竜太朗と、ボディーガードである笹渕が行動を共にするのは、外出時だけのことだ。朝は登校時間に合わせて現れ、帰宅すると玄関まで入った後、任務完了とばかりに去っていく。毎日、正のところに報告に行ってから有村家を去るらしい。
「ぶっちは何を報告してんの?」
夕食時、竜太朗は控えている正に聞いてみた。この日は他の家族は帰宅しておらず、竜太朗ひとりで食事を摂っていた。
「その日の動向とか、新しく分かったこととか、色々だよ。今日は特に進捗もなかったみたい」
他の家族がいない時、執事であっても竜太朗に対する正の口調は砕けたものになり、呼び方も「坊ちゃん」から「竜ちゃん」に変わる。長谷川家が代々仕えてきた背景から、幼い頃から兄のように竜太朗と接して来たため、そうすることが暗黙の了解になっていた。そしてそれは、正の紹介で有村家に雇われた明についても同様となっている。
正の答えに、ふうん、と呟いた竜太朗は、かちゃかちゃとスプーンでスープをかき回した。
「坊ちゃん、お行儀が悪いですよ」
「やめてよ、それ。──でもさー、具体的なのってこの前の狙撃だけじゃない? なんかさ、守られてる感じがイマイチ薄いんだよねー。普通に友達みたいだし。張り合いとかないんじゃない?」
学校での狙撃事件から、一週間ほど経っていた。その後、これといって危険なこともなかった、気がする。
しかし正はその言葉に苦笑した。そして半分程空いていたグラスに水を足しながら、ぽつりと言った。
「ターゲットに全部は報告する義務は、ないからねえ」
「え、なに。まだ他に何かあったの?」
「んー…、まあ口止めされてるわけじゃないんだけど」
彼があえて言ってないことなら、伝えることもないかと思ってたんだけどね。
そう言って正が列挙したのは、この一週間で笹渕によって阻止された事件の数々だった。食堂のコップに妙な薬が仕込まれていただの、席が決まっている授業で椅子に細工があっただの、一度帰りに寄った本屋の階段に刃物が仕組まれていただの、予想外の数の多さに、食事の手も止まってしまった。
「あー、食事中にする話じゃあなかったかな。でも全部、気付かないうちにきれいに未遂に終わらせてるわけだから、安心して」
「…じゃあ俺は、ぶっちがいなかったら毎日何回か死んでたってこと?」
「命の危険まではなかったかもしれないけど、怪我はしてたかもね」
「うっそ…」
どちらかというと、警告の意味合いが大きい感じがする。今までの傾向から、笹渕はそう分析していた。何やってんのか知らないけど、このままでは息子に危害が及ぶぞっていう警告を父親にするのが目的なんじゃない?と。
「まあ、いちいち聞いてたら怖くなるでしょ。だから彼も言わなかったんだと思うよ。最初の狙撃の時はあからさまだったから伝えたんだろうけど、あの時けっこうびびったでしょ」
「うん、まあ…ね」
その時のことを思い出してみる。一瞬、パニックになったのは確かだ。だけど、その時の笹渕の冷静な態度や説明に、ひどく安心したことも思い出す。なだめるでも叱るでもない、何でもないことのように彼は説明して、まったく態度を変えなかった。
そしてそれから、そばにいる自分に全く気付かせることなく、刃物やら薬やらを淡々と処理していっていたのだろう。まるで、友達みたいな態度でいながら。
「…ぶっちってさあ、見た目俺と年変わんないようなのに、実はすごいんだねえ」
食事を再開させながら、ぼそぼそと竜太朗はつぶやいた。
「正くんは、どれくらい前からぶっちを知ってんの?」
「最初に会ったのは、えーと、6、7年くらい前かなあ」
「けっこう前からなんだね」
「まあ…でもそんなに頻繁に会う相手でもないから、間は空いたりしてるけど。でも仕事ぶりは保証できるよ」
それはそうだろう、自分も正が手配した相手だからこそ、ボディーガードとして行動を共にすることを承諾したのだ。正の采配には父親同様、竜太朗も信頼を寄せていた。むしろ子供の頃から頼りっぱなし、とも言える──10歳も年上なのだから、当然ではあるが。
「ね、どんな仕事したの、その時」
好奇心をむき出して聞いて来た竜太朗に、しかし正はにこやかに「坊ちゃん」と言った。
「その件につきましては、お答えできません。エージェントとの契約がありますので」
対外的な執事としての態度になった正に、ちぇ、と竜太朗は口を尖らせた。こういう場合、正は頑として聞き入れない、ということをよく知っている。職務に忠実な、優秀な執事なのだ、彼は。
「じゃあさー、ぶっちの本職ってなんなの? ボディーガードって今回だけなんでしょ? 殺し屋とか?」
「それも答えられない質問かなー」
正は態度を崩して、だけどやっぱり竜太朗の質問を却下した。そして「やけに興味津々じゃない、竜ちゃん」と笑う。
「ぶっちくんがそんなに気になるんだ」
「なるよ。興味あるよ、すんごい謎だもん。ずーっと一緒にいるのにさ、全然掴めない」
「そりゃ、プロだからねえ」
正は言外に、友達じゃないんだから、ということを含めて言った。友達みたいに寄り添っても、それは彼の仕事の一環なのだ。だけれどこの幼い主人は、その辺の境界が曖昧なんだろう。あいつ水臭い、とでもいうようにむくれている。
「なんか、思い通りにあしらわれてるのがむかつく」
「いや、彼はけっこう竜ちゃんの意思を尊重してると思うけど?」
「どこが!?」
「だって行動の規制も特にされてないでしょ。帰りに寄りたいとことか、友達との付き合いとか、自由にしてるじゃない」
「それはそうだけど…」
「狙われてる以上、学校以外の場所にも行くってことは、それだけ未知の危険もあるってことだからね。笹渕くんの負担もそれだけ増えるわけだけど、でも行かせてくれてるでしょ」
「…文句は言われたけど、ね」
渋々竜太朗は頷いた。今日は友達と買い物に行くけど、と言った時、あんた危機感ないね、と言われたことは事実だ。だけど特に反対はせず行く予定の場所を聞き、当日は近くでガードをするから、と言った。てっきり一緒について来るのかと思っていただけに拍子抜けして、理由を聞いた。「あんたの友達になんて説明すんの」と言われた。
「──身内以外に知られないように、ていう契約だって、言われた」
「そうだね」
頷く正に、だけど、と竜太朗は不満げだった。不満げにしばらく黙った後、ねえ、とぼそりと言った。
「仕事が終わったら、ぶっちはきれいに足跡を消していなくなるってことだよ、ね」
大学では基本的に一緒にいるが、笹渕は竜太朗の友達には最低限の接触しかしていない。一緒に話しかけられても、いつの間にか姿を消しているか、ごく自然に竜太朗と二人でその場を去っている。竜太朗としても、紹介するように言われたところで困るからいいのだけれど、だけど何だか寂しい感じがした。
「だから、いたことの痕跡も残らないようにしてるんだよ、ね」
「…当然でしょ。有村家の長男が狙われた、ということ自体を秘密裏に処理する、ていう契約なんだし」
だから、そういえば彼は誰なのだろう、などと竜太朗の友達に思われないようにしているのだ。それは仕事として当たり前のことで、だけど竜太朗にはそれが不満なのだろう、ということは正にも分かった。不満というか、寂しいのだろう。そんな彼を、寂しく思うのだろう。
だけど、それは。
「でさ、仕事が終わったらもう、ぶっちには二度と会えないってこと、なのかなあ…」
「…多分ね」
正は頷いて、また不満げに黙り込んでしまった竜太朗に内心嘆息した。これは、ただの興味本位ではなく、思ったよりも笹渕に入れ込んでしまっているようだ。
憧れとか、珍しさとか、そういう類いの感情にも近いのだろう。だけど、──長年の付き合いから、正には分かってしまった。
「そもそも、住む世界が違う人なんだよ、竜ちゃん」
返事をしない竜太朗に、それを分かっていながら一応、釘を刺す言葉をかけてみる。そしてまた、ため息を殺した。
これはちょっと、本気になってしまっていて、──困ったなあ、と。
----------------------------------------------------------------------
話が進んでんだかなんだか分からない、3話目でした。
作者としては非常に楽しく書いてるのですが、読む方がどうなのか不安なパラレル。
2010.5.5 up