“本当はずっと待っていた。見ないようにしながら、待っていた。” “君の声が耳を震わせて、胸に溢れるのを感じながら。” “君の涙が、煌めくように流れるのを感じながら。” 「俺、潤くんち寄るから一緒に降ろして」 車に乗り込むなり言ったアイジを、先に乗っていた潤が驚いた顔で見返した。 「何、来んの」 「駄目?」 「聞いてねーよ、何だよいきなり」 「…駄目?」 最後の一言は駄目押しだ、面倒だとかそんな理由では潤が断れないニュアンスを含んで、それはお互いに解っていた。苦笑した潤は「いいけど」と一言答えた。 「けど俺明日から地方だから、お前ひとりで帰れよな」 「えー何、泊まってもいいの」 「最初からそのつもりだろうが」 こんな時間なんだから、と時計を指す。日付けも変わろうという時間だった。わざわざ電車もなくなる時間になって、タクシーで帰るというのもばからしい。 深夜の道路はすいていて、他愛もない話をしているうちに目的地に着いた。アイジさんも夕方から事務所で仕事ですから遅れないでくださいね、そう言うマネージャーに振り返る。 「じゃー俺も潤くんと一緒に出ようかな、同伴出勤?」 「バカ言ってんじゃねえよ、俺は午前中だっちゅうに」 「そうかー」 笑うアイジにマネージャーも笑い、お疲れさま、そう言って車を出した。子供のようなじゃれ合いをしている二人に半ば呆れた、だけど微笑まし気な視線を送って。 「…何か、さ」 「え」 一通り動物に挨拶をして飲み物に口をつけ、くつろいだ空気の中でアイジがぼんやりした口調で言った。アイジの声は低い。嬉しかったり楽しかったりで気持ちが昂揚したりしていない限り、潜ませた感情はその低音に紛れてひどく届きにくく感じて、潤は未だに時々掴みかねている。 「マネージャー、子供を見守るような目してなかった?」 「あー、さっきね」 してたしてた、お前が煩いから。何だよ違うだろ、お前も同罪だろうが。一緒にすんなよ。一緒だろ。 …一緒だよ。 伸ばされた手が頬に触れる。表情も変えずに、アイジの顔が近付くのを見ていた。 淀みなくまっすぐ近付いた顔は、ギリギリまで近付いてそこで止まった。吐息のかかる距離で、アイジの口角がひどく優しく吊り上がった。 「一緒じゃん。こうするんだし」 「……お前にしちゃ、スマートな誘い方だな」 答えた声が少し上擦っているような気がして、内心舌打ちしそうになりながらそれでも表情を変えずに、潤はアイジを見ていた。 綺麗な笑顔だ、とぼんやり思った。企んでいることはひどく背徳的なはずなのに、確かにそれを含んだ笑顔はどこまでも優しく綺麗で、不意に胸が痛んだ。 「でもまあ、…俺たちがこんなことするとは、思ってないだろうけど」 明日から地方だしさ、ひどくはしないから。そう言って降りてきた口づけを目を閉じて受け入れる。解ってるよ、大丈夫だよお前案外優しいから、冗談めいて伝えた言葉は本心で、だけど伝わっているのかアイジはただ笑って、続く行為へと体を沈める。 アイジはいつも、あれからいつも優しくて、綺麗なまま。 本当はこんなことしたかったわけじゃないんだ。 最初の行為の後、ぐったりと横たわる潤に縋り付いて、アイジは声を震わせ、目に涙さえ浮かべて言った。 「したかったけど、ずっと潤を抱きたかったけど…、でも本当にしたかったのはこんなことじゃなくて、もっと…っ」 縋り付かれる手も震えている。さっきまであんなに荒々しく押さえていたその手はひどくぎこちなく、戸惑いと共に切実な何かを含んでいた。逃さないよう、押さえ付けるのではなく、例えるなら――懇願、のような。 アイジの言っていること、言いたいことは何となく伝わっているものの、その時の潤は混乱と衝撃が強くて、何ひとつ具体的なことが考えられないままぼんやりと、自分にしがみつく細い体を見遣っていた。やがて潤にしがみついた手はそのままにその体が起こされて、潤んだ瞳が向けられる。視線が絡み合った瞬間、涙が一筋、アイジの頬を伝った。 「……だけど、潤」 一方の手がゆっくりと伸ばされ、頬に触れた。近付いて来るアイジの顔が現実味を欠いていて、ただそれを見返していた潤は覆い被さるように覗き込まれる。 「好きなんだ。潤が、本当に好きで。……だから、でも……っ」 ごめんなさい。 それからアイジは潤を抱き締めてそう繰り返して、だけど好きだ、と繰り返した。好きでどうしようもなく好きで、傍にいたくて、……手に入れたくて。 「…アイジ」 何を言いたいのか解らなかった。何を、言ったら良いのかも。 だけど自分を抱き締めて泣くアイジが悲痛で、苦しんでいる姿が辛くて、そっと名を呼んだ。びくり、としたアイジがゆっくりと顔を上げる。涙に濡れたその頬に、投げ出していた手をゆっくり当てた。 「……泣くなよ」 もういいから。自分は大丈夫だから。ちょっとびっくりしてるだけだよ。だからもうお前も気にせず――――忘れて? そう続けたかったけれど、言えたのはただの一言だった。泣くなよ、そう繰り返した潤をアイジは力一杯抱き締めて、嗚咽を漏らした。 ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。 だけど好きだ、……愛してるんだ、お前を。 だから本当は――もっと優しくしたかったのに。 繰り返す祈りのような懺悔の言葉は潤の胸を苦しくさせた。抵抗はした、けれど完全な拒絶をすることができなかったことも自覚している。アイジの言葉は確かに胸を震わせていて、だけどそれでもやっぱり口をつくことができる言葉は同じだった。 「アイジ、……もう、泣くな」 そして暫くしてようやく顔を上げたアイジに、ぎこちなく微笑んでやった。――してやれることはもう、それだけだった。 アイジは一瞬目を見開き、また泣きそうに顔を歪めて激しく口づけてきた。それを拒むことなく、受け入れた。 シャワーの音をぼんやりと聞きながら、潤は行為後の重い体を転がした。シャワーは浴びたけれど、気怠さは残ったままだ。心地よい疲労。いつしかこの感覚にも慣れ、心地よくすらなっている。 今日もアイジは優しかった。最初の時と変わらない、好きだと、愛してると祈るように繰り返して、ひたすら優しく、そしてごめんと繰り返した。 ごめんね、優しくするから。もっと、優しくするから。ごめん、――愛してる。 何を謝るというのだろう。謝られるようなことは何もないはずだった。最初に拒絶をしなかった時から、とっくに潤はアイジを受け入れていて、今も続くこの関係はその証拠ではないのか。 そう言ってやりたくて、何度も言おうとした潤も、繰り返す言葉はやっぱり同じだった。今日も、同じ言葉だけを言った。そうしてその言葉がアイジを泣かせることも、解っていた。 「……泣くなよ、アイジ」 シャワーの音が激しく続いている。泣いた、自分が泣かせたアイジはいつも、行為の後は激しすぎるシャワーを響かせた。バスルームでもう一度泣いているのかもしれない、そう感じては遣りきれなくなる。 アイジが、何に捕われているのか潤には解っていた。最初の強引さ、優しくしたいという言葉、その気持ちにアイジは今でも捕われ続けている。優しくするから、その言葉は呪いのようにアイジ自身を縛り付けていて、潤の言葉も塞いでしまっているのだ。だから、潤も同じ言葉しか言えない。 優しくしたい、なのにひどくしてしまったことを悔いて、アイジの気持ちはいつまでもそこに置いたままだ。 置いてきぼりの気持ちを抱えて座り込んでいる、小さな子供。 そんな存在に、自分は手を、差し出すことができるのだろうか? 「…潤くん、寝ちゃった?」 戻ってきたアイジが遠慮がちに声をかける。巡るだけの思考を止めて、潤は寝返りをうってアイジを見上げた。 「や、起きてた。おせーよお前」 「えー何、待っててくれた?ごめんごめん」 屈託なく笑うアイジの笑顔は、やっぱり綺麗だった。よいしょ、と隣に滑り込んで来る体はすっかり清廉で、少し寂しく思う。 「明日潤くん何時出発?」 「あー…12時集合だから、11時、とか」 「そう。だったら一緒に出るよ」 「早くねえ?寝てていいけど、合鍵置いとくから」 「いいよ、一緒に起きる」 その言葉と同時に腕が回され、後ろから抱き寄せられる。首筋に一瞬、ちり、とした痛みを感じた。強く口づけられたのだ、と気付いた時はもう体は離されていた。 「…おやすみ」 暗闇の中、低くアイジの声がして、答えることができないまま、やがて聞こえてきた寝息に潤も目を閉じる。目を閉じた、その裏に浮かぶのは綺麗なアイジの、笑顔。 きりり、強い胸の痛みを感じて息を吐く。解っていた、何をすべきか。自分が何を。 もうこれ以上、彼が泣かないように。 慌ただしく準備をする潤の横で、アイジはのんびりと煙草をふかしていた。 「キャンペーンなの解ってんだからもっとさっさと準備すればいいのにー」 「うっさい、お前が来たから昨日できなかったんだよ」 「だって全然そんな素振りしなかったじゃん、てっきりやってあると思ってた」 「俺がそんな準備できてるわけないだろ!」 「そりゃそうだ。てか、自覚あんのかよ」 笑いながら煙草を揉み消し、トランクの横に移動する。ごちゃごちゃした中身を覗き込んで、潤に向けて手を出した。 「手伝ってやるよ。適当に入れるから、入れるもん出して」 「ええー、いいよそんなん」 「いいから。時間ないじゃん」 ぶつぶつ言いながら、大人しく潤はアイジに従った。こんなのいるのかよとか相変わらず荷物多いなとか言いながら、それでも効率良く荷物をつめていくアイジに少し感心する。 「何日くらい行ってんの」 「えーと…移動して、5日間くらいかな」 「小旅行だ」 「そーだよー。今回リーダーと一緒だしね、途中で切れないといいけど」 「大丈夫っしょ、潤くんなら」 「どーいう意味だそりゃ」 笑いあっているうちに時間になったようだ。マネージャーの迎えを告げる電話が鳴った。今降りる、という返事をして、アイジを促す。 「どうすんのお前、タクシーで帰る?」 「そうしよっかなって思って。電車ダルいし。一回家に帰りたいしね」 そうか、そう言って潤はペットたちに挨拶に行った。いない間の世話は事務所のスタッフに頼んでいるらしい。ご苦労なことだ、そう思いながらもいない間のことを考えてもらっているペットたちに、下らない憧憬めいたものを感じていることを、実はアイジは自覚している。本当に、下らないのだけれど。 「…アイジー」 不意に声をかけられ、はっとアイジは振り返った。ぼんやり玄関先に立っていた姿を潤は不思議そうに見て、ふ、と笑った。それに何となく気詰まりで、アイジは取ってつけたようにしゃがんで靴を履き出した。 「…出ようか、準備済んだみたいだし」 努めて何でもないように言って紐を結ぶ、その背後に、潤が近寄った。 「アイジ」 振り返ったアイジに、潤が屈み込む。驚いて見開く目を一瞬見つめ、目を閉じて柔らかく口づけた。少しの間を開けて離し、目を開けた先のアイジの目はまだ見開かれたままで、信じられない、といった感じに唇が震えた。 「潤、くん」 言いたいことは沢山あるのだろう、だけど込み上げるばかりで言葉にできないでいるアイジに、潤はこの上なく自然に笑ってやった。 「……しばらく会えないしな、て思って」 「…潤」 「――あのね、アイジ」 きっとお前と同じくらい、俺はお前に会いたいんだけど? 「痛いー痛いってアイジ、いい加減離せ、マネ待ってる」 ぎゅうぎゅうに抱き締められてそれこそ身動きできない位にされて、抗議の声を上げるもののアイジは潤を離そうとしなかった。言いたいことは一杯あって、それこそ止まりそうになかったけれどだけどやっぱり何も言えなくてただ、力一杯抱き締めているアイジに少々困惑しつつ、仕方なく潤は体の力を抜いた。とたんにアイジの力も弱まり、力無く潤に寄り掛かってきた。 「あー…だからアイジ、とりあえず時間ないから、な」 「潤くんー…」 「ん?」 「潤ー…」 「何だよお前」 「だってー…じゅーん…」 やっと顔を上げた、アイジの表情はどうしようもなく情けなくて、でもそれでも綺麗だった。綺麗に笑っていた。 「ねえ潤くん、帰ってきたらすぐに連絡してね? 行くから」 ひどく綺麗な笑顔のまま、アイジは言った。それはもういっそ眩しいほどで、潤は思わず苦笑する。 「いいよ。連絡する」 それを聞いたアイジにもう一度抱き締められて、心底嬉しそうな笑顔を向けられ、もう適わない、と思った。彼には適わない。適わないくらい綺麗な笑顔。 次に逢ったら、違う言葉を言えるのだろう。もう泣かせなくてすむのだろう。そう思い、そう願い、ゆっくりと外に向かう。 傍らのアイジを見遣って、周囲を見回した彼が、もう一度、と呟いて顔を近付けるのを目を閉じて受け止めた。 “君の涙は美しかった。いつか見た明け方に煌めく雪のように、湖面に映る月のように。” “薄ら寒いほど美しくて、目が離せなかった。もう――離せない。” |
end 2005.01.10
6504HIT、飯田荳蔵様に捧げます。遅くなりましたー(いい加減開き直りっぽい)
“男前な潤、情けないくらいに潤くん大好きなアイジ”ということだったのですけれど…どうなんだこの潤くん、男前…か…?(焦)アイジはクリアしてると自負してますが(笑)。
年始の武道館のアイジのにこにこっぷりが眩しく、あらこの人いいじゃんかっこいいじゃんーという気持ちを込めたんですが。そして、いつも可哀想なうちのアイジをどうにか幸せにしてあげようと思って…て…し、幸せになってますよね、ね。
タイトルは有名なあの曲から。メロディがとても美しくて好きな曲です。アイ潤でこのタイトルで書きたいなーというのがずっとあったので使いましたが、特に曲と内容とは関係ないです。
リクエスト、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。