ボーイズ・ドント・クライ
一時間後、指定した店にタケオは先に来ていて、隅の席でひとり薄いカクテルを飲んでいた。キリトの姿に片手を上げ、ひどい顔、と笑った。 「仕方ねーだろ、忙しいんだよ俺は」 「飲み歩いてるって聞くけど?」 「それとは別」 「元気だよね…おねーちゃんのいる店じゃなくて良かったの?」 「あ? …いいんだよ今は」 「そうだね、俺も落ち着いてあんたと話がしたい」 キリトが注文したものもアルコール度数の低いカクテルだった。酒の勢いで話すつもりはない、ということか。タケオはひとり合点して新しい煙草に火をつけた。 しばらくは他愛のない話をした。久しぶりという程ではないが、そこまで話し込むことも少なく、話題が尽きるということはない。───だが、お互い核心に触れるまでの様子見をしている、自覚はあった。ちょっと会おうか。電話越しに沈黙するキリトに提案したのはタケオの方だった。出れるなら、今から会う? それにキリトも即答した、それだけでお互い、何の話をしたいのか承知しているはずだ。キリトがタケオに電話をした、理由も。 お互いの二杯目のカクテルが半分程になった頃、程よく酔いが回り始めたのだろう、ふっとキリトが笑う。 「なに」 「いや…俺たちもさ、年取ったなーって思って」 「何、急に」 「だってお前と二人でこんな店でこーやって静かに語ってんだぜ? 昔はあり得なかった」 「まあ…確かに」 タケオも笑って同意する。確かに、昔だったら二人で行くならばそれこそお姉ちゃんのいる店で、ゆっくり話すためにバーに入るなどということはなかった。バーに行くこと自体稀だったし、そもそも話すくらい、いつだってできた。 いつからか、セッティングをしなければ話せなくなった、それが年月の流れということだろうか。 「何、らしくない、ノスタルジー?」 茶化して笑うタケオに、一瞬キリトはは、と鼻で笑い、だけどすぐに表情を緩めた。 「そうじゃねえ、…けど、違わない、かな」 「…キリト?」 「年、取ったんだなって、年月が経ったんだなーって、思うよ。…そう思うこと自体おっさんだけど」 そう言って煙草を銜えた、その顔が、タケオには最初に見た時より一層疲れて見えた。やがて煙を吐き出し、思い切ったように口にする。 「気持ちとか、見えないままでも無理矢理繋ぎ止められた、てのは、やっぱり…若さだったんだろうな」 そう言ったキリトが自嘲気味に口を歪ませるのを見て、タケオは無言でカクテルに口をつけた。 潤とは別れたよ。タケオがキリトからそう聞いたのはそれほど最近のことではない。数ヶ月は前のことだ。 予感はありすぎるくらいあって、でもそれと同じくらいの驚きが支配して、そうなんだ、と掠れた声で答えるタケオに、キリトは苦笑していた。潤から聞いてないの? 仲良いじゃん、そう言って笑うキリトは特に気にしていないように見えた、少なくとも表面上は。聞いていない、そう答えると、少し意外そうにして。 聞いていなかった、別れたとか、そういう話は。 彼から聞いていたのは、……ずっと聞いていたのは、彼の、想いだけで。 だから、別れたと聞いて、納得と驚きが入り交じった。 「十年以上付き合ってきて、それでも気持ちが見えなかったんだ。情けねえー…」 キリトが続ける言葉に、ああ、とタケオは思う。きっと、別れてからずっと、彼は答えのない問いを繰り返してきたのだ。見えないままのものに対して、ずっと。そして、自分に電話をかけてきた理由を、改めて理解する。 「下手したら、お前の方があいつの気持ちとか、分かってんじゃねえ?」 「…まあ、ある意味はね、そうかも」 「色々、気にしてくれてたもんなあ…」 「ん…でも、役に立てなかったけど、ね」 ごめんね?と笑ってやると、キリトはわざとらしく口を尖らせて「役立たずが」と吐き捨て、そして力なく笑った。その顔に、別れた、と聞いた後に話した潤が重なる。 ───分かってたんだけどね、ずっと前から。絶対分かり合えないんだって。 ───それでも、離れることなんて考えなかったから、一緒にいられたのに。 「潤くんはさ、」 目の前のキリトと記憶の潤が痛くて、タケオは逡巡しながら口を開いた。潤の言葉を全部伝える必要はない。けれど、───これくらい、いいだろう? 「すべて分かっていなくてもいいんだって、そう言ってたよ、───ずっと」 キリトの目が見開かれた。何故だか泣きそうな子供の顔に見える。 「見えないところがあったって、見てくれなくたっていいんだって、それを超えたところで必要とし合えるならそれでいいって、それでもいいって」 「…じゅん、が」 「うん」 見てくれなくても、───それでもいいんだ。 「それでも、…愛してたんだよ、あんたを」 本当には見てくれなくても、───ほんとうには見ようと、してくれなくても。 「…だったら…!」 瞬間、キリトが顔を歪ませて、唸るような声を出した。ぎり、と奥歯を噛み締める音がする。震えた拳がグラスを掴もうとし、直前で留まって握りしめられた。 「だったらどうして離れた! 最後にもあいつ、気持ちはそのままだって、別れるって言うくせに愛してるって、それは変わらないけど別れるって…っ! だから俺は…っ」 気持ちが見えない君を、もう無理なのだと手放した、のに。 ……君も、見えないことが苦しいのだと、そう思って。 「じゃあ俺は、どうしたら、あいつは…!」 テーブルの上で震える拳を握りしめて今にも爆発しそうな自分を抑えて背中を丸め、それこそ鬼気迫る形相で呻くように絞り出すキリトを前に痛い程の緊迫感を感じながら、タケオはどこか冷静に状況を理解していた。このことを、この言葉をキリトは、きっと。 「どうすれば、何を言えばあの時、あいつを繋ぎ止められた?」 ───この言葉をずっと、言いたかったのだと。 一瞬声を荒げて爆発した感情を吐露した後、キリトは俯いたまま動かなくなった。 ちらりと目を遣ったタケオは何も言わずにそっとグラスを遠ざけて、遠い位置にあったおしぼりを近くまで引き寄せた。 泣いてるの、キリト。少し前に電話越しで聞いた声が蘇り、空耳だと分かっていても苦笑する。そして自分が電話をかけた相手がなぜタケオだったのか、もう一つの理由に気付いた。さり気ない気配り。一歩引いた感触。例えば弟だったら果たしてそうはできるかと思えず、第一こんなみっともない姿を見せられない。 「…俺さ、潤くんの話ずっと聞いてたからさ、思うんだけどね」 少しの沈黙の後、ジッポの音がして、煙とともに穏やかにタケオの声が降ってきた。キリトは俯いたまま、そっとおしぼりを目にあてる。タケオはそっちを見ない。 「あんたらはすごい近い部分と遠い部分があって、それが極端だったんじゃないかなって思う。完全に分かり合える部分と分かり合えない部分があってさ、それをどう見てきたかとか、見なかったとか、そういうことじゃないかなって」 「……結局俺が悪いって?」 「それも違うと思うよ。潤くんが悪いわけでもないと思うし」 そう言ってから、苦笑しているであろうタケオの気配がした。キリトは顔を上げられないまま、降ってくる穏やかな声に身を委ねる。 「…悪い、俺にもそれは分からない。分かったらアドバイスでもできたんだろうけど、ね」 そうか。そうだよな。言いながら、顔を伏せたままキリトも笑う。全て過去の仮定でしかない不毛な会話だ、そうも感じながら、でもそれでも今の自分には必要な会話だった。涙が出るほどに。 「…けどやっぱりね」 「ん…?」 煙草を吸ったのだろう、ひとつ、呼吸を置いてタケオの声が穏やかに続いた。 「…、悔しい、かな。ずっと見てたのに何もできなかったのは」 それが最後の通告だったように、キリトはもう涙を抑えられなかった。そうだ、悔しかったのだ。本当はずっと。見えなかったことが、今も見えないことが、そして、どうしたら良いのか今も分からないことが。泣いたところで何も変わるわけではない、だけど抑える術も理由ももうなくて、ただひたすら泣いた。 悔しいよ、俺も。あんたはもっとだよね。多分、潤くんもね。そう言いながら、何度か優しくタケオの手が肩に触れた。 “声がする。『お前は永遠に知ることはできない』” “───ならばせめて、それを罰として。” |
end 2006.09.18
えーとまず、すいませんと謝っておきましょうか…(小心者)
解散とはっきり絡めてないものの、微妙に時事ネタです。嫌な人も多いかと思います。書いてて自分でもきつかったです(…)。
でもあの「AngeloとALvinoバッティング事件」(私の中では事件)を聞いた夜中にいきなり浮かんでしまいまして、初めて時事ネタに近いものを書きました。正直解散後、話自体がほとんど書けなかったし、これを一気に書いたということが自分の中のひとつの区切りになるのかもしれないと思います。
このキリ潤像(+タケオさん)はひたすら私の願望です。それは分かっています。
だけど、これが一連の騒動に対する私の(キリトと潤さんの)見解を示したものでもあります。キリトは、悲しいけれど、潤さんのことを本当はあまり理解できてなかったんじゃないかなって、離れた理由も本当は今も理解できてないんじゃないかな、この先もできないんじゃないかな、そう思う私の、現状の解釈としての内容となりました。
それでも、読んでくれた方、本当にありがとうございました。感想などいただけましたら、嬉しいです。
ちなみにタイトルはThe Cureでした。