験の合格率を 2〜3 パーセント に抑え、その結果司法は長い間国民とは無縁の存在でしたが、米国では ロースクールの卒業生の 約 8 割 が弁護士資格を取得します。弁護士のことを別名 アンビュランス・チェイサー( Ambulance Chaser 、救急車の後を追う者 )とも言われる程身近な存在ですが、折角弁護士になっても 5 年後にはそのうちの 4 割は メシが食えない ので弁護士を止めるともいわれています。

もし貴方が裁判を受ける立場になった場合どちらを希望しますか?。という或る新聞社の世論調査の問いに対して、

職業裁判官だけによる裁判を望む人が、 49.3 パーセント
裁判員制度を希望した人は 36.9 パーセント
分からない/どちらでも良いが 13.8 パーセント でした。
もし私が裁判を受ける事態になれば 民意を代表する(?)裁判員の参加よりも、職業裁判官だけによる裁判を望みますが、貴方はいかがですか?。

日本で裁判員になるのは、無作為に抽選で選ばれた 20 才以上の男女だそうですが、法律どころか社会常識に欠け、事の真偽を見抜けるほどの人生経験も無い 3〜6 人の人達によって裁かれるとしたら悲劇ですので、裁判員制度はなるべくご免蒙ります。

注:)弁護士の数( 平成 16 年 12 月 9 日、読売新聞 )



---日本アメリカイギリスドイツフランス
法律家の人口2.5万人100万人10万人15万人4万人
人口10万人当たり20人368人191人179人69人
国の人口(億人)1.32.80.60.80.6

2:アメリカの陪審裁判の実例

平成 4 年 ( 1992 年 ) に日本人の高校留学生、服部剛丈 ( よしひろ ) 君の射殺事件が起きたのは、ルイジアナ州の州都 バトン ・ ルージュ ( フランス語で赤い棒の意味 )でした。ハロウィン ・ パーテイに出席するため、服部君が家を間違えて隣家を訪れたところ、出てきた男に 2 メートルの近距離から ピストルで撃たれて死亡しました。

陪審裁判の結果、意外にも男は無罪になりましたが、アメリカ在住の日本人弁護士によれば、服部君は アフリカ系 アメリカ人、つまり黒人と間違えられた可能性があると述べました。それにしても男が何の攻撃も受けなかったにもかかわらず、 怖かった と主張しただけで殺人の犯行について 正当防衛を認め、無罪 とした陪審裁判の評決には、日本人として大きな疑問を感じましたが、この事件の背景、裁判の結果について、ルイジアナ州における 有色人種に対する蔑視、偏見 を指摘する人もいました。

そこでは公正な裁判を求める代わりに、加害者である白人の無罪を支援する地元住民の運動や、弁護士費用を集める募金活動がおこなわれたからでした。服部君がもし白人であったならば撃たれなかったであろうし、陪審裁判についても犯人は有罪になったかも知れません。

州内には奴隷制度の下で栄えた大規模農場 ( プランテーション ) 経営者の大邸宅が今も数多く残り、1980 年代には白人至上主義で悪名高い K K K ( クー ・ クラックス ・ クラン ) が勢力を盛り返したのもこの州からでした。現在でも日本の都市と姉妹都市 ( Sister City ) の提携が 一つも無いのが、この州の都市です。

3:陪審員の選任が勝敗の カギ

人種的偏見が陪審裁判に影響するのは、アメリカでは当然の事といえます。裁判の開始に先立ち市民から無作為に選んだ陪審員候補者を裁判所が呼び出して、裁判官らが質問し、事件について予断や偏見を持つ人をふるい落とします。検察と弁護側は一定回数の拒否権を行使できますが、その駆け引きが勝負所になります。12 名の陪審員を選んだ時点で、すでに裁判の勝敗が事実上決まるとさえ言われているのです

そのためには弁護士の 「 カン 」 だけに頼るのではなく、 陪審 コンサルタント という商売 ( ビジネス )があって、陪審員候補者の思想信条や生活ぶり、経歴や犯罪歴などを調べ上げ、 裁判に勝てる陪審員候補者 の リストを作り弁護士などに提出するのが仕事なのだそうです。最も大切なのは候補者の人生経験ですが、勿論人種も重要な要因なのだそうです。そのリストに基づき被告にとってなるべく有利な陪審員を選任し、不利な者には拒否権を行使して排除するなどの作戦を立てて、陪審員の構成を被告側に有利に導くのが、弁護士としての腕の見せ所なのだそうです。

1991 年に起きた ロサンゼルス暴動の原因は、陪審員の選任方法にありました。全米の人口比率からして 16 パーセント を占め、ロサンゼルスでは 30 パーセント 近くを占める黒人が、12 名の陪審員のうちに 1 人も選ばれず、全員が白人だったからでした。 ロドニー ・ キング事件そのものは、白人警官たちが 1 人の黒人を警棒でめった打ちにした状況が、市民により ビデオで撮影されていたにもかかわらず、黒人陪審員が 1 人もいない陪審裁判の結果、警官に全員無罪の評決が出されたことが暴動の発端でした。

つまり陪審裁判とは多数の民意を代表するが故に、 正義や公平性 とは本来無縁なもの なのです。服部君の例に限らず有名な フットボール選手でした、 O. J. シンプソン の前妻殺人事件でも、刑事裁判では無罪になりましたが、遺族が損害賠償を求めた民事裁判では有罪になりました。美少女 ジョンベネ ・ ラムジー( 6 才)が自宅の豪壮な邸宅内で殺された事件は、家族の中に犯人がいたと思われましたが、犯人不明のまま幕引きになりました。

高給を払い全米でも有名な腕利きの弁護士を雇える者は、陪審裁判で無罪になり、あるいは不起訴になることができる反面、貧しい者は有罪になる可能性が高いのです。一般に弁護士の費用は 1 時間当たり 350 ドル ( 約 38,500円 ) 程度ですが、有名人の事件やこじれた事件になると、陪審員を選ぶのに数ヶ月もかかる場合があります。現在進行中の歌手の マイケル ・ ジャクソン の 「 少年に対する性的虐待事件 」 の裁判がその良い例です。

注:)
平成 17 年 6 月 13 日 ( 現地時間 ) におこなわれた陪審裁判の評決では、彼は訴追されたすべての項目に対して無罪の評決を与えられましたが、マスコミによれば マイケル ・ ジャクソンが支払った裁判費用 ( 弁護団費用 ) は 260 億円に達した そうで、ネバーランドを含む豪邸はすでに売却されたとの風評もありました。

換言すれば 陪審裁判とは高い確率で評決の結果が事前に予測でき、しかも 「 勝つこと 」 が 金で買える 仕組みなのです

カリフォルニア州地裁の刑事裁判官 ジャック・コナー判事は次のように述べました。

陪審が出した結論に、いつも賛成できるわけではない。陪審の決定が 正義にかなっていない と感じる時もある。陪審の評決がおかしいと思っても、私たち裁判官には手出しができないのです。裁判官が有罪、無罪を決める日本の仕組みをうらやましいと思ったこともあります。
法律のプロの目から見て無実とは考えにくい被告を、陪審が無罪放免するのは、心穏やかでない場合もあります。そのような場合でも裁判官は表情一つ変えずに評決を読み上げるだけです。コナー判事は
この被告は必ずまた悪事をはたらくであろう。その時には、きっと正しく裁かれるはずだ
と考えることにしているのだそうです。

4:服部君事件のその後

その後服部君の両親は損害賠償請求の民事訴訟を起こしましたが、地元住民の感情に依り評決の結果が左右される陪審裁判ではなく、 裁判官のみが判断を下す判事制裁判 を選びました。その結果犯人の男は有罪となり、 65 万 ドル ( 約 7 千万円 ) の賠償を命ぜられましたが、男の加入していた保険会社からは補償金10 万 ドル( 約 1,100 万円 )が支払われただけで、スーパーの従業員では到底支払えない賠償金の負債が後に残りました。

事件の発端となった彼の妻は、多額の債務を抱えた夫とはすぐに離婚して去って行きました。

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