キスミーキスミーキスミー
――スイートトリック――






“イッテ何回もダイスキってそれ、ナニ?”










「……ねえ、好きだよ」
 その言葉に眼を開けると、上目遣いに見下ろすアイジの大きな眼は泣き出しそうだった。
 その眼に、弱かった。










* * * * * * * * * * * * * * * * *






 ドアの開く音に読んでいた雑誌から顔を上げると、眠そうな顔のキリトが入って来ていた。
「おはよ」
「……うっす。お前ひとり?」
 潤は無言で壁のホワイトボードを指差した。インタビュー、と書かれたスケジュールには、キリトと潤の名前しかない。
「皆は別の場所」
「そだっけ」
 気が無い風に答えたキリトはどかっとソファに座り、煙草に火を付ける。
「眠そう…まーたゲームやってたんでしょ」
「煩いオタク」
「ひでー。でも否定しないんだ」
 ケラケラと笑いながら、潤は雑誌に眼を戻した。しばらく沈黙が訪れる。
「…潤、コーヒー買って来て」
 暫くして告げられた言葉に顔を上げると、キリトはまだぼーっとしたような顔で天井を見上げていた。銜えられた煙草は短くなっている。
「何、俺ですか」
「そう。買って来て」
「……ホットでいい?」
 苦笑して立ち上がると、渡された小銭を受け取って廊下に出た。
 勝手な言い付けに、まったく、とは思っても素直にきいてあげるのが常だった。同じ我が侭でもアイジに言われたら、ふざけんなと蹴りでも入れるだろうけど。
 キリトに缶コーヒーを渡し、自分のジュースに口を付けて、ふと思う。これがキリトを特別扱いしているというのだったら―――事実そうなのだが―――、アイジに対しても、あれは、特別扱いをしているということなのではないだろうか。
「…あち」
 コーヒーに口をつけ、すぐ顔を顰めたキリトに笑う。
「そんな急いで口つけるから」
「お陰で眼が覚めた」
「そりゃー良かった」
 笑って、窓の外に眼を向けた。雲がゆっくりと流れて行く。




 携帯がメールの受信を告げて、潤は窓から離れた。テーブルの上に置かれたそれを取ろうとするより早く、キリトが掴み上げて受信ボタンを押した。
「あーちょっと、…キリト」
「アイジじゃん」
 少し困って、でも本気で怒りもせずに奪い返そうと手を伸ばした潤は、一瞬動きを止める。
「マメな奴だなあ、暇なのかな」
 タイトルとアドレスだけ見たのだろう、キリトはあっさりと携帯を返した。潤は無言でメールを開く。
 他愛の無い内容だった。今コータとタケオくんが撮りでいなくてひとりでさ、とかキリトちゃんと来てんの?とか、とりとめのない内容。だけど、その裏側の気持ちにも気付けない訳がなかった。寂しがりの、アイジの。
 寂しいよ、潤。
「……兎か、ての」




「何、寂しいよ潤くん構ってーって?」
 口の端を上げて、キリトが笑う。間違ってはいないので否定も肯定もせず、潤は携帯を机に戻した。
「甘やかしてるもんな、お前」
 皮肉気な笑顔で言われた言葉に、眉を釣り上げる。
「あなたがそれを言う?一番甘やかされてるのはあーたでしょうが」
「俺はいーの」
 平然と言って、キリトは潤の携帯を手に取った。待機画面に切り替わっているそれを、クルクルと弄ぶ。
「肝心なのは、アイジにお前が甘いってこと」
「…どういう」
「例えば、さ、あんだけ引っ付かれても煩がってないじゃん」
「…?」
「俺とは種類が違うってこと」
 尚も怪訝な顔を向ける潤に、キリトは意地の悪い笑みを浮かべたまま黙る。憮然とした潤は、それでも徐々に、彼の言葉を理解した、と思った。
 キリトも、アイジも、自分は甘やかしてる。だけどそのやり方は違っていて……。
 それが、抱いている感情の違いによるものだということは、鈍いと称される潤にも解った。
 憮然として盛大にため息をついた潤を、キリトが面白そうに見る。そして何気ない口調で聞いた。
「好きだって言われた?」



 驚いて見返す潤に「当たりだな」と笑ったキリトに、潤はまだ何の反応も返せず、ただ、呆然と立ち尽くしていた。キリトがゆっくり煙草に火を付けて、次の言葉を口にするまで。
「で?お前はどうすんの」




「どうもこうも……て言うかあなた、どうしてそんなこと」
 困惑しながら、とりあえず浮かんだ疑問を告げる。キリトの言葉は意外すぎて、誤魔化すことも隠すことも何もできなかった。だけど彼はどうして、そしてどこまで知って、気付いているのだろう。
「どうしてって?そりゃあ、あのバカとお前の態度で」
「…解んねえよ」
「ふふん?じゃあ明解に説明してやろうか?」
 尊大な態度で煙草をふかし、キリトは心底楽しそうに潤を見る。
「アイジがお前を好きなのは解ってたからな」
「…見てて?」
「バレバレ」
「…そっか」
「ま、他の奴らが気付いてるかは知らないけど」
「そっか…」
 呟いて、潤はソファに腰を下ろした。アイジの気持ちが真直ぐに向けられていることに、気付いてはいた。だけどそれは強くはあっても、静かなもので―――――例えば嵐ではなく、音も無く降り積もる雪に近い、そんな風に感じられて、――――だから今までやり過ごしてきたのだ。
 キリトが、他の人間が気付くとも思っていなかった。
「で、告白されたな、て思ったのは」
 考え込んだ潤を尚も愉快そうに見遣り、キリトが続ける。
「お前が、迷ってるから」
 ……迷ってる?
 意味が掴みかねて問い返そうとした時、ドアが開いて、スタッフが二人を呼んだ。
 会話が途切れ、立ち上がった時、潤の携帯が再びメールの受信を告げる。インタビューを終えて戻った時に開いたそれは、アイジからだった。






* * * * * * * * * * * * * * * * *







 久しぶり、だった。あの言葉を告げられた時以来、アイジが誘うことはなかった。
 チャイムを鳴らした潤を出迎えたアイジは、眩しそうに笑った。
「…嬉しい」
「何が」
「来てくれなかったらどうしようかと思った」
「行かないとは言って無いじゃん」
 返事はしていなかった。本当は行くべきか迷って、だけど行かない理由も見つからず、―――しかも行きたくない訳では無かったから、ここに来た。
「うん。来てくれて嬉しい」
 低い声を心持ち高ぶらせて、アイジは笑う。



 帰りに、俺んち来てよ。



 たった一言のメールを見つめて、どれだけのことを考えたかなんて、きっとアイジには解らない。










「……抵抗しないんだ」
 いつかと同じ台詞を、同じ姿勢で、同じように見下ろしながらアイジが言う。口調は、前はもっと強かったけれど。今はひどく弱々しく、潤の感情を波立たせる。
「すると思った?」
「…うん」
「何で」
「だって」
 その後に何か続けようとして呑み込み、ぎこちなく笑う。アイジの指が髪に触れて、潤は眼を細めた。
「…いいや。抵抗して欲しい訳じゃ無いし」
 胸に舌が這う感触に息をのみ、ゆっくりとその細い背に腕を回しながら潤は、この身体のどこがいいんだろうか、と唐突に思う。抱かれるのは嫌じゃ無い。だけど自分は元々決してそういう性癖ではなかったはずだし、アイジだってそうだ。だったら自分はどうしてアイジに抱かれるのを是とし、アイジは何故自分を抱くのだろう。
 どうしてアイジは、自分を。
「アイジ」
 顔を上げた彼と視線がぶつかった。少し頭を浮かせて軽く口付けて、聞く。
「もし、俺が抵抗したらどうした?」
「…解んない」
「決めてなかったのかよ」
「そんなの考えてなかった」
 弱く笑って、アイジは膝裏に添えた手に力を込めた。押し広げられる感触に、思わず身を竦ませる潤に構わず、指を這わせた。掠れた呻き声が上がる。
「抵抗されたらどうしようって思って…恐かったよ。けど、そしたらどうしようとかは考えてなかった」
 掻き回されるような感触に喘ぎながら、潤はアイジの声が遥か遠くから聴こえているような錯覚に身震いした。長い距離を経たせいで磨耗したかのように、その言葉はすぐには沁みて来ない。
「どうしようどうしようって、そればっか、俺」
「アイジ、ちょ、キツ……っ」
「そんなことばっか考えてたよ」
 いつになく乱暴なやり方に、潤が悲鳴のような声で抗議する。無視して独白を続けながら、緩めることなく続けたそれはアイジの感情そのものだったのかもしれないと、後で思った。




「……潤くん、好き」
 向かい合って膝の上で突き上げられて、首にしがみついて、もう駄目、と訴えた時。耳許で囁いた声は、熱っぽく掠れていて。
 潤は何も答えず、答えられずに、アイジの肩にそっと、口付けを落とした。





* * * * * * * * * * * * * * * * *










「メール、アイジからだろ」
 液晶を見つめる自分は難しい顔をしていたのだろう。確信を持って聞くキリトに肩を竦める。
「ねえ、さっきの」
「あん?」
「俺……迷ってんのかな」
「…ああ」
 何を言いたいのか合点がいったように、しかし呆れたような表情で、キリトは潤を見た。
「迷ってんじゃねえの?」
「て言うか…」
 言いかけて口籠る。上手く言えない、もどかしさ。
「何に迷ってんのか、迷ってる」
 言ってしまってから戸惑う。我ながら何が言いたいのか解らない。だけどキリトは困惑した表情も見せず、苦笑して煙草を銜えた。
「そんなとこだろうなって思った」
「…解るの?」
 思わず切羽詰まった声になってしまっていることを自覚する。縋りたいような気持ちだった。第三者でも誰でもいい、靄がかかったような感情を晴らす、何かが欲しい。
 だけどキリトはそんな潤の様子に気付いて、更に苦笑した。
「解るわけねーだろバカ」
「……」
 直球を喰らって固まってしまった潤を横目に煙草に火を付けて、ひとつ煙りを吐き出してちらりと戻した視線は、しかし幾分穏やかだった。キリトにしても、潤を悩ませるのが本意ではない。
「―――自分でも解って無いお前の気持ちなんて俺が解るかっての」
「んー…まあ、そりゃそうだ、ね」
 潤もやや表情を和らげて、パイプ椅子に腰を下ろした。見上げる視線の先の親友が、これでも自分を気遣ってくれているのは長年の付き合いで解る。
「まあ…お前がどうしたいとか、アイジを好きなのかは解らないけど」
 見下ろされた視線は優しかった。捻くれていて素直じゃない彼が、だけど本当はとても優しくて気遣い屋なことを、感じられる自分はとても幸せだ、と思う。
「お前が困惑してて、それが好きだとか好きじゃないとかそういう気持ちのせいじゃないってことは、解るけど?」


 ……一瞬息を飲んで、破顔した。
 こんなにも気付いてくれる人がいることって、幸せだと、思った。


「すげーな、あんた。最高。素敵」
「…何だよ、せっかく人が真面目に」
「俺も大真面目だよ……てか、うん。そう、なんだよね…」
 だんだんと笑顔を苦笑じみたものに変えた潤に、少し憮然としていたキリトも表情を戻す。暫く視線を空に漂わせた潤は、どこかぼんやりと呟いた。
「恋してるとか好きだとか」
「…何だそれ」
「フリッパーズギターの曲」
 恋してるとか、好きだとか、愛してるとか。
 そんな風に言葉にしてしまうような気持ちでは、ないのだ。そう言ってしまえるだろうし、それも嘘ではない。だけれど、言い切ってしまうのには戸惑いが大きすぎる。そして突き放すことも出来ない。
 だから、迷ってしまう。



 主語を欠いたような潤の言葉を、だけど意味を汲み取ったのか、キリトは無言で頷いた。
 好きだと、潤くんが好きだよと、アイジははっきりと言う。そこには迷いや戸惑いはなく、いっそ羨ましいとも思う。感情を掴み切れず、持て余している自分には無い清清しさ。
「…ねえ、好きな人にはさ、好きって言える?」
「…さあな」
 混乱する感情をそのまま表したかのように頼り無い、潤の問い掛ける声に、返したキリトの声も揺れていた。はぐらかすような返事も、本心からのものだと解るから何も言えない。
「……好きな人には、好きって言って欲しい?」
 再び投げかけた問に、キリトは答えなかった。その横顔を見上げて、漆黒の眼が見つめる先を追った。開けられた窓の外に流れて行く紫煙が、風に煽られて霧散していく。跡形も無く消えていく様を、二人でじっと見ていた。






* * * * * * * * * * * * * * * * *






 何も答えないまま抵抗もしない自分は、ひどく残酷なのかもしれない。


 アイジの浴びているシャワーの音をぼんやりと聞きながら、ベッドに横たわり、潤は天井を見上げていた。
 それでも誘ったアイジは、それでもいいと思ったのか諦めているのか、都合良く解釈しているのか――それはまずあり得ないだろうけど――、何にせよ苛立った様子はない。寂し気ではあっても。
 寂しがりな彼に答えてやれない、残酷な自分。
 ため息をついて起き上がった潤は、のろのろと脱ぎ散らかされた服に手を伸ばした。



「潤くん?……帰るの?」
 濡れた髪をタオルで拭きながら戻って来たアイジは、シャツに腕を通している潤を見て、低く言った。
「…ん」
 顔を合わせないまま頷いた。アイジが、どんな顔をしているか、どんな眼で見ているのか解るから――それを見る自信がなかった。
「慌ただしくて悪いけど、俺――――」
 言い訳のように、極力さり気なく言いながらジーンズに伸ばした手を、強く掴まれた。引き上げられた先には、アイジの顔。
「アイ、ジ」
「帰るなよ」
「…っ」
「帰らないでよ、何で帰ろうとするの」
 心持ち潤んだ大きな眼に真直ぐに射られて、一瞬、息が出来なくなる。思わず逸らした顔を、後頭部を強引に掴まれ戻された。噛み付くように唇が合わされる。バランスを崩された身体は、そのままもつれるようにベッドに押し倒されて、腕の上から抱き締められて身動きが取れない。
「帰るなんて、」
「…アイジ」
「……帰らせない、から」
 苦しいほどの力で抱き締めてくるアイジは、だけど微かに震えていて。罪悪感とも後悔とも、恐怖ともつかない気持ちを潤に抱かせる。
「ねえ、帰らないでよ。お願い」
 声が震える。
 逃げられない、と思った。こんなにも真直ぐな思いをぶつけてくれるアイジを、突き放すことも逃げ出すことも潤には不可能だった。そんな力など、持たない。―――そしてそんなに強い力を持っていたら、こんな風に彼を追い詰めることもなかった。
 少し力の抜けた腕からすり抜けた潤は、泣きそうに瞳を揺らすアイジの頭を抱いた。胸に顔を擦り付けてくるアイジは、まるで甘える犬のようで、微かな胸の痛みと苦笑を誘う。
 ―――強引で寂しがりの、だけど愛しい存在。
 彼が、答える術を持たない自分を、それでも求めてくれるのならば。




「ごめん、アイジ」
 謝罪の言葉は、残酷な自分に対して、それを受け入れてくれているアイジに対して。
 それでも、傍にいて欲しいと。求めてくれるのなら、願ってくれるのなら。
「…帰らない、から」
 だから。
「……だから、何にも答えてやれないけど、このままで…いい?」
 ゆっくりと顔を上げたアイジの眼は赤くて。それこそ兎のようで潤の方が泣きたくなったけど、その眼を揺らしたアイジは、微笑んで潤を引き寄せた。





「潤がいてくれるなら」
 嘘にならない、精一杯の言葉を吐いて。それでも腕の中の大切な存在に、アイジはうっとりと眼を閉じた。









end 2002.08.23




キスミー〜の続編、て言うか何か前のがプロローグでこっちが本編みたいになっちゃった(汗)。そんなつもりはまったくなかったのですが…。
こっちは潤さん視点で。とりあえず、アイジちょっとは報われたかな?てことで。しかしアイジよりキリトさんの方がいっぱい出てますな(苦笑)。ま、キリトと潤は仲良くなければならないし(ヤケ)。
色文字は解散記念だ(うわーん)CASCADE“StrawberryMoon”から。エロソングその2。タイトルも「甘い罠」ってことで、歌詞から。「スキって言うけどそれナニ?」ていうのがテーマです、はい。実は常々思ってるんですこーゆーこと。
読んでくれてありがとうございました。