2002.10.17

過去と現在(拉致問題に関して)

世界中のどの国も現在だけで成立しているわけではない。
ドイツは、かって「ナチス・ドイツ」としてヒットラーのもとで、ユダヤ人の大虐殺を行ったという歴史を消し去る
ことはできない。それと同じように、日本もかって大日本帝国として、アジアの国々特に朝鮮半島の人々に
行ったことも消せない事実だ。
多くの労働年代の若者を強制連行という形で日本に連れてきて、炭坑などの厳しい労働条件下で働かせ
多くの人々の命を奪った。朝鮮半島の併合という植民地化の中で日本に渡って来た朝鮮の人々もいた。

私が忘れられないのは、小学校の同級生のMさんとK君のことだ。 彼らは北朝鮮から日本にきた人の
子供だった。K君は小さな牧場の中の牛小屋に住んでいた。とても貧しくて、いつも同じ学生服みたいな
服を着ていた。彼はいつもちょっととまどったような顔をしてクラスにいた。自分から声を出したことがなかっ
たような気がする。 Mさんは、公園もトイレのそばにできたバラックの小屋に住んでいた。水やトイレは
公園のを使う生活で小屋は風が吹くと飛びそうだった。彼女はお風呂に入ることがなかったと思う。
髪の毛がばさばさだったのを覚えている。彼女の目は大きくてぱっちりしていたけれど、いつも寂しそうで
ちょっとおびえたような感じだった。でも、彼らはちゃんと学校に来ていたし、一緒に遠足に行った。
そして、日本でのすごく貧しくて出口の無い生活から希望を求めて、北朝鮮に帰っていった。

北朝鮮帰還運動というのがあって、帰還するといいことがあるように宣伝されていた。
でも、帰った彼らが希望のある生活が出来たわけではなく、日本という資本主義国からの帰還者として
むしろ自分の祖国でも苦しい差別された生活を強いられたらしいということを、ずーっと後になって知った。

日本に住む道を選んだ人達も、「朝鮮人」ということで差別されていた。
この差別を生み出したのは、日本の朝鮮半島への侵略行為だ。忘れてはいけない。

私は心が張り裂けそうに悲しくなることがある。
日本にいても貧しくて、着替える服も無く、お風呂にも入れない生活、人々の差別的な目と扱いのなかで
苦しい生活をして、希望を求めて帰った祖国でもまた幸せにはなれなかった多くの朝鮮の人々。
Mさん、K君はどうなったのだろう、どこかで幸福を見つけることが出来たのだろうか?

何十万、何百万という朝鮮の人々を不幸にしたかっての日本の行為を忘れてはいけない。

北朝鮮の行った拉致ということが免罪されることは決して無い。
しかし、かって日本が朝鮮半島侵略の中で行った行為の結果、同じように悲しみ苦しんだオモニたちが
居たことを、今も苦しみの中にいる人々が居ることに思いいたらなくてはならないのではないだらうか。

国家権力が人々に対して暴力的な行為にでることは、北朝鮮に限ったことではない。
日本もかっても今も他の国の人々に対して暴力的な行為を行っているのだ。
アメリカへの支援という名目で、アフガニスタンを空爆している爆撃機の燃料は日本が供給しているのだ。
今現在も海上自衛隊が海上給油をしつづけている。そして、誤爆ということで、ニューヨークの犠牲者をは
るかに上回るアフガニスタンの人々が殺され続けている。

北朝鮮への怒りのあまり、日本の政府、国家権力のしていること、やってきたことへの批判と戦いをやめ
ることは、ある意味で日本が民主主義や人々の人権を放棄することにつながるように思う。


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