2001.09.15

戦争-ゲリラ-テロ  今回のテロを戦争だと叫ぶことの危険性について

今回のアメリカでの出来事は非常に多くの人の命を奪った。それが実況中継されて全世界が注視していた。
あらゆる意味で前代未聞の出来事であって、いいようのない悲劇であることは疑う余地はない。

アメリカ大統領が直ちに「これは戦争だ」と叫んだ。 この何日かの報道や色んな人の話でも「戦争だ」と
いう言葉を聞いた。 しかし、これを戦争だといって全面的な軍事的報復を行うということは実際にはどういう
ことになるのだろうか?
アメリカの筋書きとしては、今回の攻撃の指導者は、ウサマ・ビン・ラディンであると断定して、これをかくまって
いるアフガニスタンを攻撃する。そのためには、世界的な同意を取り付けて、NATO、環太平洋軍事同盟の
全てを動員できる態勢にするということだろうか。

戦争というのは、一定の戦場をもっており、戦力のあり場所も限定されるものだと思う。
しかし、テロは戦場を固定しない、見える形の戦力も存在しない。 民衆の海のなかにまぎれて攻撃を
仕掛けて、相手の心理的な打撃を大きな目的にする。最終的に軍事的な勝利ということを必ずしも期待
していない。つまり、今回の攻撃がアフガニスタンの軍事的攻撃であったら戦争でしょう。アフガニスタンに
対して宣戦布告して、反撃を加えて軍事的勝利を勝ち取り、その結果としての政治的支配も可能でしょう。
しかし、今回の攻撃がアフガニスタン-タリバンのみの攻撃ではなく、もっと広範な反アメリカ−急進イスラム
勢力のテロであれば、アフガニスタンへの大規模な攻撃、タリバンの殲滅はなんの意味ももたないでしょう。
むしろ、その後に続く泥沼のような世界中で起こりうる小規模のテロを準備するものとなるのではないでしょ
うか。

「テロに対して反対である。許すことはできない。」ということは、強大な軍事力であるものを叩き潰すという
報復の応酬しかないのでしょうか?
ローマ法王が述べているように「暴力の応酬は不毛である。」ではないでしょうか?

アフガニスタンは、90%をタリバンが支配しているといわれている。残り10%を支配していた「北部同盟」の
指導者、マスード氏がタリバンの攻撃で亡くなったらしい。多分アフガニスタンの支配はタリバンのものに。
しかし、タリバンのイスラム原理主義とも違うあり方、激しい反アメリカの考え方の為に、国連でも認められず
他のイスラム国からも認められていない。現在のアフガニスタン承認国は、パキスタン、サウジアラビア、アラブ
首長国連邦の3カ国にすぎない。しかも対ソビエト戦で疲弊し、さらにその後の内戦で疲弊し、アメリカの主導の
もとに行われている経済制裁のなかで近年の旱魃で決定的に疲弊しきっているアフガニスタンは、国民は餓死
したり、難民化したりする一方で、厳しい孤立感と国際不信の中にいる。
その中でのアフガニスタンへの圧倒的な軍事力行使はアメリカの勝利に終わるだろう。けど、後に何を残す。
憎しみの再生産、増産ではないのだろうか?

今いろいろなことを考えたり、調べたりしながら日々自分の考えを確かめ、できるだけ、たくさんの事実を知ろう
と努力しながら生活しています。こうすればいいという意見を言えませんが、疑問を投げかけながら前進して
いきたいと思っています。

今私の関心は、1)戦争とは、ゲリラ戦とは、テロとはなにか?
          2)イスラエル建国と現在のイスラエルのあり方に、アメリカ、ヨーロッパがどのような力を持って
            いるか。
          3)パレスチナの現状は、アラブ、その他の国にどのように考えられているか。
          4)イスラエル-パレスチナの現状は戦争ではないのか?
          5)その中で起こるパレスチナ自爆テロといわれるものをどのように考えるのか?
          6)反アメリカテロ活動は、何ゆえイスラムによって行われているのか?
          7)平和への道はどのような要件を必要としているのか?


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