海賊
[1:ボート・ピープル]13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸を荒らし回った倭寇(わこう)と呼ばれた日本の(?)海賊がいましたが、その集団には日本人は少なく、多くは中国人の密貿易者や海賊であったと考えられています。西洋にも17世紀から18世紀にかけてカリブ海や大西洋、インド洋を荒らし回り、ちょっぴり夢とロマンを感じさせた海賊「キッド」や「黒ひげ」達がいました。現代にも海賊は世界に数多く存在していますが、彼等が注目されるようになったのは、1975年のベトナム戦争の終結以後でした。北ベトナム政府の経済政策の失敗による経済的困窮と共産主義政権の支配を逃れて、南ベトナムからは小船に乗り東南アジアに多くのベトナム人が脱出を図りましたが、このベトナム難民をボート・ピープルと呼ぶようになりました。それらの船を襲っては金品を奪い、時には人を殺し、女性を犯す、タイや中国の海賊船がたくさん現れました。 彼等には最早夢もロマンのカケラもなく自動小銃や機関銃で武装し、金品を奪う為には容赦なく人を殺す海のギャング、殺人強盗集団でしかありませんでした。 ボート・ピープルを襲う海賊がはびこったことから、国際世論に押されてタイ国政府が海賊に対する抑止策をとったものの、1990年の最初の6ヶ月間にボート・ピープルに対する海賊の襲撃が33回あったと報告されていて、そのうちの24回は過激なもので死者9名、行方不明266名、35名のレイプ犠牲者が出ました。これは氷山の一角に過ぎず、被害はこの何十倍にも達するとする意見もありました。 国連難民高等弁務官事務所(U N H C R )の統計によれば、1975年から1992年までに東南アジアを脱出したベトナム難民の数は79万3千人でしたが、そのうちの半分以上は船で脱出したと思われますので、海賊に襲われた被害者はかなりの数に及ぶものと推定されます。
[2:海賊行為の定義]国連の公海に関する条約(1958年)および海事法に関する条約(1982年)に依れば、海賊行為とは公海において船舶に対して「個人的な目的」のためになされた攻撃を言い、そこにおいては暴力、不法な人ないしは財産の抑留、ないしは商品の窃盗あるいは破壊がおこなわれるものをいう。とありますが、これは非常に現実離れした矛盾に満ちた条文であり、たとえば外国船が中国の領海で次項に述べる中国の海賊から略奪されても、領海内なので国連法規に基づく海賊行為とはみなされないということになります。次に「個人的な目的」を云々するのであれば攻撃者の主体が判明しなければ、個人的目的に基づく襲撃なのか、国(たとえば北朝鮮や中国)の意志に基づく兵士による海賊行為かを判断することは困難です。ましてアルカイダなどのテロ組織による海賊行為を、個人的目的の範疇(はんちゅう)に入れるのか、入れないのかは大きな問題になります。
[3:腐敗した中国の役人、兵士たち]モラルの低い国の役人、兵士には自らの地位や職権をを利用して、蓄財に励むのを当然とする風潮が今もあります。 1994年には、南支那海での海賊行為が劇的に増加しましたが、それによれば中国官憲の制服を着た「役人」たちが、明らかに中国の標識を付けた船から乗船してきてシー・ジャック( Sea Jack )をするという報告が多発しました。アリシア・スター号を含む何隻かの船は公海で捕らえられ、中国南部海岸の港に連行され、積み荷は没収され、罰金の支払いが済むまで乗組員は抑留されましたが、これは役人によって密輸入の取り締まりの一部とされました。しかしそこから得られた利益の多くは、役人の懐に入ったに違いありません。しかし1万6千トンのジュイ・ホー号およびピーター・モースト号に対する襲撃の場合には、明らかに窃盗の目的でおこなわれました。彼らは中国の国旗をひるがえし、中国の標識を付けた船から中国官憲の制服を着た武装兵たちが乗り込んで来たと報告されました。これらの襲撃の大部分は中国の国境パトロールの兵士、士官たちが、自らの利益のために海賊行為をしたものでした。国際海事局( International Maritime Bureau )がこの事実を明らかにしたのに対して、中国政府はようやく自国の役人による略奪防止の手段を取ることにしました。
[4:海賊による、シー・ジャック事件の一例]
[5:日本関係船舶の海賊被害の発生状況]平成8年から平成13年までの間に、日本の船会社が受けた海賊の被害は以下の表の通りです。
[6:アロンドラ・レインボー号事件]この船の名前を聞いたことがありますか?。N H K テレビでも2003年4月1日の「プロジェクト X 」、第109回の放送でも取り上げられましたが、平成11年(1999年)10月22日に7千トンのアルミニュウム・インゴット(塊)2千万ドル、時価20億円以上)を積んだパナマ船籍で、日本の船会社が所有する貨物船アロンドラ・レインボー(Alondra Rainbow)号7千トンが、北スマトラを出港し日本の三池に向かいましたが、マラッカ海峡付近で10月28日に消息を絶ちました。船会社からの連絡で海上保安庁と外務省が調査に乗り出し、海上保安庁は巡視船と哨戒機を派遣し捜査をしたものの、情報はつかめませんでした。そこでロンドンの国際海事局の海賊情報センターに情報を送り、各国に船の所在確認と情報提供を求めました。ところが行方不明になってから10日後の11月8日に筏で漂流中の日本人2名、フリピン人15名を含むアロンドラ・レインボー号の乗組員が漁船に発見され、全員無事に救助されたことから、船ごと積み荷を海賊に奪われた事件の概要が判明しました。 写真はゴム製の筏と救助された17名の乗組員で、右側の白髪の男性は船長の池野功氏で、その後方で帽子を被るのは日本人の機関長です。 アロンドラ・レインボー号はマラッカ海峡を航行中に突然、銃と刀で武装したインドネシア人の海賊にシー・ジャックされました。高速船で船尾に接近し鍵付きの投げ縄などで最初に一人が船に登り、縄梯子を使い海賊を引き入れるのだそうです。乗組員たちは船を奪われてアンダマン海で海賊から筏に乗り移ることを強制されましたが、僅かの水と食料のみで10日間漂流した末にタイの漁船に救助されましたが、奪われた船は行方不明でした。11月14日になってアロンドラ。レインボーによく似た船がいるとの情報がクアラルンプール(マレーシア)の海賊情報センターに寄せられたので、インドの沿岸警備隊に情報を送り、船の所在確認を求めました。 インド沿岸警備隊が航空機で捜索した結果、酷似した船を発見し国際海事局に通報しましたが、名前は「メガ・ラマ、Mega Rama 」であり、中央アメリカにあるベリーズの旗を掲げていました。同国に至急確認したところそのような船は存在しないことが判明したので、インドの沿岸警備隊が同船を停船させようとしました。しかしそれに応じず、無線の呼び出しにも答えずに航行を続けました。そこでインド海軍のミサイル・コルベット艦が銃撃をおこない、11月16日に「メガ・ラマ」と名前を書き換えられていたアロンドラ・レインボー号を拿捕し、海賊15名を逮捕しました。船内を捜索した結果積み荷のアルミニュウム塊の内、3千トン(450万ドル相当)は既に売却されていて、船内からはクレジット・カードや多額のドル紙幣、複数国の通貨が押収されました。 今回の犯行はアロンドラ・レインボー号が貨物を積み込む以前から、盗品となるアルミニュウム塊の積み降ろし港や、陸上輸送のトラックの手配、買い取り主との値段交渉まで済ませた計画の元に、用意周到に練られ準備されたものでした。 現代の海賊は公海に限らず多くの国の領海や港内に停泊中の船も襲い、積み荷ごと船を奪う国際的犯罪組織による犯行が多いので、その対応には陸上、海上の警備当局による情報交換、取り締まりなどの国際的連携、協力が不可欠となっています。
|