2001.10.13

パレスチナを忘れないで!

世界の目が、アメリカへのテロ、アフガニスタンに対する戦争に向いている中、イスラエルはパレスチナに
対して次々に攻撃をかけている。 9月11日からだけでも毎日毎日パレスチナのどこかにイスラエルの
戦車がミサイルが銃撃を重ねている。イスラエルの軍事的攻撃、占領地の拡大に対して、世界は監視をし
辞めさせる手を打たなくてはならない。
アメリカが拒否権を発動して潰してしまった国連の監視の派遣を再度考えるべきだ。アメリカが再度拒否
するのなら、テロ反対という自分勝手なお題目にすぎない。イスラエルの国家的なテロ、侵略を許しては
ならない。

1987年、イスラエル軍の圧制の中で子ども達が銃を持ったイスラエル軍に向かって石を投げつけるという
行為が始まった。インティファーダである。これに対してイスラエル軍は銃撃で応えた。当然多くの若者が
命を落としていった。しかし、パレスチナは戦いつづけている。
この行為は、国連でも「イスラエルの占領下での抵抗行為」としてテロとは言われない。

和平合意などがあり、しばらく収まっていたが
2000年9月29日イスラエルのリクード党首シャロンの、イスラム教の聖地、ハラーム・シャリーフ訪問を
阻止しようとしたパレスチナ住民に対し、イスラエル軍が発砲し、多数の死傷者を出した。その後も衝突は
止まず、ヨルダン川西岸、ガザ地区と飛び火し、人々は今回のインティファーダを
アル・アクサ・インティファーダと呼んだ。石一個投げるとミサイルが打ち込まれるというようななイスラエ
ルの攻撃の前に多くの命が奪われている。 アメリカのWTCで失われた命を悼む人々もここで失われる命
に対しては無関心なのだろうか? 突然のテロは衝撃的だ。しかし日常的国家テロ行為は関心の対象外
になるのか?

パレスチナについて、下に昨年パレスチナ子どものキャンペーンが出したアッピールを載せておきます。
さらに、ここも参考になると思いますので読んでみてください。
http://www1.ttcn.ne.jp/~jpma/top_right.htm

アフガニスタンに目を向けているいるのと同じようにパレスチナに対するイスラエルの軍事行為も見てくだ
さい。世界の目と関心が必要です。
パレスチナ国家の実現を日本政府も真剣に考えてくれるように訴えたいです。

2000年9月にパレスチナ子どものキャンペーンが出したアッピールです。

<日本の市民と政府に対するアッピール>

パレスチナ子どものキャンペーン

 1993年9月のオスロ合意から始まった、中東和平プロセスは、9月13日の最終地位交渉の期限までに合意にいたりませんでした。マスコミをはじめとする国際世論は、パレスチナ側に一方的な独立宣言を自重するように要求し、イスラエルとパレスチナの歩み寄り、東エルサレム問題の先送りを求めています。しかしパレスチナ問題の焦点はエルサレム問題にとどまるものではありませんし、ヨルダン川西岸やガザ地区でのイスラエルによる入植地の拡大や家屋破壊などが続いていることに現地の人権団体は警鐘を鳴らし続けています。
 特に、普遍的な人権に関わる非常に重要な課題である難民問題が、依然として解決されることなく、国際的にも無視されがちなことに、15年にわたって、パレスチナ難民の子どもたちの教育・福祉の支援協力を続けてきたNGOとして、私たちは非常に憂慮します。
 難民問題を交渉当事国間の政治的解決で終わらせることなく、広く国際的な人権問題として、各国政府や市民がこの問題に関心を持ち、パレスチナ難民の普遍的な権利を保障するための具体的な行動を強化するよう訴えます。

 UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)に登録されているパレスチナ難民の数は約320万人で、登録されていない人々をあわせると350万人近くになると推定されていますが、この数は、世界中の難民のなかで最大をしめ、難民の4人に1人はパレスチナ人です。パレスチナ難民が発生したのは1948年であり、半世紀以上経過した最も長い難民生活をしている人々です。また、国連のパレスチナ分割決議とイスラエルの建国が難民発生の直接的な原因であり、同決議で保障されたはずのアラブ(パレスチナ)国家の建国は、いまだに実現していないという背景があります。
 パレスチナ難民は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の保護下になく、国際難民条約の保障する権利を現実には受けることができずにいるのです。そのために、その居住する周辺諸国で、基本的な市民権も与えられていない場合が多々あります。

 この夏、私たちはレバノンのパレスチナ難民キャンプで、ボランティア活動を行ないました。日本からの参加者30数名とパレスチナ人の青少年が一緒になって、最貧困家庭の家屋修復や公共施設の整備などの作業に従事しましたが、レバノンのパレスチナ難民キャンプは和平の恩恵を受けることなく、疲弊の度を強め、孤立感を深めています。
 こうした事情もあり、半世紀以上経た今日でも、圧倒的大多数の人々が故郷への帰還を強く願っています。彼らの故郷はイスラエル国内にあり、すでに長年にわたってイスラエル市民が住んでいて、難民の帰還には、現状の大幅な変更が不可欠であり、イスラエル政府は基本的にその受け入れを拒否しています。しかし、たとえ、定住することが当面できないにしても、故郷を訪問することをはじめとして、離れ離れになった家族や親戚との再会、失った財産と人生の金銭的な補償、自己選択による国籍の取得、居住地の自己選択、第三国での市民権の保障など、現在パレスチナ難民には否定されている普遍的な人権(世界人権宣言)を行使できるように、国際社会は、イスラエル政府や関係諸国へ圧力を強めるべきだと考えます。

 今月はまた、数千人が犠牲になった1982年9月のベイルートのシャティーラ難民キャンプでの虐殺事件から18年です。こうした悲劇を繰り返さないためにも、国際機関はパレスチナ難民の保護システムを強化するべきでしょう。
 パレスチナ難民以降も、世界各地で多くの難民が生まれています。歴史事情や背景に差はあるとは言え、同じような悲劇が繰り返されているのです。パレスチナ難民問題の解決は、こうした世界の難民問題解決の糸口となる大事な試金石でもあります。

 最後に、日本政府をはじめとする各国政府に呼びかけます。
 パレスチナ人たちは、自分たちの国を持つことを長年の悲願としてきました。20世紀中にパレスチナ国家ができるように、その独立宣言を無条件に支持し、パレスチナ政府と市民が新しい民主的な国づくりを可能にするよう、惜しみない協力と支援を送るよう求めます。
 また、日本政府は米国政府に見習い、パレスチナのパスポートを承認し、一日も早くパレスチナ市民の渡航を容易にするよう求めます。
 難民の生活や人権を改善するため、今まで以上に国連機関やNGOとの協力を進めるよう求めます。

 20世紀最後の9月、パレスチナ難民たちは、帰還権など自らの権利の保障を求めて、世界各地で大きな集会や行進などさまざまな行動を準備しています。私たちも、彼らの願いと努力が、平和と諸民族の対等な共存、個人の人権の保障という21世紀の共通の希望へとつながることを信じて、日本の世論に呼びかけるものです。

2000年9月


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