オーバーフロウ
4300HIT 真世様へ
“目を逸らすことが許されない僕は、この手をもう離せない。” 控え室のソファに沈んでただ外を眺めていた潤は、視線を送らないまま煙草を引き寄せて空なのに気付き、ダルそうに手をぱたりと落とした。そのまま動かずにいる目の前に、すい、と煙草が差し出される。 「吸う?俺ので良かったら」 巡らした視線の先に、アイジが覗き込んでいた。サンキュ、と有難く頂戴してついでにライターも借りて小さく煙りを吐くと、一連の動作を見守るようにしていたアイジが、首を傾げるようにしてやや遠慮がちに言った。 「潤くん、何かあった?」 「…え?」 態度とは裏腹に直球な聞き方に、思わず拍子抜けのような声を出してしまう。的を得ない返事は戸惑いとも受け取られたのだろう、ますますアイジは首を傾げた。 「何か今日おかしいって。潤らしくない」 「……そう?」 「うん。調子悪いの?」 「…そういうわけじゃないんだけどね」 悪い、と付け足して苦笑する。ううん別に責めてる訳じゃなくてー、と慌てたようなフォローをするアイジにまた苦笑しつつ、少なからずほっとする。 こうやっていっそ正面きって聞いてくれる方がいい。気を遣われて遠巻きにされる方が気詰まりだ。そう思いつつ、そうさせたのは自分か、とも思ってそうなった原因までまた考えてしまい――また少し憮然としてしまった。 苛々しているかと思えば急に心ここにあらずのようにぼんやりとしたり、珍しくひどく不安定な潤に、スタッフもメンバーもどこかぎくしゃくした対応にならざるを得なかった。……ひとり、その元凶であるキリトを除いては。 そのキリト本人は、至って普段通りでどちらかと言えば機嫌が良くて、――余計、苛々する。 「やけに機嫌いいねえ、あなた」 「そう見える?」 控え室の隅で雑談をしていた中、ふと、といった感じに言ったタケオに、キリトは煙草を銜えたまま口の端を上げた。 「うん、何か元気」 「何だよそれ」 「いや悪い意味じゃなくてね」 はは、と笑ったタケオは缶コーヒーをテーブルに置き、ソファに凭れて伸びをして言った。 「俺の勝手な見解だけどさ。潤くんに何かした?」 「え?何で」 答えるキリトの表情は変わらない。何かを含んだような、それでいてはぐらかすような意地の悪い笑顔。 「いや潤くん逆に沈んでるじゃん。だからさ」 続けるタケオもそんな態度では動じない。長年の付き合いだ――それとも、どちらでも良いのか、踏み込む気はないからか。 「喧嘩…って感じじゃないしあんたたちが喧嘩するとも思えないし、だったらキリトが潤くんに何かして、それがキリトの思惑通りに進んだのかなって」 「ふーん。なかなかいいとこ突いてるかもな」 「あ、当たり?」 嬉しそうなのはギャンブラーの性か、賞金、とか言い出しかねないタケオにだけどキリトは首を振った。 「でもリーチ止まり」 「えー?」 「まあ、ゲームは続行中ってことで」 「あ、そうなんだ?」 思わず聞き返したものの、振り向いたキリトの目は違う光を宿していて、一瞬射抜かれたタケオはふ、と身体から力を抜いて両手を上げた。ホールドアップ。 「解ってます。余計な口出しはしないって。何があったかも聞く気もないし」 「…お前がそんな余計な詮索するとも思ってねえよ。アイジじゃあるまいし」 低く告げられた台詞に、だって今の目は完全に威嚇してたじゃねえかと苦笑しつつ、けどさ、とタケオは続けた。 「あんまり潤くん参らすようなことにはしないでよ。あの人がこれ以上不安定だとさ、支障を来すでしょ色々。…あなたも」 付け足しのように加えられた言葉が一番告げたかったことだったのだろう。思惑通りに抉られて黙り込んだキリトに気付かない素振りで、何事もなかったかのようにタケオは立ち上がって部屋を出て行った。 それが彼なりのキリトへの思い遣りであり、釘を刺したのは潤への思い遣りなのだろう。解ってるよ、とひとり呟きそうになったキリトはそれを呑み込むように、新しい煙草に火を付けた。 結局その日の仕事が終わったのは日付けも変わってからで、最終的には5人ばらばらのスケジュールとなったため、特にキリトと顔を合わすことはなかった。ついでに意識の外にその存在を追い出すようにして帰路に着いた潤は、しかし自宅前に来た時点ですべての努力が無駄になったことを知った。 「――よう、遅かったじゃん」 「…何でいるんですか」 脱力した潤の問い掛けには答えず、キリトはよいしょ、と立ち上がった。玄関前に大の男が座り込んで、通報されても文句言えないぞ、と思う。だけどオートロックの玄関だけはしっかり通り抜けてるあたり抜け目がないというか……ここまで来られては、追い返すのも却って億劫ではないか。 …だけど。 ドアの前に立つキリトに、ひどい既視感と目眩のようなものを感じながら潤は首を振った。何かを振払うかのように。それにキリトは僅かに眉根を寄せる。 「退けよ」 俯き加減のまま、目を合わせないように言うと、潤はキリトの脇からドアノブに手を伸ばした。そのまま鍵を空け力一杯突き飛ばそうとした腕は、呆気無く絡め取られて半端に開いたドアに二人、挟まれる格好になる。 「何だよ、門前払いか」 ぎりぎりまで近付けた、キリトの表情は読めない。言葉もどこか一本調子で、どこかで自分がこういう態度に出ることを気付いていたのだろうかと、思う。 「……理由なら、」 それでも何とか部屋に入ってしまうのを阻止しようと不安定な姿勢でドアを支えたまま、やや高い位置にあるキリトを見上げる。今、ここで迎え入れてしまったらきっと、――きっと。 「理由なら、解ってると思うけど」 僅かに震えた声で潤が告げたその言葉を合図のように、キリトが力任せに突進した。 「――っつ!」 勢いをつけて堅い玄関の床に押し倒され、潤が引きつった悲鳴をあげる。受け身なんか取れる状況ではなく、強かに打ちつけた肩の痛みに呻いている中で、玄関のドアが閉まる音を聞いた。 “本当のことは訊かないで。言わないで。ねえ、――思い出さないで。” 退けよ、と昨日も潤は言った。ここではなく、キリトの家で。 頻繁に来るわけでも、滅多に来ないわけでもない程度に訪れる部屋へ、誘われるまま仕事の帰りに来ていた。小一時間ほど、他愛のない話をしていたはずだ。それこそ菓子でもつまみながら、何の生産性もなく居心地の良い時間だった。 それに思い当たり、話を振ったのは潤だった。 「…何か、不思議かも」 「何が」 「んー、あなたと今ここでこーやって話してんの」 「……どういう意味だよ」 ええとね、と笑う潤の笑顔にどことなく照れが混じっていることに気付いたキリトは、寄せかけていた眉間の皺をつ、と緩ませた。何言い出すつもりだこいつ、といった表情を、解いて。 それに気付かず潤は続けた。ひどく無邪気に。 「だってさ、10年前と変わんないじゃん。こーやってどっちかの部屋で、だらだらと下らない話して、菓子食って。こんな長いこと同じ様な付き合いしてるのって、けっこう不思議――て言うか、貴重だなあって」 ただ、無邪気に言っただけだったのだけれど。 「…俺は嫌だけどな」 返って来た声はひどく低くて、え、と見返したキリトの顔が思いもよらないほど近くて、一瞬思考が停止した。一気に引き倒されて、気付くと馬乗りになったキリトにソファに押し付けられていた。 「…キリト?」 何がなんだか解らない、そんな表情が却ってキリトを煽ったのかもしれない。混乱してただ目を瞬かせる潤を見下ろして、口元を歪ませて、キリトの状態が屈められる。ギリギリまで顔を近付けて、覗かれた黒い瞳は真剣だった。 「同じなのは嫌だ」 「なに、言って…」 何言ってんのあなた、じゃーどうしたのどうすればいいの。そう言いかけた口が凍り付く。寄せられた目の、声の真剣さに呑まれて――言うべき言葉を、見失った。 何を言うべきだったのか、本当は解っていなかったのだろうけれど。 射すくめられたように動けなかった潤を見据えて、顔を寄せたままキリトはしばらく動かなかった。 ひどく緊迫した、一触即発ともいえる空気が流れていて、だけど何故そうなったかということはどちらも答えられないかっただろう。息を殺して身を潜めている兵士のように、動いた瞬間に爆発するかのようにお互いを凝視していたのは、数分間だったかほんの数秒だったのか。 「…キリ、っ」 やがてぐ、と肩にかけられた手に力が篭り、それが合図だったかのように、唇が掠められる瞬間に潤は渾身の力で身を捻り、キリトの下から抜け出した。そのまま鞄と上着を掴んで玄関に向かう。スニーカーに足を突っ込んだ瞬間、追ってきたキリトが脇をすり抜け、ドアの前を塞いだ。 「退けよ」 「潤」 「帰る。――退いて」 「潤!」 キリトの体越しにドアノブに手をかけようとしたが、両肩を掴んで押し返された。顔を合わせないように下を向く潤を覗き込むよう、耳元に口を寄せて名前を呼ぶ、その声はひどく冷静なようでも苦し気でもあった。 「逃げるなよ。お前だって解ってんだろ。もういい加減――」 「キリト!」 叫んだ声は悲鳴じみていて、自分でも驚いたが叫ばずにはいられなかった。顔もあげられず、ただ彼の腕に絡み取られたままもがいた。 解っていた。キリトが何を言っているのか、自分が本当はどう思っているのか、充分解っていてそこにあることも知ったうえで、放置してきたことだった。キリトだってそうしてきたはずだ。なのに今、突然蓋を開けられた想いにとっさにどうしたらいいのか解らず、俯くことしかできなかった。もがく潤に苛立ったらしいキリトは、やがて舌打ちとともに乱暴に潤の両頬を挟み込み、力任せに引き上げた。 再び至近距離で覗かれ、息が止まる。自覚はなかったが、泣きそうな顔をしていたかもしれない。 「………今更うやむやにしたって、何もならない。もう、…」 引き寄せられたまま、触れあう直前で、流し込むように告げられた。真直ぐに見つめられ、目が離せなかった。 そのまま小さく、羽根のように軽い口づけがされて、ゆっくりとキリトの腕が離される。覚束無い動作で後ずさった潤は今度こそ涙を浮かべて、そのままキリトの家を出た。 打ち付けた肩に力が入らず、自力で起き上がることができないまま何とか痛みをやり過ごそうとしているうち、気付いたら体を起こされて壁にもたれる姿勢で廊下に座り込んでいた。靴も脱がされている。目の前には覆い被さるようにキリトがいて、腕に挟まれた形で呻く自分を見下ろしていた。 「…ってー…」 「まだ、痛い?」 キリトの手がそっと腕に添えられる。とっさに痛みに身を引きかけた体は、だけどそれ以上動けずに力を抜いて行った。動けない、物理的にも感情的にも動けない自分を潤は自覚し、そっと上目遣いにキリトを見上げた。 「……力、入らねえよ」 ごめん、キリトはそう小さく呟いて、両肩を包み込むように抱き締めてきた。抗うことはせず、潤はそのまま大人しく腕に収まった。――まだ、動けなかった。 「悪かった」 「…ん」 もういいよ、本当はそう言ってやりたかったのだけれど、言葉にできなかった。もういいよ、それは何に対してか、そしてキリトは何に謝っているのか、答えたら、お互いにきっと気持ちに歯止めがきかなくなる、そんな予感がして。 「…潤」 だけどそれは、彼にはきっと見透かされていたのだろう。かけられた声は穏やかだけれど凛として逸らさせない強さを持ち、肩を包んだ手が両頬に添えられ、引き上げられると、合わされた視線を外すことはできなかった。魅入られたようにキリトの黒い瞳を、ただ見上げて。 やがて口の端を上げる、独特の笑顔でキリトが口を開いた。 「でもずっとこうしたかった。…お前も、だろ。いい加減、誤摩化せないって解ってんだろう?」 まるで魅入られた獲物だ。動かない思考の片隅でそんなことを思った気がする。知らぬ間に、引き返せないところまで誘い込まれる獲物。 ……だけどそのときは、ひどく幸福な気分でいるのではないか? 頬に添えられていた手に更に力が篭る。ゆっくりと目を閉じて、落ちてきた口づけを受け入れた。 ずっとこうしたかった、もう一度告げられた言葉に、うん、と小さく答えて、潤は引き上げられる腕に体を委ねた。ひどく幸福な、息苦しいほどの幸福な気持ちに抱かれて、――――きっと同じ気持ちでいるだろう、キリトの腕に思い切りしがみついた。 “言うならば満ち足りた絶望。いっそ君と窒息しよう。” |
end 2004.12.30
4300HIT、真世様へ捧げます。
本当に、いついただいたリクやらって感じでして。もう来られてないかもしれないんですけれど、とりあえず書かせていただきました。
キリ潤で「切羽詰まったどうしようもないやつ」ということだったんですけれど、や、やっぱりいつものパターンになった感じなんですけれど(苦笑)こういう内容で書くとだらだらと長くなる傾向があるので、すっぱり終わらせようとしたら案外あっさりしてしまって、リク内容に添えたかすら危うくなってしまい、重ね重ねすいませんです。
リクエストどうもありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします☆