ウイルスと 病原菌
[ 1 : 新型インフルエンザ ]平成 11 年 ( 1999 年 ) 4 月 1 日から、 いわゆる 感染症法 ( 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律 )が施行されましたが、 そこでいう 新感染症 とは
人から人に伝染すると認められる疾病であって、 既に知られている 感染症の疾病とその症状または治療の結果が 明らかに異なるもので 、当該疾病に罹った場合の病状の程度が重篤であり、かつ、当該 疾病のまん延により、国民の生命及び健康に 重大な影響を与える おそれがあると認められるもの 。と規定されていました。
今年 ( 2009 年 ) の春頃から メキシコの養豚農家で発生したとされる新型 ( 豚 ? ) インフルエンザは、その後国境を接する アメリカに感染が広がり、そこから更に日本まで感染が広がったのは 5 月初旬のことでした。
大阪府茨木市にある関西大倉高校では、最終的に 生徒 101 名、教員 2 名 が新型 インフルエンザに 感染したために、感染の拡大を恐れた大阪府の橋本知事は 5 月 18 日に府下のすべての 小 ・ 中 ・ 高校に 1 週間の休校措置をとりました。神戸でも 二つの高校で新型 インフルエンザの患者が発生したために、兵庫県では 南部の地域にある 小 ・ 中 ・ 高校を休校にしました。 感染が世界的規模に拡大したために W H O ( World Health Organization 、世界保健機関 ) の、 マーガレット ・ チャン ( Margaret Chan ) 事務局長は、6 月 12 日 0 時 U T C ( 世界協定時、旧 グリニッジ標準時 ) に、 伝染病の世界的大流行 ( パンデミック、Pandemic ) を宣言すると共に、警戒水準をそれまでの フェーズ 5 から最高水準の フェーズ 6 に引き上げました。
地元の高校で新型 インフルエンザ発生の ニュースが流れると、阪神間の人々は急いで マスクを買い求めに薬局や スーパーに行ったので、たちまち売り切れとなりました。さらに厚生労働省の指示により、鉄道の駅員、空港の カウンター係、バスの運転手、デパート、スパーの従業員などは マスクを着用して仕事に従事するようになりましたが、写真は神戸空港における航空会社従業員の様子です。 ( マスクの再利用 )
仕事や通勤に使う マスクは使い捨てが原則ですが、鉄道、航空会社、金融機関などの大手企業が大量に買い占めをした結果、薬屋では翌日以後の マスクの入荷も予測できない状態になりました。いつまで続くか分からない新型 インフル感染の脅威に、子供たちも勤めに出る サラリーマン家庭では、予備の マスクがたちまち無くなってしまいます。 そこで近所の家では使用済みの不織布製の マスクを、毎日手洗いした後に鍋で熱湯消毒をしてから日に干して、最後に アイロンを掛けして再利用したのだそうです。 血糖値が糖尿病との境界型である私は毎日 1 万歩の早足歩きをしていますが、新型 インフルエンザの流行に伴い人の多い町中を歩く際には、最初は マスクを着けて歩くことにしたものの、息苦しいので コースを変更し、人が少ない近くの里山を マスク無しで歩くことにしました。 インフルエンザの影響をまともに受けたのは、丁度 5 月の連休と重なった旅行業界、観光地の旅館、ホテルなどで、旅行中止による キャンセルが続出し悲鳴をあげていました。横浜に住む孫が 6 月初めに修学旅行で京都、奈良を訪れる予定でしたが、折角楽しみにしていた修学旅行が キャンセルされるのではないかと心配していました。
京都には毎年 100 万人を超える修学旅行生が訪れますが、その ピークは 5 月といわれていて、新型 インフルエンザの影響で 5 月中だけでも修学旅行の生徒約 10 万人が キャンセル したので、旅館など宿泊業者の損害はこれまでに、約 20 億円 に上ったとのことでした。 しかし幸いにも 5 月末には一応流行が下火になったので、孫たちは予定通り 6 月 2 日に マスク持参で修学旅行に出発することができて、本人も家族も喜んでいました。( 清水寺に通じる清水坂。)
[ 2 : 検疫法と、イエロー ・ カード ]イエロー ・ カードというと、最近の若者は サッカーの試合中に主審が警告を与える時に示す反則 カードのことと思われますが、ここでは 国際予防接種証明書 のことです。 今から 30年ほど前 までは、海外旅行をする際には事前に国際空港や港の検疫所、あるいは特定の医療機関などで 天然痘 ( Smallpox ) の予防接種を受けて、国際予防接種証明書 ( イエローカード ) を用意することが必要でした。現在でも アフリカ、東南 アジア、南米熱帯雨林などに生息する ネッタイシマカ ( 熱帯縞蚊 ) が媒介する黄熱 ウイルス( yellow fever virus ) を病原体とする、 黄熱病 ( Yellow Fever ) の汚染地域を訪れる場合には 、黄熱予防接種済みの イエロー ・ カードが必要になります。 ところで検疫法という法律がありますが、国外にある感染症の病原体が日本に侵入することを、防ぐための法律です。昔の検疫法で定められた検疫対象の病気とは、 天然痘 ・ ペスト ・ コレラ ・ 黄熱 でしたが、平成 11 年 ( 1999 年 ) に施行された改正検疫法では天然痘が無くなり、 エボラ出血熱、ラッサ熱、クリミア ・ コンゴ出血熱、マールブルグ病、ペスト、コレラ、黄熱 の 7 種類が検疫対象になりました。 さらに平成 15 年 ( 2003 年 ) 7 月から S A R S ( サーズ、後述 ) が指定感染症となり、検疫対象に加えられました。 ちなみに検疫のことを英語で クォランチン ( Quarantine ) といいますが、この語源は イタリア語の クォランタ 「 Quaranta 」 つまり数字の 40 に由来します。14 世紀に ヨーロッパで大流行した ペスト ( 黒死病 ) の最盛期に、地中海交易の中心地でした イタリアの ベネチア ( Venezia、ベニス ) 港では、外国から来た船舶を沖合に 40 日間 停留させておき、船員 ( 乗客 )の健康に異常がないことを確認してから入港を許可したのだそうです。
船の国際信号旗には アルファベットの 「 Q 」 を示す旗がありますが、黄色の 四角形で 俗に検疫旗 ( Quarantine Flag ) ともいいます。現在でも外国航路の船が、入港する場合にはそれを マストに掲げますが、
本船は乗組員の健康に問題なし、検疫交通許可証を交付されたいの意味を表します。黄色は警戒色ですので、前述した検疫用の イエロー ・ カードを初め、到着旅客が空港の検疫係官に提出する検疫質問表などにも、黄色の用紙が使われます。
[ 3 : 人類を苦しめてきた、二つの感染症 ]( 3−1、ハンセン病 = らい病 )旧約聖書の レビ 記 ( Leviticus ) 第 13 章 2 節によれば、
人がその身の皮に腫れ、あるいは吹き出物、あるいは光る所ができ、これがその身の皮に 「 らい病 」 の患部 のようになるならば、−−−−以下省略とありました。これが旧約聖書の中で 「 らい病 」 について記された最初の文言ですが、 新約聖書 の マタイによる福音書の第 8 章 2 〜 4 節、マルコによる福音書の第 1 章 40 節 〜 45 節、ルカによる福音書の第 5 章 12 〜 15 節には、 イエスが 「 らい病人 」 の願いに応じ手を伸ばして彼にさわり きよくなれというと、 らい病が直ちに去って その人は きよくなった ( 治った ) ことが記されています。その時代よりも遙か昔から、人類は有効な治療法が無かった 二つの感染症に長年苦しめられてきました。
ひとつは前述した 1873 年に ノルウェーの ハンセン ( Hansen、1841〜1912 年 ) が発見した 「 らい菌 」 の感染によって起きる ハンセン病 = らい病 ですが、「 結節 らい 」 では、皮膚に コブ状に隆起する結節 ( けっせつ ) ができるので、 容貌のひどい変形 ・ 結節の崩れ ・ 失明などをもたらしました。
「 神経 らい 」 の場合には、手足の神経が冒されて指がくずれ脱落などが生じたことから、遺伝病と信じられていた昔は、 ハンセン病 ( らい病 ) のことを天が与えた刑罰の意味から 天刑病 とも、あるいは 悪行の報いや前世からの因果で罹るとされる、 業病 ( ごうびょう ) と呼ぶこともありました。写真は指先が脱落した手。
何千年もの間不治の病 とされてきた ハンセン病 については、昭和 18 年 ( 1943 年 ) に、アメリカの医学誌に特効薬 プロミン ( Promine ) の効果が発表され、ハンセン病の完治が可能となり、日本でも研究され使用されるようになったのは敗戦後の 昭和 23 年 ( 1948 年 ) のことでした。
( 3−2、患者の数が国家機密の中国 ) 過去の実例を挙げますと H I V ( エイズ ) 感染者について、 2001 年末の中国政府から WHO への公式報告ではこれまでの感染者の累計が、 3 万 736 人、患者数が 1,594 人でした。ところが国際的に疑問の声が出たために、翌年 9 月になって前年度の統計を突然訂正し、感染者の累計が 33 倍の 85 万人、患者( 発症者 ) については約 10 万人 であったと発表したので世界中が驚きました。 さらに平成 14 年 ( 2002 年 ) 末に起きた 後述する サーズ、( SARS 感染症 ) 患者 発生の際には、ホンコンに隣接する広東省の中国共産党 委員会は 2003 年 2 月 14 日に書面と口頭により、当局が SARS に関する統計数字を 国家機密 に指定したこと、 これを漏洩した者には一律に 国家機密漏洩罪 を適用する としました。 そのために国民が サーズの正確な情報を知らされずに感染が拡大した経緯がありましたが、中国は政治的理由から自国に不利な情報を 隠す傾向が 非常に 強いので 、下表の ハンセン病新規患者数についても正しい数字は、その10 倍以上(?) と推測する説もあります。
注:) ( 3−3、天然痘 )
ところで、もうひとつの重要な感染症には死亡率 30 パーセント以上 といわれた、 天然痘 がありましたが、30 年前に 地球上から 天然痘 ウイルスが根絶されました 。 写真の左側の男性は顔や全身に天然痘の丘疹 ( きゅうしん、盛り上がった発疹 ) ができましたが、 やがて 丘疹 が 水庖 ( すいほう ) に変わり、次には下の写真の女性のように無数の 膿胞 ( のうほう、おでき ) に変わります。 右側のちょんまげ姿の男性 ( 塩田三郎 ) は天然痘に罹ったために 「 あばた顔 」 になりましたが、後に英語や フランス語を学び、幕府の遣欧使節団に通訳として 2 度同行し、明治維新後は外交官となり、清国駐在特命全権公使になりました。
江戸の昔から特に女性にとっては、 天然痘は 「 器量定め 」 といわれてきましたが、運よく天然痘に罹 ( かか ) らなければ占めたものですが、罹れば死なずに治っても時にはひどい 「 あばた顔 」 になり、婚期を逸する若い女性もいました。 写真の女性は体中にできた 天然痘の発疹が前述の膿胞 ( のうほう、ウミを持つ ) になった状態ですが、無数に生じた 「 おでき 」 が治った後には 皮膚に必ず瘢痕 ( はんこん、デコボコの痕 ) を残しました。
天然痘の歴史書を見ると必ず名前が出てくるのが、エジプトの カイロ博物館にある ファラオ ( Pharaoh 、君主 )の ラムセス 5 世 ( 紀元前 1157 年に死亡 )の ミイラです。その ミイラを調べた元 W H O ( 世界保健機関 ) に勤務した アメリカ人医師 ホプキンスの報告書によれば、
顔面や 四肢に隆起した膿胞 ( のうほう ) の痕らしいものがあった。その形や全身の分布状態は、私が天然痘根絶対策に従事している時に観察した、最近の天然痘患者に似ていた。とありましたが、 ラムセス 5 世は 3,166 年前の天然痘 感染が確認された、 世界最古の天然痘患者 ということができます。またその当時から天然痘が アフリカ大陸の北部に存在していて、しかも支配者の家族まで感染を及ぼすほどの蔓延 ( まんえん ) 状態であったことが分かりました。
[ 4 : 天然痘 ウイルスについて ]天然痘の病原体である バリオラ ・ ウイルス ( Variola Virus ) は前述の黄熱、マラリアなどとは大きく異なり、何千年もの間 自然界では他の動物や 節足動物 ( ダニ ・ シラミ ・ ノミ ・ カ ) などから人に感染したり、人から他の動物や 節足動物などの 病原体保有生物 を介して人に感染することは ありませんでした 。つまりこの ウイルスには キャリアー ( Carrier、運び屋、宿主 ) が自然界に 存在せず 、したがって強い感染力により人から人へ伝染する以外に、バリオラ ・ ウイルスは 生存できないのです。 天然痘が人間の病気として定着したのは、農耕による定住生活が始まり 人口が集中し始めた 、今からおよそ 1 万年まえ のこと推定されますが、人口の集中により人から人への感染の機会が増大しました。天然痘の発源地 ( 原産地 ? ) については アフリカ発源説などいろいろな説がありますが、いちばん有力な学説は インド とされています。 前述した ラムセス 5 世より以前の インドに天然痘と推定される病気が存在したとされますが、古代 インドから 放浪の民、ジプシー、 ( Gypsy 、 注参照 ) が ヨーロッパ東部に民族移動した際に、天然痘 ウイルスを 各地に伝播したとされます。 それだけでなく マケドニアの アレクサンドロス ( Aleksandros、B C 356 〜 B C 323 年、英語表記では アレクサンダー、Alexander )大王が ペルシャ ( 現 イラン ) を征服し、 インド北部の パンジャブ州まで大遠征をして ギリシャと オリエントを含む大帝国を作りましたが、その際に インドで兵士が天然痘に感染し、その ウイルスを伴って帰国した結果、世界各地に伝播したともいわれています。32 才という若さで彼が死んだ原因は、蚊や鳥が病原体 ウイルスを持つ 「 西 ナイル熱 」 説と、「 毒殺 」 説がありました。
写真は ロマ ( ジプシー ) の家族ですが、彼らはいわゆる キャンピング馬車で 「 さすらいの旅 」 をしましたが、現在では定住する者も増えました。
ところで天然痘 ウイルスは電子顕微鏡で見ると 煉瓦のような形 をしていますが、乾燥や低温に対して抵抗力が強く、患者の皮膚から脱落した 「 おできの かさぶた 」 の中でも 室温で 1 年以上 生きていて、マイナス 25 度 C 以下では長期間保存できます。しかし日光や紫外線に対しては抵抗が弱く、56 度 C の温度では 30 分で 死滅します。 伝染は主として患者の皮膚や 粘膜にできた 「 おでき 」 の汁や、「 かさぶた 」 の粉による 飛沫感染 ですが、患者との 接触感染 、ウイルスの付着した ホコリによる 空気感染 のほか、汚染衣類などを介する 間接感染 もあります 。 ウイルスの侵入口は気道粘膜が多く、潜伏期間は 9 〜 14 日で 一度罹ると長期間の免疫を獲得しますが、希に老年期に再感染する例もありました。
ジェンナーは開発したばかりの種痘 ( 天然痘の ワクチン ) の接種を、最初は 我が子 に人体実験をして、その安全性を確認したという 美談仕立ての話でした が、実は全くの ウソ で 近所の貧しい家の子供を危険な人体実験に使用したのでした。−−−−合計 3 回 も。
私が子供の頃は乳児期と学齢期になるまでの 2 回 、全員が種痘を左腕の肩の近くに接種したので、銭湯に行くと誰でも種痘による 「 おでき 」 の痕が上腕部に残っていました。ちなみに太平洋戦争 ( 1941 年 ) 以前の東京都内 ( 豊島区巣鴨周辺 ) では、自宅に風呂がある家など、ごく少数の裕福な家だけでした。 写真の種痘箇所は 1 箇所ですが、幼児の頃に最初にした種痘は多分 4 箇所ではなかったかと思います。日本では昭和 51 年 ( 1976 年 ) まで種痘が実施されていたので、おそらく現在 33 才以上の人には種痘痕があるはずです。 昭和 56 年 ( 1981 年 ) から始まった中国残留孤児 ・ 訪日肉親捜しでは、多くの残留孤児が日本を訪れ肉親を探すようになりましたが、その中には日本政府が帰国の際に当初支給した 20 万円 ( 当時の中国での年収の 4 〜 5 年分、後に多すぎたので 10 万円に減額した ) の金欲しさから 「 日本人孤児に なりすますし 」 が かなりいましたが、判断材料のひとつは腕の種痘痕の有無でした。 同じく敗戦後の台湾では、中国本土から毛沢東の共産軍に追われて逃げてきた蒋介石政府と共に台湾にきた外省人と、本省人 ( 台湾人 ) を簡単に見分ける方法がありましたが、腕の種痘痕の有無と、決定的なのは顔の 「 あばた、皮膚のでこぼこ 」でした。日本統治下で種痘により天然痘を根絶した台湾と、種痘も実施されず衛生状態の悪い中国本土との差でした。 ( 5−2、乳搾り女の手が、種痘の ヒント )
この随筆を書くに当たってよく調べてみると、 人体実験の話は意図的に 「 改ざん 」 されたのか間違いによるのか分かりませんが、 ジェンナーが最初に種痘を試みたのは、実は 我が子ではなくて 、近所に住む父親がいない 貧しい家の子 の、 ジェームス ・ フィップス ( James Phipps ) という 8 才の男児でした。棺桶に片足を入れた状態の後期 ( 末期 ? ) 高齢者になっても、これまで知らなかった事柄の多さを、 今回も思い知らされました 。 ところで エドワード ・ ジェンナー は イギリスの牧師の 3 男に生まれましたが、15 才の頃から外科医のもとで医学を学びました。その頃 ある農婦から 一度牛痘 ( ぎゅうとう、注参照 ) に 罹 ( かか )った者は、天然痘 には一生罹らないという、その地方の言い伝えを聞きました。当時の ヨーロッパでは天然痘による死者が 1 年間に、 60 万人 にも達していて、もちろん イギリスでも大流行していましたが、彼は 24 才で故郷に帰り医者を開業すると、天然痘の予防法を研究した際に、牛痘の件を思い出しました。
ジェンナーは 搾乳婦に生じた 「 おでき 」 を他の人に感染させれば、牛痘に罹った搾乳婦と同じ効果が生じて、 天然痘に対する 免疫 が得られるのではないかと考えました。しかし当時 ジェンナーが住む地域には牛痘は希にしか発生せず、自説を実証する機会がありませんでした。
ところが 1796 年に父の農場で乳搾りをしていた サラ ・ ネルムス という若い女性の手に、牛痘から感染した 「 おでき 」 ができましたが、ジェンナー医師は早速彼女に生じた 「 おできの ウミ 」 を、前述した 8 才の男児 ジェームス ・ フィップス ( 1788〜1853 年 ) の腕に ランセット( Lancet 、平型針 ) で傷を付ける方法で、いわゆる牛痘株の植え付けを試みました。これが世界初の種痘でしたが、1796 年 5 月 14 日のことでした。 絵で椅子に座らされている子が ジェームス、赤い上着を着た男が医師の ジェンナー、右端の手に包帯を巻く動作をしているのが、牛の乳しぼり女 の サラ ・ ネルムスです。 種痘から 7 日目に少年の腕に サラと同じ 「 牛痘の おでき 」 ができると共に、脇の下に不快感を覚えましたが、リンパ腺が腫れたからでした。9 日目には少し寒気 ( さむけ )を感じて食欲が無くなると共に少し頭痛を感じました。しかし 10 日目にはそれから完全に回復しました。
ジェンナーは牛痘を使用した接種により、天然痘に対する免疫が得られたかどうかを確認するために、最初の種痘から 47 日後の 7 月 1 日に、今度は 前回よりも 更に危険な 人体実験 をすることにして、天然痘患者の膿胞から採取した 「 ウミ 」 を 少年に接種しましたが、ジェームス少年は天然痘を発病しませんでした。 数ヶ月後にも再び膿胞の 「 ウミ 」 を接種しましたが、その際も発病しませんでした。牛痘を接種したことにより 天然痘に対する免疫が確実に得られた ことが、この実験によって証明されました。 しかし危険な人体実験を自分の子供ではなく貧乏な他人の子供にしたことが、道徳的に非難されることを恐れてか?、あるいは犠牲的精神の涵養 ( かんよう、教え養う ) という 教育上の目的から 、誰かが事実を 歪曲した のに違いありません。
[ 6 : 日本における天然痘 ]インドを発源地とする天然痘は前述のように世界各地に広がりましたが、中国へは仏教が伝わったと同じ シルクロードを経由して、紀元前 1200 年 〜 前 1100 年頃に侵入したといわれています。中国からさらに朝鮮半島に天然痘が広がり、仏教伝来 ( 538 年 ) などにみられる如く、渡来人の移動が活発になった 6 世紀半ばに、朝鮮半島から日本に天然痘が侵入しました 。それが丁度仏教伝来の時期と重なったので、 天然痘の流行は日本古来の神を 「 ないがしろ 、無いに等しいもの 」 にし、仏教導入を決めたことに対する神罰とする見方が人々に広がりました。日本書紀によれば、
瘡( かさ )発 ( い ) でて 死( みまか ) る者−−−身焼かれ、打たれ、摧 ( 砕 ) かるるが如しと記されていましたが、疱瘡 ( ほうそう、天然痘 ) による 「 おでき 」 が生じて死ぬ者は高熱を発し、体が打たれ砕かれるほどの激しい苦痛を伴うとありました。それ以来天然痘は大流行を何度も繰り返し、日本人を最も長く非常に苦しめる疫病となりました。 天平時代 ( 729 〜 749 年 ) に流行した際には光明皇后 ( こうみょう、701〜760 年 ) の兄の藤原 4 兄弟が天然痘に罹り死亡しましたが、 別の説によれば、 赤もがさ により死亡とありました。辞典の大辞林によれば もがさ とは痘瘡( 天然痘 ) の古名であり、赤もがさ = はしかとする説もありますが、いくら昔のことでも、ハシカで 成人が 4 人も死亡したとは考えにくいことです。 平安時代 ( 794〜1192 年 ) には藤原道長 の娘たちもこの病気 ( 赤もがさ ? )で死に、江戸時代には 11 代将軍 徳川家斉 ( いえなり、在位 1787〜1837 年 ) の子女 53 人全員が天然痘に罹り、うち 2 人が死亡しました。 ( 6−1、天皇家も例外ではなく )
やんごとなき ( 止む事なき高貴な ) 身分の天皇についても天然痘 ウイルスは遠慮せずに襲い、第 113 代 東山天皇 ( 在位 1687 〜 1709 年 ) は天然痘で死亡し、明治維新の際に開国に反対した写真の、 第 121 代 孝明天皇 ( 在位 1847 〜 1866 年 ) の死因も公式には天然痘とされていますが、その当時から暗殺説 ( 毒殺 ・ 刺殺説 ) がありました。 さらに 明治天皇 は子供の頃に天然痘を患った記録があったにもかかわらず、現存する写真は 「 あばた顔 」 ではないので、替え玉 ( 別人 ) 説の根拠となっています。ちなみに明治以後の疱瘡 ( 天然痘 ) の流行などについては、随筆集の ここにもあります 。
明治42 年 ( 1909 年 ) に種痘法が公布されてから種痘が法律に基づき実施されるようになりましたが、予防接種が組織的に実施されるようになったのは、敗戦後の昭和 23 年 ( 1948 年 )に新しい予防接種法が公布されてからでした。 その後日本では昭和 30 年 ( 1955 年 ) に 国内患者 1 名 の発生以来、 天然痘は根絶 しましたが、昭和 48 年 ( 1973 年 ) と翌年に、バングラデシュと インドからの帰国者各 1 名の 天然痘 輸入患者 があっただけでした。 患者の死亡率については 1 回以上種痘 ( ワクチン接種 ) をした人は 1 パーセント以下の値で、感染しても症状が軽く子供が罹る水痘 ( みずぼうそう ) と区別ができにくい症状ですが、接種をしない人の場合には 30 〜50 パーセントという高率になります。しかし昭和 51 年 ( 1976 年 ) の予防接種法改正と同時に、世界的に天然痘が根絶間近の状況を勘案して、国内の種痘接種は廃止されました。 ( 6−2、天然痘根絶、成功の理由 ) ちなみに W H O は 1967 年に天然痘根絶対策本部を設け、各国の協力を得て 50 万人の人員と 1 億 ドルの資金で根絶計画を実施しましたが、努力の甲斐あって 1977 年 10 月の ソマリア人の患者を最後として、全世界から天然痘患者の発生が無くなりました。2 年間の追跡調査をした後に、 1980 年に W H O が 天然痘の根絶宣言を出したので、人類は天然痘から解放 されました。 成功の大きな理由は W H O による努力もさることながら、前述したように天然痘が 人から人へ伝染するだけ であり、 ウイルスを運ぶ キャリア( 運び屋の動物や節足動物の蚊 ) などが存在しなかったことも、一つの大きな理由でした。
他にも人類の大敵には マラリア がありますが、世界 100 ヶ国以上に存在し、世界保健機関 ( W H O ) の推計によると年間に 3 〜 5 億人 の患者の発生と、 150 〜 270 万人の死亡者 があるとされています。 その根絶には吸血の際に マラリア原虫を人体に注入して、 感染をもたらす ハマダラカ ( 写真 ) の根絶 が絶対に必要であり、人から人にだけ感染した天然痘の場合ほど容易な仕事ではありません。
[ 7 : S A R S ( サーズ ) と、鳥 インフルエンザ ]鳥 インフルエンザ のことを英語では バード ・ フルー ( Bird Flu ) といいますが、その患者が初めて報告されたのは中国でした。鳥 インフルエンザ ・ ウイルスは、野生の水鳥 ( みずどり、 アヒルなどの カモ類 ) を自然宿主として以前から存在していますが、ウイルスは水鳥類の腸管で増殖し、鳥同士では ( 水中の ) 糞を媒介に感染します。元々鳥が感染する インフルエンザであり、長い間 人間に対して感染したことがなく無害な存在でした。鳥 インフルエンザ ・ ウイルスを自動車に例えれば、小規模の モデルチェンジを長年にわたり何度も繰り返した後で、ある時 突然 フル ・ モデルチェンジをして、 人間に 感染する 性質を持つようになり 、しかも 強い毒性 を持つ ウイルス ( サーズ ・ ウイルス ) に変身したのでした 。
平成 14 年 ( 2002 年 ) 11 月のこと、中国南部の ホンコンに隣接する広東省で従来型とは異なる 肺炎の集団感染 が起きましたが、これが サーズ ・ ウイルス、 つまり( H 5 N 1 ) 型の世界的流行の始まりでしたが、さらにその 1 カ月前に広東省で 1 名の患者が発生したのが最初といわれています。 アメリカの疾病対策 センターである C D C ( the Centers for Disease Control and Prevention )は、
中国南部で原因不明の肺炎で死亡した患者の肺から クラミジア ( Chlamydia pneumoniae ) が検出された。 ( 2003 年 2 月 12 日 )と注意を喚起しましたが、その後 ホンコン、タイワン、ベトナム、シンガポールの他、7 ヶ 国で原因不明の肺炎が拡大し、世界的流行の様相を呈しましたが、患者に抗菌薬 ( 抗生物質 ) が効かないことから感染症の原因として ウイルスが疑われました。
ドイツと ホンコンの大学研究機関の調査で患者から新型の インフルエンザ ・ ウイルスが検出されたため、 W H O ( World Health Organization ) は同年 3 月 12 日に、この感染症を S A R S ( サーズ ) ( Severe Acute Respiratory Syndrome 、 重症急性 呼吸器症候群 ) と名付けました。
この サーズ( S A R S ) ウイルスは 新種の コロナ ・ ウイルス で、 電子顕微鏡写真で特徴的なのは前述の天然痘 ウイルスが煉瓦の形状だったのとは異なり、周囲に多くの突起を持つことです。コロナの名前の由来は、太陽の コロナに似ていることから名付けられました。 ( 7−2、S A R S の、ハクビシン発生源 説 )
サーズ ・ ウイルスについてはその後も研究が続けられていますが、最近では前述した水鳥が発生源ではなく、中国では食用にも使い低い山地の森林に住む夜行性の動物である、 ネコ目 ( もく ) ・ ネコ亜目 ( あもく ) ジャコウネコ科の、 「 ハクビシン 」 ( 白鼻芯 )などが、感染源であるとする説も浮上しましたが、そこから ウイルスが人間に徐々に順応し、時間の経過とともに感染力、毒性を高めていったとされます。 ところで、サーズ( 新型 インフルエンザも、ほとんど同じ ) の感染経路は、
1 : せき、くしゃみの際の、飛沫感染 により広がるものとみられています。 サーズも今回の新型インフルエンザも、 マスクの着用と手洗い励行 が感染予防 ・ 拡大防止に必要なことが分かります。
ところで サーズによる累計患者数及び死亡者数の多い、 ワースト ・ ファイブ の国は、W H O の データ ( 2002 年 11 月 1 日 〜 2003 年 7 月 4 日 ) によると
でしたが、サーズの発源地であるはずの中国における、死亡率の 異常とも思われる低さ が目立ちましたが、前述した サーズ患者の 統計数字を国家機密に指定 したことと無関係ではなく、都合の良い値に 改ざんしたもの と推測されます 。平成 14 年 月 27 日現在の データでは、感染は延べ 29 ヶ国にわたり、感染者は 8,450 人、死亡者 810 人でした。
[ 8 : 新型 インフルエンザ ]日本では新型 インフルエンザという名称で マスコミが報道していますが、アメリカの メディアでは最初から スワイン ・ フルー、 Swine Flu ( Swine とは豚の意味 )、つまり 豚 インフルエンザ という名前を使用していました。アメリカの C D C ( 疾病対策 センター ) が 7 月 24 日に発表した データによれば、
アメリカにおける 新型 インフルエンザ、 A ( H1N1 ) の感染者はこれまでのところ 4 万 3,771 人、死者は 302 人 ( 死亡率 : 0.68 パーセント )。でした。しかし アメリカは先進国中唯一、全国民を対象にした 国民健康保険制度 ( 公的医療保障制度 ) が 無く 、高齢者向けの メディケア ( Medicare )、貧困者向けの メディケイド ( Medicaid ) を除き、医療保障は民間保険を中心に行われています。平成 11 年 ( 1999 年 ) の データによれば、医療保険に全く加入していない国民が、 4,260 万人 もいたので、病気に感染しても医者には行かない ( 正確な表現では、行けない ) 人が多く、実際には 100 万人以上 の感染者がいると推定されています。 ( 8−1、年齢と免疫 ) アメリカでは 65 才以上の患者は全感染者数の 1 パーセント以下 であり、60 才以上の 3 分の 1 に新型 インフルエンザに対する抗体 ( 免疫 ) があると考えられています。 日本では スペイン風邪が流行した 1918 〜 1920 年当時、 内務省の データによれば、 39 万人 の死者 が出ましたが、その当時子供だった 現在 90 才以上の人や、理由は不明ですが 60 才以上の人の 40 パーセント が新型 インフルエンザの免疫を持つ可能性が推測されています。 W H O が 7 月 24 日に発表したところによれば、新型 インフルエンザの感染が 160 箇国に拡大するとともに、累計の死者数は約 800人 に上ったとのことでした。
インフルエンザ ・ ウイルスは一般に 乾燥 ・ 低温の環境を好む ものですが、日本国内における新型 インフルエンザの感染者は高温多湿の夏季を迎えても拡大し、7 月 13 日〜 7 月 19 日の 1 週間で 1,502 人 が新たに感染しました。 厚生労働省による 7 月 24 日までの統計によれば、累計感染者数は ついに 5,000 人 を突破しましたが、しかも感染者の 8 割は海外渡航歴がなく、国内で感染が広がっていることを裏付けています。感染症の専門家によれば、
患者数が減らないのは、新型 インフルエンザに対する 免疫を、大半の人が持っていないため であり、夏休みが始まって学校での集団感染が減るが、行楽などで感染地域がさらに拡大する可能性があると指摘しました。 やっかいなことに 毎年のように冬に流行する季節性 インフルエンザに備えて、予想される ウイルスの型に対する予防 ワクチンの接種をしても、 冬から翌年の春にかけて、別の タイプの ウイルス による インフルエンザが流行した場合には、せっかく予防 ワクチンを接種しても、その効果が無いということです。甚だしい場合には型の異なる インフルエンザに、ひと冬で 2 回も感染する人もいるほどです。 つまり現在流行している新型 インフルエンザには、それ [ A (H1N1) ] 用に作られた ワクチン しか効かない ことを、理解しなければなりません。 ( 8−2、ウイルスの変身 ) 昭和 45 年 ( 1970 年 ) 以降に急速に発展した バイオ ・ テクノロジー ( 生物科学技術 ) には、遺伝子組み換え、細胞融合などの技術がありますが、ウイルスの世界ではそれよりもずっと以前から、人間の近くに住む 鳥 ・ 豚 ・ 野生動物 などを利用して、ウイルス自身が巧みに遺伝子を変化させ、変身する能力を身に着けました。
ウイルスが変身する過程を簡単に説明しますと、 人が罹る インフルエンザに 豚が感染し ( 必ずしも症状が出るという意味ではない )、豚が同時に 鳥 の インフルエンザにも感染したとすれば、豚の体内で 2 種類の インフルエンザの遺伝子が入れ替わり ・ 組み換え がおこなわれ、その結果これまで存在しなかった 新型の ウイルス が誕生することになります。( 図は東工大 Science Techno から引用 ) アメリカ疾病対策センター ( C D C ) の調査によれば、新型 インフルエンザ ( 豚インフルエンザ ) [ A ( H1N1 )] と同様に、
人と鳥と豚の ウイルス 遺伝子を持っている 今回とは別の豚 インフルエンザ に、米国で 2005 年以降、計 11 人が感染していたことが分かった。という内容の記事が平成 21 年 7 月 7 日付けの アメリカの医学誌、ニューイングランド ・ ジャーナル ・ オブ ・ メディシンに発表されましたが、それによれば、研究 チームは過去の インフルエンザ報告書などから、個別例を調べた結果、
2005 年 12 月から 2009 年 2 月までに、 オハイオ州や アイオワ州など中西部を中心に 11 人の感染が判明した。行動の詳細が分かる 10 人のうち、 9 人は豚に直接接触か、あるいは豚がいた農場などを訪れていたが、1 人はその形跡がなく 人から人への感染が疑われている 。とありました。 このような 人 ・ 鳥 ・ 豚の ウイルスの遺伝子を併せ持つ新型の インフルエンザが 既に発生し 、人間に感染の被害を及ぼす危険性は今後も予想されるので、今回の新型 インフルエンザの パンデミック ( 世界的大流行 ) を教訓にして、国 ・ 地方自治体 ・ 医療機関も 強毒型に変身する可能性 のある ウイルス出現に、十分備えてもらいたいものです 。
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