ツメタイヒカリ








“雪にうずもれて僕は死んだふり。君は笑ってみてる。
 「ひとつ」にはなれない僕ら。いつか二人の距離がとおくなる。”










「お疲れさまでした、では、明日は3時に事務所ですので」
 マネージャーの言葉に頷いて、潤とアイジはそれぞれ席を立った。
 今日は取材を集中させたスケジュールで、最後はギター隊の二人でのインタビューだった。他のメンバーは既に帰るか移動してしまっている。疲れたねー、などと言いながら上着を取る潤に、アイジは横から手を伸ばしてパーカーを取りながら声をかける。
「潤くん、今日、車?」
「いや、迎えに来てもらったけど」
「ああ、―――じゃあさ、俺、車で来たからさ、乗ってかない?」
「送ってくれんの?」
 無邪気に聞き返すその表情には他意は見えない。誘っている自分の方は自然に振る舞えているのだろうか、それは判断できないけれど、だけど気にせずアイジは続けた。
「いや、俺ん家来ないかなって」
 潤は一瞬少し驚いたような表情になり、しかしすぐにいつもの笑顔に戻る。誰にでも平等な、笑顔。
「それは、俺は今日帰れないってことかな」
「―――そういうことになる、かな」
 言外に、誘いを含んで。珍しく遠回しなアイジに、潤は首を振った。
「だったらちょっと…ペットに餌やらないと」
「………猫一匹にハムスター5匹」
「よく知ってるね」
 落胆を誤魔化すように発した言葉を軽く流して、潤は煙草に灯を付けた。ひとつ、煙を吐き出して、動けないでいるアイジを見る。
「お前が俺ん家来るんならいいよ。汚いけどね」
 にこやかな笑顔のまま続けられた言葉に、反射的に頷いた。





「……てっ、ちょっと待、って」
「………痛い?」
「…痛えよ」
 悪態をつきながらも自分の下で何とか息を整えている潤を見下ろし、アイジは少し笑う。
「…何」
 掠れた声で聞かれて、別に、と口だけを動かした。そして額に軽く口付ける。
「潤くんて可愛いなあって思って」
「……何だよ、それ」
「そのまんまの意味だよ」
「…っ」
 尚も何か言いかける潤を遮るように、アイジは動き出した。
 嘘はついていない。想像に難くない抵抗感も普通感じることのないはずの痛みも超えて、自分を受け入れてくれている潤が可愛いと思う。
 だけど、どうしてだろう。苦痛に喘ぐ顔を見た時。都合が悪いと言いながらも、譲歩するさまを見た時。時折、ふと思う。……受け入れてくれるのは、何故?良くも悪くも、見事なまでの潔さを持つ彼故のものなのか。それとも。
 ――――皆に等しく優しい彼は、だけど等しく距離を置く。絶対の不可侵。





 先にシャワー借りるね、とバスルームにアイジが消えた後、潤はベッドに腰掛けて煙草を銜えた。
 流されてるかな、と、思う。今日だって、ペットを理由に断ってしまうこともできたのだ。だけどあのまま自分が切り出さなくても、じゃあ潤の家に行く、とアイジから言われたかもしれない。その前に自分から切り出したのは、言わば予防線だ。この行為を、彼ひとりの責任に転嫁しないために。―――――流されてる、という自覚を消すために。
 それでも、この感覚は消えない。





* * * * * * * * * * * * * * * * *







 例えば、相手がアイジじゃなかったとして。例えばキリトだったら。
 下らないと思いつつも、待ち時間の手持ち無沙汰に、潤はふと考える。
 誘ったのがキリトだとしたら、自分はそれに乗ったのだろうか。そう思って、何がきっかけだったのか、明確には思い出せないことに気付いた。いつのことか、どうやって誘い誘われたのか、場所は―――――すべてがぼやけている。今まで、思い出すことも考えることもなかった。むろん、お互いが口にすることも。
「―――下らねえ」
 思わず口をついて出た言葉に、横で雑誌を見ていたタケオが顔を上げる。
「何ぼやいてんの」
「あ、悪い…どうでもいいようなこと」
「……ふうん?珍しい」
「え?」
「考え事してて思わず口に出した―――て感じじゃない?アイジならともかく、潤あんまそういうことないでしょ」
「…そっかな」
 確かに、思ったことがすぐ口に出るアイジならありそうなことだ。アイジだったら、か。奇しくも自分が考えていたことに繋がり、潤は苦笑する。アイジだったら、それともキリトだったら。そもそも、そんな仮定の事項を想定すること自体、自分らしくない。
「あ、そういえばアイジ、さ」
 考えれば考えるほど面白くない気分になりそうで、潤は思考を打ち切ろうとした―――――しかしその傍から、タケオが彼の話題を持ち出す。
「…うん?何?」
「昨日、潤くんち泊まったの?」
「うん。…何で知ってるの?」
 潤は単純な疑問を口にする。確か昨日はタケオも、他メンバーも先に帰ってしまっていたし、一緒に仕事に来た時もタケオはまだ来てなかった。
「いや、昨日遅くに電話したらさ、潤とこにいるって言ってたし。遅い時間だったから泊まったのかなって」
「…ああ」
 何だそうか、と合点がいった。おそらく、自分が風呂か何かで席を外していたのだろう。
「アイジ車だったから、帰りにメシ食って送ってもらいついでに上がっていって…」
 言ってから、内心潤はやや戸惑った。何だかとても言い訳めいて聞こえるのは、自分の考え過ぎなのだろうか。しかしタケオは気にした様子はなく、「ああ、そんでそのまま?」と笑った。
「あいつ神経質なくせに、そういうとこ強引だよな」
 どうせいーじゃんもうちょっといさせてよーとか言って、ずるずる泊まっていったんじゃないの?からかうように言うタケオに、まあそんなとこ、と笑う。
「なし崩しに流されちゃった、て感じかな」
 抱いている鬱積した気持ちを、冗談めかしてでも口に出したのは、自分に対する皮肉でも自戒でもあったけど。だけどタケオは穏やかに笑った。
「でも、納得しなかったら許さないでしょ、潤くんは」
 例え流されてるって自覚してても、さ。
 違う?と笑うタケオに、動揺した自分に、戸惑った。






 事務所の一角。自動販売機の横にある申し訳程度のベンチに座って、ぼんやり紫煙を吐き出しているアイジを見つけて、キリトが声をかけてきた。
「何馬鹿面晒してんだ」
「……あれ、キリト取材は」
「終わった」
 短く応えて煙草に火を付けると、キリトも隣に腰を下ろす。そのままとりとめのない話をしていたが、ふとアイジが洩らした言葉にキリトがやや眉を上げた。
「…珍しく悩みごとかよ」
「そう、思う?」
「違うのか?」
「……違わない」
 苦笑して、アイジは新しい煙草に火をつける。確かに「現状維持でいいのかなって思うんだ」なんて、我ながら情けない台詞だ。しかし指摘した本人は、無表情で煙草を揉み消した。
「聞く気ないけど」
「あれ。冷たいなあ」
 まあ、詳しく話せる内容でもないのだけれど。それでも、最初から突き放したような言い方に、少し抗議するように言ってみるが、キリトの表情は動かない。
「根が深そうだから」
 そんなモンに首突っ込む気はねえよ、と言わんばかりの素っ気無い態度に気圧されながらも、アイジは聞かずにいられなかった。
「根が深そう?何で?」
 いくらキリトでも何も聞かずに解るものなのか、という問に、キリトは少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前みたいに解りやすい奴が、曲がりなりにも表面上は隠せてるんだ。根が深いってことだろうよ」
「…適わないな、アンタには」
 お手上げ、のポーズを取り、アイジはベンチに身体を沈める。そういうことだ。はっきりとした要因なり事件なりがあれば、自分は解りやすく凹んだりできるのに。すべてはただ曖昧なまま。
「…じゃあ、さ、例えば、キリトに今恋人がいるか知らないけどさ」
 相談という形ではなく質問に変えたアイジに、キリトも視線を向ける。それくらいは答えてやる、という姿勢だろうか。
「好きな人と一緒にいるだけ辛くなるって、そんなこと、ない?」
「…それは、一緒にいるだけ憔悴するっていうことか?」
「ちょっとニュアンス違うかもしんないけど、まあ、そんな感じ」
 キリトはアイジの顔を見返し、少し考えるような仕種をする。やがて返って来た返事は「辛くなるだけってことは、ないな」だった。
「憔悴することもある。だけどそれだけじゃない」
「それ以上に楽しかったりするってこと?」
「まあな。……でも恋愛なんて楽しいだけじゃないだろうが」
 そっかあ…、と呟き、アイジは天井を仰いだ。
「――――重ねるだけ辛くなる関係は、恋じゃないのかな」
 独白のような呟きにキリトが眉を顰めたことにアイジは気付かなかったが、呆れたような声は届いた。
「辛いだけでも恋は恋だろ」








“離れないように手をつないで二人で、ねえ、このままで見えなくなろう。”


                    “このままで見えなくなろう。”






* * * * * * * * * * * * * * * * *









「潤くん、今日、は」
「あ、――――ごめん、都合悪い」
「…そう」
 にべもなく断られたアイジは、珍しくあっさりと引き下がった。珍しいな、とは思いながらもそれ以上考えることもなく、潤はスタジオを後にする。今日は行き掛けに猫を美容院に預けたから、引き取りに行かなければならない。
 綺麗にしてもらった猫を受け取り、ケージを覗き込む。にゃあ、と甘えた声で鳴く彼女に微笑みかけるが、上目遣いに見上げて来るその眼に、不意にアイジを思い出した。“潤くん、今日は?”…あの時の、不安と期待と、計り知れない何かを混ぜたような。
「……くそっ」
 一旦焼き付いてしまったものは、そう簡単に拭えないもので、ハンドルを握る潤を苛立たせる。だけど苛立ってしまっている自分に更に苛立つのも事実で、つまるところは堂々回りだ。
 ――――そして結局、すべての原因を作っているのが彼だということに行き着いてしまうことを、認めざるを得ない。





 部屋に戻り、電気をつけた途端に携帯が鳴った。発信者名に少し驚いて、通話ボタンを押す。
『潤くん?今、帰ってきたんでしょ』
「今…って、お前どこにいんの」
『潤くんのマンションの前』
「……はあ?」
『用事済んだんでしょ。出て来てよ』
 悪びれもなく言う声に、カーテンを開けて道路を見ると、車に凭れたアイジが手を振っていた。
「…お前ねえ」
『早く出てきてよー、寒いから』
「お前なあっ」
 強引なやり方に驚いて呆れて、だけど腹はたたない。
「……10分待てよ。餌だけやるから」
 電話を切って、今置いたばかりの鞄を再び手に取って。
 この際、流されてるとか受け入れてるとか、気にするのはやめよう。どんな経緯だろうと、誘いに乗ったのは自分の意志で、それに――――――悔しいけれど、苛立ちの原因も解消も、彼によるのだし。





 潤の部屋の明かりが消え、玄関に彼が現れるまでの数分間、アイジは夜空を見上げていた。曇っているのか、星一つ見えない空。
「…アイジ?寒いんだから車ん中で待ってたらいいだろ」
 いつの間にか降りて来ていた潤が、呆れたように声をかける。そうだね、と笑ったアイジは再び空を見上げた。
「雪、降るかな」
「…ああ、そうだね冷えるし」
 降るといいね、でもそしたら明日大変かあ、と笑う潤に、そうだね、と繰り返して笑い返す。
 雪が降れば。都会では自分たちの故郷ほどは積もらないけれど、白く染まった世界を、彼と見ることができれば。
 ……そうしたらきっと。
「…乗って、潤くん」






“限りなく、限りなく白くなれ、嘘の世界――――――。”











“そして僕らを冬が連れ去った。光があふれてくる。”


end 2002.04.16




ラブラブではないけどカラダだけの関係でもなく、煮え切らない感じの日常的な話が書きたくて。ちょっとぼやけた話になってしまった気はするのですけど。
で、そういうある意味ドライな関係がハマるのは、と考えてアイ潤に。好きなカップリングでもあります。ピエロでは私は潤くんファンなのですが、彼のおっとりしてて実は冷めてる部分とか見事なまでの諦めの良さとか、「割り切った受」にハマるのではないかと…(苦笑)
私が書くのは、なーんかすっきりしない、煮え切らない話が多いみたいです。すみません…
歌詞はPlasticTree“ツメタイヒカリ”。タイトルもまんまです。プラにしては珍しく歌詞も曲調もおとなしい、綺麗な曲なのですが…この曲、実は私の中での「アイ潤ソング」だったりします(爆)。今回みたいなのでもラブラブでも。この曲の、幸せとも寂しいとも言い切れない雰囲気とか、閉じた静かな世界が合うと思うのですよこの二人には。
読んでくれて、ありがとうございました。