Fools rush in where angels fear to tread. ─ 04

「俺はまあ、いいんじゃないの?て思うけどね」
 竜太朗がどうも笹渕に入れ込みすぎていないか。そう言う正に、明は至って平然と答えた。

 明と正、および使用人の何人かは、有村家近くのマンションのような別宅に住居を構えていた。執事として屋敷内の全てを取仕切る正と違い、明は運転手兼雑務もろもろの担当なので、屋敷にいる時間も正より短い。この日、正が戻った時にはすっかり寛いでいたのだが、少々お疲れ気味の正の様子に、リビングに招き入れて缶ビールを出した。
「竜太朗はどうであれ、笹渕くんはプロっしょ? 俺が見る限り、うまくあしらってるし」
 まさか手に手を取って駆け落ち、なんてこともあるまい。そう言って明はゲラゲラと笑う。
「お坊ちゃんの遅くきた初恋、てことで。あ、別に初恋じゃないか、それなりにお付き合いしてたお嬢さんもいたか」
「うん、だからその、さすがに俺も本気でシリアスには考えてないんだけど、ね」
 ビールを一口飲んで、ふう、と正はため息をついた。別に正だってそこまで真剣に心配しているわけではないのだ。笹渕のことは他の皆より知っているし、少なくとも重大な契約違反を起こすような人物ではないことは、確かだ。
 そうなのだけれど。

「だけど、そういう意味じゃなくてさ、──なんていうかなあ」
 歯切れが悪い言い方に、ん?と明も首を傾げる。
「なんかさ、…明、二人の送迎してて、思わない? ……すごく、いい感じだって」
「ん? ──確かに、仲良くやってるなあって思うけど。まあ…竜太朗はかなり、なついてる感じはするよ、確かに」
 探るような正の言い方に、毎日の風景を思い出す。竜太朗は好奇心丸出しであれこれ笹渕に質問して、それをうまくあしらわれて拗ねて、の繰り返しだ。そして笹渕の方はそれをうまく、時には煩わしそうに交わしていて、何も知らなければ本当に「仲の良い友達」の光景だった。
 明も、正ほどではないが長年竜太朗を近くで見て来たから、それがどれだけなついている風景なのか、ということは分かっていた。

「うん、竜ちゃんは本当、興味持っちゃってるなって分かるけどさ、実はね」
 同意した正は、そこで一旦言葉を切って苦笑した。そう、竜太朗の入れ込み方、それは明らかだしよく分かる。だけど、それだけじゃないのだ。
「笹渕くんも、実は相当、竜ちゃんに入れ込んでると思う」
「──え」
 驚いて聞き返す明に、うん、と頷いて、正はビール缶をテーブルに置いた。そして煙草に火をつけながら続ける。
「何年も前から仕事で会ってるけど、だけどあんなに柔らかい雰囲気で報告されたこととか、ないんだよね」
「…そうなのか?」
「うん…」
 それってひょっとしなくても、両思いってやつ? いやそれはそれで問題が。
 正の言葉に対してぐるぐる思考を巡らす明を余所に、当の本人はふう、と煙を吐き出して「あのさ」と言い出した。

「俺、ちょっと今から、職務離れて友達として話すから」
「…うん?」
「だから明も、友達の話として聞いて。そして、仕事に戻ったら忘れて」
「──ああ。了解」

 その言葉の真意を悟り、明は頷いた。有村家執事としてではなく、ただの一人の男として友達と話すということの、理由は聞かなくても分かった。しかし、──つくづく優秀な執事だよ。


 ありがと、そう小さく笑った正が続けたのは、なかなか忘れ難い話だった。

 

 

 

 

「おはようございます」
 翌日もまた、きっちりと指定時刻に現れた笹渕が竜太朗に続いて車に乗り込み、にこやかに運転席に向かって挨拶をしてきた。パーカーにジーンズ、といったいつもの格好だが、ふとそれが全てそれなりのブランド物で固められていることを今更気付く。──坊ちゃん大学の学生、という役割をきちんと再現してるわけだ。
「おはよ。毎日ご苦労さん」
「中山さんこそ。こういうことになってから、送迎も毎日でしょ?」
「まあねー。でも言う程大変じゃーないよ」
 笑いながら発車させようとした時、突然竜太朗が「あー!」と叫んだ。
「どした?」
「忘れ物! レポート書いたのに机に置いたまんま!」
 取りに行って来るね!と慌ただしく車を降りる。笹渕は一瞬追いかけようかという素振りをしたが、まあいいか、と腰を落ち着けた。有村家の敷地内は契約に入っていない。
「──どう、竜太朗のお守りは」
 明は運転席から笹渕に振り返って聞いてみた。彼はいつものようにPC端末を開いて、にっこりと明に答える。
「我が侭っちゃー我が侭だけど、案外素直なんで楽かな。話すのも苦じゃないタイプだし」
「なんか、すごい懐かれてるじゃん。竜太朗は選り好みするけどさ、あんだけ懐かれるとけっこううるさいだろ」
「ああ、──それ、正くんにも言われたかな。でも、俺、こんな仕事してるしね。あんな風にくる奴も今までなかったし、…まあ」

 そう言ってふっと笑った、その柔らかい笑顔に、昨晩聞いた話を重ねた。かいつまんで話された、笹渕の過去と仕事と。
「単純に楽しいよ。クライアントとしては珍しいくらい、…楽しくやれてる」
 ──彼は今まで、こんな風に笑わなかったと、少なくとも正は見たことがなかったということと。

「…なら、いいけど」
 本心から言って、明は運転席に座り直した。そう、楽しく仕事ができているなら、いいのだ。それに彼の仕事ぶりは完璧だ。
「中山さん」
 前を向いたとたんに呼ばれて、明は再度後部座席を振り返った。
「今日の迎えだけど──」
「あのさ」
 言葉を遮った明に、笹渕はきょとんとした顔を向けた。本当、見た目は幼いな、そう思いながら、続ける。
「俺にもいい加減『中山さん』てのやめない? クライアントの竜太朗すら呼び捨てしてんだろ」
「は。あー、そうだけど、うーん」
「明でもなかちゃんでもいいからさ、なーんか俺だけ他人行儀なの、嫌なんだよねー」
 おどけて言うと、笹渕は呆れたように笑った。
「…じゃあ、うん、なかちゃん。に、しようか。うん」
「OK。俺も竜太朗に倣ってぶっちって呼ぶけど」
「どうぞご自由に」
 それからすぐ、竜太朗がばたばたと戻って来て、車は有村家を出た。通学時間は30分ほどで、竜太朗は寝ているか笹渕を質問攻めにしているか、どちらかだ。今日は質問する日のようで、「武器って持ってんの」とか「何が得意? 殴ったら強いの?」という物騒な問いを続けているうちに「殺し屋もやるの?」という問いが飛び出した。
「──殺したこととかもあるんでしょ? 何人とか覚えてんの?」
「おい、竜太朗」
 竜太朗としてはたいして深く考えてないのだろう、だけれどそれは恐らく、そういった類いの人間に聞くことでもないはずだ。さすがに考えろよ、と口を挟もうとして、バックミラー越しに笹渕と目が合った。──どきり、とした。

「そういうこと、教えるはずないでしょ?」
 次の瞬間、笹渕はPC端末に目を向けて、いつものようにさらりと言った。そしてめげずに質問攻めを続ける竜太朗を淡々とあしらっていく。
 ここ二週間ほどで見慣れた風景、聞き慣れた会話のそれが、笹渕にとって今までにないものであるのなら。正は「入れ込む」ことでの今後への影響を、特に笹渕について懸念しているようだったけれど、それでもいいじゃないのか、と明は思った。

 尋常じゃない人生を送っている彼が、普通に柔らかく笑えるような、…せめてひととき、そんな風になるのも悪くはないだろう?
 たとえそれが、ごく短い時間だということが分かっていても、それでも。

 

 学校前で二人を降ろし、迎えの時間を確認して、明は車をUターンさせた。
 校舎に向かう後ろ姿に、先ほどミラー越しにかち合った笹渕の、何も映さないようだった目を重ねる。そっちが普段なんだろ、そう思って、だからこそ竜太朗と他愛のないやり取りをしている、今の状態は悪くないものだと、やっぱり思う。
「若いうちは何事も経験だろうし、さ」
 ひとり、車の中で呟いて、明は有村邸への帰路を急いだ。運転手以外にも、彼の仕事はあるのだ。特に今は、徐々に竜太朗を狙う相手の情報が絞られてきており、その報告処理や対策について、正の補佐的な作業が増えているのだった。

 そろそろ、彼の仕事の終わりも、見えて来た感じがする。──それは喜ばしいこと、の、はずなのだけれど。

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…なんか、どの話でも4人の関係性が大差ないことになってしまうのはどうしたものか。
(押せ押せ太朗・流されつつ微妙なぶち・手助けしつつ見守る年長)
しかし間を空けすぎて申し訳なかったです。も少しスピードアップしないと。
2010.6.11 up