家に着くと笹渕は自分よりも大柄な竜太朗を軽々と背負って車から降り、そのまま寝室まで竜太朗を連れて行きベッドに降ろし、正に「後はよろしく」と言った。
「報告は済んでるよね」
「お姉さんからいただいたよ。追加はある?」
「早急のはないかな。明日まとめてで大丈夫」
「了解。ご苦労様」
なかちゃんもご苦労様、今日はもういいよ。そう言われて、明も笹渕とともに有村邸を出た。
「そういや、お前さんはどうやって帰るんだ? 電車か?」
明は有村邸から徒歩圏内に住んでいるが、笹渕はそんなはずはない。一応まだ電車は動いているはずだが、そう思って聞いてみるが「事務所に戻る」と言われて驚いた。
「今から? それこそ帰れなくなるぞ?」
「一応、事後処理というかね。相手が特定できそうだし、…まあ色々と」
「タフだな」
「仕事なんでね」
「…でもまあ、一服ぐらいはしてったら?」
そう言って明は、いつの間にか着いていた自分のマンションを指した。笹渕は少し考えて「うん」と、頷いたが「お邪魔するのは遠慮するよ。ロビーでいい」と言った。
「やっぱり吸うんだな」
ポケットから煙草を出した笹渕を見て、明も自分のケースを出す。少なくとも今まで、笹渕が吸っている姿を見たことはなかったのだが。
「勤務中だから」
「ほんと、お前さんプロだよな」
「あは、今日はやけに感心するね。…まあ、なかちゃんにも刺激が強いこといろいろあったろうしね」
煙草に火をつけ、煙を吐き出しながら笹渕は笑った。そして、すっと目を細める。
「いろいろ手伝ってもらったしね……いいよ、聞きたい事、あんでしょ?」
確信を持った笹渕の言葉に、ばれていたかと思いつつ、予想していなかったわけではない明は苦笑いした。
「あーまあ…聞きたいっつーか。…うん」
「歯切れ悪いね。何? 姉ちゃんのこととか?」
「あーうん。あんな美人の姉ちゃんがねえ、てびっくりしたけど」
「美人かどうかは知んないけど。正真正銘、実の姉だよ。一番下の」
「へ」
「俺、姉ちゃん3人いるから。そんで全員、同業者ね」
「…へえ!?」
さすがに驚く明に、しかし笹渕は平然と、なんでもないことのように言って「でもさ」と明を見遣った。
「正さんに聞いてんでしょ? 俺のこと」
「え…」
「なかちゃん見てたら、ああ聞いたんだろなーって思ったんだけど」
その辺聞きたいのかなって思って。まあ言えないこともあるけどね。
少し笑って煙草を銜えなおした笹渕に、とっさに言葉が続かなかった。
「笹渕くんはさ、裏稼業のサラブレッドなんだよ。代々、そういう家系なの。──言ってみれば、俺の家と同じだよね」
あの日、正は笹渕についてぽつぽつと、零すように語った。
世襲制というわけではないが、何代も前から所謂「裏稼業」のプロの家系だったのだという。そして、「有村家を支える長谷川家」として繋がっているエージェントを通して、実はお互いの親同士──先代同士も知らぬ間柄ではなかった。
「適材適所で人員は配置されるから、別にいつも会うわけじゃないんだけどね。やっぱり彼は、──若い、から」
それで初対面の印象が強かった、そう言った。そこで明はふと、気付く。
「──なあ、笹渕くんとは6年くらい前からの付き合い、て言ってたよな」
「…うん」
明の言いたいことを察したのだろう、正は視線を逸らして吐き出した煙をぼんやり見遣った。その横顔を見据えて、明は続ける。
「そん時、彼は、──幾つだったわけ?」
一瞬、間が空いた。予想していた問いだったのだろう、考える素振りはせず、だけどすぐには反応もしなかった正の、口角が歪む。そしてどこか、遠いどこかを見るような目を空に向けて、言葉を吐き出した。
「…学生服、着てた。──中学の」
「ちゅう…がく…?」
まさか。そんな面持ちで繰り返す明の方に正が視線を戻し、信じ難いでしょ、とまた口端を歪ませた。
「しかもさ、声変わりもしてない声で、この仕事は3年目です、とか言ったんだよ」
忘れられないよ。
ふう、と息を吐いて煙草を銜え直した正を前に、明は驚きに固まってしまった頭をフル回転させた。正が初めて会った時、笹渕はまだ中学生で、それが6年前だということは。
ということ、は。
「…まさかあいつ、ひょっとして今、まだ…?」
はっと正を見返した明に、正はうん、と頷いた。
「まさか、と思うよね。けどきっと、明の思ってることは当たってるよ」
「マジで…?」
「うん、…大学生で馴染むはずだよね。……まだほんとに、未成年なんだから」
正が笹渕に初めて会ったのは、大学を卒業して正式に父親の補佐になった頃、正式に竜太朗付の執事として有村家に仕えるようになった頃だった。
そしてその時、10歳年下の主人である竜太朗は中学生になったばかりで、「中学生になったことだし、執事として仕えることになったので」と、二人きりの時以外は使用人としての態度に切り替えるようになった正を、ひどく嫌がって少々揉めたりもした。そんな頃、父親に呼ばれて向かった「エージェント」の一室に、その主人と同じ位の年格好の制服姿の少年がいたのだ。
この先、きっと彼にも世話になるだろうから。そう紹介したのは、その少年の父親であり長谷川家が信頼している裏稼業の男だった。そして驚きを隠せない正に、少年は真っすぐ向き直って言った。
──まだこの仕事は3年目ですけれど、今後よろしくお願いします。
「マジかよ…」
20代後半である自分たちよりは年下だとは思っていた。だけどまさか未成年とは、竜太朗とほぼ同じ年だとはにわかに信じ難い。
信じられない、といった顔で考え込んでいると「それにしては腕が良すぎると思う?」と正が聞いた。明が無言で頷くと、噛み締めるように「でもね、キャリアを考えてみてよ」と正は続けた。
「6年前に、既にキャリアが3年目だったんだよ、彼は。つまりもう10年近く仕事してる立派なプロなんだ──未成年であろうと」
「…キャリア、か。────え。てことは、」
キャリアから考えたらそうなのだろう。頭では分かるが、笹渕がまだ未成年である、その事実が思いの外大きくて一瞬考え込んだ明は、やがてもう一つの事実に気付いて再び愕然とした。正が初めて会った時、笹渕はまだ中学生で、でもその時既に3年も仕事はしていて。いや、3年目ということは2年強か?
それでも、ということは。
はっと正を見返した明に、正はうん、と頷いた。
「うん。ランドセル背負ってた頃から仕事してたんだよ、彼は」
言葉が出なかった。
「……参ったな」
誤摩化すこともできず、居心地悪そうに煙草を銜えた明に、笹渕は「別にいいんだよ」と笑う。
「正さんが信頼置いてるってことだし。俺もいいかなって思ったし」
「そっか…いや、俺も聞いたからってどうってことないんだけど…」
「そ?」
「うん。やっぱり今日のお前さんの指示とか、場数踏んでんなあって妙に納得したし」
「ああ。…キャリアがありますから」
笹渕は明の言葉に頷いて、にっこり笑った。
「初仕事は11歳だったしね。…未成年だけど、なかちゃんより仕事歴長いんじゃない?」
でもお前、おおっぴらに煙草も酒もやんなよな。
去り際にちらりと言ってみると、笹渕は「俺、年齢誤摩化すの得意だから。上にも下にも」と笑った。それは年相応に、見えた気がした。
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やっと合コン編完結。こんなに延びるなんてー
しかし、4話に入れるはずだった笹渕くんのバックグラウンドをやっと入れることができました。
実は意外と若いんだけど、でも若い故に、経験値によってすごく大人びたりするんだよね。太朗坊ちゃんと比べると特に。
てことが書きたかったのでした。
2010.8.30 up