Fools rush in where angels fear to tread. ─ 01

 5月の新緑が目に眩しい、清々しい朝。背の高い青年が眠そうな顔でのろのろと車に乗り込む。それを確認して運転席に乗り込んだ男が、苦笑しながら振り返って言った。
「まだ目え覚めてないのか? 夜更かししすぎなんだよ」
「んー…、1限目サボろっかな…」
「それはさせません。真っすぐ学校までお届けしますので」
「…明のケチ」
 彼がぼそりと悪態をついた時、もう一人、小柄な男が後部座席に乗り込んで来た。学生らしい鞄を持ち、ジーンズにスニーカーというラフな服装の彼は、運転席の明ににっこり笑って会釈をする。

「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
「おはよ、笹渕くん」

 君も大変だよねー、明はそう笑って静かに発車した。通用門から黒塗りのベンツが滑り出して行く。
「でもま、お陰で竜太朗もサボるにサボれない感じだし、この状況も却っていいのかもしんないけどね」
「俺は二重に困ってんだけどー」
 後部座席の青年、竜太朗は口を尖らせてちらりと隣の笹渕を見た。竜太朗よりも幾分も小柄な彼は、鞄から取り出した小さなPC端末から視線を竜太朗に移し、見事な営業スマイルを作った。
「なるべく普段通りの生活をした方が安全だよ? 単位も取れて一石二鳥と思いなさい」
「…ったく、二人ともさー」
 長めの黒髪をばさりとさせ、竜太朗は不貞腐れたように窓にもたれる。学校に着くまで寝る姿勢なのだろう。それを確認し、PCに視線を戻した笹渕に、なんとなく明は問いかけてみる。
「実際のところ、どうなの? 学校での危険度は」
 明もだいたいの報告は知っているから、この質問は純粋な興味に近かった。それを分かっているのだろう、笹渕は視線を上げることもなく、さらりと言った。
「んー、大学は高校までと違って、自分の席とかロッカーとかがちゃんとあるわけじゃないからねえ、仕掛けはあんまりないことは確認済み。死角になりそうなところも大体押さえて潰せるところは潰したから、うーん、今日あたり動きがあるかなあ」
「動き、って。敵が来るってこと?」
「え? うん。はっきり狙ってくるかもね」

 さすがに3日目だしね。そう言って、バックミラー越しににやりと笑う、笹渕はしかし、隣で居眠りをする竜太朗の学友としか見えない風貌をしていた。





 彼、笹渕がボディーガードとして有村家に雇われたのは4日前のことだった。

 国内有数の資産家である有村家は、当然ながら自宅警備は厳しくされているのだが、その長男である竜太朗を狙う不穏な動きがあるらしい、ということで、竜太朗の父親が秘密裏に手配させたエージェントから送られたのが笹渕だった。エージェントとの交渉は、執事として有村家の内情を取り仕切る正が行い、笹渕を連れて当主の部屋を訪れた。
「失礼だが、本当に彼がボディーガードを?」
 当主の最初の言葉はこうだった。無理もない、同席していた竜太朗も内心同じことを思っていた。守られる立場である竜太朗よりも笹渕は小柄で華奢に見えたし、無造作に流された黒髪から覗く顔は幼く、大学生である竜太朗より年下にすら見えた。
「ええ、私は彼を少々前から知っておりますが、腕は確かと聞いております」
 正は臆することなくにこやかに答えた。その物腰に、当主もふむ、と感じるところがあったようだ。
 正の実家である長谷川家は代々有村家に仕える優秀な執事であり、表には出せないことを含めての処理能力は保証されてきた。実際、こうやってエージェントを手配させたことも初めてではない。
「もちろん、現場以外にもサポートはおりますので、彼ひとりだけが動くわけではありません。ですが、現場で動くのは彼が適任と、先方も私も判断いたしました」

「私自身、今回の現場は私がつくのがいいかと思います」

 そこで初めて口を開いた笹渕が竜太朗の方を見た。ひどく幼い目の、だけど鋭い視線が合って、一瞬竜太朗は息を呑んだ。
「──ご子息の大学で行動を共にさせていただくことになりますので」




 その翌日から、笹渕は竜太朗と同じ車で通学することとなった。だけど学内で並び、同じ教室で授業を受ける笹渕は、どう見てもただの一学生だった。
 学校の友達という設定上、笹渕さん、と呼ぶのも妙だし、呼び捨てでいいよと言われたのだが何だかしっくり来なくて、結局「ぶっち」に落ち着いた。普段からそう呼ばれてるし、それでいいよ、と彼は笑った。俺もあんたに敬語使わないから、と言われたが、それについて竜太朗も異存はない。そもそも、使用人であるはずの明も正も、竜太朗には敬語は使わないし、明に至っては呼び捨てだ。
 学内では主に一緒にいるが、授業中は並んだりそうでなかったり、気付くと姿を消していつの間にか戻って来たり、と、笹渕の行動は読めなかった。何してたの、と聞くと「仕事だよ」と言われた。校内を調べてきた、といつものPC端末を広げて言っていた。どうやらそこに全ての情報が入れられ、尚かつ通信機器にもなっているらしい。好奇心で覗いてみたが、竜太朗にはさっぱり理解できなかった。

 そんな風に彼がボディーガードとしてくっついて来るようになって、2日間。特に何事もなく過ごしてきていることもあり、竜太朗はほぼ完全に彼を「友達」扱いし始めていた。




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とりあえず序章的な。


2010.4.29 up