2001.11.20
11月18日の日曜日、名古屋であったペシャワール会中村哲先生の講演会を聴く事ができました。 大阪の私がたまたま17日、18日と名古屋に出張していて、しかも仕事が終わる時間にその場所から 3分の場所で講演会があるという幸運。これは是非是非聞けということだと思ってちょっと帰りが遅くなる けど、がんばって聴いて来ました。 中村先生は、とつとつとした語り口でまじめなお人柄を感じました。 1984年パキスタン北西部辺境州のペシャワールにハンセン病コントロール計画を中心にした診療のために 赴任され、以後一貫して貧民層を中心にした診療にたずさわってこられました。 詳しくは、ペシャワール会のHPを参照してね。http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/ 1979年12月27日にソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、それに対してアフガニスタンの戦いは「ジハード」 としてムジャヒディンと呼ばれる戦士たちによって戦われていました。 ゲリラ戦でアフガニスタン全土が戦場 であったといえます。その中で、中村先生はアフガン難民のためのプロジェクトを1986年に立ち上げ、アフ ガン無医地区山岳部に三つの診療所を設立されました。 1989年2月ソ連軍撤退。アフガニスタンの政権はラバニ大統領、ヘクマチュアル首相、マスード国防相の 態勢がひかれましたが、各勢力の間で内戦状態に突入。この後に北部同盟となる勢力の支配するカブール は、略奪、暴行の横行する無法地帯となり、内戦によって建物も破壊されカブールは廃墟の町へと変わりま した。このときのカブールの状態はひどいものだったと話してられました。 大量の難民がパキスタン、イラン、ウズベキスタンなどに流出しており、多くの国際NGOなどが援助にきたと いうことです。しかし、91年湾岸戦争の勃発とともに援助団体は潮が引くように去ってしまったと言う事です。 その中、92年から難民達は誰の力も借りず自力で農村へと帰還していったそうです。 そして農村に水田が復活した時、蚊の発生によってマラリアが蔓延しました。キニーネさえなく多くの人々が なくなっていく中、先生たちは不眠不休で働かれたそうです。 しかし、殺到する患者たちは待ちきれずある時診療所が武装した住民-患者に包囲され、ロケット砲が打ち込 まれ、機関銃も撃たれ、2名の職員が殉職したこいうことです。 このときの先生の対応を聞いて、私は感服しました。 先生は対抗しようとする職員に対して「絶対にこちらから銃撃を返してはならない。たとえこれ以上殺され ここにいる全員が死んでも、18人の命ですむ。残っているペシャワールのスタッフがくればまた続けられる。 しかし、交戦すればもう敵対関係になってこれからは何もできなくなる。」と言われたそうです。 この自らの死をもかけて診療と信頼を守ろうとされた先生の気迫、自分が大切にしているものに対する真の 勇気をみる思いです。幸いそれ以上の犠牲を出さず、診療を継続することができたそうです。 ガンジーの言葉「あなたがありたいように相手に対しても行いなさい」を思い出します。 殺されたくないものは人を殺してはいけない。暴力の支配下にいたくないものは、暴力をふるってはいけない。 アフガニスタンの山奥、歩いてしか入れないような田舎でも日本については知られていて、 「ロシアを日露戦争で破った国。広島、長崎で原爆の被害を受けた国」として非常に好意的に受け入れられて いるいそうです。 中村先生は、「日本人ということで受け入れられ、仕事がしやすくなったこともある。」と 語っておられました。 このような先生の努力や積み重ねをひっくり返すことはできないと思いますが、日本政府のアメリカ追随が 悪い影響を与えないようにと思わずにはいられません。 後に北部同盟となる各派の内戦状態の中、アフガニスタンの人々はとにかく平和に暮らせる状態を求めて いました。このときに1994年11月にタリバンが登場しました。 1995年にはタリバンはヘクマチュアルに勝利し、1996年にはカブールを制圧しました。 1万5千ほどの勢力のタリバンが短期間にアフガニスタンの90%を支配できるようになったのは、彼らが 多少窮屈でもちゃんと暮らしてはいける治安を保証したからだということでした。 それに、戦闘のみで制圧したのではなく、各地域の族長会議で話し合い平和的に治めていったとも聞きま した。 先生は今の報道を見ていて非常に違和感を覚えるとおっしゃっていました。 今までのアフガニスタン、カブールの状態を知らないで、北部同盟が来たから、音楽が聴ける、凧揚げがで きる、ブルカが脱げるというけど、タリバン下でもテレビも見られていたし、凧揚げもできていましたよって。 タリバンがテレビを見ていましたって。女の子の教育についても隠れ学校がいっぱいあって、タリバンは知っ ていても見ないふりをしていたとも。(これは黒柳徹子さんのレポートでもタリバンが隠れ学校に案内してた) 私もCNNのこの間の報道を見ていてものすごく変だと思っていました。 完全な報道管制というか作り物というか、かって大日本帝国が戦争中は敵国を鬼畜米英と思わせるように 報道させていた状態と同じだと思いました。 タリバンをめちゃくちゃ非人道、むごいやつらに仕立てないと戦争の目的がわからなくなるからでしょうね。 今回のカブールに北部同盟が入ってタリバンが撤退した後、カブールからジャララバードへ引き揚げる道中の 様子は筆舌に尽くしがたい凄惨なものだったそうです。タリバンや住民に対する虐殺が行われていたそうです。 ペシャワール会の車も空からはヘリコプターの銃撃をうけ、武装住民の襲撃を受けたそうです。 今、なにも終わってはいない。これから冬を越すために国際的な援助団体の手の届かないところの人々に 食料を届けなければならない。ペシャワール会は、人の行かないところで援助を続けるということでした。 お話を聞いて、ぼそっと「私はキリスト教徒ですが」とおっしゃったことになんか感激しました。 いろんなことがあっても、アフガニスタンに対して愛着を持って、そこに住む人々に人間としての共感を持って イスラムの習慣も、アフガニスタン固有の習慣も受け入れて、「お国にはお国のやりかた」とゆったりと 確実に歩んでられる確かさを感じました。 実際にお話を聞く機会を持ててよかったと思いました。 信頼できる顔の見える支援ができるところに有効にお金を使ってもらうのが一番と思いました。 |
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