ノー・サプライゼス
仕事場でのタケオとの関係は趣味の合う仲間、といった色合いで周囲に認識されているのだろう。ひたすらにお互いにしか解らないような好きなテレビ等の話をし、笑い合う姿はその通りだったし、意識することもなくありのままの関係だ。お互いの家を行き来することは昔からだったし、本当に気の合う仲間であり、しかしそれ以上ではなかったはずなのだ。…タケオが、手を伸ばしてくるまでは。 引寄せられた時、抵抗も誤魔化しもしなかった理由を、潤は未だに説明できない。確かに驚いていて、深く考える前に口づけられてしまっていたけれど、そこで拒絶することは出来たのだと思う。しかしただ呆然と見返すだけで、潤は何のリアクションもできなかった。 いいの、潤。薄く笑ったタケオがそう言い、ぼんやりと呆ける潤の手を引いた。そして戸惑ったままベッドに引きずられ、さすがに抵抗するのを押さえ付けられて抱かれた。 「…どういうつもりだよ…!」 行為の後、泣きそうな声で聞くと、タケオはしれっと言ったのだ。 「言わなかったっけ、潤が好きだって」 それは確かに行為の間何度も告げられた言葉だったけれど、だけどそれは理由にならない。憤りをぶつけて寝そべったまま手を振り上げた、その手首を掴んでタケオが潤を覗き込んだ。薄く笑って。 「けど、潤だって嫌じゃなかったでしょ?」 見透かすような顔に、息を呑む。混乱していたが、突然すぎたこととか物理的な痛みとか、そういうものとは別の部分で、確かに潤はタケオを拒絶はしていなかった。そのことに気付かされて息を呑む。 タケオの笑顔が痛い。なのに逸らしたくても、潤は目が逸らせなかった。 「……タケオ、くん…」 「潤も俺が好きでしょ」 当然のようにさらりと告げられた言葉に、横たわっているのに視界がぐらりと揺れた。言葉を紡ごうと開いた口は次の瞬間タケオの口づけで塞がれ、何を言おうとしていたのか覚えていない。 激しい口づけに、ただ、呼吸ができなくて喘いだ。 それから、表面上は何も変わらないまま、都合がつけば互いの家に行き、抱き合う関係になった。 それ以外は何も変わるでもなく、取り立てて同行することが増えたことも雰囲気が変わったこともなかったはずだけれどそれでも聡い人間はいて、キリトに聞かれたよ、とタケオが笑って告げてきて、ひどく居心地の悪い思いをした。 「なんて言われたの」 「お前ら付き合ってる?って、単刀直入に」 「それにタケオくんはなんて答えたの」 「うん、て。シンプルに」 「…キリト、なんて?」 思いっきり顔をしかめた潤にタケオは笑って「納得したみたい。へーきだってあの人は」と頭を撫でた。そのまま引寄せられて抱かれながら、潤は内心違和感に苛まれた。 付き合っている、そう答えたとタケオは言った。確かにこうやって抱き合っていること、それは事実だ。だけどそう、恋人だとか言い切るのには何かが違う、そう思った。だからと言ってそこで「自分たちは付き合ってるのか」などと聞くようなこともできず、その思いは潤の中で燻った。 潤を抱く時、タケオはひどく優しい。それでいて執拗だ。優しく優しく、最大限に労ってくれていることは疑いようもないが、なのに毎回潤が音をあげるくらいに執拗に、ひどくゆっくりと抱く。それは自分の体力の問題などではないということを、潤は確信している。 抱かれる、それ以外の部分での二人の関係は変わらないように思えるが、それでもひたすら優しくされている、それには気付いていた。仕事絡みでの現場では変化はなかったけれど、それ以外、例えばお互いの家に行ったり遊びに行ったりという、そういう部分では最大限に優しくしてくる。 否、甘やかされている。 それがひどく心地良くて、居心地が悪い。 「お前、タケオでいいのか?」 待ち時間に唐突にキリトに聞かれて、潤は目を瞬かせた。見返すキリトの顔は笑っておらず、茶化しているのとは違うようだ。それが却って困惑させられる。 「急に、なんですか」 「そのまんまの意味。俺が知ってる、てのは、知ってるんだろ?」 「…まあ。なんか、嫌だけど」 「隠し事ってのはバレるもんなんだよ。それはいいとして、タケオでいいわけ? お前は」 誤魔化しを許さない口調で言われて口籠る。即答できないのに自分で気付いて、辛い。 「いいっていうか…別にそこまで深いわけじゃないっていうか」 「でも付き合ってるんだろ?」 それに頷くことができず、眉を寄せて黙り込んだ潤に、逆にキリトが納得したように息を吐いて「やっぱりな」と呟いた。 「え?」 呟きの意図が解らず見返すと、キリトも眉を寄せて苛々したように煙草の灰を落とした。それを銜えてちらりと潤を見る。 「付き合ってる、てわけじゃないんだな」 それにも答えることができず、困って苦笑を返す。それに意味なんてなかったけれど、曖昧な態度しか取れなかった。だって、自分にも解らないのだ。 そんな潤の態度を見てますます不機嫌そうにしたキリトは、ふん、と口の端を上げた。意図的な笑みを作って、まっすぐ潤を見る。向かい合ったソファに座っているため、まるで尋問だと思い、強ち間違ってもいないとも感じた。――だって彼は、押し殺した自分の気持ちを引き出そうとしている。 「だったら余計、タケオでいいのか?」 「…どういう意味」 「半端な関係なら余計、相手は選べってことだよ。少なくともタケオは、お前を簡単には手放さないぞ?」 断言されて、一瞬絶句する。まさか、軽くそう否定しようとして、出来なかった。キリトの言うことは間違っていないだろう。 「付き合ってるってタケオが頷いたから、まあ放っておくかって思ってたけど、なんか違う気がしたからな」 射るようなキリトの視線から逃れられず、潤は顔を歪ませた。何回か言葉を紡ごうと口を開閉させ、やっと出て来たのは「どうしたらいいのか、解らないんだ」という情けない言葉だった。声もひどく弱々しく、情けなさにいっそ笑いたくなる。 「付き合ってる、ていえば言えるのかもしれないけど、でも、俺にはそう言い切れない引っ掛かりみたいなのがあるんだよ」 かと言って、体だけ、所謂セックスフレンドというわけでもない。そんな割り切った関係なら、こんなにかき乱されたりはしない。 「タケオくんはすごい優しくしてくれるけれど、それが付き合ってるからっていうかといえば…どこか違うような気がして。でもどう違う、とか言えないから、何も言えなくて」 苦しいよ、そう初めて言ってみた。優しい相手に口に出せず、でも抱えていた気持ち。 「優しくされて、でも、…それが苦しいんだ。呼吸ができない感じに」 しばらくの沈黙があった。潤の独白がその辺りに落ちているような、息苦しい沈黙。 ややあって、キリトがゆっくり口を開く。視線は潤を射抜いたまま。 「俺が、違和感があるって思ったのは、お前がタケオに対してそう言い切れない態度だってのもあるけれどな。…もっと思うのは、タケオの態度だよ」 言われるまま、潤はじっとキリトを見返していた。身じろぎもできず。 「お前が優しいって言う、それはその通りだと思うけど、お前も本当は自覚あるんだろ? あれはただ、甘やかしてるってだけだ」 ――その言葉に、目を閉じる。キリトの視線を感じたまま。 「付き合ってるんじゃなくて、飼われてるように見えるよ、俺には」 その日、潤はかなりの決心をもってタケオの部屋を訪れていた。 いつもと様子が違うことをタケオもすぐ察して、ソファに座った潤に飲み物を出してすぐ、その隣に座った。――潤が話しやすいように。 それに気付いて、振払うように首を振って口を開く。 「――こういうの、やめにしない?」 「こういうのって?」 「…元の、仲間としての関係に戻らないかってこと」 「嫌だよ」 即答され、でも、と続けようとタケオを見た瞬間、顔に両手が添えられてびくりとする。その手はやんわりと優しく、タケオの表情も笑ってさえいたけれど、潤にはそれがどうしても振り払えなかった。 「俺は潤を離す気はないよ」 ああ、キリトに言われたな、そう思い出す。言われなくても解ってはいた、潤を抱く時のタケオの執拗さが充分証明している。 「どうして、別れたい? 潤は俺がもう好きじゃない?」 「そういうわけじゃ、ない」 「ならいいじゃない」 「けど」 けど、その後が続かずに唇を震わせた。そうではない、タケオのことは確かに好きだと思っている。しかしこのままでいるのも何かが間違っている、そう思って。 「タケオくんは好きだし、すごく優しくしてくれるし」 「うん?」 「…だけど、俺は甘やかされてばっかりで、こんなの」 「潤」 不意に口調が鋭くなったタケオに遮られ、潤は言葉を飲み込んだ。見つめてくる笑顔のタケオが、なぜか恐い。 「キリトに、何か言われた?」 「…っ」 「やっぱり」 困ったもんだねあの人も、そう笑うタケオに、慌てて潤は否定した。彼の責任にしてしまうことは容易いけれど、原因はそうではない。 「違う、確かに色々言われたけれど、でも俺がずっと思ってたことで」 「でも、言われたんでしょ」 「言われたけれど、でもそのせいじゃない!」 叫ぶ潤を見つめ、ふ、と息をついたタケオが、じゃあ、と聞く。 「何て言われたの。俺が甘やかしすぎだって?」 その問いに、暫く潤は逡巡した。くるり、と視線を動かして、やがてこくりと頷いた潤に、やっぱりね、とまたタケオが笑う。 「でもそれは俺の付き合い方だから、潤が気にすることじゃないよ」 「でも、あまりに一方的に甘やかされてばっかりで」 「俺はそんなつもりじゃないよ? だから大丈夫」 嘘だ。直感的にそう思った。タケオは全て解って、潤の葛藤も解っていて、その上でやんわりと切り抜けているのだ。なのになぜか、口にはできなかった。 この人は完全に、確信犯だ。 「けど…っ」 それでも尚も反論しようとすると、不意に唇を塞がれた。ソファに押し付けられながら激しく口づけられ、苦しくなって喘いだ。……まるで最初の日と、同じように。 「俺が嫌になったんじゃないんでしょう?」 ぼんやりとした思考で反射的に頷いてしまう。タケオはにっこり笑って、もう一度口づけてきた。前よりももっと、激しく。 「俺も好きだよ」 その言葉を、腕を振り払う術を潤は持たなかった。 息苦しさに目が覚める。それはもう珍しいことではなくなっていた。そしていつも、タケオは気付かない。 いや、気付いているのかもしれない。気付いて、呼吸のできない自分を知っていてそのまま、その腕で溺れさせているのかもしれない。だけどもう、潤はそれを知ろうと思うこともやめてしまった。 タケオは優しい、だけれどその優しさは愛とは違うということを、もうはっきりと潤は認識していた。ただひたすらに優しく、甘やかす、キリトの言う“飼われてる”状態、それは事実だ。そしてそこから自分は抜け出すことはできない。捨てられる、ことはあるのだろうとしても。 きっと自分は甘ったるく生温いクリームの中で、ゆっくりかき回されているようなものだ。 甘い檻で柔らかく包まれ、ゆっくりと窒息していく、そんな存在。 自分を窒息させる腕を見つめ、今日も潤は目を閉じた。 |
end 2006.06.04 (07.31up)
祈月さんの期間限定潤受企画サイトに投稿させていただいたお話です。
タケ潤ラバーの祈月さんにあわせて「べたべたに甘やかすタケオさん」を書こうとしたのですが、それにずっとあたためていた「罠をかけるタケオさん」を入れたらなんだかすごい恐いというか気持ち悪いことになってしまいました。
でもすごく優しいんだけどどっか狂気のある、どこか履き違えたような、イカれた愛情というのを書きたかったのでそれが伝わればと思います。
現実をまったく無視した時間軸のお話ですが、読んでくださった皆様が少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
そして素敵な企画をしていただいた祈月さん、本当にありがとうございました&お疲れさまでした。