“いつか思い出す時には、君といれて良かったと、思うのだろう” ホテルに着いて荷物を置いた時はもう現地では夜になっていて、今更外出するのも面倒だった。第一、そんな元気はなかった。 カーテンを少し開けて夜景を見ながら、さて明日はどんなところに行くのだろう、と潤は漠然と考える。ここへ来ることも日程も全て決めたのはキリトで、その本人はシャワーを浴びている。 そもそも、自他とも認めるインドアの自分が、仕事でもなくこんな遠くに来ていること自体が奇跡だ、と思う。決定済みのスケジュールを言い渡され、あれよあれよという間に連れて来られた、自分の主体性の無さというか流されやすさに些か呆れもする。甘さ――彼に対してだけか、そうでないかはともかく――、にも。 「…何、黄昏れてんだよ」 いつの間にか出てきたキリトが後ろに立っていた。潤の背後から外を見て、都会なんてどこも似てるな、と興味なさそうに去って行く。 「そっかな。…この辺は割と古い建物多くて、けっこう面白いよ」 「まあ、部屋が上の方だしな」 「選んだの?」 「いや、見晴らしのいいとこなんて意味ないだろ、お前と俺とで」 「…確かに」 お互いに高い所は苦手だった、それを思い出して苦笑する。夜景ではあまり高さを感じさせないし、さすがにこんなしっかりした窓からならば恐怖心も薄くて覗いていたが、かなり高層階の部屋なのだ。そう思いながらもう一度、窓から夜景を見渡す。どの明かりもやけにオレンジで、どこかぼやけて見えた。 「……何かさあ」 「あ?」 「前来た時は仕事だからあんま余裕なかったけどさ、こう、ただの観光で来ると、何か、良いね」 「何が」 「んー…この、風景とかさ」 振り向いた先にいたキリトは怪訝な顔で髪を拭いていた。潤としても深い意味はなく言った言葉だったから、特に強く伝えようと思わなかったけど、逆ギレされても面倒なので柔らかく笑っておく。 「何か、ほっと気が抜ける感じがした。遠くに来てるなーって。…あ、じゃ、俺シャワー浴びるね」 「ん、ああ」 答えた言葉に、少しキリトの表情が和らいだ気がして、何となく嬉しく思いながら潤はバスルームに向かった。 自分もキリトも、少し素直になっているのかもしれない。日常と切り離され、遠い異国の地に二人だけ、という状況で。 次の長期オフな、この日からこの日まで空けとけ、そういきなり言われたのは一ヶ月も前ではなかった。 とりあえず予定は何も入れていなかったものの、急に言われて面喰らう潤に拒否権はなかった。何、一体、いつもの彼の突飛な提案に慣れたこととは言え呆れて、それでも諦めつつ聞いた潤だったが、さすがに海外に行く、と言われた時の驚きは、多分今年のベスト3には入ると思った。 「はあ? 海外? どこ? ちゅーか急に何?」 驚きのあまり思い付いた疑問を立続けて口にした潤に、キリトはしてやったり的な笑みを浮かべた。 「嬉しいだろ。初の二人旅」 「いや、ちゅーかどこよ」 「どこでしょう」 「知るかい!」 思わず突っ込んでから、ふととんでもない所だったらどうしよう、という予感が頭を過った。いやでもいくら何でも例えば政情が不安定なところに行きはしないだろう、例えこの人でも…そう思いながらも、かと言ってリゾート地も似合いそうにも好きそうにもない相手だけに、さっぱり行き先が思い付かなかった。 「…一体、どこ行くつもり」 少し、探るような口調になっていたかもしれない。不安げな様子が伝わったのだろう、キリトは心持ち表情を和らげた。 「一回、行ったことあるとこ」 「あなたが?」 「お前も」 「俺も?」 互いに行ったことがある場所といえば仕事絡みなはずで、そもそも仕事以外で海外旅行なんて行ってなくて、混乱する頭で潤は必死で記憶を手繰り寄せた。どこだっけ、あれは、そう……いつだったか。 「……ロンドン?」 「ご名答」 当てたものの呆然とする潤に、キリトは満足そうに笑うと「現地は3日しかないから、行きたいとこあったら決めとけよ」と言った。 離れて行く背中に、それでも何だか煙に巻かれたような感じで。 「……何で?」 抑揚無く繰り返す潤に、キリトは振り返って、だけど笑っただけだった。 たとえどこだろうと自分は付いてきただろう。そして、それを彼も疑っていなかっただろう。――それだけは、確かだけれど。 シャワーを浴びて戻ってくると、キリトは煙草を加えながら呑気に観光ガイドらしきものを見ていた。結局とりあえずめぼしい場所も上げられず、適当に観光、と答えた潤に、やっぱり、とたいして不満も見せずにいたキリトの中では行き先は決まっているらしい。それはそれで楽しみだ、どこに連れて行かれるか、………少々の不安は否めないけれど、それくらいの覚悟はある。 「で、明日の予定は?」 お任せします、と言った以上、すべて彼に委ねるつもりだった。ベッドに腰掛けて聞いた潤に、ん、とキリトは顔を上げる。 「とりあえずベタな観光名所でも。いい季節だけど、微妙に観光シーズンと外れてるから混んでないだろ」 「あなたでも普通に観光するんだ」 「悪いか」 「いやいいよ、どこ、バッキンガム宮殿とか?」 「そうそう、ベタで却っていいだろ」 季節は日本では残暑の時期で、ロンドンは日本で言えば北海道程度の緯度だから、そろそろ秋の気配が感じられて気持ちが良かった。サマーシーズンからは遅い時期だから、確かにそれほど観光客も多くなさそうだ。飛行機代もホテル代も安かった、とそう言えばキリトも言っていた。 ……それより、キリトがそんな手配をした事実が信じられなかったりもしたんだけれど。 「じゃー明日は9時起床とかかな、こっちの時間で」 「そんなもんかな。もう眠いしな」 「長旅だったからね」 だらだらとしているうちに、時計を見るとけっこうイイ時間になってしまっていた。日本で不規則な生活をしているからか、海外の方がまともに寝起きができそうな気がする。ベッドに横になってしまったキリトがそのまま寝る素振りを見せたので、潤も隣のベッドに登った。さすがに男二人でダブルを取るのは憚られたのか、ツインの部屋だった。 「…おい」 しかし毛布を捲った時に、隣から声がかけられる。見るとキリトが腕だけ出して、手招きしていた。 「来いよ」 「えーだってシングルじゃん」 「でかいから平気」 「マジですか」 せっかく2つあるのにとか、ひとつしか使ってなかったら怪しいじゃないかとか、色々過った言葉はやっぱり呑み込んだ。何となく照れながら、でも素直にベッドに潜り込んだ潤に、キリトはとても嬉しそうだったし、それに。 「…じゃあ、おやすみ」 「おやすみ」 せっかくの2人きりのこの状況で、離れているのは寂しいと、潤も思っていて。軽いキスに浸りながら眠りに落ちるのは、ひどく幸福だった。 翌日とその次の日の自分たちは、まるきり普通の観光客だった。 ガイドブックを見ては観光名所や掲載されている店を訪れ、バカみたいにはしゃいで、ひどく楽しく過ごした。普段2人でこんなに外出することもなくなっていたから、色んなことが新鮮で、楽しかった。キリトの組んだスケジュールはかなり緩やかで、時間に追い立てられることもなかった。きっとわざとなのだろう、それに潤も気付いていたから、何も言わずに楽しんだ。 ひとしきり回って、珍しくパブなんかで少々お酒なども飲み、ホテルに戻る。酒癖がいいとは言えないキリトも機嫌が良かった。そう言えば旅行中、彼は終始穏やかで、それも嬉しかった。本来、旅行とはそういうものだろう。日常のあれやこれやを置いてきて、楽しむための。 だからホテルに戻って、その勢いのまま押し倒されても、潤は抵抗らしいことはしなかった。だけどキリトはそのまま、ただ潤を抱き締めて首に顔を埋めるだけで、それ以上何もしようとはしない。 「…キリトさーん? このまま寝ちゃ駄目っすよー」 「起きてる」 「ならいいけど…って、いい加減風呂入りたいんだけど」 「……もーちょっと」 もごもごと言われて、潤がはね除けられるはずもなく。とことん弱い自分に苦笑しながらも、気の済むまで、とそのままにしてやる。 視界に入る黒髪は柔らかで、何となしに撫でていた。こんなことしてたら本当に寝ちゃうかな、と思いながらも、手を離せなくて――、彼に触れていたくて。 「………潤」 ややあって、そろそろ本気で寝てしまったかも、と少し困惑していた頃、キリトが静かに呼んだ。ああ起きてたんだ、見当違いのことを思いながら、なに、と答える。 「明日、さ」 「うん」 「午後いっぱいくらい、行きたいとこあるんだけど」 「うん、いいよ?」 ここまでもキリトのスケジュール通りだったんだし、と思いながら、何か少し違う感じがしたけれどもとりあえず即答する。するとゆっくり体を起こしたキリトは、潤の顔を覗き込み、あまり見たことのない、愛おしそうな笑顔を見せた。 「本当はさ」 「え、」 「そこが一番行きたいとこなの、俺の」 「え、…そう…っ」 続けようとした言葉はキリトに塞がれて、横腹から手繰られだした手に流された。 久しぶりに感じた熱は、だけど彼の状態を示すように、穏やかだった。 結局目が覚めたのは昼近くで、午後いっぱい、と言っていた彼の言葉を思い出して慌てたが、キリトはそれほど慌てた様子も機嫌を損ねた様子もなく、いつの間にかちゃっかりドアには「Don't disturb」の札までかけていたのを知り、安堵すると同時に脱力した。その、用意周到ぶりに。 寝かさないつもりだったのかよ、そうぼやきながらも緩く促され、軽く身支度を整えて向かった駅で、乗せられたのは高速バスだった。 「…どこ行くの」 「そんな遠くないよ」 「どこ」 「いい天気で良かったなあ」 無視かよ、と舌打ちをしつつ、潤は諦めてバスに乗り込んだ。アナウンスとか書いてある行き先とかはあったが、生憎うまく読めなかったし理解できなかった。まあいいだろう、どこでも。――この人と一緒なんだし。 高速に乗って進むバスの窓から、とりあえず外を眺める。この国の高速道路は市街地を外れると冊がなくなるらしく、見晴しの良い一面の芝生の中を進んで行くようだった。牧草地なのだろう、牛がのんびりと草を噛んでいる姿が見えてきて、思わずキリトを振り返った。 「……何かすっごい田舎に来てない?」 「でも乗ってからそんなにたってないぜ」 「そうかも…それでも、こんな風景になっちゃうんだ…」 カルチャーショックかもー、そんなことを言いながら、潤は子供のように窓に貼り付いた。時々思い付いたように振り返ると、やけに嬉しそうな顔のキリトと目が合ったりして、数回目で気付いた。窓際にしてくれたのは彼だったこと。 彼が、こういう風に優しさを見せる人だったこと。 気付いてしまうと何となく気恥ずかしくて、しばらく振り返ることができずにとりあえず窓に向かっていた。いいんだ、彼は自分に喜んで欲しくて、それが見たくてそうしたんだから、自分はそうしとくんだ、そう自分に言い訳をするように思いながら。 「…あれ」 しばらくして、芝生の緑しか見えなかった視界に、突如異質なものが入ってきた。みるみる近付くそれは、やたらと大きな岩のようで。 「キリ…っ」 「見えてきた?」 振り向くより先に、キリトが身を乗り出して潤にのしかかるように窓を覗いた。 「なに…?」 「あれが目的地。あそこで降りるから」 「え、何なのあれ」 「遺跡っちゅーか、ミステリーサークルって言った方がお前向き? ストーンヘンジって、聞いたことない?」 「……あ」 どこかで、聞いたことがある気がした。具体的には思い出せないが。 やがてバスが到着し、降りた先には見上げるほどの石が円形に積まれた風景があった。 穏やかな風が吹いていた。潤はキリトと並び、少し離れた場所に座って遺跡を見る。 風が、風景がすべて心地良かった。隣にいる彼も。 「すっげー気持ちいー…」 「だろ? ……ここに来たかったんだよ」 ここで半日くらいボーっとしたかった、そう言うキリトに、潤は少し笑う。 「意味あるんだかないんだか。…でも確かに、こんな気持ちいい場所なかなかないかも」 「そうだろ、すげー贅沢じゃねえ? こんな場所で、何もしないでただボーっと過ごせるなんてさ」 「…そ、だね」 そこには、その石の遺跡以外何もなかった。ひたすら広がる平原と、物言わぬ石の行列と。それを見ているうちに潤にも何となく、キリトが何故ここに来たかったか解る気がした。 「昔はさ、あの石の下まで自由に行けたらしいんだけど」 今は冊で囲われてるけどね、少し残念そうに言われて、そう、と相槌を打ちながらも、潤はこの距離で充分だと思う。こうやって、少し遠くから、彼と並んで眺めている今が至福な空間だと思った。 「ここのこと、行ったことある人に聞いてさ、……いつか、お前と来たいって思ってた」 「…え」 言い残して、キリトはごろりと芝生に寝転んだ。ついでに腕を引かれて、不意を突かれた潤も覆い被さるように倒れ込む。驚いて身を起こそうとするのをまた引かれ、覗き込むようになった彼の顔がひどく穏やかで、潤はそのまま動けなくなった。 「こんな遠くまで付き合わせて、悪かったな」 「…そういうこと、今、言う?」 心持ち赤くなった潤を見上げ、そっとキリトは口角を上げる。 「でもお前とここに来たかったんだからさ。今日で最後だから、最後まで付き合ってくれるよな?」 …この状況で嫌と言ったところでどうするんだ、そうも思ったけれど。 「いいよ、……どこまでも付き合うから、あなたに」 苦笑混じりに言って、潤も隣に横になる。風はひたすらに心地良かった。 日没あたりのバスまで、昼寝でもしていよう。東京での生活に比べたら奇跡のような贅沢だ。こんな昼間に外で睡眠を貪って、隣にはキリトで。 彼が、こんなところまで自分を連れてきてくれて。 「潤? 寝たかったら寝ていいぞ」 「うん…」 緩やかに訪れる睡魔に目を閉じる。髪にキリトの手がかかり、優しく梳かれた。 「おやすみ、……ありがとう」 低く甘い彼の声を聞きながら、潤は眠りに身を委ねた。 “その思い出は、どうか君に優しいものであるようにと、祈りを込めて” |
end 2005.01.24
仮504HIT(一時期、カウンターを仮設置していた都合でこんな番号)、椿様に捧げます。これも遅れましてすいませんでした。
「海外旅行でのほほんとした感じ」ということだったのですけれど、すいません願望入ってます、ストーンヘンジでぼーっとしたいのは私です(苦笑)。結果的に、えらくほのぼの甘々な仕上がりにできたかなーと思っております。
リクいただいたのが1年位も前で、当時キリトさんが珍しく海外旅行をしたらしいので、場所はおまかせ、というリクだったのですが、私自身の海外経験が中国とアメリカとイギリスだけでしかもかなり昔で、しかもあのキリト氏がよりによって潤さん連れて南国リゾートとか有り得ん(失礼)ということで、個人的趣味でイギリスはロンドンといたしました。気に入っていただけたら、いいのですけれど。
タイトルはオアシスの有名曲からです。どこ行ったって何やったっていいんだよという意味合いを兼ねて。
リクエスト、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。