“たとえばその手がつながれていないのだとしても、君を、” 「おはよ。珍しいね、あなたが先に起きてるの」 シャワーを浴びてリビングに戻ると、パジャマのままの潤が眠そうにソファに踞っていた。何となく目が覚めた、そう言って冷蔵庫を開けてペットボトルを取り出す。一口含んで振り返り、まだうだうだとしている潤に、キリトは意地の悪い笑みを浮かべた。 「なーに、お疲れねえ。昨日激しすぎたかしら?」 「バ…っ!」 瞬時にして飛び起きた潤は、にやにやと笑うキリトに何か言ってやろうと口をぱくぱくさせたものの、諦めたのか起き抜けの頭で敵うわけはないと気付いたのかがっくりと項垂れて、力無く「風呂入ってくる」と立ち上がった。勝手知ったるキリト宅ゆえ自分でタオルを出す潤の背中越し、またふざけた声がする。 「手伝ってやろうか?」 「遠慮します」 「可愛くねーなあ、昨日はされるがままだったくせに…ぅわっ!」 「恥ずかしいこと言うんじゃねえ!」 際限なくからかってきそうなキリトにタオルの一撃を食らわせ、そそくさと潤はバスルームに消えた。くつくつと口の中で笑って、キリトは煙草に火をつけた。 曲作りという名目の暫しのオフも半ばを過ぎようとしていた。 最初の何日かは映画を見たり遠出をしてみたり、一応は休日らしく過ごしていたものの何だかそれで満足してしまい、ここ数日はコンビニ程度の外出しかしていない。今日も起き出したのは昼前で、微妙に晴れても曇ってもいない天気に出掛けるのはかえって都合がいいかな、などと思いながらもそれも億劫で、何となくぼんやりと外を見ながらコーヒーをすする。2日前から泊まり込んでいる潤にしても特に行きたい場所や用事があるわけでもないらしく、何をしようかという提案をするでもなく遅い朝食兼昼食のパンをかじっている。 お互い相手の動向を気にするでもなく、会話らしい会話もなくだらだらとした時間が流れる中、ふと気付いたように潤が顔をあげた。 「あ、そだ、今日って何曜日?」 「ああ?またアニメの放送日か?」 「違うよ、えっとカレンダーは―――」 「俺ん家のビデオは貸さねーぞ」 「だーかーら違うって、ちゃんと予約してあるし―――あ、あった」 さり気なくオタクっぷりを発揮したなこいつ、と失笑するキリトに気付かずカレンダーを指で追った潤は、ひとつ頷いて振り返った。 「俺、いったん自分ち帰るわ。ペットたち、見てやらないと」 「あん?」 「さすがに3日とか空けるとやばいんだよね。衛生的にも良くないし、餌もなくなってるかも」 遊んでやんねーとストレスも溜まるし、と立ち上がる潤に、そっか、とキリトも立ち上がる。 「ま、面倒見るのは飼い主の責任だからな」 「そーそ。ここ連れてくるわけにはいかねーし」 「バカ言うな、冗談じゃねえ」 「解ってます、だから帰るんじゃないですか」 そう笑って、潤は去っていった。「じゃあまた」とだけ言い残して。そしてひとり残されたキリトは軽く伸びをし、さて今日はどうしようか、とリビングを出た。 潤が帰ったからといって予定が狂ったわけではない。元々、何も決めていなかったのだし、いたからといって彼に合わせることも気遣うこともせず、思いつくまま行動していた。そうだな、今日は――そう思い、ふと隣のドアが目について、気付く。 ……今、一応は曲作り期間だっけか。 考えてみれば、自分も潤も作曲という名の宿題が与えられていたのだった。自分はまったく手をつけていないし、きっと、いや絶対潤もそうだろう―――あの性格から考えて先にやっているわけはない―――思い当たったら何となく気が向いて、キリトは仕事部屋のドアを開けた。曲作り以外では足を踏み入れることのないその部屋は雑然と居心地が良く、何となく気が向いたまま、機材のスイッチに手を伸ばしていた。追いつめられなくては気が乗らない、自分にしては珍しい行動にひとり、苦笑しながら。 そういえば潤は家に来た時、キリトん家ってギターあるよね、と言っていた。だとすると曲作りをする気はあったのだろうか。珍しい。……いや。 「…あと、3日もないからか」 思い当たった言葉が独り言になり、キリトはまた、苦笑する。 オフはあと数日で、潤が来た時も既に一週間を切っていた。1日やそこらで何曲も作れるわけはないから、だとしたらこの家にいる間にやらなくてはいけない事態に陥る可能性は、充分にあったというわけだ。―――いつまでいるとか、そんなこと、お互いに考えていなかったのだし。 そこまで考えてだけどペットのためにいそいそと帰った潤を思い出す。やっぱりあいつ間抜けだよなと笑って、スイッチを入れたばかりの機材の前に座って、……そしてしばらくして、ため息混じりに携帯を出した。 「もしもし、アイジ? …悪いな、休みに。あの、お前も持ってるシーケンサーさ、音色変えるのってどうやるんだっけ?」 ひとり帰宅した潤は、溜まった郵便物をとりあえず玄関脇に置いて、小さな同居人たちに挨拶をして回った。 いわゆる小動物に当たるものたちは、いつだってあまり態度を変えない。素っ気なく、でも一応は飼い主は解っているんだろうなという程度の反応を示すから、こっちも可愛いとは思うもののそれなりに割り切って接している。過剰な愛情は期待しない。だけどもっと大きな、自分の場合は猫だが、奴らの場合はそうはいかない。放っておきすぎると顕著に機嫌を損ねてしまったり、やたらと甘えてきたりもする。そこが愛しいのだけれど。 そこが嫌なんだ、と言った、さっき別れたばかりの顔を思い出した。ペットに対して彼が良い顔をしたことはなく、一度不覚にも潤の猫を抱いたまま寝てしまったことがあってから、しばらくキリトはこの家に寄りつかなかった。“知り合いが飼っている動物”以上の愛情を感じるのを極端に嫌がる姿に閉口しつつ、実は好ましくも思っている、と言ったら矛盾しているだろうか。 だけど本当に、潤はそれが彼らしく、納得できる姿だと感じている。 「…ちょっとは仲良くして欲しいけどね、お前ともね」 覗き込んだ飼い猫に猫パンチを食らい、少々本気で応戦しながらほんの少しだけ、ここにキリトがいてくれたらな、と思ったけれど。 「さ、これでお終い。ごめんね、もう行かなきゃ」 不満げな彼女たちをケージに押し込んで、潤は立ち上がる。荷物を持って出ようとして、この部屋に次に帰ってくるのはいつだろうと、ふと思う。決めてないのはいつものことで、それに不満も不便も感じていないのだけれど。 「なー、お前らはいつも待ってんのな、俺を」 もう一度、しゃがみ込んで覗く主人に、灰色の瞳がなあに?と見上げる。そこにわずかな期待を感じ、少々後ろめたい。 「……あの人も、一応は待ってる、のか」 来れなくてもきっと不満を言ったりしないけれど、落胆すらしてくれないのかもしれないけれど、だけどきっと、いや確実に自分を待ってくれてる、ひと。 いとしいひと。 覗き込んだまま動かない潤に、早く行けと言わんばかりに一言鳴いて、彼女は眠る体制に入った。 「…ありがとな」 ケージの隙間から指を入れて額をひと撫でし、潤はゆっくり立ち上がった。 「何で俺に電話すんのさ」 いいけどねー別に、そう言って脳天気に笑った男は、キリトの質問にあれこれ答えて一段落すると、また最初の質問に戻った。 「だけど何で俺なの?潤くんに聞けばいいのに」 「あいつに聞くよりお前の方が早い。あの大雑把な奴が教えられるか」 「いやそれもそうだろうけどさ、近くにいんのに」 「いねーけど?」 「へ?」 使うのが久しぶりすぎて間抜けにもすっかり機材の使い方を忘れてしまったキリトに、呆れながらも調子よく教えてくれたアイジはある意味当然かもしれない質問をしたのだが、キリトの答えは予想外だった。今の今まで、近くに潤がいるものと思っていたのだ。当然のように。 「一緒じゃなかったの?」 「あーさっき帰った。動物見るんだと」 「え、そうなの? 何で、せっかく一緒にオフなのに」 不思議そうな声のアイジに、バカ、と苦笑する。 「あいつの動物を殺すわけにいかねーだろ。飼い主の責任だ」 「いや、だったら一緒に行けばいいじゃん、潤くん家」 「何で俺があいつのペットのために行かなきゃいけないんだ」 さらりと言ったキリトに、一瞬絶句したアイジは暫しの沈黙の後、わざとらしいため息をついた。 「潤くんもこんな亭主関白な人で…」 「はあ?」 「だってペットのために帰って、そんでまたキリトのために戻って来るんでしょー? 考えてみなよ、すんごい尽くしてるよ潤くん」 「…お前ほんとにバカか。何で俺のためなんだよ」 「へ?」 間抜けな声を出したアイジに、キリトは心底解らない、といった風に答えた。 「来いとも行くとも言ってねーよ。戻っては、来るだろうけど」 今度こそアイジは絶句して、キリトが不審に思うほど沈黙を続けてようやく「ああ、…そう」と一言発することができた。至って平静なキリトに、自覚はまったくないのだろうかと最早脱力する。……ものすごい台詞を聞いた気がするのだけれど。 「何つーかさあ、ある程度解ってたけどさあ…」 「あ?」 苦笑混じりなアイジに、未だ理解できていないキリトが「変な奴」と呟いた。いや変なのはあんた、て言うかあんたたち、と心の中で突っ込みながら、アイジは心の底から、といったため息をついた。 「何ていうか…不思議な関係だよね、リーダーと潤くんって」 「不思議?」 「うん。もー俺なんかの理解を超えた感じ。あ、悪いって意味は全然ないんだけど」 「そっか? 普通だぞ」 「それを普通と感じてるところが不思議なんだって!」 ケラケラ笑いながら突っ込み、でも全然オッケー見てて楽しいしある意味羨ましいしー、と言うアイジの調子に誤魔化されるように会話は和み、終了に向かう。アイジにしてもそれ以上の追求をする気はなかった。 詰まるところは、仲良きことは美しきかな、だ。……それでいい。 電話を切ってしばらく作業をしていたキリトが気付くと、もう外は暗くなっていた。そういえば潤はいつ頃戻ってくるのだろう、と思い、さっきのアイジとの電話を思い出す。 あの時は本気で、アイジの言う意味が理解できなかった。だって潤は、いつもごく自然にここに来るから―――自分も自然に迎えて、希に潤の家に行く時の流れも自然で、それが当たり前で。 「不思議な、ね」 アイジの言葉を反芻して、キリトは薄く笑った。自分の当たり前が他人にとってはイレギュラーに当たる、というのは自分に限らずよくあることだとは知っているけれど、改めて指摘されると妙な感じだ。だからどうということではない、今の状態の居心地は悪くない。もうすぐ、少なくとも今日中には潤は戻ってくるのだし、それを当たり前に受け止めればいいのだし。 そこまで考えてふと思い立ち、キリトは携帯に手を伸ばす。そしてあまり使われないそれの、更に使われないメールの作成が面を開いた。ほんの、そう悪戯心だ。ひと言、いつ来るんだと送ったら果たしてどんな顔で受け取るのか、それだけ。その顔は見れなくても充分だ。 そして戻ってきた潤を抱きしめてみよう。きっと彼は驚いて、だけどやんわりと抱き返してくれるのだ。どうしたの寂しかったの、などと笑いながら。予想は多分裏切られず、代わり映えのしない関係と言えなくはないけれどそれもまあ、――――悪くない。 いつも通りの夜に期待と僅かな祈りを込めて、キリトは送信ボタンを押した。 “―――君を失うはずはないことを知っているよ。きっと、ずっと昔から。” |
end 2004.07.01
9224HIT、飯田荳蔵様に捧げます。また本当遅くてすいません。毎度謝ってますが。
リク内容は「ほんわかした、仲良しなふたり」ということだったのですが、仲良しというか度が過ぎているというか(苦笑)。私の中でのキリトと潤の繋がりというのは突き抜けてしまっているようで、仲良しっぷりに焦点を当てるとこんなことに。私にしてはかなり甘い話になりました。気に入っていただけましたら幸いです。
今回もタイトルはすいません、スマパンの曲から。正式には「Ava Adore」ですが。敬愛とか崇拝とか、もっと軽い表現では大好きとか、そういう意味です。曲中もしつこく「We must never be apart」と言ってますので、離れちゃいけないんだよーということで。(余談ですがこの頃のスマパン(いわゆる終末期)はゴシック風味全開で、プロモも怖くボーカルのビリーもすっかり魔人と化しててそれはそれで大好きです)
リクエスト、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。