義母のエンバーミングについて記したからには、それに続く葬式の件についても述べることにします。 [ 1:誰でもなれる葬儀屋 ]電話 1本でその気になれば誰でもできる商売、現在でも 何の公的資格も届け出も必要がなく、遺体を扱うことができる商売 が葬儀屋です。全国に 3 千軒あるともいわれていますが、正確な数字は葬儀業共同組合もつかんでいません。組合に所属しない葬儀屋(社) が多いからです平成8年に 葬祭 ディレクター制度 ( 1 級と2 級 )ができましたが、一応厚生労働省が認定した資格認定制度ですが、それ以後も資格が無くてもできる商売であることには変わりありません。その資格認定の方法をみると筆記試験の受験料が 1 万円、実技試験の受験料が 1 級の場合 5 万円という高額でした。では実技では何を試験するのかといえば、幕張り装飾、司会、依頼者との交渉実演の 3 科目でした。 誰が試験をするのかといえば葬祭業共同組合の ビル 内にある、葬祭 ディレクター技能審査協会という身内の人です。もともと百年以上無くても済んでいた資格を今更作ることになったのは、転んでもただでは起きない官僚の天下りの ポストや、ぜニ 儲けがからんでいるとみるのは、考えすぎでしょうか?。というのは幕を張るという必要経費に比べて、5 万円という実技試験料の法外な高さが気になります。 葬儀屋 ( 社 )の多くが零細企業であり、葬儀に必要な葬祭具や祭壇組立に必要な人員、サービスに必要な人を貸し出す、葬祭具専門の リース会社に頼っていました。我が家の場合 「 葬儀社、極楽堂 」と葬儀契約をしましたが、「 阿弥陀、リース 」と書いた車が葬祭具を運んできましたし、式場で祭壇を組み立てたのもその人達でした。 亡くなった場合に葬儀屋がまず最初にすることは火葬場と式場の予約です。それが可能になってから逆算して葬儀の開始時間が決まります。葬儀屋とは、葬儀に関係ある前述の火葬場、式場、僧侶、リース会社、ハイヤー、料理の仕出し屋など各種の仕事の手配を オーケストラの指揮者の如く タイミング良くまとめる仕事のようです。そこには経験、人脈がものを言うことは間違い有りません。
[ 2:所変われば品( しな )変わる ]長野県小県 ( ちいさがた )郡室賀村の葬式に行ったところ、葬式当日の午前中に遺体を火葬にしてしまい、午後からの告別式では僧侶不在のままで、近所の人は順に遺骨に焼香して帰って行きました。15 分程度で告別式は終りましたが、もちろん喪主の挨拶もありませんでした。無宗教による葬儀ならばともかく、僧侶抜きでの仏式葬儀は初めてなので地元の会葬者に聞いたところ、あとで僧侶が来て近親者だけで葬儀をするのがこの地方の 「 しきたり 」 とのことでした。火葬を先にして遺骨を据えてから葬儀を行う方法を、 骨葬 というのだそうで、長野県の一部から福島県にかけておこなわれる葬儀方法なのだそうです。 遺骨の件はともかくとして、故人と 「 ゆかり 」の有る人が別れを告げるための告別式と、遺族、親族による葬儀とを明確に分けた葬式の方法でした。 岐阜県の大垣市のある葬儀に参列したところ、式場入り口でお経の本を渡されました。そこでは僧侶の読経が始まるとそれに合わせて、会葬者のうちの ベテランは本を見ずに、初心者はお経の本を見ながら声を揃えてお経を読み始めました。しかも小声ではなく、僧侶並みの声の大きさでしたので、百人近くの会葬者の読経の声には圧倒されました。声を揃えてお経を読む姿を見ていると、なにかしら宗教的連帯感の存在を感じさせられました。
[ 3:宗教の違い ]義母の葬儀について葬儀屋との打ち合わせで最初に問題となったのは、どの宗教で葬式をするかでした。実は義母は 30年以上前からある神道系の宗教の信者になり、その神様に帰依していました。[ A 子 ]: 母親の信仰していた神式で葬式をするのが当然よ。神道への信仰は生前の義母に精神の 「 安らぎ 」を与えるものでしたが、死後の葬儀については家族 一同が相談のすえ神式でするよりも、家族にとって将来にわたり慰霊が容易で、葬儀が無難な仏式ですることに決めました。
[ 4:葬儀の予算 ]すると葬儀屋が大きな葬儀の メニューを差し出しました。料理の等級に 松、竹、梅などがあるように、そこには葬儀の内容を値段ごとにまとめた セット ・ メニューが祭壇の写真説明入りでありました。梅に相当するのが、36 万円 コースご予算に応じて如何ようにも葬儀を致します。と書いてありました。 お雛様の飾りに 3段飾り、5 段飾りなどがあるように、葬儀の基本になるのが祭壇の金額つまり大きさでした。義父が 93 才のしがない年金暮らしの為に、迷うことなく 72 万円コース を選びました。しかし後で判明したことは、48 人分の通夜ぶるまい、当日の精進落とし、葬儀社への支払い、僧侶への費用などを含めると 合計では 3 倍の費用を支払いました 。 松コース を選ばなくて良かったと思いました。 セット ・ メニューに含まれるものとは葬儀に最低限度必要な品物や サービスであり、棺ひとつとっても、いわゆる標準仕様では ベニア板に桐の木目を プリントした、プリント棺 ( 5万円 )のお粗末な品物であり、それよりも上等な桐板製の桐 キャビネットを選ぶと 3 万円追加となり、運び易い様に飾り取手が付いた棺は更に高価でした。 それ以外にも例えば葬儀場の入り口などに立てる、「 日の丸花子儀告別式 」 と白木の板に故人の名前を大書した看板 ( ? ) を希望すると 10 万円が追加される仕組みでした。霊柩車にも種類があって、セット ・ メニューに従えば最低の車格の国産の寝台車になりますが、白木造りの霊柩車や キャデラックの霊柩車を頼むと 7 万円追加になりました。 驚いたことに遺体の火葬料金にも等級がありました。義母は埼玉県内のある市で葬式をしましたが、市営の火葬料は市民は 2 万 3 千円でしたが、市民以外の者は 5 万円でした。義母は東京都民でしたので 5 万円の標準料金にしましたが、それ以外に 7 万円、13 万円という火葬料金もありましたが、高額な火葬料金を払うとどのような火葬方法になるのでしょうか?。 トロ火 で時間を掛けてゆっくり焼くとか ?。
[ 5:僧侶の時給は 10 万円 ]葬儀屋が手配した僧侶が来て枕経、通夜、葬儀、火葬場で読経しましたが、私は参考のために読経時間を計ってみました。通夜と葬儀がそれぞれ 45 分ずつ、枕経と火葬場で合計 30 分の トータルで 120 分 ( 2 時間 ) の読経でした。あとで葬儀社の請求書を見たら寺院代として 20 万円支払うので、時給にすると 10 万円でした。なお僧侶にどこのお寺さんですかと尋ねても寺院の名前を言わなかったので、寺無しの フリーター 僧侶だと思いました。
注:1)速算法 [ 6:戒名について ]葬儀の際に最も疑問に思ったのは戒名の件でした。葬儀屋曰く真言宗ですと最低の信士 / 信女で 30 万円が必要です。 50 万円出せば居士 / 大姉が貰えますが−−−。つまり戒名 ( 宗派によっては法名、法号 ) とは仏弟子になった しるし として、受戒の際に授かる名前の意味から大きく外れてしまい、仏教徒にとっては死者を葬る際に関所の通行料の如く僧侶が戒名料を徴収するもの、あるいは葬儀における見栄を張る道具としての葬儀の必需品でした。義母の家は東京の多磨霊園にすでに墓があるので旦那寺による供養は必要なく、見ず知らずの戒名屋が機械的に作った戒名を僧侶から高値で買うのに抵抗を感じたため、葬儀は俗名で行いました。それでも葬儀の際に不都合なことはありませんでしたし、位牌には戒名の代わりに俗名が書いてありました。 しかし後で親類の頑迷な年寄り達の意見や、世間体を重んじる非難に抗し切れず、49 日の法要に合わせて少しも心がこもらない、戒名屋の戒名を 30 万円で購入する羽目になりました。ちなみに私自身は、死んだら俗名で葬儀をしてもらうつもりです。 葬儀社の従業員から後で聞いたところによれば、都会では最近戒名を付けずに 俗名で葬式をする人が 3 割 近くいるので、僧侶は収入が減り困っているとのことでした。その原因は戒名などという余り意味のないことに高額の費用を支払うことへの抵抗感や、位の高い ( ? ) 戒名に人々が価値を見いださず、欲しがらなくなったからだと思います。 70 才の私自身、両親や祖父母の戒名を書けといわれても恥ずかしながら正確には書けませんが、 貴方はいかがですか?。戒名とはその 程度のものなのです 。戒名については 「 サンデー毎日の記 」 の別の項目にして、後日述べるつもりです。
[ 7:心付け ]土葬の時代には 「 死の穢れ 」に接する墓掘り、柩を担ぐ人、「 湯かん 」をする人などには死穢 ( しえ ) に抗するため、 酒と食物を与えて死の穢れを清める風習がありましたが 、この名残が葬儀関係者への心付けです。心付けについては、地方公務員である火葬場の係員 ( 2 名分 ) についても実は必要です。金額は普通 3 千円から 5 千円程度でしょうか。当然のことながら火葬場に親類縁者を乗せて行く バス や霊柩車の運転手、葬儀屋の従業員である手伝いにも必要ですし、それと僧侶には通夜、葬儀当日共に、車代として各 1 万円程度を支払いました。参考までに葬儀費用、戒名料は税法上相続財産から引き落とすことができます。
[ 8:免罪符発行と宗教改革 ]日本人の葬式費用は平均で 231 万円 ですが、イギリスでは 12 万円、韓国は 37 万円、アメリカでさえ 44 万円といわれています。外国に比べて 5 倍〜 19 倍もの費用は高すぎる、無駄であると思いませんか?。ヨーロッパでは 1513 年に ローマ ・ カトリックの教皇 レオ 10世 が、 サン ・ ピエトロ 大聖堂 を再建することにしました。そのための資金集めの方法として免罪符なるものを発行し、この証書を購入すれば罪の償いが免除されることになりました。 世界の仏教の中で日本の仏教だけに存在する カネ に絡んだ戒名の悪習 は、免罪符発行に匹敵する宗教的堕落です。 つまり人は信仰に依って救われるのではなく、 お金を出せば救われ 、金額に応じて高い宗教的見返りが与えられるということです。
注:) ヨーロッパではこれが契機となり、 ドイツ人の マーチン ・ ルター( Luther ) が 1517 年に宗教改革運動をおこない、後に カトリック教皇の権威に反抗して プロテストント派教会が誕生しました。しかし日本ではこの悪習を改革する宗教者が遂に現れず、 信仰に励んだ者が良い戒名を授かるのではなく、寺に多額の寄進をしたり、僧侶に カネを多く出した者が その見返りに、位の高い戒名を授かる。つまり戒名の販売、商品化の悪習が改められずに 800 年以上も続いています。
注:)ルターの言葉といいましたが、多額の金と引き換えに戒名を授ける 堕落した日本の僧侶 たちに、この言葉についての感想をぜひ聞きたいものです。
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