スウィートスウィート
2700HIT 飯田荳蔵様へ






“向き合っていても見えない距離。つぶやきは、届かない。”










 その日キリトは初めから不機嫌だったから、優しくなんかしてくれないだろうという予感はあった。
 潤を抱く時のキリトの態度は、その時の気分に滑稽なくらい左右される。だけど不機嫌なあまり抱かない、などということはあり得ないだろうし潤も期待しなかった。乱暴に押し倒されて、腰をつかまれて引き寄せられる前に、悲鳴を殺すために枕を引き寄せて顔を埋めた。
「声出せって言ってんのに」
 少し苛ついたようなキリトの言葉に、だけど潤は顔を埋めたまま僅かに首を振った。舌打ちが、聞こえたような気がしたけれどそれを確認するような余裕は無くて、ただなるべく声を殺してキリトにされるがまま、いつものように抱かれた。
 声を殺したのはキリトに抵抗したくなかったからであって、悲鳴なんか聞かせたくなかったからであって――――彼のするままに望むままに彼を受け止めたかったからで。そんな潤を不機嫌なまま抱いたキリトは、やっぱり不機嫌なまま身体を離す。
 息を乱してベッドに横たわったまま、潤はぼんやりとバスルームに向かうキリトを見ていた。離れる前、くちづけられた額が、熱い。



 シャワーを浴びて戻って来たキリトはまだ不機嫌そうで、潤に無愛想にシャワー浴びれば、と言った。そうする、と立ち上がって痛みに少しよろめいて、すぐ体勢を立て直してバスルームに向かう。何気ないようにして、キリトもそれには無反応で。
 勢い良く流れるシャワーを浴びながら、潤はバスルームで踞る。心地よい湯気に包まれて目を閉じると、いつも泣きそうになってしまうから手短かに済ますようにはしているのだけれど、今日のような日はそうすることは無理だった。精神的および肉体的疲労によって目を閉じて、そうすることによってキリトの表情を思い出してしまう。
 キリトを受け止めたいと思う。彼が抱きたいように抱かれたいし、悲鳴やまして抗議の声など出したくなかった。抵抗なんかしたくなかった。自分なりに必死に彼を受け止めようと、しているのに。
 だけどいつも彼は無表情に、面白く無さそうにして。乱暴に抱いてもそうでなくても、結局はどうでもいいように潤の傍を離れるから、その度に確認するしかないのだ。求めるのは間違いだと、自分に言い聞かせるしかないのだ。
「……あーあ…」
 何やってんだろう、と息を吐いて、潤はソープに手を伸ばす。キリトの家のそれは当然ながらキリトの匂いがして、それだけで目眩のようなものを感じてしまう。
 こんなにも自分は彼を好きなのだと、また、思う。…彼が持っている感情は、自分とは違っていると解っているのだけれど。
 そう思いながら、潤は首を振った。




 バスルームから戻った潤を、キリトはまた無愛想に手招きした。戸惑いながら近付くと、腕を強引に引かれてベッドに投げ出される。
「え、」
「今日は泊まってけ」
「…え」
 一瞬意味が解らずに目を瞬かせた潤に、覆い被さったキリトが唇を塞いで黙らせた。驚いて抵抗しかけた潤は、しかしすぐに力を抜く。そういうことか、と思った。
 だけど唇を離したキリトはそのまま身体を起こし、ベッドの反対側に潜り込んだ。背中を向けてしまったキリトの意図が掴めず、潤は半身を起こしてためらいがちに声をかける。
「…どういう、こと」
 ゆっくりとこちらを向いたキリトはやっぱり不機嫌そうで、潤は声をかけたことを僅かに後悔する。彼がそうしろと言ったことに従う、そのことに異存はないのだし、――――でもどうしてか、解らない。
「何が」
「え、だから…どうして急に、そんな」
 抱かれた後になし崩しのようの泊まることも、キリトが潤の家に泊まることもあった。だけどこんな風に改めて泊まっていけだとか言われたりしたことはなくて、つまりまた抱くつもりなのかと思ったのだ。さっきの口づけは。
 抱く、という行為そのものが終わっているのなら、自分が泊まる必要などないのだと、そう思って。
 潤の戸惑いが伝わったのか、キリトは更に眉を顰める。それを見てまた潤は後悔し、ごめんなさい、と呟いた。そうして俯いてしまった潤は気付かない。キリトの表情が僅かに曇ったことも、抱き寄せようとした手が空を掴み、そのまま下ろされたことも。
 見えたのは、向こうを向いてしまったキリトの背中だけ。




 潤が寝息をたて始めたのを確認して、キリトは身体を反転させた。そっと手を伸ばして頬に触れる、――――壊れ物に触るように注意深く、優しく。
 不機嫌だった原因は潤とはまったく関係のないことだったし、それを彼にぶつけるつもりも逆に癒してもらうようなつもりもなかったのだけれど、声を押し殺して耐える姿に苛立った。
 苦しければ悲鳴をあげればいい。嫌ならば抗議すればいい―――自分がそれを受け入れるかどうかは別だ―――、なのにいつも潤は声を殺して、悲鳴すら飲み込んでただ自分を受け入れる。その度に拒絶されているようで、潤が抱かれているのは仕方なくであって、だから何も言わず声も出さないのだと突き付けられているようで、好き、という感情に動かされてるのは自分だけだと感じてしまうのだ。
 眠る潤の髪を梳く。僅かに身じろいだことに反射的に手を引いてしまうが、そのまま起きる気配はなく、キリトはその手を再び髪に触れさせる。
 こんな風に触れられるのも、潤が眠っている時だけだ。さっきよろめいた彼を、それがきっと自分のせいだと解っていながら支えられなかった。伸ばした手を振払われるのが恐くて――――お前なんかの支えはいらないと、言われるのが恐くて無表情を装った。
 いつだってそうだ、とひとり苦笑する。いつだって伸ばした手は、彼に触れることなく戻される。抱き締めるために伸ばした手は、たとえ届いても掴んだ瞬間に傷つけるだけの刃物に変貌する。傍にいて欲しいだけなのに、当然のように帰る気だった潤の戸惑った表情に泣きたくなった。――――そして、ただ傍にいて、と言えない自分にも。
 潤の髪をなぞり、頬に触れて、投げ出された腕を辿って指先にそっとキスをして、キリトは目を閉じた。潤が、眠りにつく前に流した涙の痕には気付かずに。


 自分たちは交わることのない平行線だということだけを、お互いに理解していた。だけど――――平行線なら、離れることも、ない。そのことだけに縋るように。
 朝、先に目を覚ましていた潤がおはようと笑って、それだけでキリトが満たされることに潤は気付かず、その時気紛れのように交したキスで、潤が泣きそうになったことも、キリトは気付かないのだけれど。





 平行線は続いていく。触れられることのない手は、だけど永遠にそこに存在はするのだときっと知ることのできないまま、――――――盲目のような思いを抱きあったまま。








“…それは、夢の片隅。せめて醒めないように。”
 

end 2002.11.09




当サイト初めてのキリリク小説でした。飯田荳蔵様へ捧げます。
リクエストは「キリ潤」で内容の指定は特にありませんでしたので、好き勝手に書かせて頂いたんですけど…やっぱり暗めな話ですいません。気に入っていただけたらいいのですけど。ちなみにタイトルはスマパンです。
リクエストどうもありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします☆