Fools rush in where angels fear to tread. ─ 08

 幕引きは唐突に、しかし騒々しくやって来た。
 竜太朗が直接的に襲われた翌日からも、笹渕は表面的には同じ行動を取っていた。相変わらず登校前に有村邸に現れ、車に同乗し、学内ではつかず離れず援護し、帰宅すると正に報告をして帰っていく。
 あの翌朝、笹渕の様子があまりに変わらないから、竜太朗はあれは夢かとも思ったが、出迎えた明の苦笑気味の顔に、現実だったんだと思い直した。確かに自分は、殺されかけたのだ。
 だけどそれでも、あまりに普通のテンションでいる笹渕を見ていると、いろいろなことが曖昧になっていく。あの店で笹渕と一緒にいた、彼が言うには姉だという美人のこと、とか。───その時の気持ちとか。

 変わらない日常の中、心の奥底にちいさな刺が刺さったような違和感を抱えながら、でもそれを自分でも持て余していた竜太朗に、その幕引きは本当に唐突にやって来た。強烈に。




 その日の授業は午後からで、竜太朗が家で昼食を済ませて車に向かうと、珍しく正が玄関の外までついて来た。
「どしたの?なんかあんの?」
「うん、ちょっと。ああ、笹渕くんおはよう」
 にこやかに答える正の視線の先、車の横に笹渕が立っていた。おはようございます、といつも通りの営業スマイルで。正はその横を通り、運転席の窓ガラスを叩いた。ウインドウが下げられ、明が顔を出す。
「うっす。なに?準備は完璧よ?」
「うん、一応顔見ておこうと思って。今日はよろしくお願いしますねー」
「了解でっすー」
 明はにやり、と笑うと、きょとんとしている竜太朗に早く乗るよう促した。続いて笹渕が乗り込み、車はゆっくりと門を出る。
「……気をつけてー…」
 見送る正がぽつりとこぼした言葉は、ただ空に消えた。


 その日の授業も変わったことはなかった。明の迎えもいつも通りだった。
 だけどいつもの通学路を走りながら、不意にいつも止まらない付近で止まったことに竜太朗は気付いた。窓の外を見ると道路工事が行われていて、そのせいかな?と思った時、それまでしばらく他愛のない会話をしながら車を走らせていた明が、ミラー越しに笹渕に視線を送った。
「そろそろだよ」
「了解」
 短く答えた笹渕は、隣の竜太朗の腕を掴んで引いた。
「合図したら俺の後に続いて車降りて、んでついて来て。乗り換えるから」
「え?」
「とりあえずついて来て。中ちゃん、後はよろしく」
「任しとけ。──って、お前のこと信用すっからな。マジで」
「そっちこそ任せてよ。…竜太朗、行くよ」
 状況が掴めないまま、竜太朗は笹渕が引く腕の強さにそのまま引きずられるように、車の外に出た。そしてそのまま目の前に止めてあった小型の車の助手席に放り込まれた。
「え、え、え」
 訳が分からずに狼狽えていると、運転席に乗り込んで来た笹渕に「シートベルトして」と言われる。言われるままシートベルトに手を伸ばし、歩道に立っている女に気付いた。あれは。
「…あ」
「出すよ」
「あ、あー、うわ」
 歩道にいたのは笹渕の姉だという、あの美人だった。彼女は、急発進されて慌ててシートベルトを締める竜太朗を微笑みながら見送ると、素知らぬ顔で立ち去って行った。そしてその彼女を見送って、明もゆっくりと車を発進させた。


「どーゆーこと?」
 竜太朗は混乱したまま隣の笹渕を見遣った。かなりのスピードで裏道を縫うように車を飛ばす笹渕に、内心少々怯えながら。
「状況が揃ったの。だからあのままだったら車ごと襲撃されたから」
「え、…ええー!?」
「時間稼ぎとね、あのベンツじゃ身動きとりにくいし。このままちょっくら郊外に行くよ」
「えええ!」
 車はあちこちを曲がって、裏道や大通りやを回り、竜太朗にはすぐにどこを走っているのか分からなくなってしまった。
 運転しながら笹渕はシンプルに状況説明をした。先日の居酒屋での襲撃事件、それで相手の正体と目的が絞り込めた。そしてそろそろ次の、というより最終手段に出てくるだろうということを予測したのだ。かつてなく、大掛かりに。
「今まではあんた一人をターゲットにして、他は巻き込まなかったけど、おそらく今回は運転手を巻き込んででも、という手段で出てくるだろうってね」
 通学のルートと時間、それをみて今日の帰りに来るだろうと見当づけた。ルートを変えることも選択肢にあったが、それより工事現場を利用して竜太朗と2人で逃げることを提案した。死角になる一角に笹渕の姉が車を待機させ、それに乗り込んだというわけだ。
「そうしたらなかちゃんを巻き込まずに済むし、引きつければ片を付けられる」
 おそらく今頃、明は平和に有村邸に帰っていることだろう。ベンツに竜太朗がいないことが確認されれば、手出しはされない。東京のど真ん中でベンツごとぶっ飛ばそうなんていう、荒っぽい相手ではないことは分かっている。
「そろそろ追いつかれるかな。きっと俺のことは分かってるだろうから、遠慮なく来るだろうしね」
「俺は? 俺はいいの!? 俺の保全は!?」
 堂々とターゲットとして身をさらしている、と宣言するような物言いに、半ばパニックになりながら竜太朗は叫んだ。だったら何でその隙に家に帰らないんだ、と言いたかった。
 そんな竜太朗を一瞬横目で見た笹渕は、その瞬間に綺麗な笑みを浮かべ、すぐに正面に視線を戻した。
「終わらせるチャンスなんだよ。───大丈夫、あんたは俺が守るから」

 そう言った笹渕の声はあまりに何でもないことのようにさらりとしていて、すとんと納得してしまって、そんな自分がなんだか気恥ずかしくなった竜太朗は何も言えず、バカみたいにぽかんと笹渕を見つめてしまった。
 そんな竜太朗を知ってか知らずか、笹渕は前を向いたまま「来るよ、覚悟して」と言った。そして次の瞬間、がくんと車体が右に反れた。



「うわあああ、ちょ、ぶっち! 揺れすぎ!」
「避けてんだよ。とりあえず身体低くして、シートにはりついてろ!」
「うわわ、ちょっと、なんか、なんか当たった!」
「飛び道具出しやがったか…」
「え、ええー!? 嘘、まさか銃…!」
「まー大丈夫大丈夫、並のハンドガンじゃ壊せない造りになってるから」
「えええー!」
 そっちの方がびっくりー!
 助手席で大騒ぎする竜太朗を横目に、笹渕は至って冷静にハンドルを切っていた。よく分からないけれど、相当運転は上手いのではないのだろうかと思う。他の運転手で同じ事態になるとは思わないし、願い下げだが。
「てか、ここどこー!」
「東京都は出たよ。海辺。シーズンオフだし夜だし平日だし人も少ないし、ね!」
 笹渕がハンドルを切った瞬間、ガン、と衝撃がきた。どうやら体当たりされたらしい。
「なりふり構わなくなってきたな…」
「ぶっちーー!」
「だーい丈夫だから、あんたは大人しくへばりついてなさい」
 そう言って笹渕が一旦思い切りハンドルを切った、と思った瞬間、前方に車が現れて、ひ、と竜太朗は息を呑んだ。しかし次の瞬間、運転していた人物が頭から血を噴き出したのが見えて、呆然となる。
「な…っ」
 慌てて隣を見ると、笹渕の右手にはリボルバーが握られていた。彼は片手にハンドルを握ったまま、顔色も変えずにもう一発発射すると、大きくハンドルを切りながらアクセルを踏み込んでその車から離れた。すぐに後ろで凄まじい音がして、竜太朗は肩をすくめる。
「…ぶっち…」
「あと一台いるから。くっそ、後ろばっかついてるな…!」
 器用に片手でハンドルを切っているが、運転しながら後ろは狙いにくいのだろう。やりにくそうな笹渕を見て、震えながらも思わず「そんな、片手で大丈夫?」という言葉が口をついたが、しかし「あんた運転できないでしょ」と言われて返す言葉がなかった。
「大丈夫だって。プロに任せておいてよ。あんたは、…そうだな」
 ちらりと笹渕が竜太朗を見た。彼が視線をこっちに寄越したのは、このカーチェイスが始まってからこの時が初めてだった。蒼白な顔で凝視している竜太朗と目が合った笹渕は、また、綺麗に笑った。
 そして、至ってなんでもないような口調で「しがみついてて。舌、噛まないように」と言った。

 それからの運転というか、ジェットコースターのような走りについては、竜太朗はあまり覚えていない。ただ必死でシートにもたれて、ほとんど目も開けていられなかった。左右に激しく身体を揺すられ、何度か衝撃を受け、実際にはそこまで長時間ではなかったのだろうが、正直生きた心地がしなかった。
 そして何度かの衝撃の後、「行くよ!」という笹渕の声の直後、一番大きな衝撃とともに車は止まった。



 恐る恐る顔を上げると、隣の笹渕がドアを開けて、全開にした窓越しに身体を外に乗り出していた。彼はリボルバーを真っすぐ構えていて、───自分たちの車が突っ込んでいる車の、運転席の男の頭を打ち抜いた。
 今までと同じように、顔色一つ変えずに。




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一年以上振りですいません。エンディングに入ってますのであと1、2回です。
最後くらいは、と派手にしてみました。

2011.9.19 up