ユアステイン





 
 

 



“ねえ、僕はみんなのような笑い方が出来るかな?

 大切なものばかり無くしてしまった僕は
 本当に伝えたい言葉が思い出せない”











「年末年始とずっと入院なんて、何て空しい年越しだろね…」
 久しぶりに、しかも新年初めて会ったというのに、明はいきなりそんなことを言った。
「しょうがないじゃん。ボーカリストにとって咽は何より大事なんだから」
 フォローするように言うリーダー正も、その実楽しめた自分の正月休みの報告の方に意識が移っているのは明確で、千葉も久々に帰るといいねーなどと言っている。
「て言うか、さ、あんまみんなお見舞いにも来てくんないんだもん」
「行ったじゃん」
「明も正くんも一回だけじゃん。ヤスくんなんて毎日のように来てくれたよ?」
「じゃーいいじゃん、ヤスくんがいたんなら」
「そういうこと言う?空しい年越しとか言うんだったら、顔出してくれたら良いじゃん。明なんか実家にも帰らなかったんでしょ?」
 剥れて見せる竜太朗だが、2人が一回でも来てくれたことは嬉しいと言えば嬉しかった。仲良しのボーカリストであるヤスがしょっちゅう来てくれたのも、嬉しかった。クリスマスにはわざわざ蝋燭を持って来てくれて、男二人とはいえ、ささやかに祝ったりもしたし。
「さ、それより。竜ちゃんも復帰したということで、新曲の打ち合わせをしたいんだけど―――」
 正の言葉に散っていたスタッフも集まって来る。久々の空気に、竜太朗も気持ちを切り替えた。
 本当のところは竜太朗にだって解っているのだ。咽を傷めたためではあるのだけれど、実際のところは精神的に不安定になっていた自分を気遣ったためのものだったのだ、あの入院は。入院でもして、強制的に日常と隔離された状態に身を置いて、気持ちをリセットすることが必要だと、周囲も自分も思った―――それ程まで、明らかに参っては、いた。
 だから敢えて二人とも、あまり顔を出さなかったのだ。メンバーに会うと思い出してしまう。ここにはいない彼の、あの、笑顔を。






 彼がバンドを抜けると言って来てから世間に発表をするまでの間、イベントを含めて6回のライブがあった。それらはいつも通りに出来たし、自分の気持ちにもさほど動揺は感じなかった。純粋に楽しんでたと、思う。
 だけど、脱退を発表した後の唯一の、そしてラストステージである12月の事務所のイベントは、周りの空気も手伝ってか気持ちが収まらなかった。
「竜ちゃんてそんな緊張する人だったんだあ」
 本番前の廊下で話していた時に、不意にアイジに笑われた。慣れない大ステージに大トリという重圧感もあったのかもしれない。だけどそんなに明らかに平常ではなかったのだ―――他バンドのメンバーに指摘される程に。
「緊張してる?」
「て言うかね、落ち着かない感じ。こんなでっかいとこのトリだもんねー。…まあ、隆くんが最後っていうの、大きいんだろうけど」
 遠慮がちに言うアイジに、竜太朗も曖昧に笑う。だけど動員から言って、隆の脱退がなかったらトリは間違いなくアイジの所属するピエロだっただろう。
「…何か、ね。感情って、邪魔だなあって思う」
 ぽつりと言葉を零す竜太朗は、顔はアイジの方を向いてはいたが、どこか遠くを見るような瞳をしていた。
「え?」
「こんなに感情が邪魔だって思うライブ、ないなあ――――色んなこと忘れて、ただライブってものをいつも通りにやろうって思うんだ」
 曖昧な笑みを浮かべたまま独白のように続ける竜太朗にかける言葉を、アイジは持たなかった。だが、本番で言わないつもりだった言葉を、彼のことを口にした竜太朗に、何か、伝えてあげたい、と思った。それは決して間違いではないと、間違った言葉ではないと。
 “たかちゃんは、僕らの仲間でした。これからもそうだと思ってます”―――思わずそう言った後、振り向いた先にいた隆は、にっこりといつもの笑顔を竜太朗に向けてくれたのだけれど。






「あのさ、竜太朗」
「何、なかちゃん」
 ミーティングの合間に少し戸惑いながら声をかけてきた明を見上げて、竜太朗はヘッドホンを外した。普段――――気を抜くとラジオだろうがテレビだろうが――――竜太朗は明を名字の方で呼ぶ。
「この前のディーパーズのライブなんだけど」
「ああ」
 明が、個人的にサポートを努めているバンドだ。年始からちょくちょくライブがあり、春にはツアーにも行くらしいことを聞いてはいたが、入院中の竜太朗は足を運べなかった。
「それにさ、隆くん、来てくれて」
 躊躇いがちに言う言葉に、一瞬息を止めそうになる。
「――あ、そうなんだ。元気そう?」
「うん。まあ、対バンも知り合いみたいだったんだけど――」
 明も一瞬の空白には気付かない振りをして続ける。
「すっごい、髪切っててさ、その上金髪になってた」
「うっそお、マジ?」
「マジマジ、イメチェンし過ぎ!て言ってて」
 ああ、と思う。彼は自由なのだ。今までのように、自分達のバンドに合わせなくてもいいのだ。思えば、随分と無理をさせてしまっていたような気がする。
「―――新しいバンドも、始めてるんでしょ」
「ああ、うん…けっこうライブも決まってるみたいだしね…」
「忙しそうなんだ」
「うん…また、ウチも見に行くよって言ってたけど」
 そう、と言って、それ以上言葉が続かずに黙り込む竜太朗に、やはりそれ以上何も言わずに明が立ち上がる。
 腫れ物に触るみたいだ、と自嘲する。話題を出すのも出さないのも、気を遣って気を遣って。
 自分はそんなに落ち込んでいるように見えるのだろうか。―――そう思って煙草に火を付け、思わずため息をついた。小刻みに震える指。明確じゃないか。今の彼の話を聞いただけで、こんなにも動揺している。
「竜ちゃん?」
 勢い良く立ち上がった竜太朗に驚いた正が声をかけるが、その顔を見る余裕もなかった。
「ごめん、ちょっと休憩させて。すぐ戻るから」
 竜太朗が俯いたまま、メンバー一の長身に関わらず覚束無い足取りをいつも以上に不安定にさせながら立ち去った後、「どうしたもんかねえ…」というリーダーの呟きが宙を漂った。






「一回くらいさ、お見舞いにくらいさ、来てくれても良かったと思わない?」
 さっきから竜太朗が口を開けば出て来るのは愚痴ばかりだ。せっかく久しぶりに自分の部屋に来たというのに―――呆れたり憮然としたりしながら、青は新しいカクテルを出す。
「あーありがとうー、って、聞いてんの青ちゃんっ」
「聞いてるよー。解ってるつまり、竜ちゃんは隆くんがだーい好きだったってことをね」
「…うー」
 深い意味はなく言っただけだったが、何かのツボを刺激してしまったらしい。急に机に沈んだ竜太朗を見て、青は少し慌てた。
「…竜ちゃん?」
「ねえ、青ちゃあん」
「はい?」
 机に顔を埋めたまま、竜太朗は情けない声で言った。
「青ちゃんとかから見てさあ、俺、たかちゃんのこと大好きだったよーに見えてたあ?」
「…うん、見えてたよ」
 素直に頷いた。Plastic Treeはべったりくっついている訳ではないがそれぞれ仲の良いバンドで、明のことも正のことも竜太朗は大好きなように見える。
「そっかあ…そーだよねえ…なのになあ…」
「……たろーちゃん?」
 でっかい座敷童子が居座ってるようだな、などと思いながら、もごもごと繰り返す竜太朗を覗き込む。最近髪を茶色く染めたから、もう座敷童子とは言えないのだけど。
「…ねえ」
「うん?」
「たかちゃんは、俺のこと、俺が思ってるほど好きでいてくんなかったのかなあ…置いてくのは辛くなかったのかなあ…」
 置いて行かれた俺はこんなに辛いのに。
 返事をしてほしいわけではなさそうな言葉に、青は無言で煙草に火を付けた。
 自分もバンドをやっていて、しかもメンバーチェンジの激しいバンドだから、置いていかれる立場も置いて行く立場もよく解ってる。そんなのは慣れっこだ。だけど、今回のこいつはそう簡単に割り切れないのだろう。それだけ信頼し、預けていたことも、よく知っている。
「…竜ちゃん、もう寝る?」
「…んー…」
「ちゃんと横になんなさい。布団、あっちにあるから」
 意外にでかい竜太朗を運ぶのは遠慮して青が促すと、這うようにして布団に潜り込んだ。すぐに動かなくなったのを確認し、青はゆっくり携帯の通話ボタンを押した。


「――――もしもし?お宅の座敷童子がウチでクダ巻いてるんですけど?」






 電話なんて珍しい、と思ったら、と正は苦笑する。
「ごめんねー。見ての通り、ボロボロですので」
『いい加減吹っ切れてるかと思ったんだけどね。飲んでるうちにどんどん壊れていっちゃって』
 申し訳ない、と笑いながらも、正はため息をついた。
「正直、俺もどうしていいか解んないんだよね。一応、表面上は前向きに頑張ってるから仕事に支障があるわけではないんだけど」
『実は全然吹っ切れてない、と』
「…うん、それも解るからね。竜ちゃん、親しい人に去られるのに極端に弱いところがあるから」
 青が電話の向こうで眉を顰めるのが解った。
『それは知ってるけど、だからってこーんないつまでも引きずってちゃあ埒が合わないでしょうが?』
「うーん、ごめんね青ちゃん」
『…アンタはすっごい前向きなのに、って言ってたよ?』
 その言葉に、少しだけ正は目を細める。
「まあ、リーダーですから。次のこと一番考えなちゃならないから。その辺、解るでしょ青ちゃんなら」
 あなたカリガリのリーダーなんだから、と言うと同意の言葉と共にお叱りが返って来た。
『バンド内のことは俺じゃどうにもならないっちゅうに。基本的には愚痴こぼしたかっただけだと思うけどね、正直見てらんないくらいの落ち込みっぷりだから』
「ごもっともで」
『…ねえ、あのライブ以来正くんも隆くんに会ってないの?』
 竜太朗は会ってないみたいだけど、と言う青に、正は少々迷って告白する。
「…実は何回か、会ってる」
『あ、なーんだ。え、何、じゃあ竜太朗とは敢えて会ってないってこと?』
「…うん、そうみたい」
『―――どういうこと、それ』
 遠慮がちな、それでいて誤魔化すことを許さない響きの声に、正は腹を括り――――だけど明確には答えられないのも自覚しつつ返事をする。
「俺にも解んないよ。まあ、隆くんと竜ちゃんの行動範囲って会おうとしない限りあんまり重ならないんだけど、会うの避けてる感じはする」
『それは、隆くんが?』
「そうだね。竜ちゃんは、積極的に会おうとはしてないけど避けてる訳でもない感じだけど」
『…何でだと思うわけ、正くんとしては』
「個人的な見解だけど…まあ、あんなライブされちゃなあって感じかな…」
『……ああ』
 何となく、理解したようだ。返事は苦笑を含んでいた。





“欠落した感情、ぜんまい仕掛けの涙
 ねえ、僕にかけられてた魔法はもう消えたから――――”













 電車の揺れは睡眠薬だと言うけれど、慢性的に不眠症気味な自分にとっては効かないらしい。
 昨夜あまり寝ていないにも関わらず、電車の中で目を閉じても竜太朗は眠れなかった。平日の昼前の車内はがらんとしている。今日はやけに暖かいし、寝たら気持ち良さそうなのにな。これから仕事なんて嫌だなーーーとりとめのないことを考えながら電車が滑り込んだホームに目を遣る。
「……あ」
 思わず声をもらした竜太朗を近くのサラリーマンが訝し気に見たが、それにも気付かず慌てて立ち上がる。そのまま電車を降りて、さっき見えた人物のいた方へと走った。
「……りゅ」
 ホームを歩いていた彼が、前から走って来た竜太朗に驚いて立ち止まる。その前まで来て立ち止まった竜太朗が、複雑な顔で息を整えるのを見て、ふっと笑った。
「どした、走って」
「電車から、見えたから――行っちゃうんじゃないかって思って」
 だから、必死で走って。
 ライブ以外で運動なんかしないくせに。そんなことを思いながら、隆はちらりと時計を見た。
「竜太朗、仕事やろ。何時?」
「え、―――1時に渋谷」
「散歩、してかん?」
 竜太朗は一瞬目を見開いてから、「うん」と心持ち嬉しそうに頷いた。



 降りた駅は住宅街にあって、隆は友達の家に行く途中だという。お互いの情報は入って来てるものの、会うのは実に数カ月ぶりで、とりあえずの近況を話し合う。小さな公園のベンチでぽつりぽつりと話し合う男二人は、傍から見たらどう思うのだろう。
「お互い、ぼちぼち動き出したって感じやなあ」
「…うん」
 頷いてはいるものの、竜太朗の声に覇気がないことは、隆にも解っていた。持っている煙草が、ほとんど口に銜えられることなく灰になっていっていることも。
 しばらく沈黙が続いた後、意を決したように竜太朗が口を開いた。
「ねえ、たかちゃん」
「ん?」
「―――ひょっとしてさあ」
 言いにくい言葉を選ぶように、竜太朗はひと呼吸置いた。
「俺と、会わないようにしてたの?――――避けてた?」
「―――何で」
 返事はあくまで淡々とあっさりしたものだった。何でそう思う?
「だって…」
 隆の反応に、ただの思い過ごしなんだろうか、自意識過剰な思い込みなんだろうかという気持ちになりながら、竜太朗はなぜか泣きそうになった。
「事務所に来ても、リーダーとかには会うくせに俺には会わずに帰っちゃうし、入院してること知ってたのに来てくんないし、ライブの事だって直接教えてもらったわけじゃないし…」
 言いながら、本当に涙が出て来そうで言葉を切った。――――格好悪いな、ただの愚痴じゃん。
 呆れられてないかな、と隆の方を見る。すると意外にも彼は優しい目で覗き込んでいた。
「バレてたんか、事務所に行ったの」
「………」
「会わんとこうとしたのは事実や。行ったのも知らんと思ってたけど」
「……何で?」
「ん…あーもう泣くなや」
 目が潤んできた竜太朗に苦笑した隆は、仕方ないなあ、という風に竜太朗の頭を小突いた。
「ライブん時と一緒やし……だから、や」
「え…」
「最後のライブ、お前、自分がどんなんやったか解ってんの?」
 どんなに不安定で悲愴だったか。見ていた者すべてが息を呑む程に。
 だけど自分はもう助けてやれないから。だからゆっくり生まれ変わるのを待って。
「お前がちゃんとリセットできたらライブでも見に行こうと思ってたの、俺は」
 小突かれた頭を摩りながら、不意に竜太朗も思い出す。そうだ、あの時も隆がスティックで自分を小突いて、前へ促してくれたのだ――――あれは、そう、彼からのメッセージだった。
 だけど。
「……ねえ、最後にわがまま言わせて」
 だけど、最後に悪足掻きを。往生際が悪いと思われようと。
「ん、何」
「これから言うこと―――黙って聞いて、そして忘れないで」
 空を見つめたまま言う。優しい彼に付け込む、残酷かもしれないお願いを。
「戻って来て欲しいなんて言わない。だけど、ただひたすら寂しくて悲しくて、どうしたらいいのかまだ全然解んない。時間が解決することもあるけど、今はまだ、寂しいんだ。――――たかちゃんがいないのが、寂しくて悲しいよ」
 隆はこっちを見なかったし、竜太朗も振り向かなかった。竜太朗の独白は、紫煙と共に空に溶けた。
「……じゃあ、そろそろ行くね」
 どれくらいそうして二人並んでいただろう。やがて竜太朗が徐に立ち上がり、隆もそれに続く。
「ん、皆によろしく。ライブ行くよ」
「うん、来てね。お酒、飲み過ぎないようにね」
「解ってるって」
 いつもの、満面の笑みで、隆が笑って。
 隆が向かうのは、自分と違う場所だということを再確認した。






 駅のホームに戻り、ベンチに座って電車を待つ間、竜太朗はそっと手を組んで祈りの形にする。
 どうか彼から、自分の言葉が消えてしまわないよう刻み付けて。
 彼の進む道に祝福と、小さな染みを。










“大切なものばかり無くしてしまった僕は
 からっぽの世界からまだ手を伸ばしているよ”



 

end 2002.03.12




…はい、初めて書いたプラ小説です。
登場する他バンドの人物やちっちゃいエピソード(脱退やライブ内容や入院やクリスマスの蝋燭やら)は事実に基づいてます。
12月末からの竜太朗くんが……ファンの目から見ても明らかに落ち込んで情緒不安定でしたから…
最初はもっと前向きな終り方にしようかと思ったんだけど、そんな簡単なもんじゃないだろうと思うので(だいたい私が割り切れてないし)煮え切らない感じにしてみました。
色文字の歌詞はPlasticTreeの“ブランコから”。
こんな暗いすっきりしない話、読んでくれてありがとうございました。