[ 6 : 女房の予想 ]

出発の朝、徳島行きの飛行機に乗るために家を出る私に向かって、
あんた ( 昔は アナタ ァ と呼んで くれま した ) の事だから、 たぶん 三 日で 歩き遍路を止めて帰って来る

と女房が予想 しました。それを聞いて私は発憤 し、女房の予想を覆すために、是非とも 1,200 キロを歩いてみせるぞと心に誓ったわけです。

一番札所 徳島空港からは バスで 徳島駅に行き、そこから列車で J R 坂東駅に行きま したが、四国霊場 1 番札所、霊山寺は 坂東駅から歩いて15 分の所でした。

ここは名前だけみると静かな寺のように思われますが、実は半ば観光 スポット化 していて観光 バスや車で訪れる人が多く、落ち着きのない寺です。

ここで白衣と遍路用具一式を買い揃えると、売店の人から 「 初めての遍路であれば、住職から遍路の心得についての話 しを聞いたらどうですか?」 と言われました。1 万 5 千円の買い物をしたのでその サービス かと思いお願い したところ、後でお金を包むように言われて ガックリ しました。


[ 7 : お経の初読み ]

遍路姿 「 にわか遍路 」 に変身してまず最初にすることは納経、つまり本堂と大師堂の 二 ヶ所で、短いお経すなわち 般若心経 を読むことです。さっそく本堂に行ったところ階段を上がった中央では、20 人 くらいの遍路の団体が先達 ( せんだつ ) の拍子木に合わせて、お経の大合唱を していました。

観光客をは じめ多くの人達に囲まれた場所での読経は、にわか遍路にとって非常に恥ずかしく気が引けたので、誰も来ない本堂の隅の方に行き、売店のおばさんが くれたお経の コピー 紙を取り出して、見るのも、読むのも、生まれて初めてのお経を小さな声で読みました。

カンジーザイボーサーギョウジンハンニャーハーラーミータージ ( 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 )と、漢字の横にある振り仮名 ( ルビ )を読むのですが、コピー が悪くて小さい文字が読みづらく、とても苦労しました。

この時はつかえながら 10 分程度かかって、ようやく般若心経を読み終えま したが、こんなお経を聞かされた御本尊様も、さぞお疲れになったことで しょう。

しかし札所毎に 二 ヶ所 ( 本堂と、大師堂 ) ずつでお経を読むため、20 番札所 鶴林寺を巡る頃には 「 カナ 釘流の読み方 」 から進歩 して声の出 し方、区切り方もかなり上達 して、読む速度も、速からず遅からずで、所要時間 1 分 4 5 秒で読み終えるようになりま した。

さらに反復練習 ( ? ) の効果とはすばらしいもので、遍路の後半には般若心経の経文全部を暗誦できるまでに上達 しました。

こうなれば態度にも自然と自信がついてきて 遍路としても 1 人前 です。観光客や団体遍路が大勢いても遠慮などする必要もなくなり、本堂の正面で コピー 紙も使わずに、堂々と 「 読経 」 ができるようになりました。


[ 8 : 無知な私 ]

お経の意味も分からぬままに経を読むことに疑問を感じて、ある時、遍路用品販売所で般若心経の解説書を買い求めて、読んで驚きました。恥をさらして申し訳ないが、無知な私はこれまで経文にある 「 色即是空 」 ( しきそくぜくう ) の ( しき ) について、字面 ( じづら ) から いろごと いろ の意味に捉え、 色即是空とは

いろごと ( 情事 ) は、むな しいものである
と自分の体験から (?) 勝手に解釈 していました。

ところが ( しき ) とは いろ の意味ではなく、存在 / 物質のことであり、 存在するもの、形あるものは空 ( くう ) である という、佛教の根本思想を示す言葉であることを初めて知りましたが、まさに 汗顔 ( かんがん ) のいたりでした。最初の区切り打ちを終えて帰宅後、女房にその件を話したところ、

い い年を して、そんなことも知らなかったの ?。わざわざ遍路に行かな くても、図書館で本を借りて読めば分かったのに
と即座に、けなされて しまいました。

女子と小人は養い難し とはお釈迦様の言葉ですが、 仏縁 を知らぬ衆生 ( 女房 )は しょせん救われまい!

注 : )
「 女子と小人−−−」の言葉は後に中国、春秋時代の思想家であった、孔子の言行録である論語の陽貨篇に記されて、有名になりま した。


[ 9 : お接待について ]

歩き遍路を始めて 2 日目のこと、道を歩いていると 「 お遍路さーん 」 と大声で呼び止められました。70 才過ぎのお婆さんが呼んでいるので近づくと、500 円硬貨を差し出されました。この歳になるまで、見ず知らずの人から現金を貰った経験がないので受け取るのに躊躇しましたが、お接待を拒んではならないという 遍路のしきた りを思い出して、ありがたく頂戴しました。

すると 「 お祈りは? 」と言われたので、はっと気が付きました。お接待を受けた場合には 遍路としての作法 があったのです。それを思い出して弘法大師空海の宝号である 南無大師遍照金剛 を 3回唱えて、納め札をお礼に差し上げると、「 よし、よし 」 と言ってお婆さんは去って行きました。

これが最初の経験で、その後も各地で現金のお接待( 最低は、しじゅう御縁が有るようにと 45 円から最高は 1,000 円まで )や、季節が秋でしたので、みかん、柿などの果物、食堂では無料の コーヒー、タオルの産地今治では タオル、ある遍路宿では昼食のお弁当のお接待などを頂きました。

注 : )お接待
古くから四国遍路にのみ存在し、西国 三十三札所巡礼や 坂東 三十三札所巡礼、秩父 三十四札所巡礼などには存在しませんが、お接待の動機としては、
  • 弘法大師に帰依し、難行苦行する遍路たちに対する同情心。

  • 遍路への接待は、取りも直さず弘法大師に接待することにつながる。

  • 祖先の冥福のため。

  • 遍路に出る代わりに接待をすることにより、善根を積もうとすること。

でした。


[ 10 : 代参を頼まれる ]

高知県の窪川では 85 歳のお婆さんから声をかけられました。その人は、宿毛市の東にある 39 番札所、延光寺のすぐそばで生まれて、子供の頃にはお寺でよく遊んだそうです。「窪川に嫁に来て 70 年近くになり、歳をとってお寺のお参りにも帰れません。

あんたは延光寺にも回るのか?」と聞かれたので、5〜6 日後にはお参りする予定ですと答えると、「 私の代わりに延光寺さんにお参りして欲しい 」と言ってお接待の 200 円とお賽銭として私の分も含めて 20 円を差し出されました。

私は 200 円を頂き、20 円は別に紙に包んで ポケットに入れて預かりました。「 延光寺には必ずお参りしますから、その際にはお婆さんが健康で長生きされるようお祈りします といってお別れしました。そして 6 日後に延光寺を参拝した際に賽銭箱へ お婆さんの願いのこもったお賽銭 を入れてお祈りをし、約束を果たしました。


[ 11 : 功徳を積む機会を与えること ]

いろいろな人からお接待を受けても、私からは 「 納め札 」 以外にお返しするものが無くて、心苦しく思っていたので、ある納経所で話好きな和尚さんにそのことを話してみました。すると「 お釈迦様は布施をするようにと、教えているが、布施をしたくても相手がいなければできないでしょう。

貴方は布施をする機会を相手に与えているのです。それによって相手は功徳を積むことができて幸せだと思っているし、貴方も布施 ( お接待 ) を受けて幸せでしょう 」と答えてくれました。なるほどお接待とはそういう意味なのかと初めて知り、それ以後は悩まなくなりました。

小乗仏教の国である タイの僧侶が托鉢する様子を テレビ で見たことがありましたが、僧侶は喜捨を受けても決して頭を下げずに、逆に喜捨をする人達が僧侶に頭を下げていました。それは僧侶が喜捨の機会を人々に与えて功徳を積ませてやる/相手は功徳を積ませて貰うことへの感謝をしていることがこれで分かりました。


[ 12 : 長生きも、ほどほどが良い ]

その当時 65 歳の私が 一人でとぼとぼ歩いていると、哀れな姿に見えたのでしょうか 「 奥さんが亡くなったのですか? 」 とよく尋ねられました。「 いやあー!、元気にしています 」と答えると、相手の人は期待が外れたらしく、少しがっかりした様子が見られました。

実は女房の実家は長生きの家系のため 、本人も 60 歳になり、65 歳からの国民年金受給開始を 1 日千秋の思いで待ちわびているというのに、両親 ( 父 91 歳、母 83 歳 ) は未だに健在で、それぞれ厚生年金、国民年金をもらって 二人で暮らしています。

そのうえ女房も 9 4 歳まで生きた D N A 遺伝子 を祖母から受け継いでいるため ( ? )、 その程度までは長生きをする可能性 が多分にあります。

長生き女房

となると女房よりも 5 歳年上 の私が、四国の人達の期待に応えて(?) 亡き妻の菩提を弔うへんろ旅 に出たくても、その実現の可能性 ( 9 9 歳まで生きること ) については 殆ど絶望的です

これは私にとって悲 しむべき事なのか、はたまた女房に 最後を看取ってもらえる ( ?)ため喜ぶべきことなのか、判断に迷っています。

札所では亡くなったご主人や奥さんと思われる人の写真を、扉付きの額に入れて首から胸の所に下げて、お参りする中高年のへんろ姿をときどき見かけました。しかし最も心が痛んだのは、孫と同じ年頃の幼い子供の写真を首に掛けて、お参りする人を見かけた時でした。

高知の遍路宿では、6 0 歳を過ぎた 一人旅の女性と出会いました。その人は最近ご主人を亡くしたため、その遺骨を郷里の寺に葬るつもりですが、その際に遺骨を包む布を単なる白い布ではなく、回向のために 八十八 ヶ所の札所の朱印を押した白布を使いたいので、乗り物を利用して遍路をしているとのことでした。

「 そんなにして頂いて亡くなったご主人も幸せですね、 私が死んでも かかあ天下の女房は、そんなことを決してしてくれませんよと言うと、「 主人は私にとって、本当に過ぎた人で した 」 といって涙ぐんでいました。ご主人に対する愛情の深さを感 じさせられま した。

帰宅後、家庭内の実力者で しかも 長生き予定の女房殿 にこの話しを したところ、フーン というだけで少 しも関心を示 しませんでした。

自分にとって不利な情報を気にかけないのは長寿の秘訣 ( ? ) かも知れませんので、私も長生きをするために女房を見習うことにしました。

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